1話──夕暮れに逢う
長ければ悪しからず。
人の名前を考える時が一番イキイキとしている小心者です。
小説って書くの難しいですね。
成長出来れば良いなと思いつつ、続けて行ければと思います。
「あーーーーー!!!本当にざっけんなよ!!こんな馬鹿な事があってたまるかってんですよぉぉぉ!!」
既に夜を迎えて二十時を過ぎた時刻に煉瓦を綺麗に舗道された道を一目散に汗を垂れ流し、駆け回る節木正門。
絶賛、三人程の『魔法使い』に追いかけ回されている。
元々は五人居たのだが、既にこの鬼ごっこ前に悶絶させて数を減らしていた。
これが漫画でお馴染みの戦闘民族や火の意志を持つ忍者ならば余裕綽々で挑むのだろう。
しかし、この男、正門は喧嘩は多少できる程度。
否──多少できるぐらいで三人の魔法使いを相手に勝てるほど安い世界ではない。
つまり、『雑魚』である。
『魔力』と呼ばれる身体にある時代から突然発生したエネルギーはそう呼ばれ、【魔法】と呼ばれる技まで、掌から放てるようになって二〇〇年。
『魔力』の総量判定が『無し』と決められた男は【魔法使い】の人物達に追われていた。
横断歩道を避けるべく、曲がり角を建物の壁に手をつけて膨らむことの無いカーブをして、前方にいた数人のスーツ姿のサラリーマンの間を無理やりくぐり抜ける。
既に何キロほど駆けたか分からず、後方に未だに追ってくる者達をチラ見すら、すること無くただ脚をガムシャラに動かした。
切っ掛けは夏休みも終盤を迎えた八月三十日の補習が終わり家へと帰宅した後の事。
キッチンの棚に鎮座されている予定だった残り一つのカップラーメンを妹により食されており、冷蔵庫はレタス丸々ひと玉とお茶のみ。
仕方なく、コンビニへと着慣れた鼠色のパーカーを着っぱなしだった学生服の上に羽織り、安物のランニングシューズを履いて、いざ!青がメインカラーのコンビニへと出陣!と、薄っぺらい財布を持って行った。
そして、辿り着いた店舗にはいつもはあまり見かけない様相があった事に気付くまで、幾許かの時間も要らなかった。
ザ・不良!と見るからにそう思える連中──数にして五人とそれらに可哀想にも絡まれてしまったフードを被っている人が一人の総勢六人ほど。
比較的に、穏やかなこの場所にも遂に、不良と呼べる存在がやってきてしまったのか、と頭を大袈裟に手で抱えるように振る。
正門は馬鹿ではなかった。当然、スルーを決め込もうとした。
「痛ッ!──ひゃっ。どこ触っているんですか!」
こんな言葉を聞いてしまうまでは。
臀部を触ってヘラヘラとニヤケ面が止まらない長髪の茶髪の男とそれを揶揄うようにして笑う四人の男達。
そして、彼等の背後へ迫るようにして駆け寄り、茶髪の男の腕を掴み、口論から始まり、二人ほど大事な息子を悶絶させてた後に正門の足下へ【火球】を飛ばされて、鬼ごっこが始まった。
はい、切っ掛け終了。
現在、絶賛後悔中!!
「ッ!お前ら、一体どんな人生歩んだら、そんな躊躇いもなく人に【魔法】を当てられるようになるだッ!」
「何言ってんだテメェ?!こういう人生歩んだらだよ!とっとと痛い目に遭えや!糞ガキ!!」
「コウくん!やっちまえ!」
「【ファイラマ】!!」
「うわぁぁぁあっ!あぁぁぁぁ!!!公共の場所で何やってやがるんですかっての?!」
「ッ!コイツ、当たらねぇぇ!」
「当たらないってより、テメェが⋯⋯」
ここで正門は、言葉を紡ぐのを辞めた。
まさかここで、
「ド下手くそな照準でしか狙えてないだけだろうが、大バカ野郎」
なんて言ったら今度は何を飛ばしてくるか分からない。
鉄は熱いうちに打て、と不良は冷めている時に逃げるに限るのだと、正門の人生の教論に記載されている。
だからこそ、彼は諦めてくれるのを逃亡しながら待っているのだが、かれこれ三〇分経過しても、背中を敵対意識を向けた蜂のように追ってくる。
背後では唱えた魔法名と共に、赤い光が彼方此方へと飛んで行き、マンションのガラスを割ったり、駐車していた水色のコンパクトカーのフロントへ直撃したり、歩道に植えられた木を燃やしたりとやりたい放題。
前方に確かに向けて投げた火球も。
唱えた魔法名も正しいが、それでも上手く当てられずに顔が険しさから、やるせなさへと徐々に変わっていく。
