もしもから始まる言葉
その日の御言は少し落ち着きがなかった。
授業中から休み時間まで、しきりに転校生の北条飛鳥に視線を移しては、お嬢様のような振る舞いに顔をしかめるばかり。
普通に見たら才色兼備の完璧美少女にしか見えないが、御言だけは飛鳥の気品ある振る舞いが偽りであることを知っており、そして彼女の本性に悩まされている。
飛鳥が御言の家に住み着くようになってからというもの、居候であるはずの彼女に容赦なくこき使われ、尻に敷かれる毎日が続く。
特に彼が気分を沈める要因となったのは就寝場所。
元々一人暮らしなのでベッドは当然一つしかなく、ほかに敷布団も持っていない。そのためどちらかは床で寝る必要があり、御言はこのところ硬いフローリングの上で就寝することを余儀なくされている。
御言はそんな諸事情を思い起こしながら飛鳥を横目で何度か見ては、その都度軽いため息を漏らす。
この様子を後ろの席から観察していた気怠げな目つきをした男子生徒──ナギハヤが茶化すように声をかける。
「なんだ月読、さっきから北条ばっかりチラ見して、まさか気があるんじゃないだろうな」
「断じて違う。誰があんな奴を好きになるかよ」
それにナギハヤは首を傾げる。
「どういう意味だそりゃ。まさか麗しの北条さんがあんなことやこんなことをしてるって言いたいのか?」
「お前がなにを想像したかは知らんが、俺が言いたいことは絶対に伝わっていない」
「でもお前がなにか思い悩んでるのはひしひしと伝わってくる。最近元気ないみてーだし、なにかあったんじゃねーか? 好きな子ができたとか、失恋したとか」
「恋愛の話から離れろ」
見当違いの追求に苛立ちすら覚えた御言だが、実際ナギハヤの言うように思い悩んでいるというのは確かだった。
しかも悩みの種は二つある。
うち一つは北条飛鳥の尻に敷かれている件だが、もう一つの悩みはナギハヤにも関係する話であり、また、彼にとっても重荷になることは間違いない。
ゆえに御言はこれまでその話をひた隠しにしてきた。
ナギハヤには話すべきではない……のだが、一人で背負い込むのにも限界が迫っていた。
「なあ隼人、もしも悪魔が元は人間だったって言ったら信じるか? ちょっとそんな噂を耳にしたんだが」
本当は噂どころか人間が悪魔に転生した瞬間を目撃していたが、彼はそのことを隠そうと言葉の最後に噂であると付け足した。
そしてナギハヤは真剣な面持ちでこう返す。
「元人間説か。一つの可能性としては認めるけどよ、それが真理であるとは思いたくないな」
「じゃあこれももしもの話だが、自分の知り合いが悪魔になって、しかも人間の頃と同じ姿だったとする……」
話している途中でナギハヤがその続きを予想し、
「なんだ、つまりあれか? 元知り合いだった悪魔と戦ったが、人間だった頃の記憶が脳裏をよぎっちまって、トドメが刺せなかったとかそんなだろ?」
悪魔と戦ったというくだりは的中していたが、決定的に違うのは御言はその元知り合いだった悪魔をバラバラに粉砕している。
つまり、御言にとって重荷となっているのは『倒せなかった』ではなく『倒してしまった』ことにある。
もし、悪魔になった越前を御言が倒したことをナギハヤが知れば、修羅場になることは間違いない。
御言はゴクリと唾を飲むと、無理に苦笑いしてなんとか平静を装う。
「深読みしすぎだ。これは《《もしも》》の話だぞ?」
「馬鹿野郎。悩みを抱えた人間が《《もしも》》のあとに続ける言葉ってのは、ほぼ百パーセント事実であると相場が決まってる。噂じゃなくて実際に見たんだろ? お前の知ってる奴が悪魔に変わるところを」
ナギハヤは御言が反応する前にズバリ言い当てたぞと満足げに笑む。
対して御言は肯定も否定もせず、ただナギハヤに対して、
「で……お前ならその悪魔とどう接する? ちなみに人間だったときの記憶はないものと仮定したうえで答えてくれ」
