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世にも奇妙な短編集

小さな小さな水族館

角川つばさ文庫『世にも奇妙な商品カタログ(1)』に、このお話を下敷きにした短編を収録しております。

角川つばさ文庫公式サイト → https://tsubasabunko.jp/product/catalog/321809000128.html

 小さな町にあるその水族館は、もとはといえば、ただの小さな水族館だった。


 小ぢんまりとした館内は、せいぜい十分もあれば、中にあるすべての水槽を、じっくり眺めて回ることができる。そんな小さな水族館は、いつもお客が少なくて、館内を歩いていても、すれ違う人など滅多にいないので、水槽と水槽の間の廊下が細く、狭くても、それで困ることもないような具合だった。

 お客の少ない小さな水族館は、当然のことながら、あんまり儲かってはいなかった。それでも、その水族館の持ち主である館長さんは、少ない儲けをどうにかこうにかやりくりして、たった一人で水族館を経営していた。お客があんまり来なくても、お金があんまり儲からなくても、その水族館は、館長さんにとって、とても大事なものだったのだ。


 ところが、ある年から、小さな水族館のある小さな町は、土地の税金がみるみる値上がりし始めた。

 小さな水族館は、小さな土地の上に建っていたけれど、その土地の税金さえも、館長さんは、あっという間に支払うことができなくなった。それで、館長さんは仕方なく、水族館が建っている土地の半分を手放して、小さな水族館は、それまでの半分の大きさになってしまった。

 さらにそれからも、その小さな町で、土地の税金は値上がりし続けた。

 税金が支払えなくなるたびに、館長さんは、水族館の建っている土地を、また半分、またその半分と、手放さなければならなかった。


 そうして小さな水族館は、しまいには、信じられないくらい小さな小さな水族館になってしまった。

 残ったわずかな土地に、なんとか置くことができたのは、深い風呂桶ほどの大きさしかない水槽が、たった一つだけだった。


          +


「さて、まいったぞ。たった一つのこの水槽に、いったい、どんな魚を入れたらいいんだろう?」

 長い休館日のさなか。からっぽの水槽を前にして、館長さんは、腕組みしながら悩んでいた。

 目の前にある水槽の広さは、足を伸ばして入れる風呂桶くらい。水槽の高さは、館長さんが子どもを肩車したくらい。そんな四角い縦長の水槽を、見上げたり、見下ろしたりして、館長さんは「うーん」と唸る。

「この水槽じゃあ、大きな魚を悠々と泳がせることはできないな。かといって、小さな魚をめいっぱい、入るだけこの水槽に入れたところで……」

 たとえば、色とりどりの熱帯魚がたくさん泳ぐ水槽は、それはそれで、きれいな眺めではあるだろう。でも、この小さな小さな水族館に残っている水槽は、これ一つだけ。たった一つの水槽に入れて展示するのが、ただのきれいな熱帯魚というのでは、芸がない。

「きれいな熱帯魚なんて、今までのこの水族館でも、もっと大きな水槽を使って展示してきた。今までよりも小さくなった水槽で、今までよりも少なくなった熱帯魚を見るためだけに、いったいどれだけのお客さんが、この水族館に来てくれる?」

 ひとり言を呟いて、館長さんは溜め息をついた。


 もとから少なかった水族館の入場客は、水族館が小さくなるたび、減って、減って、減り続けていた。これ以上お客が来なくなったら、いよいよ儲けのなくなった水族館の館長さんは、残ったこのわずかな土地を、ぜんぶ手放さなくてはならなくなる。

「やっぱり、ここは、ありきたりの魚じゃだめだ。たった一つ残ったこの水槽には、何か、とびきり珍しい魚を入れよう。お客さんが、その魚を見るためだけに、この水族館に足を運んでくれるような。……そんな魚が、見つかれば」

 けれど、そんな珍しい魚、どこを探せば手に入るだろう。

 魚が手に入るまで、たった一つの水槽が空っぽの、この小さな小さな水族館の入口から、「休館日」の札は外せない。


「ん。待てよ? そういえば」

 館長さんは、そこでふと、あることを思い出した。

「そうだ。もうすぐ、隣町で〈珍しもの(いち)〉が開かれる時期じゃあないか」

 館長さんは、ポン、と手を打った。

 小さな町の隣の町で、毎年この時期に開かれる、珍しもの市。

 それは、その名のとおり、この世の中のありとあらゆる珍しいものが、そこに集められて売り買いされる市場(いちば)なのだ。

「あそこへ行けば、きっと、見たことも聞いたこともないような、とびきり珍しい魚が手に入るぞ」

 空っぽの水槽を眺める館長さんは、元気を取り戻して、その顔に笑みを浮かべた。


 それから館長さんは、珍しもの市の開かれる日を待って、念入りに水槽の手入れをしながら日々を過ごした。

 この水槽の中を、はたして、どんな魚が泳ぐことになるだろう?

