4話──その信仰心に拳を
想い人の妹を胸で受け止めるようにして守っている一人の少女──飯妻凛音は、一人、無力で非力な少年を思い返していた。
分からない事よりも、分かることの方が多くあり、理解し合えているつもりでいた彼女にとって、心に刺さるような謝罪と拒絶にも似た言葉。
「⋯⋯。私、わた、しを⋯⋯。どうしたら、見てくれるの⋯⋯」
静まり返った学生寮は今、爆発音とスパーク音と壁が何かで刺すような無数の数の音。
そして、悲鳴にも似た女性の叫びは聴こえなくなった。
その代わりという具合に、学生寮から避難しようとする同い年程度の子供の声と玄関から外へ出てきて騒音の正体を確かめようとする好奇心旺盛な学生の道楽的にも似た話し声で溢れていた。
そんな中、歳下の女の子の肩を抱き締めて、帰りを待っている凛音は暗く狭い玄関前で、ただ待っていた。
時刻は既に、十二の数字が短針を指した。
学生寮真後ろに位置する駐輪場付近。
アスファルトに転がる瀕死一人、男性二人。
その光景はまだ誰も気付いていない。
節木正門は眼前の男を睨みつけていた。
橙色の短髪に眼鏡をかけて、漆黒にも似た影を落とした瞳をした青年。
銀導が『ユース』と呼んでいたその青年は一見すると好青年に傍からすれば見えるだろう。
しかし、この男の服は斜めに斬られた切傷と服の模様が判別が不可能なほどに浴びた返り血が、強烈な不快感と嫌悪感を漂わせていた。
正門が返り血と分かってしまうのも、すぐ後ろで、横たわる瀕死状態の少女を見れば一目瞭然。
少年は自室で一度、この男に対して逃げる事を選んだ。
だが、もう次はそうはいかない。
ユースは既に邪魔者だと判断し、少年に狙いを定めた。
次にその着衣している服に血の染みの原料は少年になるかもしれない。
拳が震えていた。
クリーチャーと呼ばれる存在が人を喰う場面には多くあっている。
しかし、ここまで人の形を保ったまま、言語化も可能なクリーチャーと対峙したことはかつて一度も無い。
恐怖心が募っていく。
眼前に映る怪物は人の形をした化け物であり、本来は格上の存在だと、知ら締められる感覚が胸を締め付ける。
少年は拳を再度握る。
そんな恐怖心よりも、倒すべき敵だと正しく、認識する為に。
逃げないように。
『君さぁ⋯⋯。なに、殴ってくれちゃってるの?痛いんだけど?劣等種の分際でよくもまぁぁ⋯⋯。死にたいなら遺言ぐらい書く時間与えてあげるからさぁ⋯⋯、とっとと死ねェェェェッッ!』
「支離滅裂めぇ!!」
炎上していると錯覚する程の赫く滾る脚を地面に踏み込み、劣等種との距離を〇にしたユースは導にしたのと同じように、右脚であらん限りに蹴る動作に入り、少年の上半身と下半身を泣き別れさせようとする。
『ヒャーーーーハァァァァァッッ!!』
「──なッ!!」
正門にはユースの動きは『追えない』。
追えていれば人間では無く、超人の域である。
だから、ガムシャラに両手を前に触れようとする。
さながら、停電で真っ暗になったばかりで、灯りを求めるようにガムシャラに、必死に。
(ダッサ⋯⋯)
ユースは笑みを浮かべ、対象のゴミへ一蹴した。
文字通り、一蹴。
⋯⋯したはずだった。
『⋯⋯はァ?』
ユースの右脚は正門の左手に触れ、そのまま身体をくの字にしてバラす。
その体だったはずが、その脚は不自然な程に勢いを失い止まった。
『な、何が!』
「おおおーわぁぁぁぁ!!」
左手は右脚を突き飛ばすように払い退け、握られた右手は後ろに構えた。
ユースの顔面を地面に叩きつけるようにするべく、前身した少年。
ユースは理解し得ない事態が起きた。
赫く滾る脚は消え去り、元の状態に戻り、左手で所持いていた単語帳に記載されていた魔法名は、刻まれていた痕跡すら残さず、物の見事に消えていた。
『う、うわぁぁぁぁ!!!ッッガハァァァッッ!』
鼻っ柱を折る。という言葉の通り、鼻骨をへし折る勢いで右拳は振るわれ、後ろへと仰け反った身体は頭から地面に叩きつけられて、一回転した。
うつ伏せとなり、叩きつけられた鼻からは血が滴り落ち、掛けていた眼鏡は足下へと落下した。
「やっぱり、効いてる!何とかなるかも!」
『なんだァ⋯⋯その力!僕の魔法が消えたと言うのも⋯⋯そうだが⋯⋯』
鼻を抑え、単語帳と正門を交互に睨む。
劣等種と侮っていたのは事実。
しかし、狩ることに手を抜いていたわけでは無かったユースにとっては痛い打撃となり、混迷した。
『どんな力があれば、シルバーと同じ力がぁぁぁあ!!』
「同じ?」
(ち⋯⋯ちが、う⋯⋯)
倒れ伏せた導は確信していた。
重くなった瞼をギリギリ開けて、彼ら二人の一連の動きを見て、自身と少年の力の違いを。
(アレの原理は分からないけれど⋯⋯。私がやった魔法は使役。⋯⋯、彼のは殺害だ⋯⋯。でなければ紙を叩くしか直接な処法が無いユースの魔法を⋯⋯壊せる訳がない⋯⋯)
叛逆と紅の紋印、覆す緋剣は一つの魔法で使用された相手の魔力に直接干渉し、それを上書き、使役する魔法。
ユースの弱点を突く一つの対処ではあっても、一時しのぎに近い。
『シルバーのあの魔法も埒外だが、コイツのはなんだ?赫く光っていた魔法名も単語帳から消えてるし⋯⋯、なんなんだ!!』
左手に握られた単語帳の頁が捲られていく。
パラパラと、触れてもいないのに、勝手に。
意志を持っているように捲られていく。
「単語帳?⋯⋯そういえば、コイツ、部屋の壁ぶち抜いて来た時も⋯⋯」
そして頁は止まり、一枚の紙が立てられた。
『フフッ!お前、もう動くな⋯⋯』
「え?何言ってるんだ!勝利宣言は早すぎるだろうが!!」
『展開しろ──【白を渡り、黒を沈める選別の間】。⋯⋯終わったな⋯⋯お前ェ』
「は?ぐちゃぐちゃ言ってないで──」
噛み付くように捲し立てる正門を他所に地面は金の魔法陣が描かれ始めた。
正門、ユース、瀕死の導を囲むように描かれたそれは白い柱を形成して、さながら王の間の如く、ユースの後方に玉座が。
白のタイルで形成された場所に位置する玉座とそれに座り込むユース眼前にある段差の先。
ただの真っ平らな一面黒のタイルで形成された空間に正門と導。
「⋯⋯なんだ、これ?!」
気付かない内に、学生寮の近くにある駐輪場からRPGさながらの王城に出てきそうな空間が広かった。
