いつか女神が歌う唄
世界は崩壊した。
いや、『この世』と言った方が正しいのかもしれない。
とにかく、人間の住む世界は国という国がその存在をアヤフヤにしているし、世界を動かしていた人間そのものが激減してしまった。
原因は簡単。
管理していた神様が悪魔と大戦争しちゃったからである。
その原因も簡単。
神様のエラ~イ位の人が、甘い汁をすすっていたツケがついに訪れただけである。
結果、人間達は不運の連続や何かから見放されたように暴走し始め、戦争戦争戦争……人は人を殺し、子供は親を殺し、親は親を殺し……気が付けば殺すモノが無い所までいった事もあった。
そんな頃にようやく神様達の戦争は終わり、管理が戻った。戻った、と言っても世界は酷い有り様である。それでも、人間達が健やかに幸せに時に不幸に生きていけるように神様達は管理を始めたのである。神様がその存在を変え、人数も激減していようとも。
ちょうど夏が終わり、秋が来ようかという季節。そろそろ木々の葉が紅く色付こうとする時期だろうが、残念ながら見渡す限り木々は無い。見渡す限りに見える物と言えば、瓦礫。以前は天にも追いつこうとしたビルだが、今はただのゴミの丘。摩天楼も形無し、バベルの塔にも似た感がある。別に神の怒りに触れた訳ではないのだが。
そんな中、以前はコンクリートやレンガ等で舗装されていたと思われる道の跡を一人の少女は歩く。遥か昔の中国の導師と日本の巫女の服装を模したかのような服に、黒いスパッツの上に白い短パン。そして、黒い靴下に青と白のスニーカー。一発で常識の壁にぶち当たりそうな格好だが、少女は気にする事なく肩までの髪を揺らしながら歩く。
少女はご機嫌なのか、終始顔には満面の笑み。足取りも軽く、終には失われた歩き方、スキップまでやり始める。
「わん・とぅー・すりー、わん・とぅー・すりー」
少女の口から不思議な口調で数字を刻む声。
失われた口調、話し方、喋り方。
それは歌、唄、音楽!
「この太陽の~、光の中に~♪」
スキップのまま、右足を軸にしてクルッとターン。
「らら、幸せを問いましょう~♪」
両手を広げ、そのまま頭上に。
「ちゃらららん、ららら、ららら~ん♪」
楽器の代わりに言葉で演出するのはご愛嬌。それでも少女は楽しそうに歌う。もし、誰かが聞いていたら、酷く驚いたであろう。妙な喋り方、話し方と思うに違いない。すでに、人間達からは歌う事、音楽を奏でる事は忘れられているのである。今は、生きるのに精一杯……音楽を楽しむ事など必要ないのだ。
「宇宙から地きゅ―――ふぎゃ、いたっ!」
頭上を見上げスキップをしながら瓦礫の中を進む結果は、つまづいて派手に転ぶ、であった。
「痛たたた……んっ?」
痛みで顔をしかめながら、それでも前方を向くと目が合った。人間に比べると凄く小さな目だけれど、黄色の輝く瞳。
「やぁ、猫さん」
目が合ったのは一匹の黒い子猫。体毛はボサボサで少し痩せてはいるが、やつれてはいない。立派に生きている子猫だ。
「……にー、にゃー!」(……神さまだ、みんな神さまだよ!)
子猫は思わず声を上げてしまった。それも納得の出来る話である。今、目の前に神様がいるのだから。
「な~ぉ」(本当かよ)
「にゃー」(どこ、どこなの?)
