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月に咲くプリムローズ  作者: 音無哀歌
プロローグ
12/17

覚める者と眠る者

挿絵(By みてみん)


 全方位どこを見渡しても同じ景色が広がり、青空と水面が地平線の果てまで続く、まさに幻想と呼ぶに相応しい広大な空間に、清水音羽がポツンと立っている。

 彼女は青空の下で表情を曇らせて、

「大丈夫、この記憶はまだここに残ってる」

 そう呟き、足元の水面ギリギリを浮遊する直径二十センチほどある漆黒の八面体を、活力のない細まった瞳でぼんやりと見つめる。

『ずっと自分を騙し続けるの?』

 突如声が響いたかと思えば、音羽の眼前で金色に輝く光の粒子が集約し、やがて純白の衣装に身を包む少女へと変容する。

 燃えるような赤い瞳に金髪セミショート。頭の上には輪っかが浮かび、背後には羽の形をしたオーラが広がっていて、その姿は天使を彷彿とさせる。

 彼女は無表情のまま無機質な口調で言う。

「別に非難するつもりはない。けど、その決断は間違い」

 それに音羽は悲しみを吐き出すように感情をぶつける。

「どうして? 御言がいなかったら私は一生立ち直ることができなかったかもしれない。私にとって御言だけが唯一の心の支えだったんだよ。だから……この決断は間違ってない」

 イヴと呼ばれた少女は首をゆっくりと横に振り、それを否定する。

「ううん、あなたが選んだ道は本来進むべき道じゃない。そもそも前に進んですらいない。あなたは正しい道を選び直さないといけない。半身じゃなくて一人の人間として」

「なにが間違ってるっていうの? 私の進むべき道ってなに?」

 音羽が嫌悪を露わにし、重圧をかけるような低い声音で聞き返すが、イヴは気圧されることなく、彼女の目を真っ直ぐ見て、

「とある国の王が、全ての人間が幸福でいられる世界を築こうとしてる。誰も悲しまない、誰も争わない、誰一人死なない優しい世界」

「なんの話?」

 脈絡もなく始まった話に音羽が困惑するも、イヴは構わず話を進めていく。

「全てが人間のために存在してるその理想郷には終焉という概念がない。でも、それは世界の創造主が望んだ秩序じゃないの。誤った秩序は管理者──天使によって消去される」

 それを聞いた少女は訝しむようにイヴ──天使のような外見をした彼女を睨む。

「その天使ってあなたのこと?」

「ううん、いま言った天使というのは、わかりやすく言えばオトハ、あなたのこと。このまま行けばあなたは世界を消してしまう」

「え、私……?」

 突拍子もない話に加え、予想外の返答に音羽は先ほどまでの怒りを忘れ、ただ戸惑う。

 だが、彼女は自らが特異な存在であるという事実を予てより知っていた。イヴから告げられた言葉も全く理解できないわけではない。

 少し心を落ち着かせたあとで、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「確かにあの日、現実を受け止められなくなった私は消して(・・・)しまった。みんなの記憶や、私自身の感情を……でも、世界を消すなんてそんなことは絶対にしない」

「オトハは天使そのものじゃなくて、正確にはその器。いつか自分の意思とは関係なく世界を消すことになる」

「なら、簡単な話だよ。私が消えてしまえば……」

 音羽が迷いもなく出した解決策。普通の人間ならそう簡単に口にできる言葉ではないが、彼女はむしろそれを望んでいるかのようだった。

 しかし、この提案は一蹴される。

「それは意味がない。その時が訪れたらオトハが死んでいようと終末の天使は顕現する。だから、世界を救うためには終末の天使の力を利用して再生の車輪を削除するしかない」

「再生の車輪?」

「理想郷を作り出すテクノロジーのこと。それがある場所までは私が道筋を作る。オトハは再生の車輪を視界に入れて認識するだけでいい。それだけで削除できるから」

「それがさっき言ってた私の進むべき道?」

 イヴは頷くと、それに付け足すように、

「そのためには、まず彼を解放しないといけない。彼も道標(みちしるべ)の一つだから」

 そう言い残し、彼女の体は細かい光の粒子となって霧散した。

 世界を救うために音羽に課せられた使命は、とあるモノを見るだけ。それは言葉では簡単に聞こえる。だが、それがどれほど困難な道のりであるか、今の音羽は知る由もない。

 一人残された音羽は足元に浮遊する黒い八面体に再び目を向ける。

「どうして、この世界は私から大事なものを奪っていくの?」

 掠れるような声が広大な青空へと消えていく。

  ◆

 幽霊都市郊外に、周囲の建物よりも数階分高い雑居ビルが一棟だけ顔を出している。

 壁面は黄ばんでいて、窓ガラスは中が確認できないほどの汚れっぷり。とても長い間放置されていた建物であるのが窺える。

 一階のロビーには音羽の姿があり、横長のソファーに腰かけ、開きっぱなしの出入り口をじっと見つめたまま動く気配がない。

 しばらくして、その出入り口を通ってビル内に一名の異質な人物が上がり込む。

 身の丈は小学生くらいで、顔つきや体型は女の子そのものだが、肌は炭のように真っ黒で、体からトゲが生えていたり、左腕が大きなドリルのような甲殻になっていたり、その姿は到底人間とは思えない。

 音羽は何度か目をパチパチとさせて驚きのあまり固まっていた。

 すると、その真っ黒な少女が屋外に向けて元気に、

「私の案内はここまで! ご主人様は上だよー」

 と言ったあと、その声に続くように三人の少年少女がぞろぞろと屋内に入り、音羽はその内の一人を視界に入れた途端に態度を急変させた。

 飛び跳ねるように立ち上がってから、その人物のもとに駆け寄る。

「御言! おかえり!」

 その喜びようは凄まじく、なにか特別な感情が入り混じっているとしか思えない。

 対照的に御言は淡白で、いつもと違う音羽の様子に少し戸惑いを見せたものの、特にそのことには触れずに気丈に返す。

「無事だったか。ここにいるってことは、朝倉に連れてこられたんだろ?」

 再会を喜ぶ気配のない御言との温度差に音羽は意気消沈し、それまでの興奮はどこに行ったのか、感情を抑えて冷静に答える。

「うん。危ないから避難するとしか言われなかったんだけど、なにがあったの? いきなり真っ暗になっちゃうし、空には変な城みたいなの浮かんでるし、まるであの日みたい……」

