それぞれが追う者
昼休みとは、生徒たちが学業から解放され、昼食をとり、遊びに興じられる休息時間である。だが、月読御言は特になにをするでもなく、ただ席についたまま物思わしげにため息を漏らすばかり。
その様子を後ろの席から眺めていたナギハヤが、いつもの軽い調子で声をかける。
「お前、今日ずっとそんな調子だよな、まさか北条が休みなのとなにか関係してんのか?」
いつもいい加減なことばかり口にするナギハヤだが、その読みは当たっている。
御言が悩んでいる原因はずばり北条飛鳥で間違いない。
数日前に御言が罵倒を浴びせた結果、護衛であるはずの彼女は御言の前から姿を消してしまった。
だが、実のところ飛鳥は今日も学校に来ている。そして、近くにいないというだけで護衛という任務も続いている。
隣の校舎の屋上から、手のひらを丸めただけの望遠鏡で教室内を覗き、手元のスピーカーで御言とナギハヤの会話を盗み聞きしている最中だ。
一方の教室内。なにも知らないナギハヤがさらに質問を重ねていた。
「そもそもあいつは一体なんなんだ? お前は正体を知ってんだろ?」
御言は前方の黒板を眺めたまま振り返ることなく淡々と返す。
「詳しくは俺も把握できていない。知っていたとしても口封じされているしな……信じられないと思うが、俺は二十四時間ずっ……」
だが、彼の言葉はそこまでだ。
眼前に一筋の光が走った瞬間、御言の表情は青ざめ、口を噤む。
その閃光の正体は言わずもがな。
このように彼はリアルタイムで監視され、必要に応じて北条飛鳥から警告を受ける。
しかし、今回はその警告が少し遅かったようだ。
御言の話は途中で途切れてしまったものの、ナギハヤはなにかを察して声を細めた。
「いま、もろにビームみたいなのが見えた気がするが……まさか北条の仕業か? お前、あいつから監視されてんのか?」
以前、光剣で悪魔に応戦する北条を目撃したことがあるためか、さすがに理解が早い。
御言は振り返って苦い笑みを浮かべながら、引きつった顔で答える。
「なんの話だ? 俺にはなにも見えなかったぞ」
「お前、まじでどういう状況に置かれてんだよ……」
半ば呆れたようにそう言ったあと、それ以上ナギハヤは追求しなかった。
再び御言が前を向き、黒板を見つめながらため息を漏らす。
その直後だ。
ドアが勢いよく開き、明らかに異質な風貌の少女が三人、我が物顔で教室に入ってきた。
年齢は中学生か高校生ほどに見える。
服装は三人とも異なるデザインだが、統一感があり、紫苑色を基調としたものに少しフリルがついた服装。それは明らかに日本で見かけるような格好ではない。
容姿にも共通点があり、髪は眩しいほどに光沢のある金色、瞳は湖のような青。
さらに三人はそれぞれ楽器を手にしており、一人はストーンシールで可愛くデコレーションされた薄桃色のハーモニカ、一人はトロンボーン、一人は直径五十センチほどのトライアングルと、先端に音叉が取り付けられた長い杖を持っていた。
最初にその三人の中で、ハーモニカを握る少女──ふんわりとしたボブヘアーで、一番胸が大きく膨らんだ子が、突き刺すように言葉を発した。
「ここにツクヨミって名前の生徒がいるはずなんだけど?」
教室内をギロリと見回す。
それに御言は一瞬ビクつくが、自分から名乗り出る様子はない。
が、いくら本人が名乗らなくとも、学校の教室という状況下では正体を隠せるわけもなく、よりによってナギハヤが御言を指差し、
「月読ならここにいるぜ」
なんの気なしに月読御言の存在を教えてしまう。
ハーモニカの少女は目を細めて御言を睨む。
「カプリが言ってた特徴と概ね一致する……背が低くて色白で華奢、まさにチビモヤシ」
確信を得たように表情を鋭くしたあと、仲間の少女に支持を出す。
「シルエット、そいつを捕らえて!」
すると、音叉の杖とトライアングルを手に持つ小柄な少女がコクリと頷き、体を大きくクルリと回しながら、見るからに重そうなトライアングルを投げ飛ばした。
硬い金属製の三角形は見事なまでの精度で御言のおでこに直撃するのだが、なぜか投げた本人であるシルエットという少女は驚いた様子……というよりオドオドと慌てた様子で、
「あう⁉ どうして……? トライアングルが制御できない」
しきりに音叉の杖を振り回す。
だが、なにも起きない。
その言動から、杖によってトライアングルを制御できることが窺えるが、どうも上手くいっていないようだ。
見かねたのか、もう一人の金髪少女──コウモリのような羽と、小悪魔っぽい尻尾の装飾をつけた少女が、