そう言って口を固く閉ざしてナギハヤの回答をじっと待つ。
ナギハヤも御言の緊迫とした雰囲気からその意思を汲み取り、深く追求するのをやめて自分の考えを述べる。
「人間の姿をした悪魔か。まー、自分の知り合いが悪魔になったとしても俺は気にしないかもな。たとえ昔の記憶が残ってなかったとしても、そいつの心を揺さぶって人間だった頃の記憶を取り戻させるさ」
その言葉で、御言の心にはどっしりと重石が乗っかったような重圧が加わった。
俺が越前を殺してしまったんだ。と、御言は誰に向けたのか心の中で叫ぶように激白するが、もちろん誰かにその言葉が届くことはない。
『二人でなんの話?』
ふと二人の間に割って入るように音羽が混じる。
そして音羽には悪魔やら超能力やらはひた隠しにしているので、ナギハヤは適当にはぐらかす。
「男同士の密談だ」
「ふーん、なんか悪魔がなんとかって聞こえたけど……」
「あー、アレだ。ゲームの話なんだ。そうだよな月読?」
顔色を窺うようにナギハヤは御言の顔を覗き込む。それに御言は呆れたようにため息をつき、
「あのなぁ、そうやって大袈裟に同意を求めると逆に怪しいだろ」
隠す気がないわけでもないが、思わず指摘せずにはいられなかった。
だが、二人の会話内容など音羽は最初から興味はなく、むしろ会話の腰を折ってでも切り出したい話題があった。
「楽しそうなところごめんね、御言くん今週予定あいてる?」
「なんだよ脈絡もなく……まあ、帰宅部だしめちゃくちゃ暇だな。というか暇じゃない日がない気がするが」
それを聞いて音羽は嬉しそうに声の調子を上げる。
「ショッピングモールが新しくオープンしたの知ってる?」
とても楽しそうに話す音羽を見て御言はその言葉の続きを把握した。
「もしかして一緒に行こうとかそんな話?」
「そんな話!」
元気よく笑顔で返す。
どこか強い信念すら伝わってきそうな音羽のお誘い。これには理由がある。
彼女はここ数日の御言を見て、転校生の飛鳥に対して好意を寄せているのではないかと懸念していた。そしてヤキモチを焼いた彼女は、なんとか御言の気を引こうと今回の策を講じたわけだ。
だが、それは無為に終わる。
少し離れたところにいたはずの飛鳥がいつの間にか御言の隣に来ており、
「私もご一緒してよろしいですか? この町に来てからまだお買い物には行けてなくて……」
どこぞやの金持ちのお嬢様のような上品そうな口調で横から会話に入る。
音羽にとって想定外の出来事だが、こうなることは御言にはわかっていた。
飛鳥は御言の持つ≪鍵≫を見張るために四六時中御言のそばにいなければならない。なので実質的に音羽が御言と行動をともにしようとすると、もれなく飛鳥もついてくるのである。
そして御言は飛鳥の願いを全て聞き入れなければならず、もし別行動をとろうと計らえば制裁を加えられることになっている。
よってここで御言は飛鳥の発言に助長しなければならず、
「そうだな、北条も一緒に行こう!」
嬉しそうに反応するという演技をしてまで飛鳥との別行動を避ける。
それは音羽から見たら御言が飛鳥に対して好意をいだいているように見えてしまう。
もちろんそんな事実はないが……
さらに御言はこの場にいるもう一人にも声をかける。
「そうだ隼人、お前も一緒に来いよ! 俺たちと一緒にショッピングしよう!」
と必死の御言。
それもそのはず。このままでは男一人、女二人のショッピングになるため、御言はとてもとても肩身が狭くなる。ここでナギハヤを誘わない手はなかった。
ナギハヤは嬉しそうに、
「おお! ダブルデートか! もちろん行くぜ」
かくして男女二組──もとい御言とその両手の花、そして部外者一名はショッピングに出かけることになった。
週末、四人はショッピングモールの前に集結した。