そんな様子を一緒に追いかけるのみに留めていた残り二人の不良は、痺れを切らすようにして茶髪の不良の左右へと位置を陣取るようにして言う。
「クソがッ!!当たんねぇ、何でだ!!」
「コウくん。俺たちもやるぜ」
「任せとけ!アイツに舐められたままで終われるかよ」
「頼りになるぜ、サク、ヒビキ!」
どうやら、正門という存在は彼等の団結力をより深めてしまったらしい。
下手な鉄砲かずうちゃ当たる、とあるが今まさに正門はその的としていずれは当たる。
殺されることまでは無くても大怪我を負い、彼等は知らんぷりを決め込もうとするだろう。
いよいよ、不味いと思った正門は走っている内にニュースで取り沙汰された事のある場所を発見した。
それは、自宅から数キロは離れた所にある黒く煤がへばり付いた、火事により廃墟となった小さな集合住宅。
火事で焼け焦げた事による劣化以外にも、多少の不安はあったものの背に腹はかえられないと、割り切るようにラストスパートを走ろうともがき走るマラソンランナーのように駆けた。
汗がシャツに引っ付く嫌な感触が纏わり付くのを我慢しながら、目的の場所へと辿り着いた。
正面口を抜け、考えるよりも先に身体が動くようにして、右方向にある非常階段の段差を駆け上り、三階に行った時点で既に鍵が開いてしまっているドアをガチャガチャと開けようとし、勢い余ってダイブするようにしてドアノブを握ったまま飛び出す。
「うわっ!──ッ!!いってぇー」
脚を段差となった敷居に引っかかり、庇うことも出来ずに顎をぶつけてしまい、うつ伏せとなるも、視線はそのまま前方へ。
目に止まった近くにあったボロボロな机に急いで身を潜ませ、一息つく。
遠くから車の走行音とどこかの誰かのワーキャーしている女性や男性の声。
耳を傾ければ、あらゆるものが入ってくる。
そして、彼等がこの建物に入り込んだと思われる音が聞こえてきた。
「おい!どこ行った?!」
「おい、あの扉開いてるぞ⋯⋯。まさか、中ぁ入ったのか?」
「絶対にタダじゃ置かねぇ」
既に天井も、床も壁も所々が崩れていて、人が住むと言うのは不可能に近かった。
しかし、空いた床の穴や壁は防音という機能を失って、彼等の唾が飛ぶほどの怒声も三階に鎮座するように待つ正門の耳へ容易に届いていた。
「あれ?」
違和感が芽生えた。
静けさが妙に身体を冷えさせるような足音総勢、『四つ』が響いた。
その内、途中から一人が下のニ階で探索を開始。
そして、残りの人数は三階──つまり、正門のいる階へと向かって来ていた。
逃げ込んだ扉を脚で蹴り飛ばして、やってくる二人。
汗水垂らしてようやく追い詰めた餌を逃がすほど馬鹿ではなかった。
我が物顔で中に入り、人の形は壁や天井の穴によって明かされる光でしか視認できなくなった。
「ッ!!お?みーつけた!」
「鬼ごっこは終わったのかぁ〜。あぁ?!」
「ッ⋯⋯」
黙り込むしかなかった。
普通に不良に絡まれてしまい、徹底抗戦なんてする一般人はそうはいない。
後で警察に連絡を取るか、学生なら保護者や教師に連絡するのも手だろう。
しかし、これから起こる事は警察は動いても、保護者、教師がどこまでやれるかわかったものではない。
そう言った事が起こると確信してしまった。
「何、黙ってんだぁ!!ごめんなさいしろよ?!土下座だよ、土下座」
「アンタ達、今すぐこっちに来い。悪いこと言わねぇから。怪我じゃ済まなくなるぞ」
「えぁ?何言ってんだこのガキ⋯⋯バッカじゃねぇの!」
「コウくん笑ってやんなって!くく、お年頃って奴なんだろ?」
正門の視線は、嘲笑いで笑みをこぼす不良──にではなく、その更に後方。
ズズズゥゥっと、割れたタイルは這いずるようにして動く手のような形がガッチリと掴み、そして砕く。
粉々とは言う言葉はこう言った時に使うのが正しいのだろう。
原型が無くなり、粉状になったタイルは宙に舞うには重かったのか、下に滑り込むように落ちていく。
「!?!な、なんだよ今の音?!」
「サクの⋯⋯奴じゃねぇの?!」
「アイツ今、下の階にいんだろ?」
真後ろから突然の砕ける騒音。
音の真相を確かめるべく振り返ると既に原型の無い粉と建物の影と一体化したように何処かへ消えたナニカ。
不良二人はその『ナニカ』が居ると、肌で感じ取っていた。
理屈や論理的それではなく、直感と呼ばれるそれでその『ナニカ』は居ると判断した。