「もう、シルエットは相変わらず鈍臭いんだから……面倒だからあたしが気絶させる」
トロンボーンを御言に向けて構えた。
その楽器のグリップ部分には、銃の引き金のようなトリガーがついており、少女はそれに指をかけ……
咄嗟にハーモニカの少女が静止する。
「待ってヴェローチェ、あんたの砲撃は一歩間違えたら命まで奪いかねない!」
が、間に合わず、ヴェローチェは引き金を引いた。
命まで奪いかねないと言われた攻撃が、遠慮なく御言を襲う……
かと思いきや、彼女が引き金を引いてもラッパのような音が鳴るだけでなにも起きない。
「あれ?」
キョトンとした表情でヴェローチェがカチカチと何度も引き金を引き、その度にトロンボーンは虚しく音を鳴らす。
「あたしたちの魔法が無効化されてる?」
魔法。
彼女は確かにそう言った。
楽器を持つこの三人組は魔法使いであるはずなのだが、教室内の生徒たちの多くはそうは思っていない。おそらくただのコスプレ集団に見えているに違いない。
彼女たちへの嘲笑が聞こえ始めた中、ハーモニカの少女がその嘲笑をかき消すように声を荒げた。
「お、音神⁉ 見覚えのある顔だと思ったら……まさか、そんな……」
御言の顔を見てひどく取り乱している。恐怖に慄き、狼狽しているようにも見える。
「あのカプリが学生にやられるはずないって思ってたけど……これで納得。やっぱりあんたがカプリを襲った犯人で間違いないってことね」
彼女は憎悪に満ちた形相でハーモニカを奏でる。漂わせる殺意とは裏腹に、その音色はハーモニカとは思えないほど澄んでいて、まるでオカリナのような音色だった。
そして、演奏をしていたかと思えば、次の瞬間には彼女の体はロケットのような速度で弾けるように教室を駆け、一瞬で御言の背後に回っていた。
少女はその細腕で御言の腕を掴んで椅子の後ろに回し、体の自由を奪う。そして、威圧的な口調で、
「私はソニア・ファンファーニ。昔、特務部隊オーケストラってのに所属してたんだけど、もちろん聞き覚えあるよね?」
憎たらしそうに御言の耳元で囁く。しかし、御言はわけがわからないという表情で、
「一体なんの話だ?」
「とぼけても無駄。空気系の魔術の無効、そしてその顔、音神に相違ない。カプリを昏睡状態に陥るまで嬲ったのもあんたなんでしょ?」
ソニアは憎悪に満ちており、納得のいく返事でなければ腕の一本でも持っていきそうな勢いだ。
それでも御言はただ否定するだけ。
「おとがみ? 誰だよそれ。そもそも俺はカプリと戦っても多分勝てないし、お前と会うのも初めてだ」
半泣き状態で無実を訴えるが、ソニアは聞く耳を持たない。
「まさか世界最強の魔術師ともあろう者が、仇討ちを恐れてしらを切るなんてね……」
「待て待て、世界最強の魔術師? 俺がそんなすげえ奴に見えるのか?」
その問いかけも軽く一蹴されることに。ソニアは御言の首に腕を回し、
「他人のフリで通すってんなら、それでもいい。このまま死ね」
容赦なく首を絞め始めた。まるで人を殺すことに一切の抵抗がないかのように。
御言は苦悶しながらソニアの腕を振りほどこうとするが、彼にできたのは彼女の衣服の袖に縫いつけられた飾りボタンを引き千切るくらいだった。
「ぐがっ……ほ、おう……たす」
もはや言葉にすらなっていない声で、誰かに助けを求めるかのごとく手を伸ばす御言。
さすがにこの状況を危険と判断したナギハヤが、ソニアの肩を掴み、力づくで引き剥がそうとする。
「おい待て、まじで人違いだ。月読が君の言う世界最強の魔術師ってんなら、こんなやられ方はしないはずだろ」
その説得にソニアは腕を緩め、
「確かに……音神にしてはクソザコすぎる。ガチの別人なの?」
我に返るとともに、御言を解放。
ようやくまともに呼吸ができるようになった御言は荒々しく息を吸い、その様子を見たナギハヤが胸を撫で下ろすとともに、ソニアに向けて叱責する。
「あやうく月読を殺すとこだったぞ。誰と勘違いしてるか知らねーけど、こいつは恨みを買うような奴じゃねーから」
言われてソニアは平静さを取り戻すが、しかし今度は別の人物が平静さを失いだした。
その人物は御言の隣の席に座る女子生徒で、甲高い悲鳴を上げると、次につらそうに頭を抱え、
「違う! こんなの……嘘だよ……」
普段から笑顔が絶えない少女が──滅多に負の感情を見せない音羽が、なぜかいまは大粒の涙を流しながら発狂している。
教室内にいた誰もが音羽に注目した。
