第六話
「ひゃあ、冷たい!」
朝の洗顔タイムです。
リコちゃんに用意して貰った氷水で顔を洗いました。
毛穴の引き締め効果があるとテレビで見てから続けている習慣です。
苺鼻よ、綺麗になれ!
肌よきめ細かくなれ!
正直言うと効果は分かりませんが『よし、やるぞ!』と気合が入るし、慣れた習慣をするのは身体のリズムを整えることにも繋がる気がします。
今は他人の身体のですけどね。
世界ツアーには行かずにブートキャンプを始めると決めたところでオリオンからいくつか課題を出されました。
さすがにダイエットだけでは魔物退治は出来ません。
まずは身体を絞る。
これはすぐに始めます。
言われなくてもやります、やらせてください!
そして絞ると同時に戦闘の知識をつける。
あと、戦闘に慣れる。
これは塔に入るまでに必要な『最低限』なことで、やらなければ死ぬぞと脅されました。
『死』なんて単語を出されると、恐ろしくて集中出来ないのでもっと違う言い方をして欲しかったですが、本当のことなので仕方ないですね。
頑張ります、人の身体では死ねません。
同時に私の身体も心配になりましたが、あちらはアーク達が守ってくれるので大丈夫でしょう。
死ぬ気で守ってよ!
まずは『重たくない課題』の方のダイエットです。
……いえ、このままだと成人病の何かになりそうなので案外重いかもしれません。
なんだか私、死の香りに包まれています?
死神の鎌が首で止まっている状態に思えてきました。
死ぬ気で死なないように頑張らなきゃ!
「身体を絞るための運動に関してはリンが、食事については私が」
リンちゃんがやる気を見せてくれています。
とても頼もしいです。
「まず食事ですね。とりあえず一週間……私は鬼になります」
『鬼』、ブートキャンプにつきものの鬼軍曹ですね。
喉がゴクリと鳴りました。
「まずは、取って頂く水分は『水』のみ!」
「ええ!? 異議あ……」
「異議は認めません!」
大きな声で、一瞬で否定されました。
言い切るより前に切り捨てられました。
え、この人誰?
あの穏やかだったリコちゃんは何処!?
「で、でも……コーヒーとかちょっと飲みたいし、牛乳とか、適度の糖分は必要……」
「甘味は敵! 復唱願います!」
「え? え?」
戸惑っていると、鬼軍曹の鋭い視線に貫かれました。
今までとは別人です、怖い!
「復唱願います! 甘味は敵!」
「か、 甘味は敵!!
「甘味は敵! はいっ!」
「甘味は敵!」
「声が小さい!」
「ごめんなさい!」
どうしよう……もう既に抜け出したいです。
私を除隊して!
「大丈夫か、あいつら……」
私のことはリコちゃんに任せ、本を読んでいたオリオンが顔を顰めています。
そんな哀れむような視線を寄越してくるのなら、助けてください!
ああ……救いはないようです。
リコちゃんが一睨みすると、本に視線を戻してしまいました。
「そして一週間は肉断ちです」
「……そんな! エネルギーがないと持たないよ! それは悪いダイエット方……」
「エネルギーなら……ここにたんまりあるかと!」
「ギャフ!」
リコちゃんにお腹のお肉を掴まれてしまいました。
やめて!
痛いし恥ずかしい!
酷い辱めです!
「このエネルギーを燃焼させるお食事をたっぷり差し上げますので。一週間後には燃料切れをお約束します」
それは喜んでいいのでしょうか。
燃料切れだなんて、やっぱり悪いダイエット方です。
そんなやりとりの後、出された食事は……。
「何かの汁……とても、とても群青色です」
驚く程食欲が失せます。
口の中に入れたくない、むしろ出したい。
吐き気がします。
「何が入っているか聞いていい?」
「お答えしてもいいですが……聞きたいですか?」
「……やめておきます。一つだけ……死なないですよね?」
「もちろん」
「なら頑張ります」
遺書を書いておきたい気分ですが、協力をお願いした以上いらないなんて言えません。
意を決し、スプーン一杯分を口に入れました。
「?」
分かりません。
これが何なのか、『液体』という以外分かりません。
ただ、仄かに臭いです。
「獣臭い? 魚臭い? 青臭い!? 何かが臭い!」
何かの臭さは、じわじわと身体にダメージを与えます。
「必ず飲み干してください。じゃないと効果はありませんから」
「無理……絶対無理……!」
「死にたいんですか!」
とても大きな声で怒鳴られました。
「それを飲んで痩せなければ、あなたは死にます! 飲むか死ぬか、どっちですか!」
「飲みます……飲みますよお……」
「それでいいのです。あなたのためなのです」
『あなたのため』なんと狡い言葉なのでしょう。
飲まなきゃ死ぬと言われましたが、飲んでも死にそうです。
飲んだから死にそうです。
「うぅ……臭い……何か臭い……」
せめて何臭いかだけでも定めて欲しいです。
ああ、吐きそうです。
込み上げて来る胸の気持ち悪さを、涙とともに飲み込みました。
これで効果が無かったら本気で怨みます。
「うっぐ……ぐぇ……」
乙女が出してはいけない声が出たところで、次はリンちゃんの登場です。
運動しやすい格好に着替えました。
こちらの世界に来た時に着ていた体操着、ジャージです。
ジャージを見ると母を思い出し、気合が入ります。
リンちゃんはメイド服のままです。
「燃やすぞ、その質の悪い脂肪の塊を」
「お願いします!」
私は運動の鬼軍曹に敬礼をしました。
すると、じーっと私を見ていたリンちゃんが呟きました。
「お前、デブのくせに呼吸と姿勢はいいな」
「グボォ……」
その二文字は封印してください!