 そのことに思いを馳せつつ、今はまだ空っぽの水槽を見るたびに、館長さんの胸は、不安と期待で膨らんだ。


          +


 そうして、やがて、珍しもの市の開かれる日がやってきた。

 その日、館長さんは朝いちばんの電車に乗って、隣町へと赴いた。それでも市場に着いてみると、まだ早い時間だというのに、そこはもう、たくさんの人々でごった返していた。

 数えきれないテントの下では、たいていの人が見たことも聞いたこともない、この世の中のありとあらゆる珍しいものが、いろいろと並べられて売られていた。

 立ち並ぶテントの間を、ときには人波に押し流され、ときには人波に逆らって、館長さんは進んでいった。

 珍しい食べ物や飲み物。珍しい古道具。珍しい骨董品や美術品。珍しい武器に防具。珍しいおもちゃに本。珍しい毒と薬。

 それらを横目に通り過ぎ、館長さんはへとへとになりながら、やっとの思いで目当ての一角にたどり着いた。


 そこは、市場の中で、珍しい生き物を売っているお店が集まる場所だった。

 獣のにおいがする。かと思えば、そこにあるのは小さなカゴに入れられた、ふさふさの毛で覆われた、虎模様やパンダの模様の毛虫たち。鳥の羽ばたきがした。かと思えば、そこにいるのはぐるりぐるりと木の枝に巻きつく、背中に翼を持った蛇。虫の鳴き声がする。かと思えば、そこにいるのは目を細めて歌うように喉を鳴らす、耳の垂れた赤毛のウサギ――。

「うーん。さすが、珍しもの市だ」

 ひしめくテントの下に広がる、それらの奇妙な光景に、館長さんは感心して声を上げた。

 そのとき。

 どぽん。

 と、水音が響いた。

 館長さんは、はっと音のしたほうへ目をやった。途端、その目にチカリと光が飛び込んだ。それは、陽射しが水槽に反射した光だった。

 館長さんが目をやった先には、たくさんの水槽や、小さなプールや生け簀を並べたお店があった。

 それこそが、館長さんの探していた、珍しい魚を売る魚屋さんだった。テントの下の生け簀の中で、カエルの足を生やしたナマズが、どぽん、と水音を立てて跳ねていた。

 館長さんは、そのテントに歩み寄り、並べられた商品と、商品の横に貼られた説明書きを、一つ一つじっくりと眺め、読んでいく。


 虹色の鱗を持つ小魚は、【水槽の中に、全長20~25センチの虹を、一日一匹につき約10個生み出します。別売りの専用餌を食べさせることで、金色や銀色の混じった虹を生ませることもできます。】――というものらしい。

 一枚の鏡が入った水槽の中にいる、複雑な模様が細かな箇所までまったく同じ魚の群れは、【水槽の中に、この魚1匹を鏡と一緒に入れておくと、翌日には2匹、その翌日には4匹……と、一日経つごとに、魚の数が前日の二倍に増えていきます。 ※ 二枚以上の鏡を合わせ鏡にして水槽に入れることは、絶対におやめください。】――というものらしい。

 水の入っていない、蓋の付いた水槽の中を、羽衣のような長いひれを揺らしながら泳いでいる魚は、【画期的! 今話題の、空中で生きられる『無水魚』。面倒な水質管理も必要なく、水槽のお手入れも簡単。初心者の方にもおすすめです。】――というものらしい。


 そのほかにも、見渡す限り、どれもこれも珍しい魚ばかりである。

 ここで売っている魚をいろいろ集めて展示できれば、水槽がたった一つしかない水族館でも、きっとたくさんのお客を呼ぶことができるに違いない。けれど、いかんせん、珍しもの市で売っている魚は、珍しいぶん、どれもこれも値段の高いものばかりだった。ただでさえ儲けの少ない水族館の館長さんには、珍しもの市の魚を何匹も買うことなんて、できやしないのである。