奇妙なことに、いまもなお涙を流し続ける彼女の口元は……
なぜか笑っていた。
「また消さないと」
音羽が嗚咽をこらえながらそう呟いた瞬間、景色の全てが砕けたガラスのように剥がれ落ちていった。
もはやそこは学園とは関係ない異空間。
見渡す限りどこまでも続くように広がる水面と、澄んだ青空。至るところに点々と浮かんでいる黒い八面体。
まるで二年一組の教室内にいた人間だけがこの空間に移動してきたかのようだ。
生徒たちはみな困惑し、キョロキョロと辺りを見渡す。もしや夢なのでは? と頬をつねる者もいた。
その中で音羽は状況の変化には動じず、ただ淡々と、
「何度消しても私の記憶だけは元に戻る。ふとしたきっかけで思い出してしまう……もうこれで三回目。私はどうすればいいの? あのときの返事は……」
涙をポロポロと流しながら、水面を虚ろに見つめたまま呟くようにそう言うと、彼女の足元がどす黒く変色し、それが周囲に広がりだす。
まるで彼女の悲しみや苦しみを現したようなそれは、水面を見る見る侵食していき、クラスメイトたちの足元まで伸びていく。
黒い水面に触れた者は真っ黒に変色したあと、塵に砕けて消滅。それからその塵が再び集まって小さな黒い八面体を形作る。
そんな光景を目の当たりにした複数の生徒たちが、呆気にとられて悲鳴を上げる。だが、そういった者から次々と消滅していく。
逆に決断の早かった者は騒ぐ前に足を動かし、音羽から遠ざかるように逃げ出していた。
しかしだ。
どれだけ力走しようと、それを凌駕する速度で黒い水面は広がるのだ。
結局誰一人として逃れることはできず、音羽を除く全ての人間が塵となって消滅した。
最後に残った音羽は寂しげに呟く。
「本当にこれでいいのかな……」
彼女の瞳から涙があふれ、黒い水面に波紋を立たせた。
◆
時はほんの少しだけ遡る。
月見ヶ丘町に隣接する廃墟群──通称、幽霊都市。
以前、住人が一斉に記憶を失うという怪奇現象に見舞われ、挙句の果てには立入禁止にされてしまった謎多き町。
現在は誰一人として住んでいないはずだが……
どういうわけか、ビルとビルのあいだの薄暗い路地に、十四歳くらいの少女の姿があった。
全身薄いピンク色で統一された服装で、ふっくらと膨らんだ大きなベレー帽に、薄い生地のケープ、前側だけ丈の短い着物のようなデザインの衣装で身を包んでいた。
ここまでなら、ちょっと変な服装の少女でしかないが、極めつけはその容貌。
鮮やかな水色の髪、澄んだ宝石のような青い瞳、整った目鼻立ちに加え、明らかに日本人とは思えない骨格。
それはもう妖精にさえ見えてしまうほどの美少女っぷり。
そんなメルヘンの世界から飛び出してきたような少女が、周囲を警戒しながら身を低くして狭い路地を歩いている。
「できるだけ遠くに逃げないと……」
切羽詰まった表情で小さく呟き、ビルの角から顔だけを出し、道の先を確認……
しようとしたところで、彼女の背後から少年の優しげな声が。
「お嬢さん、誰かに追われているのかい?」
少女の体が一瞬ビクつく。
おそるおそる彼女が振り向くと、コーラルピンク色の服を着た少年が立っていた。
前髪が長いうえにフードを深く被っており、顔はよく見えない。ただ、声で少年だということはわかる。
そして、この少年もまた、水色髪の少女に負けず劣らずな奇抜な衣装を着ていた。
ロングコートのように膝まで丈がある一方、袖は肘より上にくるほど短く、その袖口には御札のようなものが左右に三枚ずつぶら下がっている。そして、腰に巻かれた紐状の装飾にも金色のアクセサリーとともに、やはり御札のようなものが左右に三枚ずつぶら下がっていた。
合わせて十二枚もの御札をぶら下げた奇抜な格好の少年は、絶望に染まった少女の顔を見ながら、まるでその表情を堪能するかのように笑みを浮かべた。
そして狂気を帯びた口調へと変わる。
「無駄なんだよなぁ? この俺から逃げるとかさぁ。いい加減大人しく捕まってくれねぇか? 少し力を借りたいだけなんだよ俺は」
少女は怯えながらも少年の目を見て答える。
「さっきも言ったように、空間転移は使えないんです」
「んなわけあるか。どうせ人間に手を貸したくないだけだろ? いいか? お前らはヘコヘコと頭下げて人間様の言いなりになってりゃいいんだよ」
前髪の隙間から覗く鋭い眼光が少女を見据える。
どこか怒りや憎しみが宿ったような攻撃的な目つきは、とてもじゃないが幼気な女の子に向けていいものではない。