「アンタら、もっとこっちに来い」
「えぇ?」
「早くしろ!!」
音は至る所から発生し始めた。
壁を叩く音、ドタバタと床を走り回る音、叫び声、そして、燃える音。
彼等二人にも、聞こえてしまったのだろう。
正門の背後に身を屈めるように縮こまるほどには。
『ア、ァァ、ァァァァ、アァァァァァァーーッッッッ!!!』
夜を照らす街全体に木霊する程の奇声にも似たナニカは唐突に、そしてようやく現れた。
瞳孔が開き切った瞳が覗く。
目薬を刺した方が良いと言われるぐらいには充血した目が視線を一切外さない。
そして、影が人の形を成して伸縮したようにニューッと、その形を露わにしていく。
ボサボサの黒髪に青白い肌色の二十代前半の女性だった者。
「ひぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!な、なんだよこのキモイ魔法!」
「⋯⋯、嘘だ、だって、ぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
女はただ一点を外す事もなく凝視していた。
正門ではない。
不良の男。コウくんと呼ばれていたそれを。
四つん這いで上着を着用しており、影から月の光が当たる位置へと移動していく。
淡いピンクの上着の背あたりに擦り傷。
唇の上下に数十の穴が空いていて、黒い液体が漏れており、細い腕には、切り傷過多で赤いはずの血が黒く変色してしまっていて、手足の爪は何故か赤い。
全体像が確かな輪郭を象られていく。
この、見窄らしく、この世のものではない女性らしき何かを正門は知っている。
「『クリーチャー』⋯⋯」
『クリーチャー』とは、簡潔にまとめれば【魔法】が常識的になっているこの時代に現れた、未知の怪物。
異形の様相をした悪魔。存在してはならない存在。
都市伝説等で囁かれる事はあるが、どれも要領を得ないネタとして話題となっている。
発生理由不明。
正体は人から物、場所やそこに流れる空気から何から何までだ。
しかし、正門は知っている。
『クリーチャー』の発生理由の根幹を⋯⋯。
時計の針が進む音が聞こえた。
『ウーーーーーゥン⋯⋯、ヒャャャャャャャャャャャャ──ッアァァァァァァ!!!』
壊れた玩具のように首だけ傾けて、徐々に首は右から左、左から右と傾けて────。
首だけ伸びてきた。
「げっ!?キモ!」
「な、なんだよ!何なんだよこれ!!」
「助けてくれぇぇぇ!!」
その顔は噛み付こうと汚れた歯をバッチリ見える程に開き、コウの右肩を狙いに首だけが進行した。
「え?待て待て待て!!」
身体は硬直したように言うことを効かず、脚はそのくせ無駄に震えて、口は抵抗と停戦の意思を示す。
しかし、お構い無しとその首はコウへと距離を詰めて来た。
口を開き、眼前に迫る肉にかぶりつくようにその目は僥倖に満ちた輝きに溢れている。
叶い、叶わなかった、積もり積もった布石の請求と還元。
一を取られたのならば、一を返さなければならない意思決定。
一を奪われたのならば、一を奪わなければ公平性は保たれない。
だから、迫る。
『ァァアアアアアア!!!!』
後、僅かの所で違和感を女は覚えた。
顔に何か、触られている感触。
妙に熱く、毛嫌いで吐きそうな程の嫌悪と胸騒ぎ。
コウの目の前が女性の顔と僅か数センチの所まで距離が縮まった時、女性はそこから動けなくなった。
『あ、あぁぅぅ⋯⋯』
女は視線をようやく横へと向かわせる。
正門が女性の側頭部を両手で掴み、動きを止めた。
「⋯⋯、アンタの相手は俺だよ」
『ウウゥガァァァァァ!!』
更に針が進む音が正門に聴こえた。
合図は二度、鳴った。
一度目は、『クリーチャー』を視認し、存在を確認した時。
次はその『クリーチャー』に正門が触れた時。
視認する事で、針が進み、触れることで更に一つ針が進む。
もう一段階ある事を正門は知っている。
それ以上の上限は不明。
一度目の針が進んだ状態では精々、毛が生えた程度の強さ。
『クリーチャー』相手に有効な攻撃を当てれても、一撃がしょっぱいのでは意味も無い。
一般人ともなると、不良相手に喧嘩には勝てても、恐らく格闘術を学んだ人間には絶対に勝てない。
二度目の針の進みでようやく、『対クリーチャー』として本格的に本性を表す。
