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「好きだったの........」
「なに?」
「だから城都さんのことが........」
「そうか........ ........
そんな話をしてたんだっけ.....」
「そう........その後はセックスの話........」
「ごめん、ちゃんと聞かなくて........」
「もしこれが小説だったら誰も読んでくれないわね?」
「いいさ........。
うんと退屈させて僕たち二人だけで読めばいい。
時間は沢山あるんだし」
水音は僕に似ていた。
美術館で足を止めてしまう場所....。
他人を見極める第一印象....。
映画を観に行くと、僕たちだけ顔を見合わせて涙ぐんでいるのは、大抵他の観客がぼんやりしている場面だったし、初めて交換したクリスマスプレゼントは色違いのお揃いで、素っ頓狂な『賢者の贈り物』に吹き出してしまったこともある。
それが偶然なんかじゃないことを知りながらも、お互いの気持ちをペアルックに反映させるとなると、僕たちはもう一度生まれ変わらなければならないほどはにかみ屋だったからだ。
あの時のショールを水音はもう手離しただろうか........
それを訊こうとして、記憶を失くした水音の悲しみは、そのまま自分に染み込んで来る記憶の悲しみのように思えた。
「その人には奥さんが居たの」
「不倫だった?」
「分からない............
わたしたちの関係はもっとプラトニックだったような........」
「もう少し詳しく教えてもらっていいかなぁ?
例えば........
君は今、何才で、その人とはどうやって知り合ったのか........とか....」
「今?
それ、どういうこと?
だって記憶は記憶でしょ?
あなただって、初めて女の子に惹かれた日のことを思い出せる?」
「そうか........そうだな。
たった二十年前のことが思い出せないんだもんな?
あれは........確か小学生の中学年くらいで........
でも、名前だけははっきりと覚えてる.....」
「でしょ?
わたしなんかそれが三十年前の記憶なのか、もっと前なのか........
もしかしたら昭和以前の記憶かも知れない........。
でも、そう........名前だけは思い出せるの。
お城と都で”じょうず”だったわ?」
「で、..........なんだけど.....」
「え?なに?」
「一度訊いておきたいと思ってたんだけど.........」
「うん」
「改まると.....なんて言うか、言いにくいんだけど.......」
急に高鳴る胸の鼓動が、自分でも意外なほどだった。
僕たちは中学で出会って以来、いつも一緒に居たけれど、愛の言葉を交わすこともなければ、お互いを束縛することもないままに、それでも僕は、何かが不足していると感じたことは一度もなかった。
『この世界には、証明できなくても“確かなもの”がある.....
人が立証したがるのは、それが疑わしいものに限られている..........』
僕は以前、水音にこんな内容の手紙をもらったことがある。
それが誰かの格言か何かの引用だと決めてかかった僕に、水音は「一度しか言わない」と前置きをして、本当にたった一度きり、僕を好きだと言ってくれた。
もしかしたら水音は、僕を忘れてしまうことを、あの手紙で予言していたのだろうか........。
そんなバカな...........。
でも、そのささやかな手紙の記憶は、今の僕を少しだけ勇気付けようとしている。
「多くない?.....“だけど”」
「そうだけど..... .....」
「ほら.....また」
水音の綺麗な笑顔にも勇気をもらう。
「どうかなぁ.....俺みたいなの」
......言ってみた。
「変なの......!」
「変かなぁ.........」
「変じゃない?」
「ま、.........変だけど」
「ほらね?」
「からかってるの?」
「少し............」
「なんで?」
「だって............」
「だって... 、なに?」
「変なんだもん」
「確かに......... ......」
「認めるんだ!」
「認めたくないけど..........」
「悪いのね?......往生際」
「そろそろ答えない?」
「言わせるんだ...そんなこと」
「言わせるさ!
大事なことなんだから」
「わたし、本当に愛されてたんだね?」
「そんなんじゃないけど...............」
「え? 違うの?」
「違わないけど......」
「なにそれ!」
「わからないよ」
「知らない!」
知らない....と言った後、水音が僕の顔を盗み見ようとして失敗したのを、僕は見逃さなかった。
酷な質問だと知っていて、水音は僕を傷つけたくはなかったのだろう。