辺りを見渡した正門。
それを玉座で座り込んで、悦に浸るユース。
そして、状況を確認させる為に、口に溜まった血を無理に吐きながら、伝えようとする導。
「こ、コレは⋯⋯はぁはぁ、はぁ」
「導!」
『動くなよ?』
「?!⋯⋯」
右手を前にして、静止を促すユース。
しかし、その言い方には危機感を促す、または煽るような物言いではなく、何処か、玩具を掴んで楽しもうとする子供のようにも見えた。
『その黒のタイル⋯⋯一歩でも動いたら死ぬからな』
「⋯⋯信じられないな⋯⋯」
『本当さぁ⋯⋯。僕はゴミ相手にも優しんだ。なぜ教えるかって思ってる?そりゃ⋯⋯勝てる相手にはせいぜい何も出来ずに惨めに死んでもらいたいからねぇ』
「終わってんな⋯⋯お前」
『アァ?お前は僕のところに来れなくても、僕はお前達のところに自由に出入り出来るんだ。言ってる意味ぐらいは⋯⋯わかるよな?』
疑心感が募っていく正門。
そもそも、敵の言う事だと一蹴して、踏み込むかと踏み出そうとした時だった。
「ほ、本当だ!⋯⋯ッ⋯⋯」
「導ッ!」
後方で血を垂れ流して倒れている導が伝える危機迫った物言い。
勿論、自身の身体的ダメージにより、表情が険しくなっているのを正門は理解しているつもりである。
それよりも、瞳が『やめろ』と訴えかけて来るのがヒシヒシと伝わってくる。
踏み込む脚を一度止めて、ため息を零す。
「はぁ〜。歩くなって言ったよな?」
『あぁ?そうだけど?』
「こうやって話している時点で口とかは動いていいって事は、タイルとタイルの間を跨ぐなって事だよな?」
『なんだぁゴミムシなりには理解できたか⋯⋯。さぁ⋯⋯僕に触れなきゃ、君のよく分からない力は発動出来ない。違うかい?』
「そうかもな⋯⋯。じゃあ⋯⋯折角だ。話でもするか⋯⋯」
『はァ?』
「お前、なんで導を狙うんだ?元々は仲間みたいな感じだったんだろ?」
『はァ〜。本来はそんな義理ないんですけどねぇ?まぁ、彼女も居るので良いでしょう』
「頼んだ⋯⋯」
さて何処から話したものか⋯⋯、と一幕置き、語り出したユース。
『僕達、クリーチャーにも勢力的なものが有るんですよ。総じて三つ』
そういい、指を三つ立てるユースは不敵に笑い出す。
『その中でも、我々は最強だった。僕と残り五人。そのうちの一人が彼女、銀の厄導。知っていますか?』
「本人から聞いた」
夕焼けの坂道で銀導と名乗り、そのついでのように言われた通り名にも近いそれを正門は決して、聞き逃してはいない。
『良いですねぇ⋯⋯。名乗って頂けるなんて!高潔で麗しく、煌びやかで⋯⋯そして、最強だった。それが彼女です』
「俺には、泣き虫で鼻たれにしか見えないが⋯⋯」
実際、八月三十一日は少女と出会った日でもあり、既に二回ほど涙ぐんでいる所を目撃している少年。
ましてや、そのうちの一回は虫相手に。
これで泣き虫と言わずして何とするか。
『口を慎め劣等種ッ!!!彼女の偉大さが分からないとは脳細胞の一つ一つが腐っていると見える』
「そう思うなら、お前の目も腐ってるな⋯⋯大きい病院一緒に行こうな。手でも繋ぐか?ハグれたら可哀想だし」
『⋯⋯一々と癇に障るなぁ。お前』
目元を震わせてピクピクとしているユース。
手を伸ばして、コッチに来いよ、と催促するようなジェスチャーを取るも、どうやらお気に召さなかったらしい。
「良いから続けてくれよ。劣等種なんだから、上の人が合わせてくれないと〜。コッチは上に合わせたくてもすぐバテて足引っ張っちまう」
『⋯⋯。まぁ良いでしょう。本来はお前に話すことなぞ烏滸がましい事この上ないが、語ってあげよう。何故彼女が麗しく、逞しくも、煌びやかで──』
「敵対してる理由だ馬鹿!もう話が脱線してるじゃねぇか。どうしたよエリート様?考える事をまとめとかねぇと後々困るのはそっちだぜ?」
『⋯⋯⋯⋯。チッ』
(今舌打ちした?)
聞こえるか、聞こえないか。
そんなギリギリのラインをついてくるような舌打ち。
何が怖いか。
態度はともかく、舌打ちをした際、顔が殆ど動いていなかったことだ。
ノーモーションによる舌打ちがユースには可能である。
「⋯⋯。お前、性格悪いだろ?」
『お前が言うか、それ?⋯⋯兎も角、彼女は強かった。しかし、ある日、彼女が言ったのだよ。人を襲うのを止めようと』
「こっちとしては大助かりだな」
『劣等種基準ではそうだろう。だが、既に人間側からは大多数のクリーチャーの被害を被っていましてね⋯⋯。増長はして欲しくないのですよ』
(増長⋯⋯か)
正門にも思う所は無い訳では無い。
少し俯き、再び顔を上げると、眼鏡を持ち上げて、血に塗れた服の内側の裾でレンズを拭くユースが悠々自適に正門達を見る事も無く作業に浸っていた。
『だから、クリーチャーの中でも上位の存在たる者だけで話し合いを設けましてね』
やっと拭き終えた眼鏡を元の位置へと戻し、手で大っぴらなジェスチャーをしながらわざわざ語るユース。
(コイツ、静かに話が出ないのか⋯⋯一々、挙動がうるさい奴だな⋯)
「それで?結果は?」
『彼女は危険すぎると判断されました」
正門は分かっていた。
そうでなければ、夕方頃に街路樹で一人縮こまるようにして倒れては居なかっただろう。
(わかっちゃいたが、寂しいもんだな⋯⋯)
「なんで危険と判断されることになった?」
『?彼女から聞いていないのですねぇ⋯⋯。信頼がないようで』
その言葉で何かを悟ってしまった者がいた。
「そ、そう、か。はぁはぁ、そういう事か⋯⋯」
その言葉は確かに少年の後方から聞こえはしたが、何をもってそうなったかの判断材料が足りなさ過ぎる。
(導の奴。なんか顔色がちょっと良くなったか?いや、でも⋯⋯どうだろ?)
二メートル後方にいる導の顔色を窺う正門。
確証がある訳でもない。
よく見ると、緑の粉末に似た何かが導の身体を包んでるようにも見えるが、それが何か、正門には判断がつかない。
結局、幾ら顔色が優れていても、少女の血に塗れた姿は痛々しい以上に悲痛であったのは確かだ。
『簡単に申し上げますと、彼女は一つの存在から分離した片割れなんですよ』
「誰の片割れで、誰になるんだ?」
『⋯⋯本当になにも知らないんですね。何故、庇っているのか⋯⋯頭がおかしいからか⋯⋯』
(え?これ俺が悪いの?)