「みゃ~、みゃ~~」(こっちだ、みんなこっちだぞ)
子猫の声に反応してか、瓦礫の影からヒョコヒョコと猫が顔を出す。黒猫ばかりでなく真っ白な猫や三毛猫。雑種ばかりだけれど、何代か前は血統書付きらしい猫もチラホラいる。
猫達は少女の姿を見つけると続々と集まってきた。
「驚いた……猫さん達は成長してるんだね」
この状態を見れば誰だって分かる。
猫が協力して暮らしているのだ。
世界は、世界は確実に変わっているのだ。
それが良い意味なのか悪い意味なのか、少女には判断しかねた。
「な~ぉ」(神様)
随分とくたびれた声と共に一匹の猫が歩み出る。左前足を失っており、ぎこちない歩き方だが、彼は苦もなく歩いてくる。
「な~~、なーぉ」(ようこそいらっしゃいました、休んでいってくださいな)
彼は恭しく頭を下げる。それを見て、他の猫達も頭を下げた。恐らく、この片足を失った彼がこの中のリーダーなのであろう。
猫達が頭を下げるのを見て、少女は慌てて正座をする。
「あ、ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます」
そう答えて少女はニコリと笑った。
「な~」(えぇ)
彼もそう言って微笑んだ。
そして、周りの猫達が喜びの鳴き声を世界に響かせた。
「みんなの住処って、私でも入れるのかな、長老さん」
「な~ぉ」(元々人間が使っていた建物ですから)
リーダーの彼は名前を長老と言った。人間達に飼われているわけでは無いので、みんなの間で自然と名前が決まっていくそうだ。
「それなら安心」
少女を中心に幾匹もの猫が取り囲んで移動をする。それはとても不可思議な光景で、見る人が見れば魔女とその手先、見る人が見れば神を崇める猫達。プライド高く、勝手気ままな猫が一斉に少女を眺めながら歩いているのだ。
少女は神か悪魔なのか。
見る人によって、それは変化した。
とてもとても不可思議な光景。
少女が案内されたのは、一つのビルだった。遥か昔に建てられた物だろうが、未だに傾くことなく自然と存在している。窓ガラスは全て割れてしまってはいるが。
「な~お」(そう言えば神様、お名前は何と?)
一鳴きに込められた猫言葉の意味を理解しながら、少女はほんの少し考える。
「…サクラ、って呼んでください」
「み~」(春に咲く木ですね)
少女、サクラの言葉に長老とは別の猫が反応する。長老は、ほ~、と言った感じで納得している。恐らく、桜の木を見たことが無いのだろう。
「えぇ、薄いピンクの綺麗な花びらです」
サクラは地面に細長いハートマークを描く。
「形は…こんなの」
「な~ぉ」(ほう、是非見ておきたいものですな)
長老はサクラが描いた細長いハートマークをマジマジと見つめている。そんな様子をサクラはほんの少し笑って、ビルに入った。
ビルは七階建てで、本来は会社のオフィスだったようだ。壁付近に落ちている元看板らしき物に辛うじて残っている文字の類でそう判断できる。入り口付近に設置してある六基のエレベーターはその全てが一階で大きく口を開けたまま停止している。一目で壊れているのは分かるが、例え壊れていなくても電気が通っていないので動きそうにも無い。
サクラは猫達に案内されるままエレベーターの奥の階段をドンドンと上って行く。階段はさすがにしっかりした物で、あと数年は崩れそうにない。サクラは自分の体重で崩れるんじゃないかと、少々心配しながら七階の一番奥の部屋に案内された。
「お~~~」
サクラは思わず声を漏らす。その部屋は、ある時ある時間で止められたように、まだ世界が終わる前の様子がすっかりそのままの姿を残していた。
乱れもなく並んだ机に等間隔で設置してある椅子。部屋の奥には恐らく会議に使っていた空間だろう、空中投影するシステムに記録装置。天井には照明装置がズラリと埋め込まれている。
「凄い……よく、こんなに無事でいるものだ……」
サクラは感心しながら見て回る。そのどれもに薄っすらと埃が積もっていたり、積もってなかったり。恐らくは、猫がいる所といない所、だろう。
「な~ぉ」(気に入ってくださいましたか?)