建物のフロアは三階までしか存在しないが、かといって小さなストアというわけでもなく、一つ一つのフロアはとても広い。
外から建物を軽く見回した御言は、半眼になりながら皮肉を言う。
「敷地の無駄遣いだよな。縦に伸ばしていっそデパートにしてしまえば、いまの十分の一くらいの面積で足りそうだ」
それに対し音羽が人差し指を立てて、得意げに解説を始める。
「甘いよ御言くん。エレベーターやエスカレーターといった縦の移動を最小限に抑えることで、お客さんの移動の便をよくして、お買い物しやすい作りにしてあるんです。だから横長なんです」
なぜか熱意のこもった口振りだ。いつもの控えめな音羽とは違い、今日の音羽はテンションが高い。
さらに音羽が続ける。
「ほかにもお客さん目線で考えて設計された箇所とか、面白い造りがたくさんあって、その主たる例が建物の形なんだけど、なんと建物全体が十字型に……」
解説しながら我先にと入店。
普段の様子からは想像できないほど熱の入った彼女の姿に、思わず苦い笑みを浮かべずにはいられない男子二人。
御言はやれやれと肩をすくめ、
「どれだけ今日のショッピング楽しみにしていたんだよ」
関心なのか呆れなのか、よくわからない感想を述べてから音羽のあとに続く。
入店後はしばらく普通のショッピングが続いた……というと語弊が生じる。
正確には四人とも所持金があまりなかったので、お店を見て回るだけ見て回り、自分たちの所持金でも買えるものに目星をつけていた。
なお、御言だけはお目当ての商品がすでに決まっていたので、いくらお店を見回ったところで意味はない。
そして、この偵察のようなショッピングは長くは続かなかった。
四人は偶然にも同じ学校の生徒と邂逅する。
ピンク色のセーラー服に丈の短いスカート、外側に大きく跳ねたクセの強い黒髪、そしてこれから初夏がやってこようという時期にもかかわらず、首には黒いマフラーが巻かれていた。
その少女──天河五十鈴は御言たち四人を見かけた途端、離れたところから手を振りながら大声で、
「やーやー、奇遇だね。キミたちもショッピングかい」
相変わらずの奇抜な言動。
もはや恥ずかしさゆえに誰も言葉を返さない。反応はといえば、音羽が苦笑しながら手を小さく振り返すくらいだった。
ナギハヤは嫌そうに苦い表情を浮かべる御言に小声で、
「誰だあの子?」
御言も声を潜めて答える。
「同じ月見ヶ丘高校の生徒だな。それ以上でもそれ以下でもない」
「なんでお前、すげー嫌そうにしてんだ?」
「いまにわかる……」
御言が答えた次の瞬間、五十鈴は体のバネを使って勢いよく跳躍し、店内に置いてある自販機の上に蹴り上がり、次に吹き抜けの手すりに飛び乗り、ベンチの上に飛び乗り……と、ぴょんぴょんとサーカスのような身軽な動作で御言たちの前まで移動してきた。
もはや出入り禁止にされてもおかしくない行動に、一同はただ言葉を失う。
そして五十鈴は御言たちの手前で両手のひらを顔の前で合わせて笑顔で頼み込む。
「実は友達とはぐれちゃったんだけど、一緒に捜してくれない?」
声のトーンが明るく、人にものを頼む態度には到底見えないが、御言が気になったのはそこではない。ましてや店内を飛び回っていたことでもない。
「お前にもちゃんと友達がいたんだな」
と皮肉を言う御言の隣にいる清水音羽も一応五十鈴の友人扱いなのだが……まあそれは置いておき、御言はなにか嫌な予感がしつつも相談に応じる。
「それで、そいつはどんなやつなんだ? お前の友達なくらいだ、特徴とかあるだろ」
やはり皮肉交じりだったが、五十鈴は全く気にしない。そもそも皮肉自体に気づいていないかもしれない。
「やったー、捜してくれるんだね。ありがとう! その人はね、フェネストラっていうんだけど、頭に角が生えてるのが特徴だよ」
やはりまともではなかったか。と御言は納得するとともにげんなりする。
