第14章 「奇策の手弁当」
「そのように存じましたので…私、一計を案じてみた次第です。」
ブドウジュースを飲み干した英里奈ちゃんが、おもむろに私達を見回した。
わざわざワイングラスまで持ち込むとは、全く凝り性だよ。
形から入ったんだね、「ワインを飲んでいる」という気分を盛り上げるために。
「一計って…どういう事なの、英里奈ちゃん?」
私の問い掛けに英里奈ちゃんは、「よくぞ聞いて下さいましたね!」とばかりに上品に微笑むと、そっと静かに立ち上がった。
遊撃服のスカート丈は物凄く短いから、こうやって私達が座ったままの体勢でいると、立ち上がった英里奈ちゃんのスカートの中身が見えちゃいそうだね。
まあ、作戦中は全員が遊撃服で立ち回りを演じる訳だから、今更そんな些細な事を気にする遊撃士は誰もいないけどね。
「フランスのマリー・アントワネット王妃は、このような格言を残しています。『パンがないならケーキを食べればいい。』と。私共は、今こそ偉大なる先人の思想に立ち返る時なのではないでしょうか?」
「多分だけどそれ、格言じゃないと思うよ!英里奈ちゃん!」
「その先人の思想に立ち返ったら最後、民衆の反感を買って、末は革命政府の手で断首台送りだよ、英里。そもそも厳密に言えば、マリー・アントワネットの発言じゃないらしいよ、それ。」
1年B組が誇るサイドテールコンビのツッコミを軽く聞き流して、茶色い長髪も美しい御嬢様遊撃士の独壇場は続く。
どうしたの、英里奈ちゃん?
今日はまた、随分とハキハキしているね。
「パンがないなら、ケーキを食べればいい。飲み物としてのアルコールが摂取出来ないのなら、料理としてアルコールを摂取すればいい…私が到達した答えが、こちらです!」
英里奈ちゃんが弁当箱として持って来た、おせち料理でも入っていそうな黒塗りの2段式重箱。普通のお弁当が入っていた上段を取り除け、開けられた下段に入っていたのは…
「いかがですか?アサリの酒蒸しに奈良漬け、そしてブランデーケーキとワインボンボンです。酒蒸しはお抱えシェフにリクエストをお願いして、特別な味付けがされているのです。」
どれもこれも、調理の過程でアルコールが使われている料理だった。普通は、加熱のタイミングでアルコールは飛んでしまうと相場は決まっているんだけど…
「この酒蒸しの汁…随分と酒臭くないかな、英里奈ちゃん…」
「風味が飛んでしまった分は、燗をした大吟醸で補わせて頂きました…」
京花ちゃんの疑問に、英里奈ちゃんは笑いながら大胆不敵な答えを口にした。
「それにしても、よく腐らなかったよな。こんな弁当を春先の教室に放置していたら、今頃は大惨事になっているよ。」
「そう言えば…朝来た時にはこんな嵩張る重箱、持っていなかったよね、英里奈ちゃん?」
マリナちゃんの質問に私が続く。
ちなみに、私とマリナちゃんは、2人とも黒髪で、どちらも銃を個人兵装にしているから、「黒髪の双銃士」と呼ばれているんだ。
「それは、お抱えのシェフの方に酒蒸しとブランデーケーキを作って頂き、昼休みに間に合うよう、お抱えの運転手さんに届けて頂いたという次第です。ちょうど、父を会社に送り届けて、お迎えに上がるまで時間が空いているとの事で、快く引き受けて下さいました。もちろん、チップは弾ませて頂きましたので、礼は尽くしたつもりです。」
事も無げに語ったけど、使用人にチップを弾むだなんて、なかなか言える事じゃないよ。
そもそも、普通の家には使用人なんていないし。
それにしても、使用人さんに頼み事をするなんて、特命遊撃士養成コース時代の英里奈ちゃんだったら、とても出来なかっただろうね。
何しろ、特命遊撃士養成コース編入前の英里奈ちゃんと来たら、御両親や使用人の厳格な教育方針が裏目に出て、すっかり萎縮して内気な臆病者になってしまったらしいからね。
特命遊撃士として訓練や作戦に従事したり、私や京花ちゃんやマリナちゃんと付き合ったりするうちに、少しずつではあるけれども、精神的に強くなってきているんだね。