長老が微笑みながら聞いてくる。サクラは頷きながら笑みを浮かべた。
「うん、すっごく。しばらく滞在していいですか?」
「なおん」
長老の言葉に、サクラは思わずバンザイした。
夕刻。
遥か過去に、こちらと彼岸が重なる時と言われた明るい闇。
朽ちかけたビルの屋上でサクラは一人世界を見渡す。倒れた幾本もの電信柱が列を成し、それに沿うかのように電線も続いている。かつては高圧電流を流していたそれも、今ではただの足を引っ掛けるだけの邪魔者。便利な物は不便になっている妙な状態。かといって不便な物が便利になったわけではない。科学技術や知識、生活の知恵、それらほとんどが使えなくなった現在、人間の心は酷く乾いているだろう。世界中には、一部の民族や部族を除いては一様にこの有り様とサクラは聞いている。
「日本はもう、終わりですか……サクラさん」
ふと、後ろから聞こえてきた声にサクラは微笑む。やはり、そうだったのだ。
「そんなことありませんよ、長老さん」
サクラは振り返る。そこには、器用に二本足で立つ長老がいた。相変わらず左前足は無いが、尻尾が二股になっている。いわゆる、化け猫……
「……あそこに人間達が集まって暮らしている場所があります。私達は、彼等の残飯などを食べてきました。最初は……彼等にも笑顔があったのですが、最近は……彼等は笑わなくなっています。不便な生活に試行錯誤の農作業、それに肉体労働。彼等はすでに、ストレスの塊となっている……」
猫は目を合わせることを極力しない動物であるが、長老はサクラの瞳を真っ直ぐに見る。
「長老さんは、人間の事も考えているのですね」
「えぇ、世界がこうなる前には飼い猫でした。主を守ろうと御山に修行に行って参りましたが、結局は間に合わずで……」
「因幡山…稲葉山とか根子岳とかですか?」
「まぁ、そんなところですな。猫の王には会ってませんが」
長老は苦笑しながら言う。
「猫は山に集うもの、か」
サクラはそう呟き、咳払いをニ、三回行う。
「にゃ~ん。にゃ~~」(さぁ、長老、そろそろ冷えます。中に入りましょう)
サクラは猫の言葉でそう長老に声をかける。
「驚きました。猫の言葉を使えるのですか」
「にゃ~にゃ~♪」(まぁね、こと『音』に関しては専門だから♪)
サクラはニヤリと笑いながら屋上をあとにする。猫語を操る人形に人語を操る猫形。奇妙な会話は、ほんの少しで終わりを告げた。
すっかり日が落ち、猫の目が輝きだした時間。
サクラは猫達によって夕食に招待されていた。メニューはネズミと魚の背骨。
「…………」
薄々と何らかの予感めいた物は感じていたが、こうもストレートに出されると流石の神様も黙ることでしか表現ができない。食事はしなくても餓死する事は無いが、善意を断り食べないという事は失礼である。
パン!と、顔の前で手を合わせ、息絶えているネズミと今や人間の血肉と化した魚に精一杯のお礼と祈りを込め、目を閉じる。時間にして約三秒。
「……いただきますっ」
カッと目を開き、ネズミの尻尾を持って一気に口に含む。そして、歯で噛み砕く事無く喉の奥へと送り込んだ。
「ぷ、は、あぁ……び、美味です……」
そう猫語で話すが、涙を浮かべた状態では説得力に欠ける。
「ほぅ、見事な食べっぷりですな」
と、長老のフォローでわっと猫達が盛り上がる。猫達はそれぞれネズミや魚の頭、残飯などを食べ始めた。それを眺めながらサクラは一気に欠けたコップに注がれた水を飲み干す。
「やはり、生は厳しいですか?」
長老がそっと呟く。
「いえ、四日間何も食べてなかったので、これはこれで」
そう答えながら魚の背骨をポリポリと噛み砕いていく。ネズミより幾分マシだが、喉に刺さらないように注意しながら飲み込んでいった。
基本的に量は少ないので、大人の猫達はすぐに食事を終え、それぞれの会話を楽しんでいる。子猫達はそれぞれのご飯を取り合いながら賑やかに食事を続けていた。そんな様子をサクラは微笑ましく見つめる。
「何か、お礼しなくちゃね」
そう言って、スッと立ち上がり部屋の中心へ移動する。何をするのかと、長老や大人の猫達が見つめる中サクラは優雅に一礼をし、両手を広げる。そして、そのまま手を一定間隔で叩き始める。いわゆる手拍子である。
タンタンタンタン、タンタンタタタン。
タンタンタンタン、タンタンタタタン。
「気が付けばケンカばかり、まわりの事など見ないで~♪」
手拍子を打ちながらサクラは歌う。瞳を閉じて、サクラは歌う。
「世界を見失う事もあったけど♪」
失われた音楽を、もちろん猫達はしらない。ましてや詩を歌うなどというものを聞いたこともないだろう。それでも、それでも本能なのだろうか……瞳を閉じてゆっくりと聞きにはいる者、手拍子に合わせて首を上下に振るもの。子猫達も、じゃれるのを止めている。
彼等の中に、今、音楽が蘇ったのだ!