「あの日?」

 聞き返され、はっと慌てる音羽。

「あ、うん。実は私、記憶が戻っちゃったみたいで、いま起きてるのが境界の日に見た光景と同じだったから……」

「そういえば俺も記憶が戻ったはずなんだが、境界の日の記憶だけはなぜか曖昧で思い出せないんだよな……なんでだろうな」

 それを聞いた音羽は一気に熱を取り戻し、期待の眼差しを御言に向ける。

「ほんと⁉ 御言も記憶戻ったの?」

「多分俺たちだけじゃなくて全員が記憶を取り戻しているはずだ。エイルのおかげでな」

「じゃあ、あのときのことも思い出した?」

「あのときって、どのときだ?」

「え……っと、あのときだよ? お寺で……」

 全く心当たりがなさそうな反応に、段々と元気を失っていく音羽。

 しかも御言は会話に興味を示す様子もなく、会話の途中であるにもかかわらず階段のあるほうへ向かう。

「悪いがいまは思い出話に浸っている場合じゃない。早いところ朝倉の奴と合流したい」

 冷たくあしらい、音羽の横を素通りして階段を早足で上がっていく。

 音羽は寂しそうに瞳を歪め、訴えるような目で御言の背中を黙って見送った。

 この一連のやり取りをそばで見ていたエイルが、音羽の眼前に顔を出し、ほかの人に聞こえないように小声で、

「緊急事態らしいので、御言さんも余裕がないんですよ。お寺で音羽さんに告白したことなら、本人も絶対憶えてるはずです。大丈夫です!」

 と、励ました途端、音羽が顔面を赤く染めて悲鳴のような声を上げる。

「なんで知ってるの⁉」

 エイルは『しまった』という顔でオドオドしながら、小声のまま説明する。

「夢鏡の空で記憶を閲覧してしまいました。その……ごめんなさい。勝手に覗き見るつもりはなかったんですが、自分の意思とは関係なく見えてしまったんです……ごめんなさい」

