第二十七話
まず訪れたのは弓の練習をしていた場所。
今、弓の練習は実戦で行っているので最近ここには来ていません。
あの時オリオンがつけたバッテンはまだありましたが、ファントムの姿はありませんでした。
「ファントム、いないね……」
姿を消して、印に戻ったアルが寂しそうに鳴いた気がしました。
次に向かったのはしだれ桜に囲まれた中庭。
以前会ったことのある場所です。
会えるような気がして、期待をしながら辿り着くと人の気配を感じた気がしました。
小走りで駆けて行ったのですが……探していた白は見つかりませんでした。
ですが、代わりに見慣れた黒を見つけました。
あの黒ずくめの小さな背中は……。
「オリオン?」
声をかけると、ベンチに腰掛けていたオリオンの頭がこちらを向きました。
手にはラムネの瓶のようなボトルがあって、それを飲みながら桜を見ていたようです。
「一人でお花見だなんて、ずるいぞ……ってお酒!?」
隣に座って話し掛けると、アルコールの匂いがして思わず顔を顰めてしまいました。
そっか、驚いてしまいましたがオリオンは子供じゃないんですよね。
でも中学生が花見酒をしているようにしかみえないので違和感が半端ないです。
しかもこのお酒、きっとかなり度数が高いです。
酔っている様子には見えません、お酒に強いのでしょうか。
「こんな時間に出歩くな。しかもそんな格好で。体調を崩すぞ。すぐに戻れ」
「ええー」
私が驚いたことでも顔を顰めていましたが、こんな時間に出歩いていることも叱られてしまいました。
格好は寝ようと思っていたので、薄い水色のパジャマワンピースです。
そう言われると確かに肌寒くて風邪をひいてしまいそうです。
戻った方が良いのは確実ですが、少しオリオンと話をしたくて駄々をこねてみました。
「少しだけだからな」
まだ帰らないという意思を込めて横に座り、ニコニコしているとお許しが出ました。
同時にオリオンがいつも着ているコートを渡されました。
これを着ていろ、ということのようです。
有り難く羽織らせて貰いました。
暖かいです。
お礼を言おうと顔を向けるとオリオンは半袖でした。
「寒いでしょ! 返すよ」
「いや、呑んでるから熱いくらいだ。これくらいでちょうどいい。それにこれがあるからな」
そう言うと、私が以前プレゼントしたストールをつまんで見せました。
今も首に巻かれているし、渡してからはずっとつけてくれています。
嬉しくてニヤニヤしてしまいました。
そういうことなら有り難くコートは借りておこうと思います。
そんなに長い間借りるつもりもありませんし。
少し話したら大人しく帰って寝ることにします。
半袖になったことで、普段見えていなオリオンの腕が気になりました。
両手の甲に見える印は知っていましたが、それ以外にも印なのか何なのか分かりませんが、腕に民族的な模様……トライバル柄と言われるような模様が巻き付いていました。
「それも印なの?」
まじまじと見つめていると、オリオンがそれを隠すような仕草を一瞬しました。
あまり聞かれたくないことだったのでしょうか。
「まあ……似たようなものだ」
やっぱりあまり触れて欲しくないようで、顔を逸らしながらぽつりと呟きました。
どうしよう……空気が重くなってしまいました。
オリオンも気持ちよさそうに花見酒をしていたのに、私がぶち壊してしまいました。
「もうすぐだな」
何か話して空気を変えようと考えていると、オリオンの方から声を掛けてくれました。
もうすぐ塔の魔物退治が始る、そのことを言っているのでしょう。
「うん」
二人で空を見上げました。
桜の枠がついた夜空も綺麗です。
「オリオン、本当にありがとう」
二人で月を見ていると、改めてオリオンにお礼が言いたくなりました。
今こうやって前向きな気持ちでいられるのはオリオンのおかげです。
この世界に来て、オリオンがいなかったら……。
私はきっとどうすることも出来ず、怒りと涙にまみれた毎日を送っていたと思います。
「礼などいらない」
夜空見上げたまま、オリオンが呟きました。
その横顔を何となく見つめ続けているとオリオンがこちらを向き、目が合ってドキリとしました。
思わず目を逸らしてしまいましたが、さっきまでの穏やかな表情が陰っていたように見えました。
どうしたのでしょう。
「お前は……『戦いたくない』とは思わないのか?」
やけに真剣な声で問われたのは意外な内容でした。
答えが分かりきっているのであえて聞く意味があるのか、そう思ってしまう内容です。
オリオンを見ると、お酒に目を落として難しい顔をしていました。
「思うよ。思わないわけない。魔物といっても生き物の命を奪うことは恐ろしいもの。傷つけるのも、傷つけられるのも怖いよ」
以前オリオンには、私の世界……特に私がいた国は武器を持つことも禁止されている平和なところだと話しました。
お肉は食べますが、自分で食用に処理をすることも無いので血が流れることとは無縁です。
「だから、ふと怖くなるの。私が私でなくなるんじゃないかって」
戦闘が上達することは嬉しいです。
皆の足手纏いになりたくないし、腹を括って『やらなければいけないこと』だと思うから。
でも思う時があります。
元の世界に戻って、近所にいる猫や犬を傷つけることに抵抗を感じないような人間になっていたらどうしよう、と。
そんなことはないとは思いますが、やはり色々なことが恐ろしいです。
「戦いたくないなら、やめてもいいぞ」
「え……」
……そうは見えないけれど、実は酔っているのでしょうか。
『やめてもいい』だなんてオリオンが言いそうに無い言葉です。
「でも、それじゃ帰れないし……。っていうか前は、戦え! って言ってなかった?」
やる気が無いなら、灰原さんのところに行くと怒られたこともありました。
「それは……お前が戦う道を選んだからだ。中途半端なことをしていたら危険だ。戦うと決めたのなら自分の身は守れるくらいにはならないとな。だが、『戦わない』というのなら……それでいい。こっちの都合で、お前が追い込まれる必要はないんだ。……ましてや命を失うなんて、絶対にあってはいけない」
本気で言っているのでしょうか、マジマジと横顔を見つめてしまいました。
その横顔はとても悲しそうでした。
何かを考えているのか、思い出しているのか……。
声を掛け辛く、黙って見守っていると私が見ていることに気づいたのか、空気を柔らかくして口を開きました。
「お前が戦わないというのなら向こうに協力して、お前が早く帰れるよう頑張ってやるさ」
「オリオン……」
「だから、無理はするなよ」
部屋では悲しみの涙を流しましたが、今はオリオンの優しさに触れて泣きそうです。
どうしてこんなに優しいのでしょう。
つい甘えてしまいそうになりますが……。
「ありがとう。……でも私、自分の力で帰りたい」
勝手に連れてこられたのだから、何もしないで待っていてもいいと思いますが、やはり灰原さんに任せるのは嫌だし、今までの協力してくれた皆と最後まで頑張りたいです。
それをオリオンに伝えると、再びお酒に目を落として頷きました。
また何か考え込んでいるのか、黙ったままです。
最近オリオンは妙にセンチメンタルな気がします。
遺跡で懐かしいことを思い出したからなのでしょうか。
時間が流れ、寒くなってきました。
そろそろオリオンにコートを返した方が良さそうです。
「私、そろそろ戻るね」
ベンチから立ち上がり、コートを前屈みで座っているオリオンの肩にかけました。
「ちゃんと休めよ」
「うん」
花見酒はまだ続けるようで、オリオンは動きません。
あまり呑み過ぎないように伝え、部屋に戻りました。