「私は笑顔を失わず、生きていこうと思う~♪」
サクラは目を開け、猫達を見つめる。歌うという事は幸せなのだ、楽しいんだ、嬉しいんだ、そういう気持ちを込めて彼女は猫達を見つめる。
「今~出会ったみんなと、生きてく夢を追いかける♪
果てしない世界だって~、旅をしていこう~♪
たかが十年別れてい~ても、残りの百年愛し合おう♪
そう、みんながい~ると、とても幸せになれるんだ~♪
輝く明日もあるし、生きて来た昨日もあるし♪
私は、本当に♪
しあわせになれると思うんだ♪」
ほんのわずかな、短い曲だが、猫達はわっと盛り上がった。実際にはにゃ~にゃ~としか聞こえないが、口々に先のは何だ?神様の技か?等と話し合う。中には一節を真似して歌おうとしている者もいた。そんな猫達を見ながら、サクラは手ごろな板屑と鉄屑を拾う。それを両手に持ち、カンガンカンガンとデスクを叩く。
「次はもっと楽しいのいきま~す」
さっきの手拍子よりも速いリズムを刻む。
カンカンカン、ガガカン。
カンガガカン、カンカンカン。
「いよいよ始まるこの時間!子猫と子猫のろっくんろーる!」
リズムに乗りながらの叫び。一瞬呆気に取られる猫達だが、すぐににゃ~おと気と取り直して跳ね回る。本能に刻まれたリズムなのだろうか、猫達は先の歌よりこっちの方が気に入ったらしい。器用に空中一回転する者やフラフラと立ち上がり歩く者等、曲芸を披露する猫達が雰囲気を高めてくれる。
「タイは好きか~!」
『にゃ~お!』
「マタタビは好きか~!」
『にゃ~お!』
「踊り明かそう、夜明けまで!」
『にゃ!』
少女の猫語と猫達のシャウトがビルに響く。
それはとてもとても楽しそうな叫び声で。
それはとてもとても嬉しそうな叫び声で。
それはとてもとても気持ち良さそうな叫び。
希望を求めるわけでもなく、絶望を嘆くわけでもない、ただ、今を、楽しむ声なのだ。
歌うという事は、とても楽しい事なのだ!
「ふ、あ~~~」
ボロボロにくたびれて少し中身が飛び出したソファの上で、サクラは人間の言葉で欠伸を噛み締めた。昨日はあれから、実に二十曲程の即興ソングを披露し続けた。同じ曲を覚えが早い猫と歌ったりもして、気が付けば太陽が昇っていたので、倒れるようにソファで眠ったのだ。
サクラは伸びをしながら窓際に行く。窓は全部割れてしまっていて外からの風が直接サクラの髪を揺らす。肩までのそれは、風に吹かれるままサクラの首筋をくすぐった。
窓からひょこっと顔を出して空を見た。ほぼ真上に太陽があり、それを覆う雲は全くなく地平線付近にまばらに見えるだけ。いわゆる快晴だった。
もう一度大きく伸びをして部屋を見渡す。
「ありゃ?」
あんなに大勢いた猫達が一匹もいない。まるで狐に化かされた気分、等と思いながらサクラはマバタキを二回。それでも猫達は現れない。
「狐に化かされた?いや、猫も化けるしな……もしかして狸かも」
ううむ、と腕を組みながら考えるサクラの目に一匹の子猫が部屋に入ってくるのが映った。
「あ、神さま」
それは最初に出会った黒い子猫だった。
「やぁ、猫さん」
サクラは子猫のそばでチョコンと座り、猫語で話す。
「あ、ボクの名前は月夜です」
「つきよ……?」
「月の綺麗な夜に生まれたそうなので」
「わ~、それは素敵な名前だよ~」
サクラは月夜を抱き上げ、そのまま頭の上に乗せる。そのまま立ち上がり、ピコピコと部屋を小走りにまわる。頭の上の月夜は楽しそうにキャキャと笑った。
「あ、河流だ」
頭の上で月夜が頭を上げる。部屋の入り口付近を見ているという事は、『かわながれ』も名前なのだろう。サクラも入り口付近を見るが、そこに猫の姿はない。もう通り過ぎた後なのだろう。
「友達?」
サクラが頭の上に聞くと、うんという返事が返ってきた。
「河流は、河を流されてたから河流。綺麗なオレンジ色の毛並みなんだよ」
単純な名前の付け方だけど、月夜に比べたら可哀想な気がする。まぁ、猫達のルールなのでサクラは口を出さない事にした。
とりあえず、サクラは部屋を出て階段を目指す。果てしてそこにはオレンジ色のお尻。尻尾の先は白いけど、あとは全部オレンジ色だ。
「きっと、ハグレの所だ」
「ハグレって?」