英里奈ちゃんをよく知らない人から見れば、まだまだ内気で気弱な御嬢様にしか見えないんだろうけど、私達から見れば、英里奈ちゃんは充分にタフになってきていると思うよ。
「それだけなの?英里奈ちゃん?酒臭いのは酒蒸しだけじゃない気がするな…」
京花ちゃんに倣って匂いを嗅いでみると、確かに酒臭い。どうも、英里奈ちゃんから漂ってくる気がするんだよね。
「実は、運転手さんから重箱を受け取る際に差し入れを頂きまして…アスティ・スプマンテを一瓶頂きました…」
やっぱりなあ…
妙に英里奈ちゃんがハキハキしていると思ったら、そういう事か。
でも、校外での飲酒だから、まあ、いいや。
「せっかく英里が持って来てくれたんだ。ご馳走になるよ。」
重箱の中身に、真っ先に手を着けたのはマリナちゃんだった。
英里奈ちゃんに差し出された割り箸でアサリの酒蒸しを摘まみ上げると、ノンアルコールビールで流し込む。
「うん…悪くないね。酒蒸しのアルコール分がノンアルコールビールに溶け出して、ちょうど良いバランスになっているよ。」
誰にするでもなく数回頷いたマリナちゃんは、酒蒸しとノンアルコールビールを嚥下すると、満足そうな表情を浮かべて英里奈ちゃんに向き直った。
「お口に合いましたか、マリナさん?」
「ああ!帰宅したらシェフの人に、『良い仕事をしている。』と伝えて貰えるかな、英里?」
ここがレストランなら、「シェフを呼んでくれたまえ。」とでも言うのかな、マリナちゃん?
「本当ですか、マリナさん!きっと吉野さんも喜びますよ!」
どうやら英里奈ちゃんの御自宅のお抱えシェフは、吉野さんというみたいだね。
マリナちゃんを毒味役にしたみたいで申し訳ないけれど、「ノンアルコールビールとの相性良し」との評価を聞いた私と京花ちゃんは、重箱にフォークや割り箸を伸ばして、生駒家の食卓の味に触れるのだった。
「うん…!いいね、英里奈ちゃん…!ケーキのブランデーが、ノンアルコールカクテルに染み出てくるよ!」
ついつい、ブランデーケーキに手が伸びちゃうな。こんな事だから周りの人に子供っぽいと言われちゃうのかな、私。
「お京は特に、酒蒸しや奈良漬けを多目に食べておいた方がいいんじゃないか?」
「嫌だなあ、マリナちゃんは…まるで私がアルコール依存症みたいじゃない。」
マリナちゃんの軽口に応じる京花ちゃんは、口振りとは裏腹に、さほど嫌そうな顔をしていなかった。これが、友達同士の距離感だよね。
「冬場になったら、鍋を持って来て粕汁を作ってみるのもいいね!」
「いい案ですね、千里さん!屋敷で仕込みをして頂いて、屋上では再加熱だけで済むように致しましょうか!」
きっと、日本酒をふんだんに使った粕汁を持って来てくれるんだろうね、英里奈ちゃん家の運転手さん。
「ところで、ちさが美術の授業中に発砲した相手って、サイバー恐竜の生き残りだったそうだね?」
ワインボンボンの包み紙を開けながら、マリナちゃんが私に話し掛けてくる。
「そうなんだよ、マリナちゃん。それもただのサイバー恐竜じゃなくて、3年前の事件で死んだはずの大野博士が融合していたみたいなの…」
ワインボンボンを口に投げ込むマリナちゃんに応じて、私は現場検証の際に考えた仮説をかいつまんで披露したの。
「大野総一郎博士は、自身の肉体を故意にサイバープテラノドンの幼体に捕食させる事で、サイバープテラノドンと融合し、研究所崩壊のドサクサに紛れて逃げ延びていた。いつの日か再起を果たすために。ところが、大野博士の理性をサイバープテラノドンの本能が次第に侵食していって、いつしか野生化した。要するに、こういう事?」
「あくまでも仮説の段階だよ、マリナちゃん。」
要約してくれたマリナちゃんに、私は一言付け加える。まだ研究機関での解剖調査が終わっていないから、不確かな事を無闇に口外するのは良くないよね。