10/11
7
例えほんの少し傷つけてしまったとしても、病室を見舞う時に見せない水音の表情が僕は好きだった。
あのサナトリウムに隔離された水音には、自分に染みついた匂いが分からない。
緩やかな勾配の小径に咲く花の香りや、黄色い太陽を遮る病棟の高い壁.....
そこに吹き抜ける風の湿り気の中でこの人は生きている。
もしもこの人の“錯覚”に今近づけるなら、現実を擲ってでも、夢を夢として騙されてみたい..........
素直にそう思えた。
僕は水音の何に惹かれていたのだろう。
そして今僕は、この人の何を信じようとしているのだろう。
もしも水音に向けられたこれまでの自分の行為に使命感の芥が入り混じっていたとして、その不純物は僕を嘲るのだろうか。
それとも不純物の混ざらない愛など、この世には存在しないのだろうか。
たった今僕が、記憶として蓄えられたこの人のすべすべした肌の柔らかさに対して別の夢を見せられているように、欲望と愛は、人の心の引き出しに、どんな形で仕切られたり混ざりあったりしているのだろう。