月夜の話では、このビルに住まず、集まったりもしない近くに住む猫らしい。真白の毛が特徴で、別に敵対している訳でもなく、一匹で住んでいるそうだ。そして、そのハグレに河流は助けてもらったらしい。川岸にいたハグレが偶然流れてきた河流の首をハムッと加えただけの話だが。
「なるほど。河流はハグレが好きなんだね」
「うん」
それを聞いて、サクラはニンマリと笑う。人の恋路を邪魔する者は馬に蹴られて死んでしまえ、なんて言葉が頭を過ぎるが、人じゃなくて猫だし馬なんていない、等と言い訳をしてクククと不気味に笑う。
「神さま、悪魔みたい」
「な、何てこと言うかな~。私は縁結びの神様の代わりをしてあげようと、」
「でも、なんか意地悪く笑ってたよ」
「いや、これはだね、人類が激減してしまった世に新たな命がだね、」
「猫語で人間のこと言われても……」
等と、程度の低い言い訳をしながらサクラは河流の後をコソコソとついて行く。河流はそんな一人と一匹に気づく事無く歩いていく。やがて、瓦礫が上手く重なり三角形の形を成している所で河流は止まる。三角形の中には一匹の猫。真白で凄く整った顔立ち。人間で言うと間違いなく美の文字が付くだろう、そんな猫が丸くなって眠っている。恐らく、あれがハグレだろうと思いながらサクラは近くの瓦礫に身を潜ませる。もちろん月夜も一緒に。
「ハグレ、ハグレ」
河流が呼ぶと、ハグレは片目を開ける。どうやら眠っていたわけではなさそうだ。しかし、くわ~っと欠伸をして立ち上がった。やっぱり眠かったのだろうか。
「また来たのか。そのうち、お前もハグレなんて名前で呼ばれるぞ」
ハグレは器用に河流の頭をポンポンと優しく叩く。
「……べ、別にいいよ。ハグレ河流で。うん」
何を考えたかは分からないが、河流は照れながら言う。人間だったら赤くなっているだろう。
「ねぇ、ハグレ、お願いだからみんなと一緒に住もうよ。一人でいるより安全だよ」
「また、その話か……言っただろ、オレは一人が好きなんだよ」
ハグレは再び丸くなり目を閉じる。何度も聞いている話なのだろう、もういいとばかりに欠伸をして、尻尾を振る。
「ねぇ、ハグレってば~。今は神様も来てるんだよ」
「神様?」
ハグレはスッと目を開ける。河流より少し向こうを見る感じで。
「うげっ」
と呟いたのはサクラ。間違いなくハグレと一直線に目が合った。
「あ~っ、月夜!いつもいつもついて来るなって言ってるじゃないの~!」
先のサクラの声に反応した河流は月夜と目が合う。なるほど止められていたのか、とサクラが思った時には、にゃ~にゃ~鳴きながら月夜は逃げた。それを追って河流も何事か叫びながら追いかけていく。
そんな二匹を見送りながら、サクラはハグレの前に出る。
「神様か」
「はい、神様です」
答えながらサクラはハグレの前に座る。
「……全然偉そうじゃないな。オレが随分前に出会ったヤツは死にかけでも偉そうだったぞ」
「あぁ~、それ爺さんだったでしょ。この世を作ったのは自分達だ~ってふんぞり返ってた連中だよ。私は大ッ嫌い。今、やっと世代交代したんだよ」
「ほう、神様というのも大変だな」
「まぁ、最後に世界をこんな状態にしちゃったけどね」
苦笑交じりにサクラは手を広げる。空は青く高い。太陽も月も星も変わらずそこにある。でも、地表はボロボロなのだ。誰がこんな風にしたと問われれば人間と答えるが、原因はと問われれば神と答える。
もしかしたら、神と人間の両方に罪があるのかもしれない。そして、人間達が現在苦しんでいる事とサクラがこの場にいる事が罪なのかもしれない。そう呟こうと思ったが、ハグレの姿を見てやめる。猫に話しても、愚痴にしかならない。代わりに別の話を始める。
「本当はね、悪魔なんていないんだ。悪い心だけを持った神が悪魔と呼ばれてる。でも、最近はそんな神はいない。ちょっと前まで悪魔だったのは、特別な能力を持ってたり優秀な神だったり……偉い地位にいる神様が全部追放していくんだ。自分の地位が大事だからね。天使達も、そう。薄い赤や青、黄色の翼はいいんだけど、黒っぽい色なら即追放なんだ。そんな事がず~っと続いて、ちょっと前に悪魔さん達が一斉に攻めてきたんだ。それで大戦争。結果は優秀な神が多かった悪魔の勝ち。今、この世を治めているのは元悪魔達。