少女はいまにも崩れ落ちてしまいそうなほど足が震えていたが、それでも恐怖を押し殺して体を翻す。そして、その華奢な体つきからは全く想像できない俊足で、勢いよく路地を飛び出しては人気のない街道を駆ける。
それを余裕な表情で見届けた少年は、のんびりと路地を出て、特に慌てる様子もなくそこで立ち止まった。
「制空」
少年はそう言って爪を立てて虚空を掴む。次に腕を天高く振り上げ、
「断空」
声を発した瞬間、道を真っ直ぐ走っていた少女が、見えないなにかに衝突した……
なにもない場所でおでこをぶつけ、勢いのまま手、足、腹と、見えないバリアのようなもので全身を打つ。
次に少年は人差し指を一本だけ立て、指揮でもするかのように空間をなぞる。
「風統」
刹那、嵐のような突風が吹き荒れ、少女を軽々と吹き飛ばす。
か細い体は不格好に地べたを転がりながら、風の力だけで少年の足元まで運ばれたのだが、奇妙なことに少年はその強風の中でも微動だにしていなかった。
それどころか、まるで風を受けている様子がなく、少年に向かって風が吹いたはずなのに髪の毛一本靡いていない。
そして少年は足元にひれ伏す少女の頭部を土足で踏みつけると、苛立ちのこもった怒声を浴びせる。
「さっさと術式を構築しろ」
荒々しい要求に対し、許しを請うように訴える少女。
「もちろんそれができるなら協力します。でも、何度も言ってるように、魔法は使えないんです」
「んじゃ、テメェはどうやってこっちの世界に来たってんだ? バカにしてんのか?」
少年は少女の肩に手をかける。
「しかもテメェが首につけてんのは、宝器だろ? さぁて、魔法が使えねぇ奴がどうして宝器を持ち歩いてんだ? 扱えねぇならフツー持ち歩かねぇよなぁ?」
問いかけたあと、赤い宝石が填められた金色の首飾りを少女の首から取り外して奪う。
少女は頭部を踏まれたままの体勢で必死に叫ぶ。
「返してください! その首飾りは魔法が使えない私のためにお母さんが……」
が、少年は吐き捨てるように少女の懇願を遮った。
「なら、返してほしけりゃ空間転移の術式を構築しろ。さもねぇとこの宝器、砕くぞ?」
「お願い、やめて! 私にできることならなんでもしますから」
しかし、少年は上の空。
少女の主張を聞こうとしないどころか、彼はとある現象に目を奪われ、脅迫どころではなくなっていた。
目を見開きながら周囲を見渡し、平静さを失った様子で改めて口を開く。
「なんだこりゃ……」
彼が困惑するのも無理はない。
周囲の景色が砕かれたガラスのように剥がれ落ちていく。それを見て驚かない人間などまずいない。
あっという間に景色がガラリと変わり、それまで廃墟にいたはずの二人は、見渡す限り水面と青空だけが続いている異空間へと迷い込んでいた。
陸はなく、太陽すらも見当たらない。本当に水と雲と空だけの空間。
少女の腕を引っ張り、無理やり立ち上がらせた少年は、なおも高圧的な態度を保ったまま問い詰める。
「ここはどこだ⁉ いつの間に転移術式を発動させた?」
「私じゃない……私はなにもしてない」
少女はブツブツと呟くように答え、見えないなにかに怯えるかのように広大な水面を呆然と眺める。
さらに水平線の一点を見つめながら、こう続く。
「私のほかにも、この空間に干渉できる人がいる……?」
「なんの話だテメェ。やっぱここがどこだか知ってんじゃねぇか?」
少年が荒々しく問うが、少女はそれを無視して、ただ目を閉じる。
そして次に目をあけたとき、彼女は元いた場所に戻っていた。
まるで夢でも見ていたかのようにうつ伏せの状態から起き上がる。
そのまま立ち上がり、服についたホコリを手ではたくと、道路上で気を失って倒れている少年を見据え。
「この人が夢鏡の空に囚われてるうちに、逃げないと」
そう言って少年の手に握られた首飾りを取り返すと、次に別の場所へと目線を移す。
彼女はなにかに導かれるように、その場所へと向かう。
◆
放課後を迎え、生徒たちは教室で帰り支度をしていた。
だが、月読御言は特になにをするでもなく、ただ席についたままなにか言いたげな顔で隣の席にいる清水音羽の様子を窺うばかり。
すると、その視線に気づいたのか音羽が御言のほうを向き、二人の視線が交わる。
硬直する御言に対して音羽は明るく笑い、ここぞとばかりに話題を振る。
「御言くん今日時間あいてる? よかったら、これから……」
これから一緒に行きたい場所がある。差し詰めそんな内容の話だと思われるが、御言は最後まで聞き終える前にきっぱりと断る。