「まいったな。値段が高いだろうとは思っていたが、ここまで高価なものばかりとは。これじゃあ、持ってきたお金で買える魚は……ううむ、一匹だけだ」

 財布の中身を確かめながら、館長さんは呟いた。

 この中から、どれか一匹。

 たった一つの水槽に展示する、たった一匹の魚を、選ばなければならない。

 できるものなら、たった一匹だけでも、水族館に末永くたくさんのお客を呼んでくれるような、そんな魚を――。


「ん? これは……」

 迷いつつ歩いていた館長さんは、そこでふと、一匹の魚に目を留めた。

 その魚は、水槽ではなく、小さな金魚鉢に入った、赤い金魚だった。

 館長さんは、金魚鉢の前で立ち止まり、赤い金魚をしげしげと眺める。それは、姿も、泳ぎ方も、まったくもって普通の金魚だった。変ったところなど、何ひとつ見当たらない。金魚鉢のそばを探してみたが、その金魚についての説明書きも、特に書かれてはいなかった。

 どう見ても、珍しくもない、単なる金魚。

 しかし、値札の値段は、単なる金魚に付けられるような値ではなかった。

 そして、ここは珍しもの市である。珍しくもないものなんて、ここで売られているはずがない。

「もしかしたら、一見なんの変哲もないこの金魚が、意外な掘り出し物だったりするのかもしれない……」

 館長さんは、そのように考えて、じっと金魚を見つめた。

 金魚もまた、ガラスの鉢の中から、じっと館長さんを見つめ返した。


 買うべきか、買わざるべきか。

 この金魚のように、いっさいの説明書きもなく売られている品は、珍しもの市ではときどき見かける。店の人に聞いてみても、たいてい、その正体はわからない。店の人は、それがどんなものか知っていて、あえて教えてくれないこともあるし、あるいは店の人にさえ、その品がどんなものだかわからないこともあるという。

 だから、珍しもの市で説明書きのない品を買うのは、運試しのクジのようなものだ。

 その品は、珍しいことは珍しくても、値段のわりにはさほど珍しくないものかもしれないし、たとえものすごく珍しいものであったとしても、扱い方のわからないその品を、買って帰ったはいいものの、扱い方を間違えて、それを壊したり死なせたりしてしまうことだって、あるかもしれない。


 買うべきか。買わざるべきか。

 長い時間、館長さんは、金魚鉢の前に突っ立って、赤い金魚を睨み、悩み続けた。

 その間、ガラスの向こうにいる金魚のほうも、館長さんのことを、ずっと見つめ続けていた。

 そのうちに、館長さんは、自分と向き合っている金魚の目が、なんだか、こちらに語りかけているかのように思えてきた。

〈幸運なお客さん、よくわたしに気づいたね。さあ、わたしを買っていっておくれ。きっと、後悔はさせないよ……〉

 そんなふうに言われている気がして、いったんそんな気がし始めると、その金魚がいったいどんな「珍しい品」なのか、知りたくて知りたくて、仕方がなくなってしまった。

 これも、縁というやつか。

 そう思い、館長さんは、指先でガラスの金魚鉢をちょんとつついた。そして、金魚鉢の中からこっちを見ている金魚に向かって、にっこり笑いかけたのだった。

「どこにでもいそうな金魚さん。小さな小さな水族館の、たった一つの水槽には、君が入ってくれるかな?」


          +


 そうして館長さんは、その赤い金魚を買って、水族館に帰ってきた。

 温度も水質も、ばっちり準備万端にしておいた水槽に金魚を入れると、金魚はすぐに、のびのびと水槽の中を泳ぎ始めた。

「水族館の水槽としては、ちょっと小ぶりではあるけれど、君の入っていた金魚鉢よりは、それでもずっと広いだろう?」

 館長さんが話しかけると、金魚はそれに応えるように、ゆらり、ゆらりと尾びれを揺らしながら、水槽の中で大きくゆっくり輪を描いた。

「さて、そろそろ食事時だな。金魚さんは、おなかがすいてるかい?」

 そう言って、館長さんは、帰り道で買った自分の弁当といっしょに、金魚のエサの袋を持ってきた。

「さあ、お食べ」

 館長さんは袋を開けて、中に入っている小さなエサの粒を、水槽の中にパラパラと落とす。

 エサに気づいた金魚は、水面近くまでやってきて、水に浮かんだエサの下を、しばらくの間泳ぎ回った。しかし、そのエサを一粒も口に入れることはなく、やがてまた、水槽の中ほどに潜っていってしまった。