「え、どういうこと? 他人の記憶が見えるの?」

 さっぱり理解できない音羽はさらなる説明を求めるが、それは飛鳥の発言によってかき消される。

「ほら、なにやってんの。ここにいても仕方ないから、キミたちも上がるよ」

 そう言って二人を急かすと、先行して階段を上り始める飛鳥。

 エイルは真っ先に返事をして、その場から逃げるように彼女についていく。

 最後に残った音羽も慌ててついていこうとするが、ふとした疑問により中断される。

「そういえばさっきの黒い子供は……」

 最初に入ってきた黒い子供がいたはずの場所に目を向けるが、すでに姿はなく、荒れ果てたロビーだけが視界に広がる。

「ま、いっか」

 言葉とは裏腹に、納得しきれていない顔で皆のあとを追いかけた。

 場所は八階のフロアへと移る。

 そこには椅子や机といった基本的な家具すらなく、ただの四角い空間に十数名もの人間が集い、なにやらザワついている様子。

 彼らは下の階から上がってきた御言たちに関心を示さず、終始部屋の隅にいる大柄の人物に意識を向けていた。

 その人物は真っ黒なローブに身を包み、顔を鉄仮面で覆っているという怪しさ満点の姿をしており、皆が注目する中、なんとも奇妙な声を発する。

「初めからこの世界にそんなものはないよ」

 まるでボイスチェンジャーで変換したような非生物的な声質。

 それに言葉を返したのは、祭服とスーツをかけ合わせたような衣装に身を包み、口にタバコを咥えた金髪の男。御言とも面識があるグリフィス・ブラウンという人物だ。

「俺たちの探してたものが始めから存在しない? そんなバカな話あってたまるか」

「全部嘘だったんだよ、キミたちを利用するための、ね」

「冗談だろ?」

 集まっていた者たちは一斉に声を荒立て始める。

『どういうことだリーダー⁉ 説明しろ』

『私たちはイストリアに帰れないのか?』

『一体なんのためにいままで宝器(パンドラ)を探してきたんだ……』

 と、怒号が飛び交うが、リーダーと呼ばれた鉄仮面の人物は黙りこくったまま。

 グリフィスは自分の真横に立つシルクハットをかぶる男に向かって、

「どうしてそんなに冷静にしてんだ? お前からもなにか言ってやれ、バルケッタ」

 熱い感情をぶつけると、バルケッタと呼ばれた男はその青い瞳でギロリと室内を一瞥し、全員が聞き取れる声量で淡々と告げる。

「簡易な術式での空間転移を可能とするルルディロムの光孔(こうこう)。そんなものをいくら探してもこの世界にはない」

「なに言って……お前から聞かされたんだぞ俺は。ルルディロムの光孔(こうこう)さえ見つければイストリアに帰還できると」

「だからその情報が嘘だと言っている」

 グリフィスは理解できないという顔で硬直する。

 騒然となっていた場がたちまち静まり返り、飛鳥はその静寂を見逃さなかった。

 バルケッタに向かってスタスタと詰め寄ると、

「ちょっと朝倉、どういうことか説明してくれる? いつの間にか姿消したかと思ったら、こんなところで集会開いてるし」

 両手で黒いスーツの胸ぐらを掴み、驚いた御言とグリフィスが同時に、

『朝倉……?』

 口をポカンとあける。その様子を横目で見た飛鳥が、男の胸ぐらを離し、今度はシルクハットを掴み取って床に投げ捨てた。

 すると男は動揺することなく胸ポケットから取り出したサングラスをおもむろにかけ、先ほどと異なる声、胡散臭い剽軽(ひょうきん)な感じで御言とグリフィスに向けて言う。

「ええ、私です、朝倉です」

 グリフィスは目を丸くしながら問いただした。

「お前、あんときの怪しげな教師か。顔はともかく声や仕草まで真似されちゃ気づけねえな。おい、本物のバルケッタをどうした?」

「ここです。あなた方の知るバルケッタ・カヴールも私です。この顔はとある勢力に広く知れ渡っていたので、変装したほうがなにかと動きやすかったのです」

 朝倉はそこで一度区切ると鉄仮面の人物の横へ移動し、

「そして皆さんがリーダーと呼んでいた者の正体ですが……」

 指をパチンと鳴らす。

 瞬間、鉄仮面が重力に従って床に落ちる。

 仮面の下は黒く平らな物体で覆われていて、依然素顔は見えないままだったが、直後にその黒い物体が縦に割れ、変幻自在に形を変えながら見る見るうちに体積が減っていく。

 大柄だったはずの体からは想像もつかないような細腕の少女が姿を現し、体に取り巻いていた黒い物体は首周りに収束してマフラーへと形を変える。

 真の姿が明らかとなって、一番に驚いたのは御言だった。

「お前はあのときのマンホール女……だよな⁉ その髪はどうした」

 毛先がクルンと跳ねたセミショートにセーラー服、一見すると天河五十鈴だが、髪は以前と異なる鮮やかな撫子色で、瞳の色も虚ろな赤だ。

 容姿に差異があるものの、彼女はいつもの調子で手を大きく挙げて御言との再開に喜々とする。

「やーやー、久しぶりだね。魔法使えないけど魔法使いのリーダーやってるよー。髪はね、学校行くときはアルジラに黒く染めてもらってたんだよ」

「アルジラ?」

 朝倉は五十鈴を差して言う。

「彼女たち(・・)は悪魔です」

 清々しく言い放たれた事実に、皆が動揺を隠せない。

 しかし、朝倉は大したことは言っていないと言わんばかりの平静さで続ける。

「名はそれぞれカンパニュラとアルジラ。少女のほうがカンパニュラで、首に巻かれているマフラーがアルジラです。これまで二人一組で得体の知れない怪しい人物として振る舞わせておりました」

 一気に騒々しくなる魔術師たち。その中でも特にグリフィスは頭に血が上っていた。

「俺たちはずっと悪魔の指示に従ってたって言うのか? しかもこんな能天気そうなガキにか?」

「後半は少し違いますね。あなた方への指示は全て私が出したものです。彼女は言わば私の代弁者に過ぎません。ちなみに、悪魔の指示に従っていたという部分に関しては私自身も悪魔なのでその通りでございます」

「お前も悪魔だと……? なんの冗談だ? 目の色だって青色だっただろ」

 指摘された朝倉はニヤけた表情を浮かべたままサングラスをずらす。

 さっきは青かったはずの瞳の色は、悪魔特有の虚ろな赤へと変わっていた。

「悪魔かどうかを瞳だけで判断するのは早計ですよ」

 再びサングラスをかけると、今度は声音を低くして、

「さて、人員も揃ったようですし説明致しましょう。これまで魔術師の皆さんに宝器(パンドラ)を集めさせていたのはほかでもありません。実はルルディロムの光孔(こうこう)ではなくパラログの結解戟(けっかいげき)と呼ばれる別の宝器(パンドラ)がどうしても必要だったからです。先日オーケストラ部隊の方々に発見していただいたのですが、子細あって彼女たちはこの世界から消滅……まあ、この話はややこしくなるのでやめましょう。今はご無事のようですので」

 そう言って彼が向けた視線の先には、揃って臙脂色の服を着た金髪青眼の少女三人組がおり、自分たちの功績をアピールしているのか、Vサインを披露していた。

 朝倉が続ける。

「単刀直入に申しますと、これから降魔殿へ向かい、ルキフェルを討伐します。そして、この作戦が無事に終わり次第皆さんをイストリアに移送することを約束しましょう」

 穏やかな口調で告げられる一方、魔術師たちは半狂乱になっていた。

『ルキフェル討伐だって⁉ 私はまだ死にたくない、さっさと俺たちをイストリアに還せ』

『悪魔の言うことを信じられるか、どうせ約束なんて破るんだろう?』

『いままで俺たちをいいように使いやがって、誰が手を貸すかボケ』

 何人かが朝倉に向けて罵詈雑言を浴びせ、それに朝倉は眉をピクリと動かす。

「ロリカステル、この方々を黙らせてください」

 誰かに指示するようにそう言った次の瞬間、騒いでいた者たちが一斉に力を失ってその場に倒れた。

 意識を失った様子はなく、ただ体から力が抜けて床に崩れただけのように見える。

「これより、お利口に話が聞けない方は、こうなります」

 その一言で、魔術師たちは混乱し、反抗の意思を失う。

 そして、皆が大人しくなったのを確認した朝倉は、次に御言へと顔を向ける。

「それとですね、今作戦において月読くんが最も重要な役割を担っていると言っても過言ではありません。というのも、可能ならば彼にルキフェルと戦ってもらおうかと」

 当の本人が反応するまでに数秒間ほどの間があく。

 まさか自分の名前が挙がるとは思ってもいなかったようで、御言は人差し指で自分の顔を指差しながら聞き返す。

「え⁉ 俺……? なんで俺なんかが重要になる? そのルキフェルってのがなんなのかも知らないんだが」

「そうですね、時間がないのでざっくりと説明します。ルキフェルは百年以上前に存在したイストリアの最上級悪魔ですが、現在は幽霊都市上空に浮かぶ降魔殿に封印されています。なので……」

 説明の途中だったが、御言がそれを遮る。

 内容に不満をいだいたのか、文句たらしく言い返す。

「待て待て、最上級悪魔? この前、その辺の悪魔に殺されそうになった俺だぞ? 完璧に人選ミスだろ。大体そんな異世界のヤバい悪魔をなんでわざわざこの世界に、しかも街の上空に封印したんだ?」

 すると朝倉は片手でサングラスを上に持ち上げ、虚ろで真っ赤な双眸を露出させ、感情のない瞳で御言を睨む。

「どうやら月読くんも、この埃かぶった床に横になりたいようで……」

 そう告げて、依然として床に倒れ伏す魔術師たちへと視線を移す。

 この一連の所作に、御言は途端に物腰を低くして、

「わ、悪かった。話を続けてくれ」

 手をバタつかせて謝罪の意を示す。

 朝倉はそれを見てニヤついた。

「冗談ですよ。そもそも月読くんは能力の干渉を受けないので、ロリカステルの邪器(サタラ)で倒れることはありません。今回の作戦であなたを起用したのもそれが理由です」

「干渉を受けない? 能力をコピーする以外に、無効化する力も持っているのか俺は」

「いえ、本質的には同じ力です。力を複製したうえで元の能力に耐性を持つ。あなたが意識を保っている限り、安全装置のように働くので、たとえ相手が最上級悪魔だろうと対抗できるというわけです」

