窓際ヒロイン忘年会
ビールがなみなみと注がれたジョッキを傾け、炭酸にまみれた酒精を流し込む。苦みが広がると同時に喉を爽快な刺激が包み込んでいく。ビールはのどごしを楽しむものだと知識の上では知っていたけど、実際に体験するのはこれが初めてだ。
「おぉー、いい飲みっぷりだ」
そんなことを言いながら、隣の席では愛が焼き鳥を串から抜いて一口サイズの鶏肉へと変えていく。箸で器用に引き抜かれた鶏肉は適当に皿の上に配置され、河原に寝転がる小石のように見えないこともない。
小石の群れに箸を伸ばし、砂肝を一つつまんで口の中へ放りこむ。私が焼き鳥のパーツたちをせっせと咀嚼している間もずっと彼女は解体を続けている。
「食べたらぁ? 全部もらっちゃうよ」
「串を残しといたらキミが凶器にしちゃうでしょ」
ねぎまのネギが私の手にした箸の先から転げ落ちて、残りの鶏肉の上に落下した。隣の女をにらみつけながら、右手をジョッキに持ち替える。
「あのさぁ、一体いつの話をしているの、アンタ」
「原作三巻の四章、放映話数で言うと第九話。だいたい一か月前じゃない?」
馴れた手つきで串から抜いた棒状のつくねを器用に箸で二等分しながら、愛はこちらを見ることなく口だけ動かす。
「あの話はすごかったなー、オータムの弁当に入ってたタコウインナーから爪楊枝を引き抜いたと思ったら、いきなりそれで刺し殺そうとして」
「あれはアッキーが八割いけなかったんでしょうが!」
「まぁ、おかげでいろいろと話題になったけどね」
そう言いながら焼き鳥一式が刺さっていた串をまとめると、空いた皿の上にのせて目の前のカウンターに立っていた従業員の男に渡す。そういうコイツの方が業界では話題になっていることを知った上での同情か。
威勢のいい声が前方から、後方から、四方八方あらゆる角度から飛んでくる。
ここは居酒屋。カウンター席に陣取るのは、私たち、赤が基調のセーラー服をまとった女子高生二人だけだ。
まもなく一年が終わろうとしている日に、女二人だけでわびしく開かれた酒宴はいわゆる忘年会だ。今年の九月から十二月にかけて放映された、ライトノベル原作アニメ『てのひらの幻想力学』の最終回終了記念ということで、年忘れも兼ねて集まろうということになったのだけど、主人公、後藤秋一はメインヒロインのあの女と二人っきりでクリスマス間近の街へ姿をくらました。なので、サブヒロインその一である私、夏目仄と、サブヒロインその二である林愛は仕方なく二人だけで酒杯を傾けている。
ちなみに年齢はお互いに二十歳という設定にしてある。非実在青少年である私たちは、「二十歳である」と言えばそれがだいたい通用する。便利な能力だと思う。
ビールを再び飲み始めると、後方から一際大きな歓声が上がる。
ふりかえってみれば、奥の座敷で団体が盛大な宴会を展開している。そろいもそろって見慣れた顔。『てのひらの幻想力学』と同時期に放送されていたオリジナルアニメの登場人物たちだ。
「いやー浮かれてる浮かれてる。ファンという名の信者が多くてつけ上がってる。アンチも根強いというのに」
黙々とネギを口に運ぶ愛が平坦な口調でぼやく。
あのアニメ、タイトルを実は憶えてないけど、とある有名なシナリオライターが手がけた作品ということで一躍有名になっている。シナリオは相当破綻しているらしいのだけど、元からヒット作品を連発してきた作家の作品なので、それまでの固定ファンが妄信的に「傑作」と評価しているらしい。当然、それに対してほぼ無条件に、あるいは論理的に批判する人がいるのだけども、とにかく表向きは今期一番の成功作品だ。
「成功しちゃえば関係ないんじゃない? あまり話題に上らないくらいなら、噛みつく人がいるくらい知名度高い方がいいと思う」
ジョッキを軽く叩きつけるように置きながら、私は正直な思いを口に出す。
あの話題作兼問題作とは対照的に、私たちが出ていた作品はそこまでブームになったわけじゃない。一部要素――先ほど愛が述べた、私の凶行――が少し世間で話のタネになっただけで、作品全体は「可もなく不可もなく」「当たり障りのない凡作」という評価。失敗ではないが成功とも言えない、微妙な立ち位置。個人的にはそれがあまり好きじゃない。
まぁ、夏目仄の爪楊枝刺突シーンよりも話題性を作った要素があるわけですが。
「そういや愛、結局人気投票はどうなったの?」
あぁ、と生返事をしながら、サブヒロインの同僚は清酒の注がれた盃を勢いよく傾ける。
「某アニメ情報誌のヒロインランキング首位。某巨大掲示板ヒロイン部門今期首位。総合だと四位」