一方の音羽はやる気満々の様子。
「頭に角が生えてる……? なんか面白そう。一体どんな人だろう、名前的には外国人? でも角なんて生えてたらすぐに見つかりそうだね」
五十鈴も嬉しそうに返す。
「フェネストラは日本人だよ。角はね、長いのが二本生えてるからすぐわかるはず」
宝探しでも始めるようなノリだ。
ナギハヤもそれに乗っかり、五十鈴に協力的な姿勢を見せる。
「よかったら俺も手伝うぜ」
「ほんとに?」
嬉しそうに聞いてくる五十鈴に、ナギハヤは気取ったような態度で、
「俺はナギハヤ。この町の事件を解決するために活動するエージェントだ。まあ、任せとけ」
「おお~、なんかすごそう」
「まず、そのフェネストラってのは人間じゃなくて動物のことだな。角があるということはそういうことだろ? 友達と言った手前、実はペットのことだったなんて……」
「ううん、人間だよ」
最後まで言いきる前にあっさり否定された。
だが、負けじとナギハヤは次の策を展開する。
「なら話は早い、俺が見つけてきてやる。悪いが、ここからは単独で動くぜ」
言って彼は行き先も告げずにみんなのもとを離れた。
ナギハヤが向かった先はインフォメーションセンター。要するにそこで館内アナウンスを流してもらい、直接本人を呼び出そうという算段である。
一方、五十鈴は御言たちを巻き込み、はぐれた友達を探すかと思いきや、数分後には洋服店で楽しそうに商品を物色していた。
それに御言は呆れながら、
「お前な、友達捜すって話はどこに消えた」
「それはだね……いままさに買い物しつつも捜しているのだよ」
と言っているものの、特に捜しているような素振りはない。いや、確かにさっきまでは捜していたのだ。さっきまでは……
ふと五十鈴は商品を二つ手に持ってそれを御言に見せる。
「花柄とこの変な柄、どっちがいいと思う?」
御言は悩むことなく即答する。
「なんですでにマフラー巻いてるのに、また追加でマフラーを買おうとしているんだお前は。それにこれから夏だぞ?」
それに答えるのは音羽。
「御言くん知らないの? これは夏用のストールだよ。いま五十鈴ちゃんが巻いてるのは冬用のマフラー。全然違うものだし、あと色も真っ黒で五十鈴ちゃんの雰囲気に合ってないから、五十鈴ちゃんに合ったデザインのストールを買うんだよ!」
続けて五十鈴が、
「さーさー選んで選んで、私に似合うやつ」
フェネストラなる人物を探していたはずが、なぜこうなったのか。と御言はトホホと肩を落とした。
その頃ナギハヤは、フェネストラを見つけるべくインフォメーションセンターに来ていたが、なんの因果か彼は見知った顔の少年と鉢合わせしていた。
「お前……越、前か?」
おそるおそる話しかけ、それに相手の少年は感情のない声音で事務的に言葉を返す。
「僕のことを言っているのなら人違いだ。なぜなら僕はフェネストラだからだ」
耳の後ろ辺りから甲殻類の腕のような形の角が生えた少年。そしてフェネストラという名。まさしく五十鈴が探している友人で間違いない。
アナウンスで呼びかけてもらうまでもなく、探し当てることができたはいいが、その少年の容姿は服装を除けば彼の知る越前月光その人なわけで、
「いいや、その顔にその声はどう考えても越前だろ。なんでそんな変な格好してんだ、眼鏡はどうした? その角とマントはなんだ? コスプレか?」
それに対しフェネストラは終始無表情で、やはり感情のない言葉を浴びせる。
「いきなり話しかけてきたかと思えば容姿を愚弄するか……それは敵意を向けているとみていいのかな?」
虚ろで冷たい真っ赤な瞳を向けられて、ナギハヤは思わずたじろぐ。
越前はコスプレをするような人間ではない。ましてや悪ふざけをするような不真面目さもない。それはずっとともに行動していたナギハヤが一番よくわかっていた。