 淡々と朝倉が解説したあとで、御言はふとした疑問をおそるおそるぶつける。

「なんで俺の能力についてそこまで詳しいんだ?」

 回答はとても軽快だった。

「それはですね、月読くんがピノテレスに攻撃され、病院に搬送されてきた日に色々と調べさせてもらったからですよ。あの日、あなたの体は麻痺していましたが、あれは毒による後遺症などではありません。いくつか実験がしたかったので薬を投与し、数体の悪魔を用いた実験をしておりました」

 瞬間で御言の表情は凍りつく。

「実験⁉ 本人に了承も得ずに、しかも悪魔でか? 一体俺の体になにをしたんだ」

「ちゃんと五体満足に戻しておきましたし、それにこれから世界を救う救世主になれるのですから、いまさらどうこう言うことでもないでしょう」

「本当になにをしたんだよ……大体な、救世主になれたところで嬉しくもなんともないぞ。そんな言葉に踊らされるのはナギハヤくらいだ」

 すると朝倉は声音を低くして、

「そう思い、月読くんの体内に便利な装置を搭載しました」

「は?」

「私に従わなければ、どうなるか……わかりますね?」

 御言は顔面蒼白になって言葉を失い、朝倉は何事もなかったかのように話頭を転じる。

「では、作戦に移りましょう」

 直後、魔術師たちの体が力を取り戻す。一人、また一人と、立ち上がっていき、それを確認したあとで指示を出す。

「魔術師の皆さんは地上に降り立った下級悪魔の掃討をお願いします。このままでは月見ヶ丘にも被害が及んでしまいますので」

 快い返事をする者などおらず、険悪な雰囲気が漂う。

 すると朝倉は淡々とこう告げる。

「もちろん強制は致しません。ただ、先ほどもお話した通り、皆さんが故郷へ還れるか否かは今作戦の結果次第なのです」

 それは脅迫にほかならず、魔術師たちを動かすにはうってつけの文言であった。

 しかし、一人の少年がその脅し文句に口を挟む。

 彼は直前までこの場におらず、たったいま訪れたばかりではあるが、話の流れを全て理解していた。

「わざわざそんな嫌がらせしなくとも、三百体ほど降り立っていた下級悪魔は、僕たちアーツ部隊がすでにほとんど掃討済み。残す敵戦力は降魔殿のルキフェルとその忠臣のみです」

 一見すると学ランを着た普通の学生で、近づいてくることなく階段横で直立不動のまま構えているところが妙に不気味さを醸している。

 朝倉は眉をひそめて、

「流石朱雀さん。アーツ部隊の戦闘力は侮れませんね。魔術師を集結させた意味がなくなりましたが、まあ好都合です」

 言葉とは裏腹に、あまり褒めているとは思えない不満そうな口調。

 朱雀と呼ばれた少年は謙遜したように、

「僕たちの力なんて大したものではありません。朝倉さんあってこそのアーツ部隊だと思っていますよ」

 朝倉をおだてると、言われたほうは上機嫌な調子で、

「ええ、その通りです。今回は私の策が功を奏しました。色々とこの世界を弄った甲斐があります」

 ニッコリと笑い、それにしかめっ面で聞き返したのは御言だ。

「すごく大それたことが聞こえてきたが、この世界を弄ったってどういうことだ?」

 すると朝倉は得意げに解説し始めた。

「少し大袈裟な言い方でしたが、なんということはありません。月見ヶ丘の建設を手引したり、幽霊都市の封鎖を促したり、その程度のものです。おかげで様々な術式を仕込むこともできました。たとえば月見ヶ丘で使用しているマンホールの蓋。あれは一種の魔法陣であり、街の防衛に一役買っているのですよ」

「マンホール……本当に魔法陣だったのか……」

 驚いた御言がカンパニュラのほうへ視線を移す。

 彼女は少し前にマンホールの蓋が魔法陣だと主張し、それを御言に真っ向から否定されたわけだが……真相が明らかとなったいま、勝ち誇った笑みをこれでもかと御言に見せつけていた。

 御言は思わず悔しげな表情を浮かべ、それを見られまいと咄嗟に顔を逸らす。

 いまから最強と称される悪魔と戦うというのに、なんとも緩いやり取りである。

 二人をよそに、朝倉は話を進める。

「では、魔術師の方々は有事に備えて待機、私と月読くんはこれよりルキフェル討伐へと向かいます。ソニアさん、例のものをお願いしますね」

 するとオーケストラ部隊の一人、ふんわりボブの少女が前に出てきて、懐から一風変わったものを取り出す。

 それは何重にも重なった球状の魔法陣。大きさは野球ボールより二回り大きいくらいで、宙に浮いた状態で淡い金色の光を放っていた。

 朝倉は関心したように、

「人が触れていなければ具現しないという術式型。よくもまあ見つけたものです。これがあればルキフェルの封印を解くことができます」

 封印を解くと言ったことで、黙って話を聞いていた魔術師たちが再び騒ぎ始める。

『封印を解く? さっきは倒すと言っていたはずだ』

『悪魔が悪魔の王に逆らうなんておかしいと思ったが、やはりそういうことか』

『最初からルキフェルの復活が目的だったんだろう』

 という声が室内にあふれ、朝倉は困ったように眉をハの字に曲げる。

 これを制したのは学ランの少年、平城朱雀だった。

「待ってください、早合点はいけません。ルキフェルに施された封印は、言わば空間凍結。活動は停止しますが、同時に物理的干渉を一切受けないので殺すこともできない」

 その続きを横取りするように飛鳥が説明する。

「永遠に封印してられるならノータッチでいいけど、もしどっかのバカがあの城の術式を破壊しちゃったら最悪の事態を招きかねない。だからルキフェルの封印をあえて解いて、復活した瞬間に始末するってことでしょ」

 朝倉は頷き、

「ええ、概ねその通りです。そしてもう一つ誤った認識を正しますと、悪魔だからと必ずしもルキフェルに忠実なわけではありません。彼の恐怖政治に支配されるのは私にとっては不都合でしかないので、復活などされては困ります」

 そう言って手を伸ばし、ソニアからパラログの結壊戟(けっかいげき)を受け取ろうとした……

 すかさずカンパニュラが天上高く腕を上げる。

 大きく開かれた手のひらの上には光の球体が三つ浮かび、連星の公転のような動作でクルクルと回り、パラログの結壊戟(けっかいげき)が吸い込まれるように彼女の手元に移動する。

