ママチャリに乗った王子様?
初投稿となります
もしよろしければ、お手柔らかな感想などいただけるとうれしいです。
異世界転生者なのですが、異世界に行くまで少し時間がかかります。
ヒロインらしくないヒロインとその愉快な仲間たち?を主人公に
物語は住んでいきます。
第一話 ママチャリに乗った王子様
もうすぐ夏だというのに、軽井沢の風は涼しかった。
森を抜ける風が木々を揺らし、葉擦れの音が心地よく響く。
赤い屋根。
白い壁。
小さな庭付きの別荘。
ここが楠木まりの居場所。
正確には、生前の夫が買ってくれた家である。
ウッドデッキのテーブルには、焼きたてのホットケーキが二皿並んでいた。
紅茶ではなく、ミルクティー。
こちらも二人分。
向かいの席は空席だった。
「よし」
まりは満足そうに頷く。
綺麗な狐色。
ふわりと膨らんだ厚み。
じわりと溶けるバター。
今日の出来はかなり良かった。
三十六歳。
未亡人。
肩まで伸びた黒髪。
病弱なせいで日に焼けることの少ない白い肌。
年齢を言うと驚かれることが多い。
二十代後半に見えると言われることも珍しくなかった。
もっとも本人は気にしていない。
どうせ人は死ぬ。
犬も猫も人間も。
少し寿命が違うだけだ。
それがまりの考え方だった。
子供の頃から心臓に欠陥を抱えて生きてきた。
医者からは何度も長く生きられないかもしれないと言われている。
だからだろうか。
死を必要以上に恐れたことがない。
両親も先に逝った。
夫も先に逝った。
そして今日は、その夫――大樹の七回忌だった。
法要はしない。
墓前で泣いたりもしない。
死者は戻らない。
それくらい分かっている。
けれど。
大樹が好きだったホットケーキを焼くくらいは許されるだろう。
それだけだった。
「いただきます」
フォークへ手を伸ばす。
その瞬間。
ガシャーン!
家の前から盛大な音が響いた。
「ん?」
まりはすぐに立ち上がった。
大きな音がした。
なら確認する。
問題なければ戻ってホットケーキを食べる。
それだけだ。
庭の門を抜ける。
道路脇には赤いママチャリが倒れていた。
その横に青年が座り込んでいる。
「大丈夫ですか?」
声を掛ける。
青年は驚いたように顔を上げた。
そして。
まりは少しだけ目を瞬いた。
整った顔だった。
かなり整っている。
金色の髪。
青い瞳。
高い鼻筋。
長い睫毛。
まるで恋愛小説の表紙から抜け出してきた王子様みたいな顔だった。
なのに。
白いカッターシャツ。
薄い青のジーンズ。
そして赤いママチャリ。
絶妙に似合っていない。
「あ、大丈夫です」
青年は慌てて立ち上がった。
少しふらつく。
だがすぐに体勢を立て直した。
「救急車を呼びましょうか?」
「いえ」
青年は首を横に振る。
「本当に大丈夫です」
流暢な日本語だった。
「ご心配をおかけしました」
礼儀正しい。
そう言いながらママチャリを起こす。
「では失礼します」
頭を下げる。
そして自転車へ手を掛けた。
その瞬間。
ぐぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ……。
盛大なお腹の音が響いた。
森の鳥が一瞬黙った気がした。
「……」
「……」
沈黙。
青年の耳まで真っ赤になる。
「すみません」
消え入りそうな声だった。
そして何事もなかったように立ち去ろうとする。
だが足元はふらついている。
まりは思わず口元を押さえた。
少しだけ笑う。
本当に少しだけ。
「よかったら」
青年が振り返る。
「ホットケーキ食べませんか?」
「え?」
今度は完全に固まった。
そして青年の視線がテラスへ向く。
風に乗って漂う甘い香り。
二皿のホットケーキ。
青年は数秒黙り込んだ。
それから観念したように息を吐く。
「実は……」
「はい」
青年は口元を手で隠した。
少し俯く。
耳が赤い。
「自転車を漕いでいたら……」
「うん」
「すごくいい匂いがして」
「うん」
「少し気になったんです」
「うん」
「それで、どこだろうと思って周りを見ていたら……」
言葉が止まる。
沈黙。
青年はさらに赤くなった。
まりはしばらく青年を見つめた。
全部理解した。
「犬みたい」
ぽつりと言う。
「え」
「美味しそうな匂いにつられてふらふらして」
「違います」
「違うの?」
「……完全には否定できません」
まりは再び少しだけ笑った。
変な人だ。
いや。
大型犬だ。
たぶん。
「どうぞ」
庭へ案内する。
青年は恐縮しながら席に着いた。
そして不思議そうにテーブルを見る。
「誰か来る予定だったんですか?」
「いいえ」
「でも二人分……」
まりはホットケーキを見た。
「命日なの」
それだけ言う。
青年は何も聞かなかった。
「そうなんですね」
静かに頷くだけだった。
そして。
ホットケーキをひと口。
ぱくり。
青い瞳が大きく見開かれる。
「……おいしい」
その後は無言だった。
ぱくぱく。
もぐもぐ。
ぱくぱく。
幸せそうに食べ続ける。
もし尻尾があったら。
全力で振っている。
そんな顔だった。
まりはミルクティーを飲みながら、その様子を眺める。
――大型犬みたい。
それが第一印象だった。
その時のまりは知らなかった。
この金髪の大型犬が。
毎週土曜日になると現れるようになることを。
ホットケーキを食べて。
庭仕事をして。
チェスで負けて。
またホットケーキを食べる。
そんな不思議な関係が始まることを。
そして。
自分の人生最後の日まで付き合う相手になることを。
もちろん。
その青年も知らない。
ホットケーキの匂いに釣られて転んだことが、自分の運命を変えるとは思ってもいなかった。
木陰で。
いつものように昼寝をしていた茶トラ猫が、のんびりと目を開けた。
青年を見る。
まりを見る。
そしてテーブルの上のホットケーキを見る。
しばらく観察した後、猫は小さく欠伸をした。
――ああ。
見慣れた光景だった。
――また餌付けされたやつが増えたな。
猫だけは最初から気付いていたのである。
最後までお読みいただいてありがとうございます。
投稿は不定期です。
あと後半になりますが、残酷な描写も割と多くなると思います。
精神的にきつい話なんかもあるかもしれません。
できるだけ楽しくポップな感じで進められたらいいなぁと思っています。