「悪い、ちょっと調べ物があるから今日は無理だ」
「そっか……それじゃあ仕方ないね。また今度誘うね」
音羽は明るい笑顔のまま教室を出ていき、呆気なく二人のやり取りは終わった。
すると、御言の後ろの席に座るナギハヤが、囃し立てるように口を挟んでくる。
「おいおい、女の子の誘いを断るなんて碌でもない奴だな」
しかし、その言葉を無視して別の話題に移る御言。
「なあ隼人、このボタンに見覚えあるか?」
深刻そうな面持ちで白いシャンクボタンをナギハヤに見せるが、なんとも興味なさそうに返される。
「なんだ急に? 知らねーよそんなの」
「やっぱ知るわけないよな……まあ、あれだ、ちょっとした頼みなんだが、このボタンの持ち主を探したい」
それを聞いて、なにか事件の匂いを嗅ぎ取ったのかナギハヤは協力的な態度を示す。
「なら、人探しのスキルを持つ櫛田の手を借りるといい。そんで、そのボタンはなんなんだ? 持ち主を探し出してどうする」
「これは昼休み、気づいたら手に握っていたんだが、俺自身いつどこで拾ったものなのか全く記憶にない。本当にいつの間にか拳の中にあったものだ」
「なんだそれ? ボタンがテレポートでもしたって言うのか?」
「いや、どうやら記憶を失っているらしい。昼休みの限られた時間だけみたいなんだが、ポッカリと記憶に穴がある。だから、このボタンの持ち主を探し出せば、その空白の時間になにが起きたのかを突き止められるかもしれないと思ってな」
「局地的な≪境界≫現象ってところか。そりゃなんともミラクルだな……」
ナギハヤはそう言ったあと、ぼんやりと宙空に目線を移したまま黙り込む。しばらくして、なにかをはっと思い出したように続ける。
「そういえば、俺も覚えてねーぞ。昼休みの記憶が消えてる……おかしな話だが、お前に言われるまで気づかなかった。なるほど、こりゃ久々に≪月の影≫の出番ってわけだ」
ニヤリと笑い、俄然やる気に満ちた彼は、携帯電話を取り出す。
悪魔との死闘を繰り広げてからというもの、彼らが≪月の影≫として活動することはなかったが、この度ようやく異能力者特殊秘密機関という肩書きに相応しい活動を見せることになる。
十数分後、御言とナギハヤは≪月の影≫の部室に移動し、そこで待機していた。
あとからキャメル色のブレザーを着たボブカットの女子生徒──櫛田世利が忙しなく入ってきて、
「さっき電話で話していたことは本当でしょうか? 記憶を消された可能性がある、というのは……」
ナギハヤが頷く。
「ああ。ここに来る前にも確認したが、うちのクラスの何人かは今日の昼休みのことを詳細に覚えていなかった。ついでに俺や月読も昼休みの記憶がない。これは記憶操作系の能力者が関わってるとみて、まず間違いないだろうな」
そして御言は例の白色のシャンクボタンを櫛田に渡す。
「人を探し出す能力を持っていると聞いたんだが、これの持ち主を探し出せるか?」
付け加えるようにナギハヤが続く。
「そいつは知らぬ間に月読が握ってたものだ。ひょっとしたら事件のヒントになるかもしれない」
だが、櫛田は理解できていないといった様子で、受け取ったボタンに目を凝らす。
「ただのボタンですよね? どうしてこれが事件のヒントになると?」
「そんなデザインのボタンはこの学校のどの制服にも使われていない。それに、昼休み前にはお掃除タイムがあるだろ? 教室に落ちてたという線も薄い。月読はこの見覚えのないボタンを一体どこで拾ったのか……」
「なるほど、確かに不可解ですね」
と、櫛田は納得したものの、すぐに困った表情を浮かべる。
「しかし、残念ですが私のスキル、不可視可視眼で持ち主を探し出すのは不可能ですね。これはサイコメトリーではなく透視に近い能力で、視力が許す限り人の居場所というかオーラを目視できますが、その人の持ち物から位置を特定したり、そもそも知らない人を探すことは不可能なんです」
言われて露骨に残念そうな表情を浮かべる御言とナギハヤ。それを見て、櫛田は慌てて、
「でも怪しい人物がいないか、一応探してみますね」
そう言って目を閉じた。
おそらく不可視可視眼なる能力を行使している最中なのだろう。
櫛田以外の二人は邪魔にならぬよう静観していた。
しかし、間もなくして部室内は騒がしくなることに……
入り口から勢いよく入ってきた一人の女子生徒が、その小さな肢体をピョンピョンと弾ませながら甘く可愛らしい声音で嬉しそうにはしゃぐ。
「久々に面白い事件が起きたって本当ですかー?」