こんな私達、どう?」
「……あんたは、神様なのかい?それとも、悪魔なのかい?」
ハグレは少しだけ考え、質問に質問を返す、という答えを出した。つまりは、非常に答え難い質問だということになる。
「どっちだと思う?」
それに対して、サクラは意地悪く笑いながら質問を返す。神と答えても悪魔と答えても文句を言うつもりなのだ。
「あんた優秀そうにないから、神様だな」
「……」
あまりにもすんなりと答えられたので、サクラは思わず固まる。自分では普通に神様をやっているつもりだが、そんなに不甲斐なく見えるのだろうか。何となく情けない気持ちになる。
「あれ、もしかして悪魔なのか?」
「神様だよぅ」
半分イジケながらも間髪入れずにサクラは答える。さすがのハグレも悪いと思ったのか、悪い悪いと目を合わさずに呟いた。
そして、沈黙が訪れる。
サクラは身体の力を抜き、だらしなく足を前に投げ出した。両手を地面に付き、上半身を支える。そして、丸い空を見上げた。ハグレもそれに習い、瓦礫から少し出て空を見上げる。ゆっくりと、本当にゆっくりと流れる時間と風の中でサクラは口を開く。
「ハグレは、みんなと一緒に住まないの?」
「……あぁ。一人が好きなんだ」
「ふ~ん……ねぇ、河流の事、好き?」
「っ、さぁ、どうだろう?」
「何?言葉つまったじゃん」
ニヤリと笑いながらサクラは空からハグレへ視線を移す。ハグレは誤魔化す様に欠伸と伸びをする。全く正直な猫である。
「河流は、君のこと好きだと思うよ」
「それは……気づいている……」
ハグレは誤魔化す様に顔を後ろ足で掻く。全く正直で可愛い猫。
「河流の気持ちに答えてあげたら?」
「……そうすると、あいつまでハグレと呼ばれるから、な」
「だったら、みんなと一緒に住もうよ。そうすれば、河流も喜ぶし一緒になれるよ」
「だが、しかし……」
言いよどむハグレを見て、サクラはそっと微笑む。そして、また青い空を見た。
「ほんの、ほんの少しの勇気だけでいいんだよ。人間でも神様でも悪魔でも猫でも、初めては怖いよ。経験したことがないんだから。でも、それさえ越えれば大丈夫なんだ。だから、君は弱虫なんかじゃないんだから、一人の淋しさに耐えれる者なんだから、これくらいの勇気、なんでもないでしょ」
サクラは心を込めながら話す。その表情はとても幸せそうで楽しそう。ハグレには少なからずそう感じられた。彼女の言葉への返事を考えていると、
「今晩なら、歌を教えてあげるよ」
とサクラが言った。
「ウタ?ウタってなんだ?」
ハグレには全く覚えのない言葉。記憶の片隅にも引っかからない、謎の言葉。
「今晩来たら教えてあげる」
サクラは器用に片目を閉じ、ハグレに合図する。そして、スッと立ち上がりハグレに背を向ける。
「あ、そうそう、ハグレってさ」
「?」
「結構、可愛いよね」
背中で複雑そうな表情をするハグレを感じながら、サクラはケラケラと笑い去っていった。
「やぁ、ハグレ♪」
昨夜同様のドンチャン騒ぎの中、現れた一匹の猫にサクラは片手だけ上げた軽い挨拶をする。その仕草に、全員の猫がハグレを取り囲んだ。
「ハグレだ」
「ハグレ~」
子猫が呟き、じゃれる様にハグレに飛びかかる。少し、驚きながらもハグレは甘んじて子猫達の体当たりを受けた。それを見た他の子猫も真似をして、ハグレに飛びかかる。もちろんその中には月夜も混じっていた。
「さっきのが、ウタというヤツか?」
子猫の下敷きになりながら、サクラを見上げる。サクラはピンポーンと言い、また歌い始める。先のとは違い、優しい歌だ。
「ハグレ」
サクラと入れ替わる様に河流がハグレの前に座る。少しソワソワしている姿が可愛らしく、サクラは歌いながら笑みを浮かべる。
「来て、くれたんだ……」
「……あぁ、来たというか……仲間に入れて欲しい」
ハグレはちらりと長老を見る。長老はピンとヒゲを伸ばし笑った。
「な~お~~~ぅ」
長老の雄叫びは、ビルに響いて、空に木霊する。つまりは、
「結婚式だ!」
何処かで誰かが叫ぶ。それは伝染するかのように次々と叫ばれていく!
