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その転校生は 不思議な服を着て、突然僕の目の前に現れた。
今思えば彼女が着ていたものは、何の変哲もない、当時の14才の在り来たりを取り繕っていたに過ぎなかったのかも知れない。ただあの時の......ひっ詰めた髪を束ねたシュシュの鮮やかな青は、何故か僕に、彼女の秀でた額を強く印象付けた。
女性の額が真円の弧を描いていることを、あの時の僕はまだ知らなかった。
「あたし、変?」
「そうでも?................」
「なんで私服かって思ってる....」
「まぁね................」
「知らなかったの............
前の中学が私服だったから」
「そうなんだ................」
「んなわけないでしょ?」
「ありそうだけど、そんな中学も.....」
「義務教育だよ?」
「それ、関係あるの?」
「わかんないけど................」
「なんだ........ ..........」
「もしかして........居残り?」
「そんなとこかな............」
「勉強、嫌いなの?」
「まぁね................」
「ゴメンね?面倒臭くて..............」
「全然........、なんで?」
「マーネしか言わないし............」
「........ ........ ............」
「あたし、明日からなんだ?
................よろしくね?」
「一人で?........今日..........」
「お母さんと.........」
「げっ.... ............」
「今、職員室........校長室....かな?
可愛い娘をよろしくって........」
「行かなくていいの?」
「2組だって言うから来ちゃった....
下見......」
「いつこっちに来たの?」
「きのう....」
「昨日の今日....てか、今日の明日?」
「そう、ハードスケジュール」
水音はカーテンを潜ると、教室の一番後ろのサッシからベランダに出て、曖昧に笑って見せた。
あの頃の、人の琴線に特化した妙にませた子供は、その先の質問が、酷く彼女を傷つけてしまうことを察していた。
夢を憶えている朝、水音は決まって、あの転校前日の私服姿を、朦朧とした僕の意識に反芻させた。
それなのに意識が鮮明になるに連れ、夢の記憶は遠い思い出の中に吸い込まれ、そのビジョンは、これまでに何十回となく訪れては消えてしまった予知夢の形をして僕を微睡ませた。
そして、そこを起点に連鎖する過去の様々な夢の記憶も、それが繰り返されて来たものなのか、たった一夜の夢だったのか、もしや、そんな夢を見たような気がしているだけなのか、杳として捉えることができない。
翌日は雨だった。
不意に現れた闖入者に、朝のホームルームは水を打ったように静まり返った。
担任が切り出すのを待たずに、その転校生は徐に頭を下げた。
「今度君たちのクラスメイトに新しい仲間が加わることになりました。
........ええと.... ......」
担任の口ごもったのを合図にして、彼女は僕たちに背を向けると、大きな文字で”水音”と黒板に書き記した。
高崎、安藤、合田........
更に書き足される文字に、担任の、未知の教え子に辟易する様は、教室の最後列へと一瞬で伝播した。
「え、なになに? ......あれ。
........ ....すいおんが、なに?」
新参者を受け入れる時に有り勝ちな揶揄に、彼女は少しも怯まなかった。
「わたしは”みう”。
このヘンテコな名前を付けてくれたのが一番左の人。
真ん中の名前はお母さんの旧姓で、前の学校の名札はこれでした。
それから........ 戸籍上わたしは、もうすぐ”右の人”になると思いますけど....
けどわたしは”みう”................
多分これは一生変わらないと思いうから........」
彼女がへへっと笑った時、教室にざわめきが起こり、誰の仕業だったのか、頑張れみう!の合いの手に、そのざわめきはいつの間にか、真新しい転校生を受け入れる拍手に変わっていた。
その時の、水音のパッとしない制服姿を見た時、そこに透けた悲しみはもう、僕を射抜いていたのだろう。
いつか見上げたことのある夏空の、たった今湧き登った積乱雲...............
もしそれを既視感と呼ぶことが出来るなら、
全てはあの時に始まっていた。
もし僕に帰る場所を選ぶことが許されるなら、今度はあの転校生の後ろ姿を、ずっとずっと、遠くから眺めていたいような気がする。