 その不可解な行動に対し、朝倉は眉をひそめ、

「どういうつもりです? 指示もなく勝手な行動は……」

 言葉は途中で途切れる。

 直後、不審はそのまま敵意へと変わり、朝倉はその敵意を即座に攻撃へと転換する。

 床を軽く蹴っただけで、音もなく一瞬で距離を詰め、手に構えたメスでカンパニュラの首元を斬りつける。

 が、カンパニュラの体が軽く仰け反り、すんでのところで刃を回避。直後、マフラーの一部が膨れ上がって口を思わせる部位を形成し、ボイスチェンジャーを通したような甲高い声が発せられる。

「やっと気づいたみたいだな。俺だよ、アルジラだよ。お前は読心術に近い能力を持ってるらしいが、効かねぇーんだよぉ。俺は肉体だけでなく、精神も自在に変化させることができる」

 それからマフラーが粘土のように形を変え、カンパニュラの二倍はあろうかという質量の悪魔に変貌する。姿は虫そのものだが、背中から生えている羽は透明ではあるものの形状は鳥類に近く、小さな羽根が折り重なって大きな翼を象っている。

「ご丁寧に封印解除のアイテムを探し出してくれるなんて、ホントにご苦労さまさまだなぁ」

 虫の姿へと変わったアルジラは、腹部から伸びた八本もある足でカンパニュラの胴を掴み、そのまま後ろへと大きく飛んだ。

 咄嗟に朝倉が腕を伸ばして五十鈴の体を掴もうとするも間に合わず、アルジラは五十鈴を捕らえたまま窓ガラスを突き破って外へ脱出。翼を高速で羽ばたかせて飛び去っていく。

 朝倉は振り向いて、あっという間の出来事に呆然とする一同に向かって冷静に告げる。

「不味いことになりましたね」

 全くと言っていいほど焦りが見えない態度に、罵詈雑言がブーイングのように飛び交う中、飛鳥だけは朝倉を真っ直ぐ見て問う。

「どうせアンタのことだから、なにか策があるんでしょ?」

「ありません」

 即答だった。それも軽いノリ。

 その軽さのまま彼はこう続ける。

「オーケストラ部隊のみなさんなら降魔殿まで橋を架けることが可能ですが、それだけではアルジラに追いつくことはできません。ほかに高速で人を運ぶ手段があれば話は別ですが」

 そう言って室内を一瞥するが、魔術師の中にポジティブな反応をする者はいない。

 むしろグリフィスの機嫌をさらに損ねていた。

「わかってるだろ? 唯一それができた奴はいま病室に……」

 と、話していたときだ。コツコツと壁をノックする音が聞こえてきて、グリフィスたちは音がしたほうへ目を向けた。

 そこにいたのはポニーテールの少女だが、ただの女の子ではない。この危機的状況を打破する可能性を秘めている。

 その少女──カプリ・ウェルズリーは自慢するように言い放つ。

「魔術は多様性のある技術だけど、人を運搬できる術を扱える者はそうそういない。どうやら、私の出番みたいね」

 集まっていた魔術師たちが一斉に歓喜する。それは危機的状況から脱したからというよりも、彼女の元気そうな笑顔を見れたことに起因する。

 平均年齢が高いこともあってか、皆が保護者のような振る舞いでカプリを歓迎した。

 それまで無愛想にしていたグリフィスでさえ涙ぐみながら、

「意識が戻ったんだな! よかった、お前の身にもしものことがあったら……」

 続いて、ふわっとした金髪に気怠い顔つきのチャラそうな男、以前御言とも顔を合わせたことがあるヴィクセンという魔術師も、それまで談義に参加せずにだらけていたが、カプリの姿を見た途端にカっと目を見開いて、彼女のもとに駆け寄る。

「心配したんだよ? もう歩いて大丈夫なの? しばらくは安静にしてたほうがいいんじゃない?」

 そして抱きつく始末だが、カプリは迷惑そうに彼を突き飛ばす。

「あーもう! いちいちベタついてくるのウザいからやめて、あと過保護なのも」

 と、言ったそばから今度はオーケストラ部隊の三人がカプリにしがみつき、三人同時に労いの言葉をかける。しかし声が混ざり合って、もはや聞き取れない。

 それから隊長のソニアは表情を引き締めて、

「カプリをあんな目に合わせた音神が許せないわ。(かたき)は私たちが討つ」

 拳を握りしめるが、それに首を傾げるカプリ。

「音神?」

「音神にやられたんじゃないの? それともやっぱり月読御言って奴の仕業か⁉」

 そう言って御言を睨み、当人は慌てて否定する。

「だから俺じゃないって!」

 そのやり取りを見てカプリは苦笑する。

「ああ、さてはチビモヤシと一緒に悪魔とドンパチやって負傷した話とごっちゃになってるな。私に重症を負わせたのは、確か……黒いマフラーをつけたセーラー服の女の子だったかな」

 瞬間、ソニアは朝倉を睨んだ。

「それってさっきの奴じゃん、カンなんたらって名前の悪魔、ってか私たちがリーダーって呼んでた奴」

 朝倉はそれを訂正する。

「おそらくアルジラの仕業ですね。カンパニュラがカプリさんを襲うとは考えにくいですし、アルジラに精神を支配されていたと考えるのが自然でしょう。どうします? (かたき)を討つと言うのでしたら一緒に行きますか? 降魔殿へ」

 ソニアに向けて言ったはずが、反応したのは別の人物。さっきまでルキフェル討伐に乗り気でなかったグリフィスとヴィクセンが急に張りきりだし、

「当然だ。アルジラとかいう野郎をブチ殺す」

「ボクも行くよ、グリフィスだけじゃ不安だ」

 さらにオーケストラ部隊のソニアもノリノリで、

「よし、みんなで乗り込むぞ!」

 それに待ったをかけるカプリ。

「待って! さすがに大人数は運べない。精々十人が限界だからね」

 すると、朝倉が人差し指で人員を確認しながら、

「でしたら、術を使うカプリさんはまず確定として、私、月読くん、グリフィスさん、ヴィクセンさん、オーケストラ部隊の御三方、そして清水さんを含めて九名でどうでしょう?」

