ルドアの魔剣使い
購入したてのふかふかの布団に寝転がり、月読御言は爆睡しまくっていた。
気持ちよさそうに寝息を立て、休日という安息の日を眠って過ごす……ここのところ厄介な事件に巻き込まれてばかりの御言にとって、それが最も幸せな過ごし方だった。
まあ、それも長くは続かないのだが……
まだ日が昇って数分という時刻。
就寝中の御言の隣で北条飛鳥が行儀よく正座し、甲高い声を響かせながら御言の頭部に何度もチョップをかます。
「おーい、さっさと起きろー」
単調にチョップし続けるそのさまは、木魚を叩くかのごとしだ。
たまらず目を覚ました御言は、半開きの目を眠そうにしぱしぱする。それを確認した飛鳥は間髪入れずに問を投げかける。
「聞こうと思ってたことがあるんだけど、≪鍵≫をどこでどうやって手に入れたのか教えてくれる? ほんとはもっと早くに聞くべきだったんだけど、すっかり忘れてたわー」
「それ人が気持ちよく寝てるところを叩き起こしてまで聞くことか?」
「キミのプライベートとか、いまどうでもいいの。こっちは仕事でやってんの。早く答えてくれる?」
傍若無人な態度に一瞬だけ表情を苦くする御言だが、すぐに真剣な顔つきへと変わる。
そして一つ一つ出来事を思い返すように、なにもない宙空を見上げながら説明を始める。
「≪鍵≫を手にした経緯か……ちょっと複雑なんだが。
魔術師が召喚した水の怪物に指輪を盗まれて、それを追いかけていたら悪魔に操られたパイロキネシスの能力者が指輪を燃やしたんだよな、確か。
そしたら焼けたあとに青いリングが出現して、なぜか意識が乗っ取られて、いつの間にかそれに触ったと思ったら、それが≪鍵≫だった」
「ちょっとなに言ってるかわかんない」
「だよな……」
「もっとわかりやすく説明してくれるかな?」
「長くなるけどいいか?」
相手の都合を窺うというより、ただただ説明が面倒なだけというのが滲み出た顔でそう言うと、それに飛鳥が嬉しそうに返した。
「もちろん構わないよ。むしろキミの身に起きたことは子細に述べてほしい」
御言は大きくため息をついてから、面倒臭そうに説明を始め、それから全て話し終えるのに三十分もの時間を要した。
境界当日のエピソードに始まり、比奈に寄生した悪魔──ピノテレスの襲撃や、朝倉臥魔という得体の知れない医者。異世界イストリアから来たという魔術師との邂逅はもちろん、ナギハヤたちの情報までも飛鳥に渡してしまう。
全てを聞き終えた飛鳥は、
「なるほどね。大体の流れはわかったわ」
言ってから、おもむろに五個の指輪を取り出す。
「いま話してた指輪ってこれのことだよね? これが燃えたあとに≪鍵≫が出現した……?」
それは元々十個あった指輪で、本来は御言の持ち物のはずだが、いまは飛鳥が絶賛没収中。
そして、飛鳥は指輪を見せびらかしながら悪人のような笑みを浮かべた。
「残りも燃やしてみる? 面白いことが起きるかもよ」
「それはまじでやめてくれ。記憶を失う前の物だから、それがなんなのか俺も知らないが、大切なものだったら困るだろ」
「冗談だってば。私の一存で宝器を焼却するなんて、さすがにできないよ」
飛鳥は悪戯っぽくクスクスと笑っては、指輪をそそくさとポケットにしまい込む。
それからふと思い出したように御言に尋ねた。
「にしても、この短期間で事件に巻き込まれすぎじゃない? おかしくない?」
「そう言っているお前も、俺を事件に巻き込んだ犯人のうちの一人なんだぞ?」
「随分な言い草ね。こっちだって好きでキミのもとに来たわけじゃないんだけど」
嫌味たらしい口調で返してきた飛鳥に、御言のほうも不満そうに返す。
