第十三話
「何これー……」
とても不思議な感覚です。
水の中なのに自由に動けるし、息も出来ます。
服は濡れている感じはしません。
見えない程薄い空気の膜でも張っているのでしょうか。
リンちゃんにどうなっているのか聞いたのですが、『そういうもんだ』と返されました。
特に原理について考えたことはないようです。
こちらの世界の常識すぎて、特に気にしたことはないという感じでした。
二人に追いつき、水護の印を使いつつもう一つの光隠の印も発動させたのですが特に問題はありません。
少し眠くはなりましたが、これが魔力を消費した感覚らしいです。
空っぽになると倒れるとか。
大丈夫かと聞いたら『そうなったら回収してやる』と力強いお言葉をお二人から頂きました。
それって『生きた状態で』ですよね? と聞きたかったのですが、質問を与えないオーラを出されました。
非常に気になりますが、気にしている余裕も与えて貰えないのでなるようになると思います! ……多分。
海の中の景色は、私がいた元の世界の景色と似ていました。
海藻や貝、魚など、いるものは同じだけれどこちらの世界の方がカラフルです。
……あと、魔物がいるんですよね。
「ねえ、ここに魔物はいないの?」
「今近くにはいないが出てくるかもしれない。油断するなよ?」
「わ、分かった」
オリオンの真面目な声を聞いて身が引き締まりました。
暫くキョロキョロしながら海の中を進みました。
「ん?」
海の底でゆっくりと動いているものに目が止まりました。
それは亀でした。
よく知っている普通の亀より大きく、三十センチくらいの大きさがありました。
「ねえ、リンちゃん……あれ、何?」
「ああ、ポンスーだな」
「ポンスー!?」
スッポンみたいだなと思って聞いたのですが、スッポンを業界用語にしたような名前でした。
地球のスッポンと近いのでしょうか。
近いのだったら、素晴らしい食材なのですが……。
「あれ、食べられないの?」
「えぇ……食べたいのか?」
「凄く美容や健康にいい亀さんにそっくりなの!」
「……じゃあ、持って帰るか?」
終始『信じられない』と言いたげな表情のリンちゃんですが、私の勢いに押されてポンスーを取りに向かおうとした、その時――。
「来たぞ。魔物だ」
オリオンの凜とした声が響きました。
それを聞いて、リンちゃんは素早く剣を抜きました。
リンちゃんは意外なことに、剣士さんのようです。
メイド服の傍らに剣がぶら下がっているのを見た時は興奮しました。
メイド女剣士、素敵です!
オリオンは短剣です。
腰には二本ぶら下がっていたので両手剣のようですが、今は片方で事足りるようで一本は仕舞ったままです。
勝手に『魔法使いだから杖!』と思っていたのですが、違ったようです。
オリオンは魔法使い、というのも勝手に思っていただけですが。
二人はとても落ち着いています。
何処にいるかも分かっているようで同じ方向を見ていますが、私は……。
「ええ!? 何処!? 何処!?」
「騒ぐな。津波が起きるだろ」
「ぐっ、起きないもん!」
姿を消しているし二人が庇うように前にいてくれるので大丈夫だと思うのですが、ビクビクしてしまいます。
「あれだ」
「バブルフィッシュだな」
二人の視線の先、遠くから何かがこちらに向かってやって来ています。
……泡?
魚の形をしたシャボン玉という感じです。
大きさはイルカくらいでしょうか。
「動きは速いが攻撃が当たればすぐに割れて消える。初歩の初歩、この一帯では一番弱い魔物だな。お前のいい練習相手になりそうだろう?」
「向こうは攻撃してこないの?」
「くるに決まっているだろう? 当たるとそれなりに痛いし、催眠効果があって、たまに寝ちまうから気をつけなきゃいけない」
「さっさと片付けるか」
そういうとオリオンが素早く前に出て行きました。
バブルフィッシュを迎え撃つようです。
リンちゃんは私を護るためか、動いていません。
バブルフィッシュはオリオンに突進しようとしているようで、真っ直ぐオリオンを目指して来ています。
あと少しで当たります。
凄いスピードで来ているし、本当に大丈夫なのか心配になってきました。
これが一番弱い魔物だなんて信じられません。
見守るにも力が入ってしまいます。
「大丈夫だよね!?」
「黙って見てろよ」
そう言われてもヒヤヒヤしてしまいます。
あと少し……ああ、もうちょっと……もうぶつかる!!