「え、私?」

 不意に名前が挙がった音羽が驚いて聞き返し、続けて御言も、

「なんで音羽を連れていく必要がある? 無関係だし、非戦闘員だろ」

「清水さんの声援があったほうが月読くんも頑張れるかと思いまして」

「冗談だろ?」

「ええ、冗談です」

 ニヤけながら答えたあと、一瞬で表情を強張らせ、

「時間がありませんので、急ぎ出立しましょう」

 言い放ったあと、御言を右肩に、音羽を左肩に、それぞれ角材でも担ぐかのように持ち上げる。

 御言は手足をバタつかせながら追求をやめない。

「おい待て、本当に音羽も連れていくのか?」

 だが、その言葉に耳を傾けずに朝倉は黙って歩きだし、それを飛鳥が制止する。

「ちょい待ち。十人行けるんでしょ? だったらあと一人枠があいてるじゃない」

 体勢が少し前のめりになっているのは、同行したいという願望の表れだと思われるが、瞳にはこれといって強い意志は宿っておらず、完全に成り行きに任せているのがわかる。

『私も、連れていってくれませんか?』

 飛鳥の軽いノリを撥ねのけるが如く、強い意志を纏った声音。声の主のいる方向へみなが目を向けると、水色の髪に宝石のような青い瞳。ピンク色の装束に身を包む少女が決意を固めた表情で突っ立っていた。

 これまで緊迫した雰囲気が続いていたせいで誰も気に留めなかったが、よくよく見てみると少女は異質とも呼べる独特の存在感を放っているではないか。

 グリフィスが訝しむようにその少女の足元から頭の上のふわふわした帽子までをじろりと確認し。

「なんだこの子は?」

 なんの捻りもない素朴な疑問を漏らす。

 それに答えたのは朝倉で。ニンフです。と教えたあと、付け足すように。

「と言っても魔法が使えるわけではないようです。できることなら空間転移を使わせていたところですが……」

 口惜しそうに言う。当のニンフ──エイル・ナイアードは、少しだけ首……というより上半身を傾がせて。

「どうしてそのことを?」

「月読くん経由で知ったまでですよ。いま起きている事態に自責の念を感じていることも承知しています」

「なるほど、月読さんとはお知り合いだったのですね」

 朝倉の説明に納得してしまうエイルだが、御言が朝倉に対してそんな内容の話をした覚えはないので、当然嘘である。それをわかっている御言はなにも言わなかったものの、朝倉に担がれた状態のまま表情だけを曇らせていた。

「それで、残り一枠……連れていってはもらえないでしょうか?」

 懇願するか弱い少女に口角を上げて微笑む朝倉。その男から出た言葉とは。

「奪還したカンパニュラを含めて十人です。お二人ともここで待機していてください、特にお嬢様は死なれると大変困るので」

「待機ね……まあ、いいわ」

 なぜか飛鳥は目を細め、悪者のように薄く笑みを浮かべていた。なにか良からぬ事を企んでいるのは瞭然だったが、朝倉は困ったように眉尻を下げたあと、なにも言わずに階段を下りていく。

 降魔殿に突入するほかのメンバーも続々と彼に続き、一同は少し離れた場所にある河川敷に来ていた。

 依然御言と音羽を担いだままだった朝倉が、ようやく二人を降ろす。

「では、降魔殿までよろしくお願いしますね」

 合図を送ると、オーケストラ部隊のソニアがハーモニカを奏で始める。その音はハーモニカとは思えない透き通る音で、音楽というよりいくつかの音を適当に長い間隔で鳴らしているだけのようにも聞こえる。

 続けてカプリが、

「ソニアが空気を固めて道を作って、私がその上を滑る水流を操る……なんかこういう合体技ってワクワクしない?」

 腕を河川に浸すと、水流が向きを変え、水が地面を這うように進み、皆の足元に薄く広がった。

 一同は水の上に乗ったまま運ばれて、透明な坂を登り、幽霊都市上空に浮かぶ降魔殿に向かって一直線に進む。

 彼らが近づくに連れて周囲を包む黒い霧は濃くなっていき、降魔殿へたどり着く頃には視界は真夜中。

 降り立ったのは城の最上部。

 地上からでは逆さまに吊り下がった城にしか見えなかったが、実はその城と表裏を成すように聖堂らしき建物がある。

 漆黒の城とは対象的で、純白の壁で覆われた小さな教会。城に比べると規模は小さい。

 ぱっと見たところではヨーロッパの建造物を思わせるが、やはり異世界の産物。至る場所に水晶の柱が浮かび、足元には全体像が把握できないほど巨大な魔法陣が蠢きながら光を放ち続けている。

 朝倉はその足元の魔法陣を足でにじりながら安堵する。

「どうやら封印はまだ破られていないようです。先を急ぎましょう」

 瞬間、朝倉の首が宙を舞う。

 頭部を失った朝倉の体は直立したまま不気味にその場に残り、切断面から血液がドボドボと流れ出る。

 気づけば彼らの前に一人の少年が立っていて、切り落とされた朝倉の頭部を鷲掴みにしたまま高く跳躍し、アーチ状の門の上に着地した。

 漆黒のコートに身を包み、耳の裏側辺りから蟹の爪のような細い角が突き出ているその少年は、越前月光という人間の死後誕生した悪魔、フェネストラだ。

「まずは一人」

 そう言って手に掴んでいた首を掲げると、それは黒い煙となって瞬く間に霧散する。

 全員がアーチの上に目を向けていた。おかげで誰も次なる攻撃には気づかず……

 刹那、再び首が宙を舞う。

 魔導書を持つ男の体は力を失い、崩れた。

 ヴィクセンが叫ぶ。

「あいつ以外に敵がいる、全員周囲に気をつけろ!」

 グリフィスの死を目にしても緊張感を失わず、周囲に目を光らせる。そして、攻撃が飛んできたと思しき方向へ目を向けた彼が見たのは、円盤状の水を指の上で高速回転させるカプリの姿だった。