教科書に乗ってあるでしょ?と、あたかも当たり前のように言い切るユースと、クリーチャー検定がドベな少年の歴然な差が出た。
『はぁ⋯⋯彼女は貴重な存在です。他の知性持つクリーチャーや人間の手に渡ると厄介なんですよ』
最優の知識を余すことなく、ドベな知識しか持っていない奴に対してこれでもかと口論で叩き伏せられた気分になる正門だった。
(くぅぅぅ⋯⋯正直、その正体は気になるけど。今はそれどころじゃないか⋯⋯)
「で?!お前が殺す理由ってそれか?狂信者」
『⋯⋯酷い言い草だぁ。僕が殺す理由ですか?決まってますよッ!!』
その言葉待っていました!と言わざるを得ない。
目をかっぴらいて嬉々として語る。
ユース・レスタンが導を殺す理由を。
子供が大人に夢を語るのと同じように晴れ晴れとしてそれでいて、心が踊っていそうな表情。
待ちきれない青年は。
血を服にベッタリと濡らしているユースは。
語った。
『彼女を誰かに殺される前に、僕が彼女を殺る。そして、彼女と同じ境地へ至る為ですよ!!これが、僕が彼女と出会ってから今日まで頑張ってきた理由です。分かりますか?僕のこの感情と理知的な思考による究極にして完璧にして圧倒的にして崇高の頂きに足を踏み入れる時の感覚!あぁ、言わなくても分かりますよ?人間だってそう言った感情で金をかけたり、優越感に浸って人を小馬鹿にするでしょ?あれと一緒だと思われるのは低俗ながらの考えでも違うんですよ!違うんですよ!!違っがうんですよ!!!!何もかも違うんです!金は消費するもの、優越感で馬鹿にするのは、傍から見れば弱者が弱者を脚で踏んでいる程度の感覚で、他所からすればどうだって良いって感想だって出るでしょうぉ?しかし、僕のはそれとは一線どころか五〇〇〇の線を引いても足りないぐらいの文字通り天地の差が、いや、一三八億光年先から地球の核と同等の差があります!何せ、彼女を食し彼女の存在そのものを自身に馴染ませ取り込み染み込ませる事で僕は彼女と同じになれるんですよ!死体になるだろうと考えているそこの愚図に拍車を掛けただけの汚物と肉塊と水とカルシウムの塊のお前!そう偉大で崇高な考えを全く持って理解できていないそこのお前だ!いいかい?クリーチャーは人と違い死体にならず塵になるだろ?つまりそこに着目したのさ僕が彼女を殺した後にその塵を食せば僕は彼女を取り込み血肉は塵と混じりやがて染み込んでいくつまり何が言いたいか僕は彼女になり彼女は僕となるこれほど僕にとって得なことはないでしょう勿論旅立たれる彼女の墓はしっかりと立てますよ立ててあげますともいや待て彼女と僕が同化すると言う事は墓はいらないか?そうだなきっとそうだそれに彼女の銀で麗しくも靡く髪黄金に輝く宝石よりも宝石をしている眼乾燥のかの字もない触れることさえ躊躇いそうな唇並べられた白く美しい歯あぁあの歯に食された物共が羨ましいィィィ!!ふぅそして笑えば見える汚れ一つないピンクの舌穢れを一切知らない肺肝臓全てを優しく溶かして潤しくてくれ胃腸何よりその綺麗で透き通った肌艶と整えられた爪と触れれば温かく優しく逞しくも感じて愛おしさすら覚えるほどの指どれほどあの指に恋焦がれたことか貴女に拾われてから今日までその事だけを考えて生きてきましたぁぁぁぁぁぁしかしけれどだからこそやっぱりきっとそれが全て全て全て僕のものとなる着飾りが楽しみだぁ楽しみだァタノシミダナァハハハハハハハハハッハハハハハハハハハハハハハハハハハ』
正門の思考はフリーズした。
(⋯⋯⋯⋯⋯⋯?⋯⋯素直にキモイ⋯⋯てか長⋯⋯いやキッショ⋯⋯誰だよ!こいつ育てたの⋯⋯後ろで同じく引いてるコイツだな)
導は知らなかった。
そういった感情を向けられている事を。
崇拝に近い形で接してくれていた事は知っていた。
しかし、それが原点が導をユースの物だけにして取り込む事とは知らなかった。
「ユース⋯⋯お前⋯⋯、そ、そんな事を⋯⋯」
彼は一人、別の世界に行ったかのように誰とも目を合わさずその世界に浸っていた。
「⋯⋯ごめん。話飛ばした?俺ちゃんと聞いてなかったのか?⋯⋯何でそうなる?通訳できる人!誰か教えて!」
『やはり、崇高に至ろうとする僕の考えに共感は愚か、理解も出来なかったか⋯⋯。嘆かわしい⋯⋯。ッ僕は憧れだったんですよ!彼女の存在そのものが!誰でもない!そんな僕がその彼女を着飾り、彼女と同じ極地へ至る!コレは試練なんですよ!彼女から与えてくださった一つの試練そのもの!!そうに違いない!!間違いッないッ!』
ユースの視線は彼女一筋。
一線にもうそれ以外が見えないという具合に派手なぐらいに彼女しか見ていない。
「イっているなぁ⋯⋯派手に」
『さて、お分かり頂けたでしょうか、シルバー?僕の崇高で偉大にして麗しく煌びやかな唯一無二の存在である貴女は、⋯⋯これから僕に殺され、供物になると言うことが⋯⋯』
「お前が俺に勝てるならだろ?それ?お前の事⋯⋯悪いけど、全然わかんない。でも、話して理解できるタイプでも無いってのは分かった気がする」
『僕は⋯⋯既にお前に王手を掛けてますよ?』
ユースは見る。
「え?」
ユースは考える。
話している途中ですら、その思考だけは止めなかった。
直接的接触があるからこそ、正門の力が働くのだと。
ユースは勝ちを確信した。
魔力量も潤沢にあり、ここから単語帳を開き、魔法を更に発動させて一気に叩く算段が既に始動している。
ユースは揺るがなかった。
勝利の美酒を噛み締めて飲み干す。
そんな嬉々的な準備は既に出来上がっていた。
倒れている少女の首を刈り取り、自身の首へ着飾る準備は始まっていると自身が何よりも酔いしれているのだから。
だから、短絡的かつ楽観的になった。
「お前。勘違いしてないか?」
『⋯⋯はァ?』
「見てればわかる」
右手を黒のタイルに徐に近づけて、そして。
『コイツ⋯⋯まさか?!』
触れた。
黒のタイルが鍍金を剥がすようにパラパラと黒の粒が上空に舞い始めた。
『なッ!!』
「終わりだな。この魔法も」
触れられた箇所から徐々に黒の粒は辺り一面に広がっていく。
境目になっていた段差を、さも当然と言わんばかりに、白色のタイルを汚染していく。
目を丸くしたユースは左右へと視線を移し、現状の事実を受け入れることを否定するかのように、その表情は歪んでいく。
『お前の力は直接、僕に触れなければいけない⋯⋯。それが発動条件。違うのか!!』
白のタイルに設置された玉座が黒の粒に変わっていく。
急ぎ立ち上がり、それを起こした男を見る。
ただ真っ直ぐ、笑みを零すこともせず、当たり前と受け入れている顔だった。
「⋯⋯誰もそんなこと言ってないぞ?お前みたいにペラペラ喋るほど律儀じゃないんだ。俺は」
『あ、あぁ⋯⋯』
元の駐輪場に戻った。
暗く、学生寮辺りから騒ぐ声も聴こえてくる。
それらに意識を削がれないように、眼前の敵を見る正門。
「さてと、次はなんだ?お前の魔法ってその単語帳が無いと発動できないって感じだけど⋯⋯。どの道、次に魔法を発動する前に⋯⋯その単語帳を破らせてもらうぞ!」
『く、クソが!!僕の理想、僕の崇高の前で!こんな辱めを!!この劣等種如きに!』
ユースへと脚を走らせて、右手を構える。
「勝手にベラベラと喋っただけだろうが!!」
左頬に向かい拳は振るわれる。
『クソ虫が!!』
それを単語帳をポケットに入れて、急ぎ、ぶつけられるはずだった拳を受け止める。
『所詮はガキの喧嘩程度。どんなに力があろうと!──』
次の瞬間、右拳を受け止めた左手には罅が刻まれた。
『なっ、んだ?!!』
「おらッ!!」
余った左手はユースの胸部にめり込むかのように肉を圧迫させ、息を瞬間、絶えさせる程の強烈な一撃。
《異端執行》による身体能力の上昇。
針が一つ進む程度では大したものでは無いが、二つ進めば話は変わる。
口から吐き出された唾液は宙を舞い、掴んだ右手を離しそうになるのを、少年が阻止するように無理矢理、掴みかかり、更におまけのように右頬に一発左拳を叩きつける。
『ぐはッ!あーあぁ⋯⋯クソッ!なんだコイツのパンチィィ!!』
右脚で正門の腹部に蹴りを入れて、一気に壁際へと跳び、壁を蹴り上げ、正門の左後方に設置されているチャリ置き場の屋根へと音を鳴らして着地する。
駐輪場に設置された灯りは雷怪鳥が内部爆発した際に壊れ、機能を失っている。
視界は先程の魔法で明るめの場所を形成していた為、暗さに慣れない。
それでも感覚が、神経が、骨が、肉が確かに痛みを発して、中から黒の粒が浮き出ていた。
不気味で不思議で不可解で不快感が募るに募る。
嫌な汗が流れる。
『な、なんだこれはぁぁぁぁ!!』
(どうなっているんだ!殴られた箇所よりも掴まれた箇所の痛みが酷くなっているッッ!!⋯⋯何がどうなっているんだ?!このガキの力は⋯⋯なんだ?)