「あれ? どうしたんだろう。金魚用のペットフードが、気に入らないのかな?」

 それならば。と、館長さんは、ほかに金魚が食べられそうなものを、すぐにいろいろと探して持ってきた。

 パン屑。米粒。小さくちぎった麩。

 そんなものをやってみたが、水槽の中の金魚は、そのどれにも、まったく口を付けようとしない。

「困ったな。君は、いったい何を食べるんだろうね?」

 館長さんは、水槽の前で首をかしげる。

 珍しもの市で手に入れたこの金魚。もしかしたら、何か、特別なエサが必要な種類だったりするのだろうか。それとも、ひょっとして、これは「エサを食べなくても生きられる」珍しい金魚だったりするのだろうか。そうなのかもしれないけれど、でも、エサをやらずに放っておいて、金魚が飢え死にしてしまったら大変だ。


「あ、そうだ。あれだったら、どうだろう」

 少し考えたあと、館長さんは呟いた。まだ試していないエサがあったことを、思い出したのだ。館長さんは、すぐにそのエサを取ってきた。

 それは、乾燥させた糸ミミズだった。

「さあ、お食べ」

 カラカラに干からびたその小さな虫を、一つまみ。館長さんは、パラ、パラ、パラ、と水槽に落とした。

 すると。

 金魚は、今までになくすばやい泳ぎで、ミミズをまいた水面へと浮き上がった。かと思うと、そのミミズの一匹に狙いを定めて、ぱくん、とそれを呑み込んだ。

「ああ、よかった。やっと、エサを食べてくれた」

 館長さんはよろこんで、ホッと安堵の息をついた。


 ところが。


 次の瞬間、思いもよらぬことが起こった。


 水槽の中で、金魚の姿が、あとかたもなく消え失せたのだ。


「ええっ!?」

 館長さんは、思わず大きな声を上げて、その目を丸く見開いた。

「そんな、どうして……?」

 館長さんはすっかり慌てて、水槽の周りをぐるぐる回った。そうして、どこかに金魚の姿がないか、隅々まで必死に捜した。

 けれど、いくら目を凝らしてみても、やっぱり金魚はどこにもいない。水槽の中に入っているのは、水と、それから、水の中をふよふよと漂う何匹かの糸ミミズだけだった。


 館長さんは、がっくりと床に膝をついた。

 何が起こったのか、さっぱりわからない。でも、とにかく、大金を出して手に入れた金魚が、まだ水族館を開けてもいないうちに、消えてしまった。

 館長さんは、水槽の前に座り込んだまま、長い時間、深く深くうなだれていた。

 もはや、この水族館に、新しい魚を買うお金は残っていない。

 どんどん小さくなっていく水族館を、それでも、ずっと大事に守ってきたのに。水槽に入れて展示する魚が、一匹も用意できなくなってしまったとあれば、今度こそ、もうこの水族館はおしまいだ。残ったこの土地を、近いうちに、水族館ごと手放さなくてはならなくなる。

 ゆっくりと顔を上げた館長さんは、水槽に両手をくっ付けて、名残惜しい気持ちでいっぱいになりながら、水槽の中を覗き込んだ。


 そのとき、館長さんは、ふと気がついた。

 水槽の、水の中で、小さな小さなものが、動いている。

 それは、一匹の糸ミミズだった。

 さっき水槽に落とした、金魚のエサの糸ミミズは、乾燥糸ミミズだったから、もちろんどれも生きているはずがない。それなのに、その一匹の糸ミミズだけは、水に揺られて漂っているわけではなく、確かに自ら、うねうねと体をくねらせていた。

 館長さんは、不思議に思って、その糸ミミズをじっと見つめた。

 そして、ハッとひらめいた。

「そうか! もしかすると……」

 館長さんは、食べようとして忘れていた、自分の弁当を手に取って、それを開けた。弁当の中には、鮭の切り身を焼いたものが入っている。その切り身を、箸の先で少しほぐして、そうして小さな鮭のかけらを、館長さんは水槽の中にぽとりと落とした。

 鮭のかけらが、水の中に沈んでいく。

 そのかけらに、一匹だけ生きている糸ミミズが、ふいよふいよと寄ってきた。

 糸ミミズは、食いつくように、鮭のかけらにぶつかった。


 次の瞬間。


 水槽の中に、一匹の立派な鮭が現れた。


「やっぱり、思ったとおりだ」

 館長さんは、はずんだ声を上げて、うなずいた。

 金魚は、消えたわけではなかった。そうではなくて、糸ミミズを食べたことにより、糸ミミズの姿に変身しただけたったのだ。それがつまり、水槽の中で一匹だけ動いていた、さっきの糸ミミズなのである。そして、その糸ミミズが鮭を食べて、鮭の姿に変身した。