お祭りの開催を聞きつけてやってきたかのような登場に、御言はげんなりとしながら隣りにいたナギハヤに尋ねた。
「こいつを呼ぶ必要あったか?」
ナギハヤは当然とばかりにハキハキとした口調で答える。
「比奈たんあっての≪月の影≫だ、呼ばないという選択肢は、ない」
「その≪月の影≫は能力を持った者の集まりだったよな? 比奈は能力者でもなんでもないぞ」
「ふっふっふ、お前は知らないだろうけどな。比奈たんには体の成長が止まるという素晴らしい能力が備わってんだぜ?」
真っ先に比奈が大袈裟な反応を示す。
「え? そうなんですか⁉ これ能力だったんですか?」
と、比奈本人が驚いた様子だが、もちろんナギハヤがいい加減に言ったことだ。
確かに比奈の体が高校生とは思えないほど幼い体つきなのは不可思議ではあるが、それが能力であるという事実はいまのところ存在しない。
そして御言だが、半眼になりながらナギハヤのボケに対し冷静に返す。
「万が一、それが能力だったにしても、どのみちなんの役にも立ちそうにないな」
と、指摘したところで、それまで大人しくしていた櫛田が、明後日の方向に首を向け、目をつむったまま口を開く。
「いました! 学園のすぐ近くに、怪しい方が一人……」
御言が嬉しそうに聞き返す。
「本当か⁉ どんな奴だ?」
「私の不可視可視眼では容姿や性別までは確認できませんが、この方はいままで見てきた人とは見えるオーラが全く違うんです」
返ってきた言葉に御言は顔をしかめ、全然納得できていないという感情が顕著なまでに顔に表れていた。
そんな御言とはまるで違う反応を示す者が一人。
比奈が目を輝かせながら、
「おお~、人のオーラが見えるんですか⁉ すごいです! ヒナはどんなオーラですか?」
まるで占いでもせがむかのようだ。
櫛田は一度目をあけ、比奈のほうへ目線を移してから再び目を閉じる。
「桜野さんは……」
少しだけ思案するように黙り込み、少ししてから瞼をあけて微笑みながら答える。
「まさに子供みたいなオーラが出てますね」
「なんですかそれ! 能力とかじゃなくて、完全に見た目で判断してますよね?」
本人は疑うような目つきで櫛田を見つめ、診断結果に異議ありのご様子。
そして御言はというと、しばらく思考を巡らせていたが、ようやく結論が出たようで、
「悪い、ちょっと借りるぞ」
断りを入れたあと、櫛田の肩にほんの数秒だけ手を乗せ、次に先ほどまでの櫛田と同じく瞳を閉じて首をあちらこちらに向かせる。
「これはすごい、確かに人型のオーラみたいなのが見えるな。床の下だろうと壁の向こうだろうとお構いなしに人の位置を視認できる」
それを見た櫛田とナギハヤが驚いた様子で、
「え? どういうことですか?」
「月読、お前まさか……」
信じられないという表情の二人に、御言は不可視可視眼で遊ぶのを一旦やめ、こともなげに淡々と返す。
「ああ、櫛田の能力をコピーした。実際に自分で見たほうが早いと思ってな……」
ナギハヤは両腕を左右に大きく広げながら大袈裟なリアクションをとる。
「そんなことできたのか?」
「悪魔化だって元々は悪魔からコピーした力だっただろ? 多分お前の能力もコピーできるはずだ」
「最強じゃねーか」
そして二人の会話を引き裂くように比奈があいだに割って入り、
「じゃあ、月読センパイもいまはヒナのオーラが見えるわけですよね? どんなオーラですか!」
櫛田から言われたことが悔しかったのか、随分と必死だった。
御言はそっと目を閉じ、しばらく黙り込む。
そして少し前の櫛田を再現するかのごとく、
「まさに子供みたいなオーラだ……」
「もー! 見た目が幼いからって子供扱いはよくないですよ」
手をブンブンと振り回して感情を表現する比奈に対し、御言は本人に聞こえないように注意しながら小さく呟く。
「お前の場合、中身も子供なんだよなぁ」
そして彼は再び瞳を閉じ、不可視可視眼を発動する。ある一点に顔を向け、眉をひそめた。
「確かに櫛田の言うように、一人だけ変な奴がいるな。ほかはみんな煙みたいに見えるのに対して、一人だけまるでガラス玉だ」
櫛田が頷き、
「ええ、人間とも悪魔とも異なる不思議な気配を放っています。そして、もし接触するならいまがチャンスですね。一箇所にとどまっているようですから」
彼女がそう提案したあと、すでに部室の出入り口にはナギハヤが待機しており、
「なら、とっとと行こうぜ? お前らの言う特殊なオーラを持つという人物のもとにな」