ならばこのありさまはどういうことなのか。
そこでナギハヤはいつぞやに御言に言われたもしもの話を思い出す。
──もしも悪魔が元は人間だったって言ったら信じるか?──
そのときの御言の問に対し、なんとも愚かな回答を出したことをいまになって自嘲するナギハヤ。
そして彼の目の前にいる変わり果てた姿の越前を、もはや越前だと思うことはできず、底知れないプレッシャーにただただ恐怖していた。
すでに存在からして異なるのだ。ナギハヤには人間を相手にしているという感覚はなく、未知の脅威が迫っているような重圧感だけがあった。
「悪い……人違いだわ、ちょっと知り合いに似てたんでな」
自分の身に危険を感じ、怯えた口調で謝るが、フェネストラの赤い瞳はナギハヤをじっと見据えたままで、慌てたナギハヤはもう一言付け足す。
「そ、そういや、マフラー巻いた女の子がお前のこと探してたぞ」
するとフェネストラはなおも冷たい眼差しを向けたまま、
「天河……あいつ、勝手にどこか消えたかと思えば、自力での合流を諦めて第三者を使ってきたわけか。案内しろ」
逆らうと殺される、そう思わせるような冷ややかな口調。
ナギハヤは心の奥底から湧き上がる畏怖により、フェネストラの言うとおりに動くしかなかった。
電子メールで位置情報を共有し、仲間との合流まで首尾よくこぎつけるが、エントランスにてほかのみんなと合流したナギハヤは理解しがたい光景を目の当たりにする。
ナギハヤに追随していたはずのフェネストラは御言を視認した途端、人間の動体視力では到底追えない速度で十数メートルもの距離を一瞬で駆けた。
ナギハヤの視点では、背後からF1カーが追い越してきたように見えていただろう。それほどまでにフェネストラの身体能力は常軌を逸していた。
気がつけば胸倉を掴まれた御言が軽々と片手で持ち上げられ、建物の柱に押しつけられている、そんな状況。
フェネストラはいつの間にか片手にガラスで作られた剣を握っており、それを高らかに振り上げると、感情の死にきった声音で、
「やられたらやり返す、それが僕の信条だ」
言葉とともにその剣を振りかざす。
刹那、切断された腕が宙を舞ったかと思えば、その腕が握っていたガラスの剣を残し、腕本体は宙空で煙のように霧散して消滅。結果、ガラスの剣だけが店の床に落下し、衝撃で粉々に砕け散る。
エントランスに耳をつんざくような不快な音が響く中、北条飛鳥はそれを気にとめることなく、赤みがかった長い頭髪を靡かせながら光り輝く刀剣を構えていた。
腕を切断されてもなお顔色一つ変えないフェネストラは、感情のこもっていない瞳で飛鳥を睨む。
「誰だい君、邪魔する気? この男は僕の肉体を三度にわたり損壊させた。僕にはこの男を壊す権利がある」
飛鳥はお嬢様キャラとは程遠い、高飛車な態度で突き放すように返す。
「それ誰が決めた権利?」
「無論、ほかの誰でもない僕だ」
すると飛鳥は薄く笑みを浮かべ、
「なら、私も自分で権利を定めることにするよ。キミを殺す権利をね」
そう言ってフェネストラのもう片方の腕を光の刀剣で切断する。
フェネストラの腕が消滅し、胸倉を掴まれて動けずにいた御言は自由の身に。
そして御言の口から真っ先に出たのは、
「あのとき死んだはずじゃ……生きていたのか」
「生憎、あの程度で死ぬほど羸弱ではない」
「そういや、悪魔は核を破壊しないと死なないんだったな」
「僕たち悪魔は核さえ残っていれば死なないし、個体差はあれど再生能力も備わっている。僕の場合は手足程度なら瞬時に再生できる。便利なものだ」
言いながらフェネストラの腕が衣服とともに元通りに生成され、その腕でエントランスの一面に張られた巨大なガラスの壁に触れる。
すると、ピキピキと音を立てながらそのガラスの中心から徐々に不規則な亀裂が刻まれていく。