私の心が持ちません!
「鼻から吸って口から吐く。腹式呼吸を意識していると引き締まる。姿勢が悪いと全体のスタイルが崩れるからな。良いところは忘れずに保てよ」
褒められたことは嬉しいですが、余計な言葉のせいでちっとも喜べません。
素直に喜びたかった……。
「じゃあ、身体を解してから走るぞ」
「え……最初から走るの!?」
「そうだ」
スタートダッシュが過ぎます!
足がガクガク震えている未来しか見えません。
「それは足に負担がかかりすぎるので止めた方が……」
「それは大丈夫だ」
リンちゃんがそう言うと、突如暖かい風がくるりと私を囲みました。
身体が軽い?
「十分くらいこれで身体が軽くなる」
「おお……これは……魔法ですね!? メイド魔法少女だったのですね!」
初めての魔法体験です、不思議に素敵です!
そして急にリンちゃんが秋葉原の天使に見えてきました。
「魔法なんて誰でも使えるさ」
「そうなの!? じゃあ、私も……!」
「それはオリオンから習え。始めるぞ。まず柔軟だ」
余計なことは喋るなと流されてしまいました。
悲しい……。
でも!
「柔らかさには自信があります!」
なんて言ったって、憧れの母は体操選手なのですから!
座って足を伸ばし、身体を前に倒せと言われました。
体育の時間によくする、あれですね。
リンちゃんは後ろから私の背中を押すようです。
「ほう? なら思いっきり行くぞ? オラアアアア!」
「ギヤアアアアッ!!?」
私は大事なことを忘れていました。
この身体は灰原さんの身体だということを!
痛いです、信じられないくらい痛いです。
パキッと折れて、このままガラケーのようにパタンと畳まれてしまうんじゃないでしょうか!
「いったあああい!」
「ブヒブヒうるせえな!」
「そんな鳴き声してないもん!」
「文句言ってないでもっと伸ばせ!」
「ギャアアアアアア!」
死にます、これ絶対死にます!
全身が悲鳴を上げています。
それに自分の脂肪で内蔵が圧迫されて死にそうです。
「うっ……これ、本当に死ぬやつ……」
やっと解放されたと思ったら休む暇も与えられず、すぐに『行ってこい!』と蹴り出されました。
「走れええ! ここをとりあえず五周だ!」
「五周も!?」
今いるのは人目を避けた城の裏手にある広い場所で、かつては馬を放して運動させていたそうです。
サッカーが出来る広さはあります。
一周でもキツイです。
それに『とりあえず』ってなんですか!?
「速く走らないと魔法が切れるぞ! 切れたらその脂肪の重りをつけて走るハメになるぞ!」
「鬼ー!」
私は身も心もズタボロです。
何か臭い汁を飲まされ、伸ばされ走らされ……。
生きるってツライ……。
完全に灰になりました、この身体が『灰原』だけに……。
そんな下らないことしか考えられません。
浜辺に打ち上げられたトドのように横たわっていると、再びあの暖かい風に包まれました。
「楽になった……?」
「回復をかけた。『体力』は戻ったはずだ」
「魔法って凄い! メイド魔法少女凄い!」
「よし、もう一回行ってこい!」
「鬼ー!」
魔法とは恐ろしい……。
疲れては回復、のループ地獄。
『もう一思いに殺して!』そう叫びたくなります。
くたくたになって戻ってきた私を待っていたのは……。
「特製燃焼ドリンクをお飲みください」
「……」
何か臭い汁と濁り方は一緒ですが、仄かに赤いです。
なんとなく分かります。
きっと仄かに臭く、仄かに辛いのです!
口に入れた結果、やはり……。
「ほら、やっぱりそうじゃんもおぉぉぉ」
「よし、もう五週行ってこい!」
「それを飲んだので効果アップ中です! 張り切っていってらっしゃいませ!」
「鬼双子ー!」
※※※
「……」
ブートキャンプ一日目で既に瀕死です。
魔法があるせいで、地球では信じられない量の運動をさせられました。
高校生活でする体育の授業を全て一日で消化させられた、そんな感じがします。
一日で体型が変わることなんてありえないはずですが、明らかに朝より引き締まっています。
恐らく五キロ程落ちています。
元の世界にいたころは一キロ絞るだけでも大変だったのに……。
すぐに成果が出るのは嬉しいですが……異世界怖い……。
よろよろと部屋に戻るとオリオンが居ました。
まだ本を読んでいました。
いいですね、優雅に一日読書。
私はぞうきんのように絞られていたというのに……!
私が戻ったことに気付き、こちらを見てギョッとしました。
「お前……やせ……やつれたな」
「ねえ、私生きてる? ちゃんとここに存在してる?」
体力は回復して貰えるけれど、蓄積した疲労でふらふらします。
今の私はまるで彷徨う亡霊。
「……今日は勘弁してやるか」
この後、オリオン先生による魔法講座を予定していたのですが、休んで良いとお許しを頂きました。
慈悲深きロリじじい様です。
オリオンが部屋を出て行くのを見送り、ベッドに倒れ込みました。
ドスンと凄い音を立ててベッドが悲鳴を上げているようでしたが、疲れすぎて気にはしていられません。
ベッドさん、ごめんなさい。