 そういうことだったのだ。

 珍しもの市で手に入れた、一匹の赤い金魚。

 その正体は、金魚ではなく、「食べたものの姿に変身する、世にも珍しい変身魚」だったのである。


          +


 翌日から、館長さんは、長らく休館していた水族館を再び開館した。

 わずかな土地の上に建つ、小さな小さな水族館。

 深い風呂桶ほどの大きさの、たった一つの水槽の中に、たった一匹の魚が泳ぐ、小さな小さな水族館。

 けれど、一匹だけいるその魚は、水槽に放り込まれたエサを食べると、一瞬にして別の魚に姿を変える。金魚に鯉に熱帯魚、ウナギにウツボ、ウミヘビ、ナマズ、タイにヒラメにフグにカツオ、カサゴにエイにイカにタコ、時には、クラゲやヒトデやタツノオトシゴ、ウミウシにも姿を変えて、その魚は、その一匹だけで存分に、水槽を取り囲む人々の目を楽しませた。


 世にも珍しい変身魚を展示する、小さな小さな水族館。

 その噂は、人から人へと伝わって、たちまちのうちに広まった。


 噂を聞いた人々は、変身魚を一目見ようと、小さな小さな水族館に押し寄せた。町の中からも、外からも、どんどんお客はやってきた。小さな小さな水族館に、たくさんのお客は入りきらず、水族館の入口の外には毎日のように、入館の順番を待つお客が長い長い行列を作った。

 変身魚は、一日のうちに何百回とエサを食べた。でも、どれだけ食べても食べたりないらしく、館長さんが新しいエサを放り込むたび、そのエサに、いつも勢いよく食いついた。そうやって、一日のうちに何百回と変身して、朝から晩まで、次々に入れ替わるお客のすべてを、余すことなく楽しませた。

「これでもう、この大事な水族館を、手放さなくて済みそうだ。何もかも、君のおかげだよ。本当に、どうもありがとう」

 お客がみんな帰ったあと、水槽の中を泳ぐ一匹の魚に、館長さんは、毎日そうしてお礼の言葉をかけるのだった。


          +


 そんなある日のこと。

 世にも珍しい変身魚の、その噂を聞きつけて、夜更けに一人の泥棒が、小さな小さな水族館に忍び込んだ。

 真夜中の館内に、警備の人間や、ほかの誰かがいる気配はない。

 泥棒は、しめしめとほくそ笑み、そうっと忍び足で、たった一つの水槽へと近づいた。

 懐中電灯を水槽に向けて、泥棒は、水槽の中を覗き込む。水槽の底には、今はチョウチンアンコウの姿をした一匹の魚が、眠っているようにじっとしていた。

「これが、噂の変身魚か。どこかの金持ちにでも売り飛ばせば、きっと高く売れるだろうな」

 そう呟いて、泥棒は、水槽の横にある脚立に上った。

 泥棒は、魚を捕まえるために持ってきた網を、水槽の上からゆっくりと水の中に入れる。

 そうして魚をすくおうとするが、網に気づいた魚は、すいと網をかわして逃げてしまった。泥棒は、何度も何度も魚をすくおうと、水の中で網を振る。しかし、水槽の底を這うように泳ぐ魚は、なかなか捕まらない。

 そこで泥棒は、こんなときのためにと持ってきた、魚の肉の切れを取り出した。

 それは、変身魚をおびき寄せるためのエサだった。このエサにつられて、変身魚が水面近くに浮き上がってきたところを、網ですくって捕まえてやろうという魂胆だ。

「ほら、ほら。こっちに来い。とってもおいしい魚の肉だぞ」

 小声で呼びかけて、泥棒は、魚の肉の切れの端を、ちゃぽんと水の中に浸けた。


 その途端。


 水槽の底にいた魚は、エサを持つ泥棒の手もと目がけて、ものすごい速さで泳いで、あっという間に水面まで上ってきた。そしてその勢いのまま、ばしゃんと水から顔を出し、大きな口をぱっくりと開け、エサの魚の肉と、それを持っている泥棒の手に食らいついた。

 泥棒は驚いて、悲鳴とともに、思わず脚立から足を滑らせた。

 その拍子に、水槽の上に身を乗り出していた泥棒は、エサの魚の肉を持ったまま、どぼん、と水槽の中に落っこちた。


          +


 それからというもの、小さな小さな水族館は、「人魚のいる水族館」として評判になり、末永くたくさんのお客を呼んだという。


めでたし、めでたし。

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