何かの間違いと信じて、右手を左手で擦る。
それでも変わらない。
何も。
「どうした?」
『⋯⋯』
「お得意の魔法。使えよ。使わなきゃ、お前が死ぬぞ?」
『し、死ぬ⋯⋯?僕が⋯⋯』
左手を改めて見る。
掌は黒の粒が出来上がった亀裂から浮かび上がる光景。
(そ、そんなはずは無い。クリーチャーは死んでも、塵が空に帰り時間が経過すれば⋯⋯甦れる。僕達は無敵に近い存在だ!⋯⋯なのに、この黒い粒子はそれを⋯⋯)
拒絶している。
死を拒絶しているのではなく、存在を拒絶されているような絶対的な何かに侵食すらされている感覚。
少年を睨みつける。
ふてぶてしい態度を取るわけでも無く、淡々とそこにいるその劣等種は今、ユース・レスタンの生涯史上、最も恐ろしい怪物に早変わりした。
よりにもよって崇高な存在と同化しようとしている器がこれでは面目も糞もない。
焦燥は加速する。
嫌な汗は身体中から漏れ出る。
しかし、ユースは汗を鬱陶しいとも、邪魔とも思える程の余裕が無くなっていた。
(に、逃げる?いや、しかし、けど、でも、だって、どうしたら⋯⋯⋯⋯)
下手に視線を外せない。
眼前の少年は魔力を使用した痕跡を感じられない。
なのに、あの身体能力は不自然に思えて、不気味に思えてならない。
このまま油断し、一つの手順を間違えると確実に殺られる。
ユースの思考には優越感や高揚感、愉悦や慢心は消えていた。
あったのは死の恐怖と、溢れんばかりの敵への不快感のみだった。
(どうしたら⋯⋯。何をしたら、クソッ!何か⋯⋯何か、一発逆転出来る、僕に勝利の女神すら羨む程のチャンスを⋯⋯あぁ⋯⋯。まだ、殺せるチャンスはあった)
気づいてしまった。
たまたま、正門の後方あった物を鈍く、雲が邪魔して月の光が地へと降り注がないこの瞬間。
その月が僅かに雲から顔を出して光るものが見えた。
数秒程度で欲している物である保証は無かった。
しかし、ユースは縋った。
死神の首刈り鎌。
一振の鎌を。
正門に最初に殴られて思わず離してしまったそれは健在であった。
最初に殴られる前に正門は死神の首刈り鎌に触れる形で導を守る事に成功していたが、他と違って鎌は生きている。
チャンスが巡ったと、そう思わざるを得ない。
正門を殺す為の手順を脈々と構築していく。
走り出したら止まらない。
それが狂信者──ユース・レスタンである。
『フフッ。フフッ。ハーハッハッハッハッハ⋯⋯』
「?⋯⋯なんだ?何がおかしい?」
『喜びなさい!お前は僕に思考して殺されるだけの価値があると』
「は?え?お前、何言ってるんだ?」
『つまり、僕がお前という価値の無い存在如きに戦術を使うと言っているんですよ』
駐輪場の屋根を降り、ニヤけ面を浮かべていたユース。
(まだ、あれは使っていませんでしたねぇ)
単語帳を握り、頁が再度開かれる。
「やらせるか!」
その言葉と共にユースは後方へ跳び、距離を稼ごうとし、それを縮めようとする正門。
「鬼ごっこがお前の戦術ってやつか!小学生じゃないんだぞ!!」
『⋯⋯フフッ。今に言ってろよ』
そして、学生寮をぐるっと一周するように学生寮の正門と寮名が掲げられた看板がある所まで来てしまった正門とユース。
紫の光が単語帳に募り始め、焦りを感じる正門。
一方のユースは地の利をこれでもかと飛蝗のように跳び、時には壁を、時には柵を使い正門の攻撃をいなしていく。
「くそぉ!大人しくしろ!」
『フフッ』
振られた拳がユースが避けた事で壁に直撃し、右手の甲は三つ程の血溜まりを形成する事もあった。
そして、やってきてしまった。
玄関から外に飛び出し、寝間着のままデバイスを所持してベストショットを一目だけでも見ようとする少年少女達が『家の外』へと立ち往生していた。
「みんな?そうか、騒音被害と勘違いして⋯⋯」
眠たそうにする者もいれば、眠気は消え去り、明日の朝一番のビッグニュースを同級生に届ける為に邁進している者、一人で悦に浸る為にデバイスのカメラ機能を使っている者もきっといただろう。
「⋯⋯。みんなァァァ!部屋に戻れェェェェ!」
正門が叫んだ。
できる限り、聴こえるように。
響かせて、轟かせて。
(近所迷惑なんてあとで死ぬほど謝ってお中元でもくれてやる!だから、今だけは頼むから)
「節木!お前何やってんだ?」
「節木先輩!また何かやらかしたんすか?」
「節木君。こんな夜に叫んで何やってるの?」
「つか、アレ誰?」
「どいつよ?」
「アレアレ!ほら節木の前にいるやつ。男、なんから光ってるやつ!⋯⋯居るだろ?」
「ホントだ。何の魔法だ?⋯⋯さてはアイツか?騒音騒ぎの犯人」
「え?犯人?何処に居るの?」
「アイツだろ?傍迷惑な奴だぜ。晒してやろうかなぁ」
「そりゃいいや。こっちも迷惑してるんだから、あっちも迷惑しなきゃフェアじゃねーよな!」
(な、なんで、部屋に戻らないんだ⋯⋯と言うか、アイツ、なんでこんな目立つ所に来たんだ)
一斉に始まった話し声。
しっちゃかめっちゃかに聴こえる声は誰が誰と、どう話しているか、等と判断が付かない程に話し声は大きくなる。
下に居る正門を置いて、総学生数、七八人。
その内の四九人が、玄関から外へと出て、騒音騒ぎの犯人を一目見るために廊下へと赴いていた。
ユースの単語帳は紫色に照らされる輝きが増していく。
(!?しまった!こんなことしてる暇、無いんだ!)