「これほど巨大なガラスなら相当量のエネルギーに置換できる……いまに見ていろ、二人とも粉々に砕いてやる」
亀裂は徐々に広がっていき、そして……
『こら!』
天河五十鈴がフェネストラの頭頂部に軽くチョップを当てた。
「人を傷つけるのも人に迷惑かけるのも禁止!」
怒られたフェネストラは反抗する素振りを一切見せずに、
「承知した。許可が下りるまでは他者に危害を及ぼす行為はおこなわないようにする」
大人しく五十鈴の指示に従い、さらには御言のことなどもはやどうでもいいと言わんばかりに会話を展開する。
「ところでその手荷物はなんだ、一体なにを買った?」
すると五十鈴は自慢げに紙袋をフェネストラにチラつかせ、
「これはね、御言くんに買ってもらったんだよ。変な柄のやつ」
「まったく理解できない。わざわざ人に借りを作るなんて……僕なら必要な商品は全て力づくで奪う」
「それ犯罪だよ。ちゃんとお金払わないとダメ」
などと平和に会話を続ける二人に向かって御言が、
「待て、なんでお前ら仲よさそうなんだ?」
それに答えたのはフェネストラ。
「お前に肉体をバラバラにされたあと、僕の肉体は限界を越えていたのか再生能力が機能しなかった。だけど、そんなボロボロの肉体を再生してくれたのがこいつだ。やられたらやり返すのが僕の信条でね、恩返しの一環で行動をともにしている」
と、無表情かつ無感情に返され、五十鈴への感謝の気持ちが微塵も感じられない態度に御言は表情を苦くする。
そして、これまでの一連のやり取りを見ていたナギハヤは、御言と越前の間に起きた出来事をある程度察した。そして厳しく御言を問いただす。
「お前がこの前言ってたのはこのことなんだろ? 越前が悪魔になったことを知ってて隠してたな」
御言はナギハヤから視線を逸らしつつ小さく呟くように、
「教えたところで誰も得しないしな」
それにナギハヤは激昂する。人目を顧みずに声を大にして、
「ふざけるな! 越前はな……あいつは高校が始まる以前の知り合いで、意気投合した仲なんだ。俺にはあいつの身になにが起きたのかを知る権利がある。もし方法があるなら人間に戻してやらないといけないしな」
御言一人に向けて浴びせられた言葉のはずだが、その場にいた全員にハッキリと聞こえる声量だった。
そしてこれに反応したのは飛鳥。
お嬢様キャラではなく冷たい口調で、
「悪魔を人間に戻す方法なんてないよ」
急に口を挟んでくる。
ナギハヤは飛鳥の様相の変化に戸惑って言葉を失い、そのまま飛鳥が淡々と続ける。
「基本的に悪魔っていうのは死んだ人間と同じ姿をした魔法生物のことだから、素体となった人間とは根本的に別の存在だよ。越前だっけ? その人はもうすでに死んでる。残念だけどね」
それを聞いてなおもナギハヤは絶句していた。あまりにも平然と友人の訃報を告げられ、しかも悪魔などとは無縁だと思っていた北条飛鳥の口から聞かされたため、もう彼の頭の中は混乱していた。
『すでに死んでる』
ふと音羽が小声に出して飛鳥の言葉を復唱する。さらにどこか上の空な様子でぼんやりと宙空を眺めながら、
「すでに……死んでる……」
無心で言葉を重ねる。
このままここで言い合うべきではないと判断した御言は、慌ててナギハヤにだけ聞こえるように小声で、
「越前のことは今度話す。いまここで色々話すのはまずい……清水がもろに聞いてるし、警備の人も来たみたいだし」
そう言う御言の目線の先には警備員とみられる男性が二人ほど。
たくさん人がいる中、ガラスが砕け散って騒ぎにならないわけもなく、警備員二名は御言たちのほうへと真っ直ぐ近づいてくる。
御言は急かすように声を荒げ、
「捕まると面倒だ、逃げるぞ」
ぼーっとしたまま突っ立っている音羽の手を取り、出入り口へと走る。
飛鳥とナギハヤも追いかけるように続き、五十鈴とフェネストラだけがその場に残る形になった。