怖くて目を瞑ってしまいそうになったその瞬間、オリオンが動きました。
とても軽やかな動作で、シュッと短刀を一降りしました。
「え?」
あまりにも軽い動きで……まるで素振りをしているようでした。
それで本当に倒せたの? ……というか当たったの? と頭の上にハテナを浮かべながら見守っていると、バブルフィッシュはブワッと小さな泡となって拡散し、消えていきました。
「え……終わり?」
「そう、終わり」
何だったのでしょう……一瞬過ぎて良く分かりませんでした。
今のはオリオンが凄かったのでしょうか、それともバブルフィッシュが弱すぎたのでしょうか。
リンちゃんに聞くと『両方だ』と返事がきました。
「どうだ?」
「格好良かったよ」
「馬鹿が。そんなこと聞いてない」
戻ってきたオリオンが私に尋ねたので素直に感想を答えたのですが、そういうことじゃ無かったようで怒られました。
でも、質問の文字数が短すぎるのも悪いと思います!
「出来そうか?」
「無理」
戦えるかということを聞きたかったようです。
答えは『NO』です。
だって、あんなに早かったのに、一番弱いだなんて!
「弱いっていうのは脆さや倒しやすさを言ってだ。スピードだけで言えばそこそこ手強い。だからこそ、良い練習になる。あれを弓で打ち抜けるようになれ」
「むり……」
「やる前から諦めるなら、俺も向こうに行くぞ」
『無理かも』と言おうと思ったのですが、オリオンに叱られてしまいました。
真剣な表情をしているので本当に怒っているようです。
『向こう』というのは、灰原さん達のことでしょう。
そんなの絶対嫌です!
駄目ですね……やる前から無理だと諦めるのは私も嫌だったはずなのに。
オリオンやリンちゃんリコちゃんが優しいので、すっかり甘えてしまっていました。
さっきまでも緊張しながらも、『二人がいるから大丈夫』と、どこか気が緩んでいました。
「ごめん。頑張る。絶対出来るようになる」
気合いを入れ直すために、自分の頬をバンバンと叩いてオリオンに約束しました。
するとオリオンは納得したのか、軽く微笑んでくれたのが分かりました。
「んじゃ、亀持って帰るか」
見守ってくれていたリンちゃんがさっと深くまで潜り、素手でポンスーを手早くとってきてくれました。
うーん、見れば見るほどスッポンです。
ちょっと可愛い……あんまり見ていると愛着が湧いてきそうなのでやめました。
「これは……ポンスーですね?」
船着場に戻り、早速リコちゃんに相談です。
ポンスーを差し出すと苦手なのか、一歩下がって顔を顰めてしまいました。
「うん、食べられないかな?」
私の言葉を聞くと、『正気かなのか』と目を見開きました。
「食べられないことはないと思いますが……」
あまり気乗りしない様子です。
でもスッポンと同じ効果が期待出来るなら、是非とも食べたいです。
祖母に勧められ嫌々食べた日の翌朝、効果が素晴らしくて飛び跳ねた記憶があります。
それを一生懸命伝えるとリコちゃん目の目が光りました。
闘志に火がついたようで、気合が入った声で言いました。
「特製スープのスター食材としてお招きしましょう!」
「あ、うん……」
例のスープに入れちゃうんだ……?
お願いしたことを少し後悔しました。
――翌朝。
「リコちゃん見て……凄いよ……」
「ステラ様……! 素晴らしいです! 信じられません……凄いです!」
疲労が溜まり、痩せたというよりやつれて見えていた顔に張りが戻っています。
体重が落ちて締まってきているのに、あまり見栄えの良くなかった外見が一気に見違えました。
健康的に痩せてきている、そう思える仕上がりです。
『何か臭い汁〜亀の香り推し〜』を心を無にしながら流し込んだ甲斐がありました!