しかし、遅かった。
一〇メートル先の男は正門に向き直り──唱えた。
『展開しろ。哀れなる仔羊達よ、戒めと共に傀儡と化せ』
「!?」
紫色の光は辺りを照らされて、学生寮を包み込む。
ドーム状の光は妙なほどに眩く、視線を塞がなければ失明してしまうのではないか、と意識させられる程の明るく、邪悪な光。
正門の眼前で消えぬ嫌らしいほどの笑いは、やがて自然と上の階で悠々自適にしている学生達に向けられた。
光が消えた。
ものの数秒。
瞼を閉じ、暗くなった視界を広げて眼前に未だ、敵の存在を確認する正門。
「何しやがった!!」
『言わない。僕は気付いたら、ベラベラと話してしまうらしいからねぇ』
不敵な笑みは止まない。
止むこと止めない。
「クソが!」
徐々に苛立ちが募る少年。
『ふーーふぅぅぅ。はぁぁッ。劣等種共!!』
「え?」
嫌な焦りが頬を伝う。
上の階で散々と聞こえた話し声は消え去り、静寂はユースの張った大声で去る。
『このゴミを処分しろ』
向けられた視線と親指で示された標的。
正門に。
「⋯⋯え?」
足音が一斉に始まった。
まるで示し合わせたかのように、予行演習でもしていたと言われた方が納得のいくほどに整ったタイミング。
玄関を出ていた学生達は皆、ドタバタと乱雑な足音を立てることなく、行進しているように綺麗な足並みで階を降りて行き、既に、一、二階の学生は正門に迫っていた。
(なんだ、コレ?これじゃあまるで⋯⋯)
「⋯⋯ッ!洗脳でもしたのか!」
『ご明察。コレ、僕の単語帳を破らない限り⋯⋯発動停止はできないぞ?あぁ、因みにね、この魔法。脳神経に負荷掛かるから、あんまし使うなって言われてる奴なんだったんだ!うっかりしてたよー僕ってやつはー』
「てめぇ!何がうっかりだ!やってる事、最低最悪じゃねぇか!」
その言葉に愉快そうな顔は消えた。
睨みつける眼光。
仇を見るように悔しさと忌々しさを含ませたその瞳は未だ、漆黒に染まっている。
『そうさせたのは誰だよ?蛆虫めが』
男子学生が両手を広げて正門に突きつけ始めた。
「【火の嵐よ。辿り至った業火で焼き払え──】」
「え?⋯⋯待てお前ら!」
詠唱は止まらない。
「【炎嗟の火弾】」
(⋯⋯クソッ!!マジかよ!!)
右手で受けた炎の火球はそのまま黒い粉となり散る。
昨日の夜ならばいざ知らず、今日は《異端執行》が機能している。
少年には逃げる要素は無かった。
一歩踏み出すように、そして、訴えかけるように火球を放った男子学生に話し掛ける。
「やめろ!そういうの向けるなら、奴に向け──え?」
目を疑った。
本当に狙うべき敵はそこだ、と示したくて顔の向きを敵にやり、指で堂々と宣言した時、見てしまった。
(は?⋯⋯えっ?あれ?)
眠気が来て、そうさせたのかと錯覚した。
緑色の光がユースの左手に発生しており、気が付けば、ユースが二人になっていた。
一方は正門よりも遠くに居て、緑に光る左手に単語帳を持っていた。
もう一方は正門に近く、何も所持していない。
それでも距離として正門から一〇メートルは離れていて、その距離を稼ごうと正門達から離れようとする後ろ姿が正門の目線には映っていた。
「は?おいテメェ!待て!みんなを戻せ」
『『せいぜい頑張れぇ。蛆虫君』』
(ハモってるせいでキショさ増したな、クソが!)
二人同じ同一存在がまるで双子のように同じ方向へ駆けながら顔を正門へ向けて嫌味が最後までたっぷりと詰まった言葉を残して後を去ろうとする。
追い掛けようと足を踏み出そうとするも、既にそれをさせまいと、学生寮側から声が響く。
「【凍てつく冷気で眼前の者を供物としろ──】」
「【知らぬ者無し。我があまねく所に刃有りて、不届く者に裁きの鉄槌を与えろ──】」
「【心象を形取る光の礫よ、一閃の瞬き共に裂け──】」
「【赫絶された炎よ、荒む矢を吹き荒らせ──】」
「はッ!?」
気付けば、四人、更に奥に、十数人は塊を作って正門に迫ろうとしてくる。
団子状態に等しくなっており、柵と人の渋滞で腕が押し潰されそうになっていたり、脚を踏まれて倒れてしまい、踏み台のようにされてる者も見えた。
(なんだよ⋯⋯これ?!)
ユースを追うことも出来ずに目の前にいる学生達と相手取らなければならなくなった。
「【氷点下の贈冷風】」
「【地凱砲剣】」
「【照明火花・散】」
「【業爀煉華の】」
合計四つの魔法が正門を襲う。
冷たい冷風が脚を元を凍てつかせようと吹かし、土塊で出来た八メートル級の剣は少年を突き刺すに迫る。
瞼を塞ぎたくなるほどの光は一点に集まったと思えば、前方を貫く閃光として射抜こうとし、赤い炎は禍々しく燃えて首元へと花弁となって襲い掛かろうとする。
「両手で足りるか?!いや、ここで相手しきっていたら何されるか分からないなッ!!」
少年は風も、土も、光も、炎も真正面から両手を広げたまま止まる。
手が押し込まれる感覚がやってきた。
冷たさも、ゴツゴツ感も熱さも無かった。
「目に物見せてやるッ!!」
眩しさは耐えざるを得なくなり、片目を瞑るような状態となるも、意識を魔法へと集中し、身体の向きを左側へと思い切り捻り、勢いに任せるように。
放たれた魔法は半ば放り投げる要領で軌道を変えて、ユースのいる方角へと飛んで行った。
『ざまぁないぜ!⋯⋯これで、後は⋯⋯?!⋯⋯ハァッ?』
水色にも似た青が色を成した風と、巨大で部屋に飾ると邪魔にしかならないそのゴツゴツとした柄が無い黄土色の剣と、白も混じった黄色の光線を約五本分と、猛猛しく、接触した地面を燃やす勢いを持った赤の炎は遠方にいるユースの元へと捻り、向かった。
『どうなって⋯⋯?!!』
とてつもない爆発音とその衝撃が正門やすぐ側まで近付いて居た学生達を巻き込むように吹き飛ばした。
ユースの近くに存在している部屋は半壊し、敷地と歩道を区切る為にあった壁の一部や生えていた木も抵抗するようにして吹き飛んで視界から消え去り、ユースの叫び声は途中からしなくなった。
お隣の建物と学生寮の間にある壁に凭れるようにして倒れた正門はすぐに目を開ける。
「うッ!!」
背中に痛みが走る。
衝撃と共に叩きつけられた事で発生した痛みに悶えるようにして倒れ込む。
「⋯⋯あの野郎⋯⋯どうなった?」
か細く見開く瞳は煙が立ち込める位置から左右へと男の存在を探す。
(居ない?やったのか?でもさっき、二人いたようにも見えたが⋯⋯。?!アイツ⋯⋯なんで──)
見知った顔が映った⋯⋯。
そんな気がした時。
『待ってたァァァ!!この時をォォォッッ!!』
ツーンと耳を鳴らす音に雑音でも混じるように響いてくる探していた男の声。
ピンピンしているようにも聞こえてならないその声の主は正門の左側にある歩道と寮を仕切る壁を大きく飛び越えて鎌を所持していた。
「?!」
『ハッハッハッハ!俺の魔法を甘く見過ぎたな!クソ蛆虫野郎ォォォ!!!キイィィィィラァァァァレェェェェェェロォォォォォォォ!!!!』
「懲りろッ!」
鎌は首へと走っていく。
鎌を持つ男は頬が歪んだと錯覚する程の笑みが窺える。
既にもう、腕は首を刈るための体勢になり、後はその腕を余すことなく振り切れば全てが終わる。
(お前のような蛆虫相手に僕の【魔法貯蔵】をここまで使わされたんだ⋯⋯もう死ねよ!死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね!死ねェェェェ!!)