 緊迫する状況の中、一人の男が軽快な口調で、

「やれやれ、思っていたよりも敵が多いですね。これは想定外でした」

 朝倉だ。

 さっき頭部を切断されたはずの朝倉が、サングラスをかけていないことを除けば、いつもと変わらぬ姿で立っていた。

 カプリはそれまでの言動からは考えられない、ゆったりとした口調で朝倉に返す。

「こちらも想定外。あなたの核の位置は頭部だと聞いていたが、どうやら造説だったようで」

 彼女の背後には別のなにかがいた。

 頭部に無数の穴があき、下顎が欠落した黒い人形(ひとがた)がおり、その両腕から伸びた触手がカプリの首筋に吸着している。彼女が悪魔に寄生されているのは自明だ。

 カプリは虚ろな表情で指を振るい、

「さてさて、きみたちはかつての仲間と戦えるかな?」

 円盤状の水が丸鋸のように回転しながらヴィクセンに向かって高速で飛んでいく。

 ヴィクセンはそれを難なく躱すと、カプリから目を離さないようにじっと凝視したまま、

「カプリの肉体を支配しているのか、つくづく不快な連中だ。ここはボクとオーケストラ部隊に任せて、キミたちは先に行ってくれ」

 ポケットから数本の瓶を取り出し、それを両手に構える。

 一方、フェネストラはアーチから飛び降り、御言の目の前にその姿を晒すと、

「先へは行かせない。カンパニュラの邪魔をするな」

 刹那、フェネストラの体が一瞬ブレると、その姿は消えていた。否、消えたように見えたが、濃い色のコートをうまく暗闇に溶け込ませ、無防備な御言に接近していた。

 無論、御言には視認などできておらず、すでにフェネストラはガラス質の剣を振り終えた状態で彼の背後に立っていた。

 しかし、剣は根本から切断されており、時間差で折れた剣先が地面に落下し、粉々になったガラスが騒々しく周囲に散らばる。

 朝倉の顔には少しばかりの焦りが浮かぶ。

「お嬢様、なぜここに」

 彼の視線の先。御言の足元には、金色に輝く羽を背中と足首から生やした北条飛鳥が、姿勢を低くして構えており、彼女は立ち上がってから、

「来ちゃいけないみたいな反応されてもね……私が来てなかったら月読くん死んでたんだよ?」

 そう返したあと、飛鳥は御言の背後に立つ無表情なフェネストラに視線を移す。

 御言は飛鳥の視線を追うように後ろを振り返り、そこで初めて自分が死にかけていたことを理解した。

 なおも殺気を放ち続けるフェネストラ。それをなだめるように御言が、

「待ってくれ、あいつは……カンパニュラはほかの悪魔に操られている。俺たちが戦う理由はないし、一刻も早く協力して助けに行くべきだ」

「安い嘘だ。お前が助かりたいだけだろう? 万が一操られていたとして、いまここでお前たちの命を奪うことになんの不利益もない」

 フェネストラは一蹴して、空間から新たなガラス質の剣を生み出し、すでに折れた剣を御言めがけて投げる。

 咄嗟に飛鳥が光り輝く刀剣で弾いてガードすると、フェネストラを真っ直ぐ睨んだまま叫ぶ。

「アンタたちは先に行って、この馬鹿を説得してる時間なんてない」

 朝倉は頷き、

「わかりました、この場は預けます。降魔殿内部へは私と月読くんと清水さんの三人で向かいましょう。それと念のため、ヴィクセンさんに一つだけ」

 ヴィクセンはふざけた調子で聞き返 す。

「なに? せいぜい死ぬなよとでも言ってくれるの?」

 すると朝倉もからかうように軽い口調で、

「いえ、別にあなたには死んでいただいても構いませんが、死にたくなければ生き残っていただいても構いません。それはあなたにお任せします……私がお伝えしたかったのは、降魔殿の術式についてです。あなたが命を絶たれる前にこれだけは遂行していただきたいので」

 そう言って小さな紙切れを手渡しすると、

「では行きましょうか。月読くん、清水さん」

 白い建物の内部に向かって走る。御言と音羽の二人は彼に追従した。

 内部は一つの大きな空間が広がり、ほかに部屋があるわけではない。中央に石質の簡素な構造体があるだけの大広間。

 その構造体の上には黒い髪に黒いジャケット、黒いレザーパンツと、全身黒ずくめの格好をした美形の青年が鎮座しており、その横にカンパニュラとアルジラの姿があった。

 朝倉がその青年の姿を見て呻く。

「くっ、遅かったようですね」

 その一言で、御言たちにも青年の正体が重々伝わったと思われるが、実際はその外見を見ただけでもその青年がルキフェルなる人物であることが一目でわかるほど、最上級悪魔としての風格がある。

 瞳の色が炎のように赤いが、それ以外はごく普通の人間の外見。しかし、体からは瘴気のように黒い霧があふれ、その青年が異形であることを示すのに十分だった。

 ついとカンパニュラが手に掴んでいた球体の魔法陣を床に落とし、彼女の背中に貼りついているアルジラが言う。

「もう、パラログの結壊戟(けっかいげき)に用はない。それと、この娘にも」

 少女の足が床に転がる魔法陣を踏み砕き、同時にアルジラが背中から離れる。

 すると今度は虫の姿からミイラのような歪な人型へと姿を変え、ルキフェルの前にひざまずく。

 日本語ではない別の言語で言葉を発し、それにルキフェルも同じ言語で返す。

 それは英語でもスペイン語でもイタリア語でもない。異世界であるイストリアの言語である。ゆえに御言や音羽には会話の内容がわからない。

 その会話の途中でカンパニュラが自身の意識と自我を取り戻したのか、

「あれれ、いつの間にこんな場所に来たんだろう? もしかして私ってばテレポートしちゃってる⁉」

 一人ではしゃぐと、急に平静さを取り戻し、

「で、みんななにやってるの? そして、見慣れぬ人が二人……」

 ルキフェルとアルジラに目がいく。

 朝倉が答える。

「そちらのイケメンの方が以前お伝えしたことがあると思いますが、悪魔の皇帝様です。そして気色の悪い姿をした悪魔は、あなたが首に巻いていたマフラーの真の姿でございます」