「これは……売れるな」
リンちゃんが呟きました。
この世界でもダイエット商品のようなものは売れるのでしょうか。
聞いてみると、『そういう食材や薬はあるが大きな市場ではない』ということでした。
魔法で身体の代謝を上げたり興奮状態で運動したり、逆に負の魔法をかけて食欲を落としたりと、魔法を使って工夫することが多いそうです。
「魔法の方が便利だし、あんまり売れないんじゃ無い?」
「いや、ボクが見てきた中ではこんなに早く大きな効果が出るものはない。上手くやれば、必ず売れる!」
そう話すリンちゃんの目はギラギラしていました。
これは商人の目です、お金の亡者の目です!
「じゃあ……売る?」
「いや、まだだ。商売にするのは早い」
「そうなの?」
「ああ。普通に売ろうとしてもボク達には店がない。どこかの店に頼んでもいいが、それだと取り分が少なくなる。お前に対する風当たりが強いっていうマイナスあるし……。やっぱり、理想は自分達で直接売買か。シュシュといい、お前からは金になりそうな臭いがプンプンしてる。まだ色々ありそうだな……くっく」
最初は私に説明していたはずなのに、いつの間にか独り言になっています。
悪巧みをしているような悪代官フェイスです。
話しかける空気ではなくブツブツ呟いているのを見守っていると、突然リンちゃんにガシッと両肩を掴まれました。
「いいか、お前が見本になるんだ。お前みたいな締まりの無い身体をしたやつが短期間で綺麗になる。そうなると周りは驚き、どういう手段でそうなったか気になるはずだ」
「う、うん」
さり気なく『締まりのない身体』という単語に心を抉られましたが、真剣に話しているので黙って耳を傾けます。
「そこで出すんだよ、これを! あのデブがこれで劇的変身ってな」
「うぐっ……な、なるほど!」
その二文字は止めて!
話を集中して聞けません!
そんな私に構うことなく、リンちゃんの口は止まりません。
「そこにいくまで仕込みもするか。途中で気になってくる奴もいるだろうから、そういう奴に『内緒』と言って渡して使わせる。大体内緒だって言っても漏れるから、良い具合に広がるだろう。……で、効果が出た奴の周りは何があったか気になる。そしてまた『内緒』だと話して広がる。そうやって『裏』でまず広める。裏の方で広がれば、表からも声がかかるようになるだろうしな。そうだ、シュシュ……あれは表でまず広げるか!」
リンちゃんの中でプランが決まったようです。
とても笑顔です。
楽しいのでしょう。
良いことだと思うのですが……何故か私は怖いです。
「ステラ、シュシュを作れ! 出来るだけ種類豊富に!」
目が怖いです!
掴まれているので逃げることも出来ません。
コクコクと首振り人形のように頭を縦に振ると、満足げに微笑んだリンちゃんから解放されました。
「リン、『ステラ様』です。それに、いくらお許しを頂いているからと言って失礼な態度は慎みなさい」
砕けた言葉がすっかり馴染んでしまったのでもう指摘することに意味はないと思うのですが、度々リコちゃんは思い出したかのように注意を始めます。
そしていつもの流れの通りリコちゃんのお叱りを受け流しながら、リンちゃんはまとめに入るようで、皆に視線を向けた後私に目を止めました。
「シュシュはボクとリコがつけてプロモーションする。メイド連中には絶対売れる」
「そうなの?」
「ええ、恐らく。ノアソフィアではリボンが主流なのですが、このシュシュは動いていても解けなくて素晴らしい上に可愛らしいです」
お洒落をしたいメイドさんに流行ること間違いなし! とリコちゃんからも太鼓判をおして貰いました。
「シュシュは良いが本命はポンスーの方だ。……いいか、死ぬ気で痩せろ! この商売の成功は、お前の仕上がり具合にかかっている! お前が磨かれるほどボク達は儲かる!」
「イエス、ボス!」
「お前達は何処を目指してるんだ……」
この話には興味が無かったのか、本を読んで大人しくしていたオリオンが何か呟きました。
大丈夫、オリオンにも何か可愛いの作ってあげるからね!
私のブートキャンプに、『内職』の項目が増えました。