【魔法貯蔵】
ユース・レスタンが覚えているただ一つの魔法。
一度、ユースが視界に入れた状態で魔法を記せる物に魔法名を書くことで、その魔法を三回のみ使用できる。
三回の上限を超えると書いた魔法名は消えて、再度使いたい場合はまた、視界に入れた上で書き込む必要がある。
更に、記されている魔法ならば、三つの魔法を同時に使用が可能。
記せるならば使用出来ない魔法は存在しない。
例外など一切無い。
そして、最大の特徴は魔力から魔法へする為の要素。
『変換』『構築』『発動』の三つの内、『構築』をショートカット出来るということ。
『構築』の要素は魔法の形の具現化を意味するが、既に魔法貯蔵に貯えられているのは構築済みの魔法。
『構築』の枠組みに入る詠唱も【展開しろ。】から始まる魔法名のみの為、『構築』を事実上、元となった魔法に比べて省けているという仕組みだ。
そんな愉快素敵な魔法にも弱点がある。
一つ。使用する魔法は本来の魔法使いが使用する魔力よりも多く消費する。
コレは元の使用者が魔法で消費した魔力に準じて消費量が決定する為、たとえ弱くて使い所のない魔法であり、多くの魔力を消費することになっても、その消費する魔力+αとして消費される事となる。
二つ。記した魔法のデメリットは変わらないという事。
毒を使う魔法があり、それを使用したとしても、それに対する対処は自身が別途で補わなければならない。
三つ。この魔法貯蔵を使用したが最後。
生涯、これ以外の魔法はどんなに頑張ったとしても習得は絶対に、必ず、必然的に無い。
例外も無い。
そんな、魔法貯蔵を使い、ユースは自身を二人にする魔法。
【対となりし、我が鱗木の仮面】を使用。
この魔法は本体と分体を入れ替える魔法であり、捻って無理矢理、魔法の軌道を変えた際にまだ、本体が接触する可能性が確かにあった。
あくまでも保険。
そのつもりだったユースは急に遠方から飛んできた魔法に慌て、急ぎ魔法を発動して入れ替え、窮地を脱した。
次に、土と瓦礫を含んだ爆風に皆が足を止めている間、学生寮の敷地を一度離れることを選択する。
本来はここで魔女が愛した血濡れの靴を発動させ、脚力を底上げして爆発から逃れる予定だったが、正門に壊された為、泣く泣く爆発に巻き込まれてしまう。
その後、起き上がると同時に死神の首刈り鎌を解除し、導の倒れている付近にある鎌を強制的に回収して再度発動。
そして、壁を飛び越えてユースの両手に握られた鎌は刻一刻と迫る。
「⋯⋯」
(勝った!!)
ユースは確信した。
(この距離で避けれる訳がない。僕の勝利だ蛆虫君)
「うわぁぁぁぁぁ!!させるか!!」
『なっ!?はっ?!』
正門の右方面で雄叫びを上げて走ってくる声が聞こえる。
少年は知っている。
誰が来るのかを既に。
か細く見開かれた瞳に確かに映った姿を少年は知っている。
ユースは視野狭窄となっていた。
近付いてくる足音は普段の彼ならば見逃さない。
しかし、奢り以上の慢心と核心めいた勝利への確信が鈍らせた。
瞳はその声の方向を確かに見る。
聞いたことも無い雄叫び、理想、崇高、頂き。
如何なる言葉でも、その要素が欠片たりとも無い少女を見てしまった。
『シルバー⋯⋯ッは!』
「遅い!⋯⋯相手はコッチだ!!」
『しまった!!』
鎌を握る手が緩んだ。
そう気付いたのは既に眼前にいる少年が飛び上がった後。
右手は死神の鎌へと伸ばし始めていた。
「正門ッ!!」
声援か、心配かそれは恐らく本人にしか分からないであろうその声の主は少年を真っ直ぐと見ていた。
右手は鎌へ触れたまま、刃が掌に食い込むことを承知で握る。
そして、触れてしまった。
死神の首刈り鎌の核たる部分を。
『あっ!な、何故!』
首を刈る為に掴んでいたグリップ部分が忽ち黒の粒子に変化されていき、刃の部分だけが宙を舞っていく。
導は知っている。
一度触れたはずの鎌が何故、今になって壊れたかを。
(死神の首刈り鎌はあくまでもグリップを握った者の魔力を常に供給して発動する魔法。そのグリップが核なのだから、そこを触れられれば砕けるのも必然だよ!)
「行んだよ!!正門!!」
『嫌だ⋯⋯』
「ダメだ」
鎌を壊した右手でグリップを握っていたユースの右腕を掴み、正門の右方向へとやる。
余った左手グッと握り、力を込める。
今から叩くぞと合図を促すように。
掴まれた右腕は亀裂が入り、声にならない痛みを発するユース。
『〜〜〜!!ッ!!〜〜〜うぐァァァァアァァァァア』
構える体勢は整った。
宙へ飛び上がっていた二人だが、もうすぐ地面へと脚が着く頃合い。
それをわかってはいなかったものの、正門は先程まで凭れ掛かっていた壁へ右脚を蹴るようにし、ユースとの距離をほぼ〇にすると同時に僅かにユースよりも高い位置へと飛び上がる。
痛みに堪えて、怯えるユースの瞳には拳が映った。
「そのひん曲がった信仰心を一からやり直してこいッッ!!!」
背中から仰け反るように体勢が崩れていくユース。
『死ぬ』
心に思った言葉が出てしまったユースを一体誰が責められようか。
大きく右下方向へ身体を翻す勢いで左拳はユースの顔面へ直撃し、地面へと叩きつけるようにして拳を振り切る。
指にすら力が入らなくなったユースの身体は地面をバウンドし一メートル先の導の前方に倒れ伏せた。
ユースの意識は既に無くなっていた。
瞼を閉じ、鼻から血を垂れ流して、口を僅かに開かせて眠りに着いた。
襲撃者は撃沈された。
『ねぇーグランちゃん。ユースくん、やられちゃったよ?』
人差し指で面白がるようにして黒のワンピースを風に靡かせながら騒ぐシルティー。
グラン、と言われた老人は額に手を添えてそれはそれは痛ましそうに口を開き言う。
『はぁ⋯⋯口先の坊主はこれだから嫌なんじゃ⋯⋯』
『グランちゃんもそうじゃ〜ん。⋯⋯ごめんなさい』
白髪の髭が腹部辺りまで伸びている老人は生意気な小娘とは違う、高い身長を駆使して見下ろすようにして睨んだ。
口を手で抑えて驚いた素振りを見せたシルティーは顔を下げて謝罪。
『謝れるシルティーはいい子だのぉ⋯⋯。さて、引取りを開始するかのぉ⋯⋯』
『おおー!!』
『お前さん。何もせんじゃん⋯⋯コレ!それは!イチャッ!!⋯⋯あぁ、噛んでもうた⋯⋯』
シルティーはグランの手を握るつもりが長く整えられた髭を握り、紐を引っ張るようにしてグランを困らせていた。
挙句の果てに、舌を噛ませてしまう少女。
『アハハハッ。グランちゃん面白〜い』
『わしゃ、そうでもないがのぉ⋯⋯』
ズレてしまった右眼の眼帯を元の位置に戻したグランは溜め息を零して、魔法の唱えた。
学生寮の屋上。
二人の影が居たことを誰も知らない。
ユースすらも。
「なっ!!」
「⋯⋯」
正門は意表を突かれた事により、開いた口が塞がらなかった。
導はなんて事の無いと言う雰囲気で座り込んで、その事態を黙って見ていた。
「おい!ユースって奴、急に魔法陣が出たと思ったらもののすぐに⋯⋯えぇ!?」
ユースが倒れていた場所を指し、状況を口にしようにも、初見による驚きが強すぎる正門。
そんな反応を見て、苦笑いをする導。