 するとカンパニュラが手のひらをポンと叩き、

「お~、なるほどなるほど……」

 すぐに小首を傾げる。

 しばらくしてから朝倉の言葉を理解できたのか、わざとらしく嘔吐く演技をしてから、

「ゔぇえええ、気持ち悪っ。あんなの首に巻いて……」

 血を吐く。

 そして困惑した様子で自身の胸に突き刺さる黒く長い針に触れる。

 それは背後からルキフェルが突き刺したものだった。十字型をした細長い刀剣のようにも見える。

 ルキフェルはその黒い針をカンパニュラの体から引き抜く。

 瞬間、カンパニュラの体は針が刺さった場所を中心に一瞬で消滅した。

 音を発することなく静かにこの空間から姿を消した。ただ、彼女が衣服の内側に入れていたと思しき衣類が一つ、ひらりと床に落ち、それだけがその場に残された。

 それは以前、御言が二択を迫られカンパニュラに選んであげた夏用のストール。

 その布きれを、ルキフェルは不快そうに見下ろし、今度は異世界の言葉ではなく日本語で発した。

「外部のエゼルを身につけていたか……しかし、これではまるで私の力が不完全であるがゆえに消し損ねたようではないか? 実に不愉快な存在だ」

 落ちているストールに向けて黒い針を投げて突き刺した。

 結論は言うまでもないが、音も演出もなく繊維の先まで全てが消滅した。

 そしてミイラ似の悪魔、アルジラはルキフェルに向けて、

「さっすがルキフェル様。全ての物質を消し去る虚無喰みの力、まさに世界を統べるに相応しい」

 言った次の瞬間だ。彼の胸にも黒い針が突き立てられ、

「へ……」

 声というより、吐息だけを出して一瞬で音もなく消滅した。

 そしてルキフェルは冷たく赤い瞳を光らせながら、冷徹さを感じさせる声で、

「アルジラ、ここまで大儀だった……だが貴様は品性に欠ける」

 それから朝倉に目を向けると、

「久しいなエッセンティア……いいや、確かいまはジョーカーと名乗っていたか?」

 ルキフェルはプレッシャーを感じさせる声音で朝倉に問を投げた。

 朝倉は涼しそうな笑みで冷静に返す。

「いえ、いまは朝倉と名乗っております。ジョーカーと名乗っていたのはもう百年ほど前のことになりますね」

「私が眠りについてから随分と年月が経っているな……時にエッセンティア、貴様はなぜここにいる? よもや私を殺すなどと世迷い言は並べぬだろう?」

 どこか楽しそうに少しだけ口元が緩んでおり、朝倉は媚でも売るかのように畏まった口調で、

「もちろんです。あなた様を倒そうなどと、そのような愚かなことは考えてはおりません」

 今度は深刻な面持ちで月読御言を小さく差し、

「ただ……こちらの少年があなたを倒す気でいるようです」

 全てを御言に押しつけた。

 とはいえ、朝倉の表情はどこか勝ち誇ったように自信に満ちており、ルキフェルを倒せるという気概が顔にしっかりと表れている。

 それを汲み取ったのか、御言も覚悟を決めて、

「ああ、その通りだ。俺は……」

 お前を倒しに来たんだと、そう言おうとした。

 だが、彼はその続きを言うことはできなかった。

 腹に大穴が空いていた。メロンほどの大きさの穴がポッカリと。

 なんの前触れもなく、物音すらせず、体の一部が消失した。

 咄嗟に流血を抑えようとしても無駄だった。

 水の入ったペットボトルにカッターナイフで切り込みを入れたみたいに、生暖かい紅血が絶えずあふれ、そして下半身が上半身を支えられずに胴が不自然に捻れながらその場に崩れた。

 まだ息はあるものの、大量に出血していることもあってかすでに死人のような顔つきになっていた。

 ルキフェルが口を開く。

「人間、発言を許可した覚えはない」

 続けて朝倉が慌てたように、

「空間ごと肉体を消したのですか。これでは月読くんの力は発動しない……」

「貴様の講じた策なら情報を得ている。しかし驚いた。まさか神寄せと同列の力を引き連れてくるとは」

 しかし、すぐに朝倉は不敵に笑みを浮かべ、

「バレていましたか……ですが、私にはまだ奥の手があります」

 先ほどの焦りが嘘のように余裕のある表情。だがルキフェルは退屈そうに、

「無論、それもすでに対処済みだ」

 朝倉の言う奥の手というのは音羽のことなのだが、彼女もまた体に穴をあけられ、血を噴き出して倒れていた。

 かろうじて息のある御言と異なり、音羽は心臓のある位置に大穴をあけられているため、おそらく即死。

 断末魔の叫びすらなく、その死は呆気なさすぎた。

 ルキフェルは堂々と朝倉の横を素通りし、少女の死体の前に来ると、

「少年の死を目の当たりにした天使の末端が力を暴走させる。貴様は暴走した少女の精神を操りこの私を世界から弾く。だったな?」

 これにはさすがの朝倉も余裕がなくなり、真顔で反応した。

「確かにその通りですが、封印を解かれてからそれほど時間は経っていないはず。なぜ私の作戦をあなたが事細かに知っているのか」

 ルキフェルは横目で地面に突き刺さった十字型の黒い針を見つめる。

「アルジラの持つ記憶を食べた。虚無に還ったエゼルは全て私に還元される」

 すると今度はルキフェルの視線は御言へと向く。

「予言によれば私はその少年に殺されるらしいな」

「予言? これはまたあなたともあろう者がそんなものを信じていたのですか?」

「他ならぬイヴの予言だ。しかし、少年は瀕死。このままでは予言は成就せず、貴様の講じた策も無為に終わる。どうだ? また昔みたいに自分だけ尻尾を巻いて逃げるか? それともその少年を助けるか?」

 そう言いながらルキフェルは二本の黒い針を出現させ、それを両手に握る。

 この二択が意味するものは、逃げるか抗うか、である。そして、朝倉は自身がルキフェルに敵わないことを重々理解していた。

 朝倉が出した答えは……

 突如鳴り響く轟音。建物の随所が怪しく光り、それを見た朝倉がニヤリと笑う。

「どうやらヴィクセンさんは無事にやり遂げたようですね」

 ルキフェルが問う。

「貴様なにを……?」

 だが、彼はすぐに理解することになる。

 建物全体、宙に浮かぶ城全体が傾き始めたのだ。朝倉は自分の腕を千切って御言に向けて投げた。

 千切ったといっても完全には千切れておらず、神経や血管がいくつか繋がったままで、手で御言の体を掴むと、悪魔特有の再生能力を用いて千切れた腕を修復し、御言をワイヤーで巻き取るように引き寄せた。

 床が九十度以上傾いた状態ではルキフェルも手が出せず、壁に墜落する。もちろん朝倉と御言も重力に引っ張られて壁側に落ちていくわけだが、彼らが激突したのは壁ではなくステンドグラスだ。

 色鮮やかなガラスの破片を散らしながら建物内部から脱出を果たした朝倉は、目を細めて不服そうに地上へと落下していく。

 降魔殿の主であるルキフェル、こちらを睨みつける悪魔の王を横目に見ながら、確かな敗北を味わった朝倉は地上へと姿を消す。

 そして降魔殿はさらに傾き、上下が反転したあとで地上への落下を始めた。

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