あたかも最初からその場所に居座っていたかのような態度で促し、櫛田がやれやれと肩をすくめ、
「やっぱり行くんですね……案内します」
ナギハヤの勢いに押されて若干気後れしているように見えるが、櫛田の案内のもと、≪月の影≫は正体不明の不審人物に会いに行った。
そしてやってきたのは、学園を出てそれなりの距離を進んだ先にある道路脇の茂み。
そこで彼らは発見する。まるで芋虫のように土の上で伸び、顔を地面にうずめている水色髪の少女を。
彼らがそばまで近寄っても少女が動く気配はない。
「おーい、意識はあるかー?」
と、御言が声をかけてみたが、返事はない。
さらにナギハヤが嬉々として、
「水色の髪……ひょっとしてアレか? 異世界から来た魔法使いのヒロイン的な展開か⁉」
と、騒いでも少女はピクリとも動かない。
生きているのか死んでいるのか、敵性があるのか無害なのか、なにもわからない状況で、最初に接触を試みたのは比奈。
しゃがみ込んでは少女の背中を指でつつき始める。
すると、正確には聞き取れないが、モゴモゴとした声で言葉が発せられた。
それを確認した比奈は、なんとも平坦な口調で、
「死んでるのかと心配しましたが、ちゃんと生きてますね」
淡々と無意味な状況説明を終えると、その言動に呆れた櫛田が、
「生きてますね。じゃなくて、起こしてあげないと」
言いながら、慌てて少女の体を反転させる。
妖精のような綺麗な素顔が露わになるや否や、その瞼がゆっくりと持ち上げられ、宝石の如き青の瞳を覗かせる。
それから櫛田に上体を抱えられたまま、
「お腹……空いた……」
一言だけ力のない弱りきった声音で言うと、そのまま眠るように意識を失ってしまう。
≪月の影≫は一様に顔を見合わせ、そこから端を発したのはナギハヤ。
「どうやら空腹で行き倒れてたみたいだな……とりあえず、部室に運ぶぞ」
そう言って少女を背負うが、御言が反発した。
「いや待てよ、なんでそうなる。ここは救急車を呼ぶところだろ、普通」
ナギハヤの行く手を阻むように前に出るが、それを櫛田が冷静に宥める。
「部室には非常食を貯蔵していますから、まずは病院より部室に連れ込むほうが先かと思います」
さらに比奈が急かすようにその場で駆け足をする。
「そうですよ。これで餓死しちゃったらセンパイのせいですよ!」
御言はため息まじりに声を漏らす。
「お前ら絶対、部室にお持ち帰りしたいだけだろ」
が、そんなボヤきなど誰も聞いておらず……
結局、少女を運ぶナギハヤのあとを、御言は渋々追いかけた。
その数分後、ソファーの上に正座し、両手で持ったメロンパンを小動物のように小刻みに食い千切る少女の姿が部室にあった。
ノンストップで完食し終えた彼女は、綺麗な姿勢を保ったまま礼儀正しい口調で感謝の言葉を述べ始める。
「この度は危うく餓死するところを救っていただきありがとうございます。あなた方は命の恩人です」
少しぎこちなくはあるが、幼さのある容姿ながらもきちんと礼節のある言動。しかし、彼女に返された言葉は脈絡もない比奈の早口な質問攻めだった。
「日本人……? じゃ、ないですよね。でも日本語お上手ですね! どこの国の人ですか? 名前は? 髪はなんで水色なんですか? それとそれと……」
次から次へと質問が湧き出てきて、咄嗟に櫛田が蓋をするように止めに入る。
比奈のほっぺをプニュっとプレスし、口を3の形にして喋れなくすると、代わりにナギハヤが仕切り直して質問を続けた。
「キミはなんであんなところで倒れてたんだ?」
少女は床の上で正座したまま淡々とその質問に答えた。
「実はある人物を探してたんですが、その道中でなぜか空腹状態に陥り、著しく身体機能が低下したので、追手から身を隠すために藪の中に飛び込みました。しかし、疲労のせいか眠気にも襲われてしまい、あとはみなさんの知るとおりです」
さらに少女の回答はこう続く。
「申し遅れましたが、名前はエイル……エイル・ナイアード。生まれも育ちもイストリアです。この世界の言語は言語統制魔術により学習しました。髪が水色なのはニンフだからだと思います」
律儀にも先ほどの比奈の質問にも答えてくれた。
だが、誰も内容をうまく把握できていない様子。情報量が多いのはもちろんのこと。聞き慣れない言葉が出てきたせいだろう。
御言が怪訝そうに聞き返す。
「なんだ、ニンフって?」
ここで初めてエイルという少女は御言と顔を合わせた。
その瞬間、彼女は突如として悲鳴を上げ、御言から距離をとるように飛び退き、大きく尻もちをつく。