「そもそもお前は一体なにから俺を守っているんだ? ≪鍵≫を守らないといけないとか言っている割には、誰も襲ってこないじゃないか」
それに対し飛鳥は目をそらし、少々口ごもりながら、
「まあ……私もよくは知らないけど、そのうちイストリアから≪鍵≫を狙って刺客とか来たりするんじゃないの?」
「随分適当だな……」
もはや自信というものが全く感じられない飛鳥の返答を聞いて、御言は吹っ切れたようにテンポよく罵倒を並べる。
「大体なにが護衛役だ。現状ただの穀潰しじゃないか。おまけに性格にも問題がある。高飛車で独善的で……お前には人としての心がないのか?」
居候の割に普段から態度が大きい飛鳥の振る舞いに、御言の我慢はもう限界を迎えていた。
だが、言ったあとで御言はすぐに態度を改めた。
「いや……悪い、言いすぎた」
飛鳥の表情は明らかに暗い。いや、ひどくつらそうに見える。
涙を浮かべてはいないが、人生に疲れきったような活力のない目だ。
そして、飛鳥はその虚ろな瞳のまま御言を力なく睨むと、そのままなにも言わずに振り返って玄関へと歩みを進める。
咄嗟に御言が、
「えーっと、どこに行かれるのでしょうか?」
もはや言葉遣いまで変えて気まずそうに呼び止めようとするが、飛鳥の足が止まることはなく、彼女はそのまま御言の家から出ていった。
◆
物語の舞台は移り、ここからは魔法世界イストリアの話。
北大陸にある、海に面した小国家──ルドア皇国。その地下組織であるダモクレスの、≪夜≫というチームに所属するは、ディア・トラモント。
ルドアの紋章があしらわれた黒き装束、黒い髪、くまの目立つ虚ろな黒い瞳の青年。まるで世界の全てに対して失望してしまっているような表情からは、彼の人柄が十分に伝わってくる気がする。
ない者などいないほど知れ渡った名前。
逆に本名はおろか、組織内でのコードネームすらも一般には知られておらず、ただ魔剣を持って戦うという情報だけが拡散した結果、そんな通り名だけが浸透した。
ちなみに、ディアの所属する≪夜≫というチームは、術者殺し専門の師伐隊であり、魔法に長けた実力者を暗殺または実力で殺害することを生業とした一団だ。
国からの命令は絶対に従わなければならず、逆らえば処分されるし、用済みと判断されても処分される。そんな闇にまみれた組織。
命令は絶対。
そのとき彼が請け負っていた任務も例外ではない。
確実に標的を探し出し、始末しなければ自分が殺される。ディア・トラモントはそれを頭に置いて行動していた。
彼が身を潜めているのは赤砂で覆われた夜中の砂漠。その岩陰だ。
とある組織のリーダーの抹殺という王の勅令を受け、敵組織の基地の前で待機していた。
基地の規模はそれなりに大きく、砂漠の砂と同じく赤みを帯びた橙色の石造りの建造物は、砂丘のせいで遠くからではあまり目立たないが、近くから見た場合だと城や要塞のような迫力がある。しかし装飾がないうえに質素な造りなせいか、一世紀以上前の建物に見えてしまうのは否めない。
しかも見張りという見張りが一人も見当たらないせいで、むしろ古代の遺跡にすら見えてしまう。
だが、これでもその国では最先端の基地で、見張りが一人もいないのも別に警備が手薄というわけではない。
基地周辺にはいくつもの地雷呪術が複雑に仕掛けられており、それらは当然のように肉眼では確認できないようになっている。
まず突破するのは不可能と言っても過言ではない。
近づこうものなら、多段起動した術式によって体をズタズタに引き裂かれることになる。
だが、ディア・トラモントは見えない術式が張り巡らされた基地の周囲を一通り見回すと、思いきり地面を蹴って走り出す。
そのまま地雷原と化した砂漠の地面を幾度となく力強く蹴り、あっという間に基地の入り口の扉まで到達した。