「驚きすぎだよ。ユースの方がある意味では凄い魔法使っていたろ?」
「でも消えて⋯⋯。普通、クリーチャーってのは塵になるだろ?でもあれじゃまるで」
「連れ去ったって?あぁ、当たりだよ」
正門が見た。
青色とそれを縁取る白色の魔法陣が突然、ユースの周りを囲むように地面から浮き出る様子と、正門が危険を察して触れようとする前に、魔法陣が上空へと上がり、倒れ込んだユースをさながら、マジックのように消えてしまった状況を。
魔法陣も上空に上がったきり、雲を突き抜ける前に消え去り、正門は見るべき視線を二点、三点と散らしながら徐々に情報の処理に手間取っていく羽目となる。
「恐らく、ユースの仲間が今回の騒動を見ていて、彼を回収したんだよ」
導の視線は依然、正門を見ている。
しかし、その言葉は本来、もっと恐れ、緊迫感のある状況に早変わりしても良いはずだった。
少女の予想を語る声色は優しく、不思議と敵意が無かった。
「じゃあ!まだ近くに⋯⋯」
顔が引き攣り出した少年。
近くにいる可能性の危惧。
しかし、少年は護衛と言うものや、警護、何かしらの守護の任に着いた事のあるエキスパートでは無い。
下手に視線だけをチラチラとさせて、座り込んでいる導の周りをウロチョロと歩くのみ。
そんなどうしようもない子供に思えた導は少し笑みを零すと追加の情報を与え、少年の警戒レベルを下げる事を思い付く。
そして、徐に立ち上がった導。
「どうだろうね⋯⋯あんな転移の魔法を使える存在は知っているけれど、用心深い奴だから、もう居ないんじゃないかな?君との相性も最悪だし」
交わされる視線は安心を与えようと優しく、朗らかな印象を受けるそれだった。
「?」
立ち止まった正門。
「もう、戦いは終わったと言うことだよ」
傍まで寄った導は正門の肩に手を添える。
溜め息が正門の口から漏れた。
ふと、夏の夜による暑さが抜けきらない空気を久しぶりに感じ取ることが出来た正門。
緊張による鈍化か、恐怖心との対峙による焦りからか。
ジメッとした暑さも、風の生暖かく肌に伝わる感触も全て置いてきていたようにも感じ、ようやく元の日常に戻った。
正門は肩の荷がおりたように座り込む。
(終わった⋯⋯んだよな⋯⋯?)
疑問や今後の問題はひとまず置いておき、脱力した正門は背後にいる導を見る。
ふと、導が笑っているように見えた。
ただし、一物抱えているような含みのある笑みであった。
「それよりだよ!」
正門の頬をつねってくる導。
「え?!なひぃー!!
ほれひしょー、なひかありゆってのは?!」
「あるよッ!!⋯⋯助けてくれた事には感謝しているよ?本当に⋯⋯。けどね!逃げろと言われて逃げるのが普通だろ?なんで逃げなかったんだい?」
つねる頬を離し、真っ直ぐと目を向けてくる導。
思い返せば、割と早い段階で正門は導の元へと行った事になる。
正門の体感的には一、二時間は経ってから向かっていたが、実際は三十分も経っていない。
何かしらの案があり向かったと言うよりも突然やってきたに等しい正門。
導からすれば、折角、命を張って助けたはずの存在が、キメ顔をしながら助けたようなものだ。
しかも一度は逃げておいて。
「え?⋯⋯それ?⋯⋯言ったろ!助けたかったからって」
嘘をついていない事は導とて分かっている。
理解はしているつもりだ。
納得が出来ていないだけで。
「君、一歩間違えたら死ぬかもしれなかったんだよ?何で、会って一日も経っていない奴の為になんでそこまでするのさ⋯⋯」
問題はそれだった。
導なら捨てる。
一日の付き合いだけで、特に生涯を共にするパートナーでもなければ、何かしらの勅命で守護しなければ、首が飛ぶという訳でもなければ、誰かから託されたという訳でも無い。
助けを乞うたのは導からだったのは確かだ。
しかし、それは夕方の街路樹での事で、夜の襲撃に関しては自分自らが、少年を逃がす為に行動した。
襲撃者相手に勝てないと知りながらも挑んだ。
正門は導の疑問に解いを出す。
「⋯⋯⋯⋯。責任、果たす為、かな?」
「責任?」
言葉の意味を知らないわけではない。
分からないのは、何に対しての責任なのかだ。
(正門に⋯⋯負うべき責任があっただろうか?)
「お前を生かした責任」
その言葉は、妙に導の胸に突き刺さる。
自分の泣き落としにも等しい行動で男の子を誑かした事と見苦しい程の図々しさで家に招き入れて貰った事への自覚はある導。
事情を話し、数日経過して傷がある程度癒えれば、去ろうとしたのも本当で、《異端執行》のクリーチャーの存在に対して特攻が掛かることも、クリーチャーを視認する事で何かしらの音が鳴る事も導は知っている。
罪悪感もある。
けれど、それを責任として背負い込んだ者を見過ごす程愚か者でも無かった。
「⋯⋯後悔してるかい?」
「正直言えば、ちょっとしてた」
「⋯⋯」
普通はそうだろう。
善意で助けた人の鞄の中身は爆弾でした!
誰が聞いても後悔する内容であり、ましてや今回はその爆弾のことを語ろうとしなかった。
最悪手にして悪辣非道の限りで殺しに来ていると思われてもなんら不思議では無い。
無関係の人間も怪我を負い、被害は建物だけでは済んでいない。
誰だってこんな奴を助けた事を後悔する事態だろう。
しない方がおかしい。
導は黙ってしまった。
謝罪が先か、事情を語るのが先かを迷っていた。
結果、謝罪を選択し、頭を下げようとする。
「言っとくけど、過去形だぞ?別に今はどっちでも良くなった」
慰めか、或いは同情か。
どちらにしても導のする事は変わらなかった。
「⋯⋯それでもだよ。⋯⋯⋯⋯申し訳ない」
ゆっくりと下げた頭。
身体は謝罪に対して遺憾でもあるのか震えて、痛みを発してくる。
そんな資格すら無いと、蔑ろにしている導とその導の頭に触れようとして、ピタッと止まる正門。
(いかんいかん。円香と同じ接し方に⋯⋯自重しねぇと⋯⋯)
顔付きが妹と同じ事もあり、どうしても年下を相手する感覚が抜けない正門。
(ちゃんと、謝罪はしてくれているんだよな⋯⋯)
とは言え、全体的な被害で言えば、建物損壊に学生が十数人昏睡。
怪我人は把握してはいないが、少なくても正門は軽傷どころかほぼ無傷。
更に言えば、正門の部屋の壁が壁としての機能をしなくなった事を除けば、あれほどの敵に対してよくやれた方だと正門は思う。
勿論、比較対象はいない。
ただの傷を舐める愚行と同じで慰めたいだけなのだ。
「良いよ⋯⋯」
数秒の間が流れて、口から発した言葉は優しい声色だった。
謝罪の受け入れであり、互いの傷を舐め合う愚行へ誘う合図。
「クリーチャーはワタシの命を狙ってやってくる。君達にはもう関係ない話だが、皆の当たり前はワタシの存在一つで危機的な事態にまで逼迫する事だってある。わかっていて⋯⋯縋ってしまったんだ」
その言い訳は少年には理解して欲しくて愚図る子供のようにも、裁かれたくて罪を告白する者にも見えてならなかった。
「⋯⋯だったら、他人の人生掻き乱すって自覚あるなら俺の所へ居ろよ。」
「⋯⋯えッ?!⋯⋯正気かい?君!!」
目を見開き、視線を向ける。
何を言ってるのか、分かっていないのではないか?