感情を込めず抑揚もなしにスラスラと流れ出る事実が、このヒロインの特異性。作中で「あいりん」という、彼女の姓名を名前から音読みしたという設定のハンドルネームを名乗り、主人公を眼中にすら置かないデレなしの異常なまでのクールな性格、さらにセリフで並べ立てられる様々なITに関する知識は、『てのひらの幻想力学』に「IT網羅講座小説/アニメ」という通称を与えるほど。正ヒロインを食う勢いでキャラが立ちすぎている彼女は、もはやこの作品を象徴するヒロインだ。よくある幼なじみヒロインにすぎない私では、話題に上げてもらうことすら、屋上から校庭に向けて爪楊枝を投げて秋一に当てるようなもの。
と、八行も用いて同じサブヒロインであるはずの彼女の解説をしていると、さすがに気が滅入る。落差を感じると口からは深いため息しか出てこない。
「……まぁ、私だけじゃ『ての学』の成功はなかったと思うよ。キミが要所でアクションシーンをやらなかったら、今頃オータムは骨壺の中でしょ」
『ての学』は『てのひらの幻想力学』の略、「オータム」とは愛考案の秋一のあだ名だ。
「秋」だから「オータム」らしい。本当は「オータム1」がよかったらしい。
「うーん、あれはアッキーもよく動いてたから死なずに済んだんだと思う」
運動神経抜群という設定を持つ私は、シナリオのクライマックスでは秋一を様々な格闘シーンで守ってきた。が、秋一はヘタレではなく、むしろひねくれイケメンという主人公で、体力も結構ある。危険な場面はほとんどアイツ自身の力で乗り切っている。
「いや、でも不意打ちはことごとく防いでるし、ちゃんと戦うヒロインしてたよ。ついでにお色気担当も進んで買って出てくれたし」
「せ、制服切り刻まれるシーンは関係ないでしょ! いい加減にしろ!」
「え、パンツのことじゃないんですか? え?」
透き通る色白の顔が悪魔のように歪む。コイツ、やっぱり私を慰めるとみせかけて煽ってる!
「おおっと林さん、まさか着替えで全裸になったところをアッキーに見られたことを忘れたんじゃないんですよねぇ? アナタのヌードが地上波に流れてるんですよぉ?」
今すぐにでも自慢の正拳突きを憎たらしい顔に食らわせたいところだけど、ここは主人公を思う幼なじみ、暴力を抑えて冷静に煽り返しましょう。
IT博識ヒロインの特徴的な碧眼が、眠たげな半月型から満月のように丸くなる。
「アレに見られたからどうなの?」
心底、私を不思議に思う口調だ。
「自分が好意を持った男性ならともかく、オータムだよ? アレに見られて恥ずかしいと感じる神経がどうにかしてるでしょう。それに私はスタイルにそれなりの自信があるから公開されようと別に臆することはない」
そう、この女には、秋一ははじめから「異性として」眼中にないのだった。
やっぱり我慢できません、ここはやはり必殺の正拳突きをお見舞いしてやるしか――
右手を振り上げて席から立ち上がると同時に、愛の左手が私の顔の目の前に突き出される。
そのまま彼女は右手を動かすと、テーブルの上に置いてあったスマートフォンを手に取り、スイッチを押しながら右耳にあてがう。
「はい、林ですが」
そのまましばらく無言だったけど、やがてその表情は驚愕を示し始めて、受け答えを何度か繰り返しているとさらに喜びが混ざり合っていくのがよく分かった。最終的に、作品本編では聞いたことのない嬉しそうな声で「はい」や「ありがとうございます」などと応対し、三分とかからない内に電話を切った。
「幼なじみ、私は先に失礼するよ」
こちらにいつも通りの眠たげな顔を向けると、急に足元に置いてあったビジネスバッグを手に取って、中から取り出した財布から五千円札を一枚、文字通り私に向けて投げた。
「なんか、私を主人公にしたスピンオフ作品ができるんだってさ」
紺色のトレンチコートをはおりながら、林愛は冗談のようなことを口にした。
「どうも私に編集さんが目をつけたらしく、スピンオフを打診したら我らが作者様は快く応対。今から私と一緒に会議を開きたい、だって」
整理がつかない。あまりに急展開すぎて、なにがなんだか分からない。
「今夜は私が奢るよ。まぁ、キミも登場できないか相談してみるから、もしオッケーだったらスピンオフでまた会おう。それじゃ、よいお年を」
お構いなしに一方的に話し終えると、愛はくしゃくしゃに伸ばされた黒髪を振らせて、店の入り口の向こう側へと消えていった。
――どのくらいの時間立ち尽くしていたのだろう。
脳みその隅々が白く塗り潰されていくような感覚。握りしめた拳から力が抜けていき、だらりとたれ下がる。
右手に五千円札のざらりとした感触が伝わる。さわってみると、それはしわ一つない、ピン札だった。
反射的に右手がお札を握りつぶし、同時にカウンターの向こうへ向けて叫ぶ。
「『鬼ころし』一本!」
強烈な辛さの酒精が届くまで、ほほを伝って口に入った塩味に耐える時間が、ひどく長く感じられた。
※現実の作品に似たものが本編中に登場しましたが、特に他意はないことをお断りします。