戸惑う河流とハグレをサクラは見つめる。
少々照れた二人の姿にたくさんの子供達。まるで未来の姿じゃないか!
サクラは嬉しくなり、ステップを踏む。音もなく軽やかに舞い、二匹を祝福するのだ。河流とハグレの一生の思い出になるように。精一杯の歌と、下手だけど頑張って踊る姿を二匹にプレゼントするのだ。
「永遠の愛を誓おうよ~♪」
言うなればチープに聞こえるその歌も、今なら最高の歌に変わる。歌が世界を変えるのではなく、世界が歌を変えていく。それを感じながらサクラは、精一杯の『音楽』を二匹に贈った。
「あ~、なんて楽しい……」
瓦礫の地平線の向こうから出る太陽を見ながら、サクラは人間の言葉で一人呟く。猫達はみんな疲れて眠ってしまった。急遽訪れた結婚式というイベント。それを思い出し、サクラは声も出さずに笑う。本当に、本当に楽しかったのだ。前に来た時…荒神様や道祖神、土地神をやっていた時に比べたら全然違う喜びを感じる。
「ふにゃ~~~」
人間の言葉でも猫の言葉でもない不可思議な声を上げながらサクラは倒れる。身体が歌い踊りつかれている。でも、心地よい疲れ。朝の風が気持ちよく頬を撫でて行き、やがてサクラは眠りへと落ちた。
「ぎにゃ~っ!」
次の瞬間、サクラは急速に覚醒する。
さっき聞いたのは、意味の含まれない猫の言葉。
つまりは……悲鳴?
サクラが耳を澄ますと、階下がドタドタと騒がしい。
立ち上がり、階段へと足を進めた時、一人の男と目が合う。ふ~ふ~と息を荒くし、手には細く丸い筒。恐らく、瓦礫に埋もれていた鉄パイプの一部。それに付着した黒い液体と幾つかの体毛。
嫌な予感がサクラの背を疾る。
「いたぞ、魔女だ!」
男の声と共に、続々と人間が屋上へと上がってくる。
「ま、魔女……?」
呟き、自然と人間から離れようと後ろへとゆっくりと歩く。だが、人間達はサクラを覆う様に迫ってくる。
「し、死ねぇ!」
一番初めに入ってきた男が鉄パイプを振り上げ、サクラへ迫る。サクラは驚き、先程までより大きく後ろへ下がる。それが功を成したのか、男の一撃は外れ、床に甲高い音を響かせる。だが、サクラの足はそこで止まった。後ろがすでに屋上の隅。網も何もなく、落ちれば地上に叩きつけられる。サクラが下を見て、男を見た瞬間、鉄パイプが額を叩いた。刹那に意識がブラックアウトし、奇妙な浮遊感を感じて、サクラの意識が途絶えた。
「魔女を殺したぞ!」
「やったやん、幸助!」
「ほんまに、夜な夜な奇妙な喋り方しよって」
「猫巻き込んで呪いの儀式やで。残った猫も殺そや」
「そやな。みんな、俺らの幸せまであとちょっとやで!」
「おう!」
太陽が真上に来た頃、サクラはゆっくりと立ち上がった。額と首と左半身がズキズキと痛む。それでも、サクラは立ち上がった。
「…………」
目の前のビルを見る。
猫の住むビルは、赤と紅と朱と黒に染まっていた。
「!」
サクラは気づいて慌てて駆け寄る。瓦礫の下に、白く綺麗な体毛。
「ハグレ!」
サクラは瓦礫の下からハグレを引きずりだして抱き上げる。
「……にゃ~ん」(……神様か)
ハグレの弱い声と共に、サクラの膝に液体が滴り落ちる。
血だ。
見れば、ハグレのお腹から下が無かった。
「にゃ、にゃ~……」(こ、殺してくれ……)
恐らくハグレも御山で修行したのだろう。普通の猫ならとっくに死んでいる。サクラは唇を噛み締め、深い袖から一本の木を取り出す。木は荒く削られており、ナイフの形を成している。
「認識……『安らかに眠るモノ』……」