本来なら触れた時点で体が弾け飛ぶ代物なのだが、彼にとってはハリセンほどの攻撃力も、網戸ほどの防御力も持ち合わせていないようだ。
さらにディアは、頑丈にそびえ立つ金属製の扉の前で空間に手をかざす。
瞬間、彼の目の前に二本の剣が出現し、それを両手に一本ずつ握る。
一本は刀身が真っ黒で、光を一切反射しない長めの直刀。護拳と鍔の形状からエペのように見えなくもない。
もう一本は心臓を模した赤いデザインの鍔を持ち、刀身が全て刃こぼれしきった禍々しいフォルムの刀剣で、鍔の部分が心臓のように脈打つ度に、伸びた管から赤黒い霧と黒い泥のような液体がこぼれ落ちている。
ディアは、最初に刀身の黒い刀剣で金属製の扉を斬り裂いた。いや、斬ったという表現は適切ではないかもしれない。
そもそも剣は腹を向けて横薙ぎにするように振られた。
そして、扉は音を立てることなく、黒い刀剣はただ扉をすり抜けただけで、刀身に触れた箇所は削り取られたように消滅している。
さらに二回三回と同様に剣を振りかざし、その度に金属の扉がぶつ切りにされていく。と、同時に男の悲鳴だ。
恐怖に震えるような声音で、誰かが叫んでいた。
まもなくして扉は歩いて通過できるほどボロボロに崩れ落ち、ディアはおもむろに基地の内部へと侵入する。
すると入り口付近にいた門番と思しき男が声を震わせながらディアに剣を向ける。
「き、貴様、よくも……一体何者だ?」
それにディアは低い声で、嫌悪という感情しか感じられないような口調で、
「侵入者に対して素性を聞いたところで、まともな回答が来るわけないだろう」
彼が独り言を言ったあと、門番の首が飛んだ。
ほとんど目に見えないほどの高速で、ディアによって刎ねられたのだ。もはやどちらの手に持った剣で斬ったのかすらわからない。それほどの速度だった。
男の体は力を失って崩れ落ち、切断部からは倒れたペットボトルのように赤い液体が止めどなく流れる。
それからディアは足元を見て納得したように、
「一人、扉と一緒に斬っていたのか、一石二鳥だったな」
と、またも独り言を呟き、足元に転がっていた別の門番のぶつ切り死体を、石畳の上を歩くみたいに平然と踏みしめながら建物の奥へと歩き進む。
先ほどの悲鳴を聞きつけたであろう男たちが数人、ディアの向かい側から歩いてくるが、ディアと目があった次の瞬間には、あっという間に距離を詰めたディアによってバラバラの肉塊へと変わっていた。
そして、気がつけばディアが右手に持った剣──心臓のように脈打つ剣の刀身が男たちの血で真っ赤に染まり、伸びた管から赤い霧を噴射し続けている。
ディアは剣の状態を一目確認すると、げんなりしながら、
「相変わらず気色悪い魔剣だ」
その禍々しく鼓動し続ける剣を天井の一点に向けて掲げる。
それは一瞬だった。
剣の先から赤い光が発せられたかと思えば、天井、壁、地面、ディアの眼前にあるあらゆるものが赤い光に食い潰されるように引き裂かれた。
瞬く間に建物の大部分は赤いガラスのように変質して砕け、赤砂の砂漠にはいくつかの瓦礫と、倒壊に巻き込まれて潰れ死んだ敵の魔術師と思われる肉塊が転がっていた。
しかし、ここまで徹底的な破壊をおこなっても、まだかろうじて息のある魔術師がいて、瓦礫の下敷きとなりながらも、必死に手を伸ばして助けを求めていたり、いくつか獣のうめ声のような音が聞こえたりもしていた。
ディアが手を伸ばしている人物の一人に接近すると、魔術師らしき男が希望でも見たような顔で助けを求めだした。
「頼む、手を貸し……」
彼の言葉はそこで止まる。
ディアは脈打つ魔剣を男の口内から心臓付近まで深く突き刺し、絶命させた。