そして警備員に事情を聞かれた五十鈴は正直に全て答えたが、警備員から正気を疑われたのは言うまでもない。
一方、ショッピングモールから逃げ出した御言たちは、それぞれの家に帰るべく帰路を歩いていた。
御言もナギハヤも越前の話は避けていたが、やはりというべきか音羽は話さずにはいられなかった。
「さっきの話なんだったの? 悪魔って絶対ゲームの話とかじゃないよね……」
誰も答えない。
音羽が一人で続ける。
「なんか危ないことに首突っ込んでない?」
やはり誰も答えない。
ただ御言とナギハヤが互いになにか答えてやれよ、とアイコンタクトを飛ばし合ってはいるが、二人とも返事を出せずにいた。
次に音羽は飛鳥に向かって、
「飛鳥ちゃんも関係してるんだよね……? もしかしてこの中で私だけ仲間外れだったりする?」
それには飛鳥がいつものお嬢様口調で、
「いえ、私にもなんのことだか」
抜群な演技力を発揮してしらを切るが、フェネストラとの戦闘を見られたあとではどれほどはぐらかそうとしても無意味だろう。音羽から隠し通すなど不可能だと言える。
音羽は半眼になって、
「え? さっき悪魔はどうのこうのって説明してたよね?」
「そんなこと言ってたかな?」
なおもしらばっくれる飛鳥に、音羽は首を傾げ、
「私がおかしくなっちゃったのかな……」
ついには自分を疑い始めた。
前言撤回しよう。相手が音羽なら隠し通すのは不可能ではないようだ。
そして頭の中がもやもやしたまま、音羽は御言たちと別れることに。
「ごめん、私の家あっちだから、また学校で……じゃあね」
本人は終始不服そうに別れを告げ、御言は内心ほっとしながら彼女を見送った。
音羽がいなくなると、すぐさまナギハヤからの質問攻めが始まる。
「んで、越前が死んだってどういうことだ! それに北条は一体なんなんだ? なんで悪魔のことを知ってる? あと聖剣みたいなのぶん回してただろ? さあ答えろ、俺の質問に全部答えろ、さもなくば冷凍庫の刑だ」
御言は気圧されながらに、
「落ち着けって……ていうか冷凍庫の刑ってなんだよ」
ナギハヤの勢いは収まらない。
「越前はいつ死んだんだ? あいつは病室で眠っていたはずだぞ、誰かに殺されたのか?」
ぐいぐいと迫ってくるナギハヤに、御言は話さざるをえなかった。はぐらかすことなどできやしなかった。
全てを、あの日起きた出来事、越前がピノテレスに支配され、そのピノテレスの道連れによって死んだこと、直後にフェネストラが誕生したことを全て伝えた。
そして全てを知ったナギハヤは、悲しむわけでもなく、怒るわけでもなく、ただ寂しそうに笑みを浮かべ、
「北条……確かお前、悪魔が元の人間とは一切関係ないみたいなこと言ってたよな?」
飛鳥は黙ったままなんとなく表情で肯定し、それを確認したナギハヤが続ける。
「俺は信じねーぞ。さっき見た《《越前》》は確かに俺の知ってる越前だ。最初は別人にしか思えなかったが、俺は確信したんだ」
遮るように御言が否定する。
「おいおい、話聞いてなかったのか? 越前が死んだのは間違いない。俺がこの目で確認したんだ」
だが、ナギハヤは止まらない。
「いいや、間違いなく越前だ。あいつは昔から貸し借りを気にする奴だったし、いっつも無愛想で不貞腐れた奴でもあった。俺たちのことを忘れてるだけで、《《ここ》》はちゃんと越前のままなんだよ」
言いながら自分の胸を──心を指し示す。
別にナギハヤは適当にものを言っているわけではない。
越前との付き合いは御言よりもナギハヤのほうが圧倒的に長く、そんなナギハヤだからこそ根は越前と変わらないと言いきれるのである。
越前が悪魔になったと知って最初は恐怖したナギハヤだったが、いまは違う。
彼に元の越前としての心を取り戻させ、また一緒に≪月の影≫として活動する。そんな決意を胸に、これからのことを前向きに考えていた。