「どうしてここに⁉ 抵抗はしませんから、もう乱暴はやめてください」
ひどく怯えていた。
「落ち着け。大丈夫だ、なにもしない」
御言が宥めるように優しく声をかけるが、様相に変化はなく、
「ちょ……なんだそれ、いつ俺がそんなこと……」
だが、彼の弁解は途中で遮られる。
ナギハヤがエイルを庇うように御言の前に立ちふさがり、
「今日の昼? 月読、まさかお前……櫛田に探させたのは……」
次に櫛田が軽蔑するような目で、
「そうなんですか? この子に乱暴するべく、私の力を借りたんですか?」
トドメに比奈も、
「最低ですセンパイ。人間のクズですよ」
御言はみんなから罵倒され、思わずたじろぐ。
そんな彼をナギハヤは怪訝そうに窺いながら、
「昼休みの記憶がないのって、実はお前の仕業だったりしないよな?」
もはや汚物でも見るような目で、友人であるはずの御言を疑っていた。
御言は冷や汗をかきながらも必死に訴えた。
「いや、俺は今日初めてその子と会ったんだぞ? 大体な、俺が女の子に乱暴するような野蛮な奴に見えるか?」
それにナギハヤがおおよそ同意する。
「うーん、どちらかと言えば女の子から乱暴される側ってイメージだな」
「だろ? 実際のところ、最近は横柄な女に振り回されてばっかりなんだよ俺は」
さらにエイルも御言の様子に首を傾げ、
「本当に別人なんですか?」
警戒心を完全には捨てきれていない様子ではあるが、ある程度の落ち着きは取り戻していた。
御言は迷惑そうな表情で、
「なんか俺はよく別人に見間違われるらしい。つい最近も同じようなことがあった気がする」
しかし、ナギハヤはなおも疑わしそうに御言の顔を見ながら、
「でも一応この子と月読は二人きりにしないほうがよさそうだな」
さらに比奈までも、
「賛成です。あと、月読センパイには念のために監視をつけるべきですよ!」
と、依然仲間からは疑われたままで、御言は半ギレ状態で呆れていた。
「お前らなぁ……」
逆に御言のほうが仲間に失望したような冷めた目になっており、ナギハヤはそんな彼の肩をポンポンと叩き、
「冗談だよ、冗談」
ゲラゲラと笑う。
しかし、比奈には冗談として通じておらず、
「でも、無実を証明できないうちは、やっぱり監視が必要です」
『監視』という言葉に反応し、御言は誰にも聞こえない小声でぼやくのだった。
「監視ならすでについているんだけどな……」
そして、言ったあとで彼の目が見開く。
「監視……」
今度はみんなが聞き取れるほどの声量で発せられ、心ここにあらずな様子だ。
続けて気が変わったように、
「悪いが俺は大事な用を思い出したから帰る」
有無を言わさず、急くように教室を出ていこうと……
それを咄嗟にナギハヤが呼び止める。
「なんだよ大事な用って、また別の女の子を襲いに行くのか?」
「違ぇよ! もうその話から離れろ」
大声でツッコミを入れたあと、げんなりしながら出ていった。
明らかに不自然な行動に、ナギハヤは目を細める。
「用事を思い出したって台詞ほど怪しまれる口上もそうそうねーな」
彼は一目散に立ち去る御言を呆然と見送った。
◆
帰宅した御言は急いで部屋中をチェックする。まるで空き巣でも入っていないか確認するがごとく。
「いるんだろ? いろいろ話したいことがあるんだが、出てきてくれないか? 多分かなり重要なことだ」
「悪いけど、キミの話は多分聞く価値ないかな」
自然な流れで返事をしたが、彼女が──北条飛鳥が姿を見せたのはベランダだった。
御言の部屋はアパートの四階。だが、いまさらそんな登場の仕方では、御言は驚かない。
そのまま自然に会話を繰り広げる。
「ひどいな。絶対やばいから、まじで聞いてくれ」
飛鳥は靴を脱いでベランダから上がると、呆れながらに、
「キミが聞こうとしてることはわかってる。結論から言うと、記憶を失ったのは教室の中にいた人間だけ。私は屋上から監視してただけだから、全部覚えてるよ」
「やっぱりか……教えてくれ、教室でなにがあったんだ?」
「いいわ、教えてあげる。にしても、人のこと邪魔者扱いしておいて、都合のいいときだけ利用するなんて随分ね。ま、今回ばかりは私からも話しておきたいし、別にいいんだけど」
心苦しそうに表情を苦くする御言をさておき、飛鳥はしたり顔で説明を開始する。
「まずは音神のことから説明しておこうか」
「おとがみ……?」
なにも知らなそうな反応を示す御言を見て、飛鳥の表情はより一層得意げになり、それから自慢話でもするかのように彼女の熱弁は続いた。