サクラの言葉は世界をほんの少しだけ変化させ、ナイフは光を放つ。それをトンとハグレの胸に突き刺した。それだけで、それだけでハグレの命を終わらせてあげた。
「……」
サクラはハグレを抱きしめる。決して汚れる事の無い神服が、ハグレの血を受け止めることなく地面へと流してゆく。
「み~……」(神さま……)
聞こえてきた声に、サクラはその方向を見た。黒のボサボサの毛並み…月夜だ。どこも怪我することなくチョコンと座っている。
「誰か、他に生きていないの!?」
サクラの問いかけに、月夜は首を振る。一瞬の希望と絶望。サクラは、また、唇を噛み締めた。
「な~」
意味の無い月夜の鳴き声。恐らく、嘆き。
サクラはハグレの亡骸をそっと横たえて立ち上がる。空を見て、風を感じて、大きく息を吸い込んだ。
「我が名は伝櫻月崎……近しい者からは櫻月と呼ばれている。地上から失われた音楽を伝える為、降臨した」
そう言い、中空を指で弾く。
不可思議に振動する空気、それは月夜に聞いた事もない音を運ぶ。
サクラはさらに連続して弾く。まるでギターをゆっくりと弾くかのように中空を指で弾いていく。音と音が重なり、調和し、和音となり、それは音楽となる。
♪この世界中に 舞い降りる
全ての命に 伝えよう
春の花も 夏の光も 秋の月も 冬の雪も
移り行くその全てが 美しく悲しい
神さまは 僕に教えてくれた
君の 笑顔のそばには
きっと きっと素敵な出来事が
いつまでも待ってるんだってことを♪
サクラの唄の余韻を残しつつ、静かに弦の音色は消えていく。
「長老…ハグレ…河流……みんな、みんな……これが本当の唄だよ」
サクラは手を合わせ、みんなに祈る。そして深く深く頭を下げる。決して悲しい顔を見せないように。
「みゃ~……」(神さま……)
月夜の鳴き声に、サクラは頭を上げ、振り返る。
「み~。……みゃ~」(ボクは御山に行く。あの人間達を残らず喰い殺すために)
その言葉にサクラははっきりと頷く。月夜の瞳には、すでに憎悪しかない。サクラには最初から止める気は無かったが、止めたとしても無駄だろう。御山に行かなくても、この猫は化け猫と化す。
「次に会った時、君が『櫻月』と呼ばなかったら、斬るよ」
月夜は一声鳴く。神様が自分を友達と認めてくれた事に、凄く嬉しさを感じた。それと共に覚悟を決めた。『家族』の仇を取る為に。
「にゃ~ん」(行ってきます)
月夜は背を向けて歩き始める。
サクラも月夜とは反対の方向に歩き始める。
暗い暗い御山への道へと歩む時、絶叫が聞こえる。神様の、女性の、女の子の悲鳴にも似た嗚咽。言葉にならない悲しさ。それをぶつける事が出来ない悔しさ。それらが全て一緒になって聞こえてくる。
「櫻月櫻月櫻月櫻月櫻月、っ、……」
自然と溢れてくる想いを堪えきれず、月夜は喘ぐ。未だ聞こえてくる神様の叫び。
「伝櫻月崎……」
少女の悲鳴を聞きながら、彼は暗い暗い道を歩いていく。
御山へと続く道を歩んでいく。
涙が枯れた後、櫻月は立ち上がった。叩きつけた拳が痛むが、額や首に比べたら別に苦にならない。ただ、心の痛みと比べれば身体の痛みなどゼロに等しい。
「さようなら。ありがとう」
呟き、櫻月は歩き始める。
ここの人間にはまだ余裕がない。もっと、優しい人達の所へ。
そうしたら、彼等と歌い踊ろう。
そして、歌ってもらうんだ。奏でてもらうんだ。一緒に踊るんだ。
少女は歩く。
神さまは微笑む。
いつかみんなが歌う日を夢見て。
おわり
2004年の電撃文庫大賞の短編部門に応募した作品。〆切三日前から書き始め、推敲もせずに応募したのを覚えている。落ちたのは当たり前。そのままを掲載してますので、誤字脱字がきっとある。