白夢
「ピリリリリリリ」
しだいに大きくなっていく音が、ようやく耳まで届く。
小松は飛び起きた。動悸が激しく、冷や汗を流している。
ここはいつもの寝室だった。
「ピリリリリリリ・・・」
鳴り続ける目覚まし時計をようやく止める。
目覚まし時計は鳴った。
現在の時間はもちろん目覚まし時計で設定していた時刻で、三十分前ではない。
小松は目覚まし時計が鳴る前に起きなかった。
枕元に置いてある携帯で日付を確認する。日付は、小松が生駒尚雄を殺した日と同じだった。
「一体、どうなっているんだ」
小松は唖然としながら携帯のメールの受信ボックスを確認する。しかし、そこには未読のメールは存在しなかった。
あの拳銃を注文したサイトは、どれほど信用の置けるサイトだったろうか・・・。
小松は急いで起き上がると、寝室の襖を勢いよく開ける。
テーブルについていた妻の万紗子が驚いた顔をこちらに向けた。
「あなた、どうしたんですか? そんな青い顔して」
小松は万紗子のことを無視して急いで奥の部屋に向かう。万紗子は小松のただならぬ雰囲気を感じ、後ろに付いて行く。
部屋の前まで来ると、動悸が激しくなった。
襖を勢いよく開け放つ。
もしかしたらと思ったのだ。
大して期待していたわけではない。
眠っていた間に体験した今日が夢であるのなら。
これだって夢だったんじゃないかって。
そこには小松の期待空しく黒い仏壇がある。
智美がいつもの笑顔で、小松のことを迎えてくれている。
お弁当もちゃんと供えられている。
「ごめんなさい……またお弁当作ってしまって・・・でも、ちゃんと昼になったら自分で食べますから。朝ごはんはお弁当の残りで悪いんですけど」
万紗子は死んだ娘に対してお弁当を作っていることを、また咎められると思ったのか、小松に必死で弁明してくる。
「……万紗子」
「はい」
万紗子は背筋を伸ばした。
「私は……死んだんじゃなかったのか」
「はい?」
万紗子は小松の妙に真剣な顔に、少しだけ笑ってしまう。
「何寝ぼけてるんですか」
万紗子はそう言って静かに目を伏せた。
「あなたまで死んでしまったら、私はどうやって生きたらいいんですか?」
動けなくなった。
小松は思わず両目を押さえる。
「どうしたんですか?」
「なんでもない、私は先に智美に朝の挨拶をするから、先に朝食、食べててくれないか」
万紗子は、はい、と小さな声で答えると席に戻って行った。
去り際に不思議そうな視線を小松に向ける。
小松はゆっくりと部屋の中に入っていった。
そして、あの恐ろしいほど鮮明だった夢のように無造作に置かれた座布団に座り込む。
小松は泣いていた。
〝あなたまで死んでしまったら、私はどうやって生きたらいいんですか?〟
私はなぜ、これほど大事なことを容易く見失ってしまうのだろう。
眠っていた間の今日は、もちろん眠っていたから夢だった。けれど未だかつてあんなにはっきりした夢は見たことがなかった。
あるいはあれは一種の現実であったのかもしれないとさえ思う。
小松は赤くなった目のまま智美の写真を見つめる。
もし……もし私が智美のために復讐をしたとしても、智美はどう思うだろう。
喜んでくれるのだろうか。
〝なあ、憎い人間をわざわざ同じ世界に連れてこなくてもいいんじゃないのか?〟
藤木要と名乗った男の言葉を思い出す。
バカバカしい。
なんて笑える理屈だろう。
けれど……
小松は体を抱え込む。そして声を押し殺しながら泣いていた。
あの少年は―――生駒尚雄は、あの法廷で本当に笑っていただろうか?
あれが、自分の望んだ幻想ではないと、今の小松には断言することができない。
けれど、私は生駒尚雄を許す気なんてない。
あそこで笑っていようが笑っていまいが、
絵に描いた悪人であろうが、そうでなかろうが、
そんなことは関係がない。
苦しめ!
とことん苦しめ!
人を殺してしまったことに打ちひしがれるがいい。
逃げるなよ。
生きて、ずっとずっと苦しみ続けろ。
小松は智美の仏壇の前でしばらく泣き続けた。
真っ白な夢は夢であり、現実ではないのだ。
最後までお付き合い、ありがとうございました。