少女がその判断に至ろうとしている。
しかし、少年は無碍にもそれを一蹴する。
「正気だよ。それに、縋ったんだろ?俺も⋯⋯縋るだろうしな」
最後言葉の意図は導には分からなかった。
何をもって縋るのか?
縋る要素が何処にあったのだろうか。
(同じ状況なら縋ると⋯⋯言うことか)
結論を解いた。
導なりに咀嚼して理解と言葉の意図を繋ぎ合わせて呑み込んでいく。
「⋯⋯。言っておくけど、ワタシはかなり面倒臭いよ?」
最終確認のように問う。
既に面倒臭い少女になりつつあるのを自覚して。
それでも、吹っ切りたくて募る言葉。
「面倒臭いのが一人増えただけだな。誤差だ誤差」
なんて事の無いように言い切る少年。
「意味の分からない文句だって言うかもしれない!」
頼っても良いのか。もう一度、縋ってもいいのか。
八月三十一日の夕方頃に少女は生涯初、生き恥を晒すように縋るという行動に出た。
そして、結果は被害が出るという愚行。
なのに、まだ、縋ろうと藻掻いている様子は少女を知っている者ならば鼻で笑い、侮蔑と嘲笑をこねくり回した言葉を少女に送るだろう。
そんな事情をまだ全て知らない少年に行っている少女は傍から見れば何に見えただろうか。
悲劇のヒロインか、地獄にまでしがみつく悪魔か。
だが、少なくても。
少年にとっては違う。
「一緒に住んでたら文句の一つや二つ、あって当然だろ。あれか?芸能人同士で結婚したら喧嘩すらしないおしどり夫婦って思ってるアレかぁ?」
「また、敵が来るかもしれないんだよ?今度はもっと強い奴が!!」
語気は強く、否定が欲しいのか肯定が欲しいのか。
少女は語れば語るほどに沼に沈まっていく。
「⋯⋯フッ」
それを鼻で笑う少年。
「何がおかしいんだい?死んだら元も子もないんだよ!?」
至極真っ当な答え。
命は何においても一つで、クリーチャーであろうと人であろうと変わらない。
リスクで爆弾で、危険な存在の少女を置いておく事の方がちゃんちゃらおかしい。
それでも、少年は優しく言う。
「いや、ごめん。⋯⋯安心してくれ。円香だけじゃなくて、お前の事もちゃんと守ってやるよ。約束する」
「⋯⋯」
少女は思い返す。
圧倒的に貧弱で魔法を二つ使う程度で魔力が枯渇する程に弱く、脆弱となってしまっただけであり、見知った仲のユースですら驚く程の弱さ。
しかし、それ以前ならば、圧倒的で人間の頂きすら軽く届く領域の魔法すら習得している『最強』を継いだ存在。
そんな少女は生涯一度も『守られる』を知らない。
『助けてもらう』や『援護』はある。
けれど、身を預けると言うことをした事が無い。
する機会も、必要性も無い。
だから、いつしか少女と接してきた者は皆こう言い張るようになった。
『銀の厄導』と。
名乗った覚えのない筈の名称は知らぬ間に付けられて着飾るように強要され、消えてく命に報いるようにと仲間内から徹底され、最後には自我を殺していた過去。
それでも、見知った仲が死ぬより良いと思っていた。
それが力を大半以上失ってからの手のひら返し。
『守る』
普段ならば信じない言葉。
ましてや本来は相容れない存在からの言葉。
それが、気付けば馴れ合いや同情にも近い感情と無駄に事態を広げるだけの状況を作り上げた木偶な少女は、銀の厄導としてではなく、銀導として接してくれている人間の少年の言葉に心が打たれた。
裏切りがあったからと言って言葉に込められた想いの丈か分からなくなるわけではない。
面と向かってただの一度も、言われた事の無い言葉が目頭を熱くした。
少年は僅かに驚いた。
(⋯⋯そっか⋯⋯そういう事か⋯⋯)
少年なりに察した瞬間だった。
傍から見ればクサイ台詞は鼻で笑われればまだ御の字。
普通は無視を徹底するか、それをネタに面白がられて、弄りのタネになるだけだ。
だからこそ、後からやってしまったとソファでジタバタとする予定が組み込まれていた少年には予想外な事態を目の当たりにしていた。
少女の頬に涙が伝う。
「⋯⋯。ハハハッ。君、女の子を泣かす才能でもあるのかい⋯⋯」
血が乾いて付着している腕でゴシゴシと乱雑に涙を拭く導。
「⋯⋯お前。誰かに『助けてくれ』って言ったこと無いだろ」
「あれば、良かったんだけれどね⋯⋯強者故の重荷だよ⋯⋯」
正門は知らない。
導の言う強者がどれ程のものかを。
しかし、それに縋って頼りきっている様子はユース辺りを見て何となく察してしまった。
ただでさえ、信仰されている本人すら気付けていなかったのだ。
悪い考えは無駄に過ぎる正門。
「⋯⋯まぁ、俺は甘くないからな」
「んん?⋯⋯何がだい?」
導は分からなかった。
ただでさえ、甘い言葉を甘く溶かして、甘く吐くような事を言い張ったストロベリーチョコボーイな正門に対して、その発言は噛み合わないとも思えてしまえる。
だが、正門はしゃがみ込む導の眼をしっかり見て言う。
「俺も、たまにはお前を頼らせて貰うから。その時は妹を頼んだ」
「⋯⋯ッ。あぁ、任せたまえ!!」
少年が手を伸ばし、少女がその手を掴む。
少年からはその手を掴み返すことはしない。
立ち上がった少女は少年と共に、学生寮へと戻る。
少女は知らない。
少年の思いの丈を。
少年は知らない。
少女が僅かにでも救われている事を。
その握られた手にどれ程の価値があるかを。
その握り返さない手にどれ程の意味があるのかを。
「何とかなったな⋯⋯。《異端執行》。お前の行く末、どれ程のものか見させてもらおう」
腿部分まで丈がある黒のロングコートのポケットに手を入れて二人の様子を空に浮いて眺める青年が居た。
所々破れているそのコートは風に靡き、辺りに漂う雲は避けて行くように流れる。
六〇〇〇キロメートル以上も上空に漂うようにして夜の空に、ただ一人そこに居た。
「シルバー。少なくてもお前はここで変わらなきゃ、愚図な片割れと何一つ変わらないぞ⋯⋯」
青年の思考に当該人物が浮かぶ。
「さぁてと〜、次は何時、お邪魔しようかな⋯⋯」
右腕を真横にして、眼前のあるものを掴むように振るう。
摩擦で発生するには仰々しい黒い炎と青の火花が散っていき、振り終わる頃には黒の仮面がその手に携えられていた。
その不気味で黒い仮面を顔に着け、人差し指と中指が何も無い空を指す。
すると、徐々に空間に穴が広がっていき、やがて縁の無い、紫色が照らされた宇宙空間のような様相をしたゲートが完成し、その中に男は何も言わずに入っていく。
そして、一秒もしない間に、穴は消えてしまう。
いよいよ、物語が本格的に始まります。
そして何度でも言います。
やっぱり、キャラクターの名前を考えている時が一番楽しいと!