さらに別の生き残りのもとにも近づき、殺し、また別の生き残りを探しては殺し……それを延々と繰り返していた。
その作業の途中で、ディアが身につけていた衣服の襟から、淡白な口調の青年の声が、
「やあディア、急用を頼みたいから今回の任務は放棄する。早く帰ってきておいで」
「それは本部の指令か? それとも王の命令か?」
「どっちでもないよ。僕の独断だね」
ディアは途端に顔をしかめた。
任務の無断放棄は、彼にとっては自殺するようなもの。低い声音のまま、強く反発した。
「死にたいならお前だけで勝手に朽ちろ。俺はダモクレスの使命を全うする」
そう言って襟につけたボタン型の通信機の電源を切って任務に集中する。
が、電源を消したはずの通信機から調子のいい青年の声が、
「まあ話は最後まで聞けって」
「またつけたな? 通信は俺からのみおこなう、最初にそう決めたのはお前だったはずだ。あまり無駄口が多いようなら、この通信機壊すぞ?」
ディアは依然として聞く耳を持たず、再び通信機の電源を切る。
しかし、またも青年の声が、
「アルテミスに会えるかもしれない」
その瞬間、ディアの頭から任務の二文字は消えた。
そのアルテミスという人物の名前はそれほどまでにディアにとって重要な人物の名だったからだ。
彼は感情的に聞き返した。
「どういうことだ? アルテミスはあのとき死んだはずだ。俺もお前も、ヨワリも……全員が見ていたあの場で死んだ」
普通なら死んだ人間に会えると言われても到底信じがたいが、このソーマという青年は魔法学に精通している。だからこそディアはソーマの言葉に耳を傾けた。誰よりも世界の真理に詳しい彼の言葉に。
そして、ソーマはまるで自分の趣味でも語るかのように少し早口になりながら熱く語りだす。
「それがエリシオンでエクトスフェイラを検出したんだ! 本来エリシオンは魔法が使える世界ではない。僕たちがあっちの世界に行っても魔法が使えないのはもちろん知ってるよね? なのにエクトスフェイラの検出とともにエリシオンの演算に介入できることが判明した。アルテミスが消えたあと、自分なりにエクトスフェイラという情報領域が齎すアスエゼルの変質について調べてみたんだけど……」
そこまで聞いたところでディアは急かすように彼の言葉を遮る。
「まどろっこしい話はいい、簡潔に話せ」
「そうだね、時間もないしサクっと言うよ。僕の観測結果ではエリシオンにいるシミズ・オトハという少女がエクトスフェイラを発生させていた。アルテミスと同じ情報領域を持っている可能性がある。君にはその少女を誘拐してきてほしい」
「それだけでいいのか?」
「いや、まだある。帝国騎士団のサーバーをハッキングしてたら、もう一つわかったことがあって、ツクヨミ・ミコトという少年がヴァーユの鍵という力を保持しているらしい。この鍵がなにに使われるのかまではわからなかったけど、重要なものなのは確かだね。
これは帝国との交渉に使えるかもしれないから、ぜひともツクヨミ・ミコトを殺して奪ってくれないかな」
少年を一人殺し、少女を一人誘拐する。
ディアはこともなげに言葉を返す。
「簡単な作業だ。本当にそれでアルテミスに会えるんだな?」
「あくまでも可能性だけどね……でもアルテミスが消滅した謎には迫れるよ。まあ詳しい話は君がこっちに戻ってきてからするよ」
今度は勝手に通信機の電源が落ち、そのときにはディアの決心は固まっていた。
彼は一目散に任務を放棄し、倒壊した基地を離れ、組織のリーダーの生死を確認することなくソーマの待つ隠れ家へと向かう。
以前の仲間──ディアにとって最も大切な仲間であったアルテミス。その彼女に会えるかもしれないという希望が彼を突き動かす。