顔を定位置に戻すため、進行し、伸びていた首は短く、短く、やがて元の人と同じぐらいまでの長さに戻る。
「ホラーってか、ギャグだな。もはや⋯⋯」
『ギュァァァァァァァァアアアア』
「おい、アンタら逃げろ」
「はっ?⋯⋯テメェはどうするんだよ?!」
「囮になる」
「な、なんでお前そんな──」
「いいから行け!!」
その言葉を合図と言わんばかりに正門は女性クリーチャーへと右手を握り、駆け出した。
元々、追いかけ回される切っ掛けは彼等にあったとしても、最終的にこの場所を選んだのは正門自身。
多少の負い目の払拭と自分にしかできない事を両方共、成すために正門は選択した。
自分が囮になり、彼等の逃げる時間を稼ぎ、あわよくば女性クリーチャーを撃破する事を。
不良二人組は後方へと走る。
切迫した表情を表に出して、汗を吹き出して叫んだ。
彼等の踏み抜いた床は音を激しく鳴らし、その崩壊の音は部屋を支配した。
「うわぁぁぁぁぁっっあだだーー!!」
「ッ!いぁぁぁぁぁぁあッ!」
不良二人は床が突き抜けて二階へと落下し、叫び声を上げる前に身体は下降した。
「は?おい、何やって──ッ!?」
正門は後方を窺うと既に二人は床に吸い込まれるようにして落下してら顔がギリギリ映る程度の所まできていた。
『ギァァァァァァァァァアッ』
四つん這いの体勢のままに構えた左腕はコンクリートすら素手で粉砕する華奢でか細くそれだ。
しかし、瞬間的に躱そうとする正門の胸部にクリーンヒットした。
ゴリィィ!!
捩じ込まれるような一撃は鈍い痛みと共に正門の身体から弾けた。
「ッう!!──がはぁぁあッ!」
部屋の隅の柱へと殴り飛ばされた正門は背中におかわりと言わんばかりの衝撃が加えられた。
そんな事は百も承知な女性クリーチャーは正門の顔を目掛けて左腕を振り下ろす。
「フィジカルオバケットがッ!!!」
適当に付けた名称のそれに嫌味ったらしく叫ぶと同時に左腕から繰り出された骨をも砕く一撃を間一髪で躱して右手を握り、アッパーカットの要領で顎へと向かわせる。
『グィィギゥヤッ!!』
それを身体を仰け反らして回避し、バク転をする。
そして、正門と距離を離すように壁まで後退し、ニヤケていた。
その口に垂れた黒液体を舌で舐め取る。
視線は鋭く、見るものを嫌悪と悪意と殺意で殺せるほどの鋭い視線。
「ッ!⋯⋯アスリート選手かよ。嫌になるな⋯⋯」
右胸に付けられた痛みは我慢の一途を辿るしかない。
ここで【魔法】を使い、治癒が出来ればなんてことの無い傷として処理されるだろうが、正門は【魔法】が使えない。
あるのは《別の力》だけだ。
「人の原型が残ってるのは珍しい。でも、ごめんなさい。アイツら、悪だったとしてもあんたに殺させれるのは違う気がするから⋯⋯」
膝に手を乗せ立ち上がる正門は、息を吸い、身構える。
武道を嗜んだ事も、師範代が昔から正門に指南してくれていた。
なんて過去は、彼の人生の記憶では一度もない。
ただの普通の学生生活を送っているだけの少年。
喧嘩程度は多少は出来ても、戦闘と言うのは些か過ぎた言葉だろう。
しかし、眼前の人離れした怪力の女性を倒せるだけの《力》は既に備わっている。
一般的には何の役にも立たない。
ただ、『クリーチャー』を倒すだけの素養。
あってはいけないもの、常識から排斥する為の力。
『クリーチャー』と言う、不理解と理不尽を滅するだけの能力。
壊れた人形のような不気味な、小刻みな動きをする。
『アァァァァァァァァァァァァァァァ!!!』
顔を正門へと向けて徐々に四つん這いになり咆哮にも近い声を上げた。
そして、正門目掛けて、脚を踏み込み前へと。
左足の指の爪が踏み込んだ際に割れて、血が垂れていく。
そして、右手を左側へとやり、迫るクリーチャーを待ち構える。
『グァァァァッッッ!!』
首が伸び、身体と首、右と正面に意識を割かれそうになるも、やる事は変わらなかった。
「なにクソぉぉ!!」
右手を薙ぎ払うかのようにして振るう。
触れたのは女性の右肩辺り。
女の首から伸びた顔は未だ、正門へと食らいつくように向かう。
瞬間、触れた肩は歪曲してそのまま黒の粒となって飛び散る。
筆舌に尽くし難い痛みが表情に浮かび上がる女性クリーチャー。
左手を握り、クリーチャーの顎へ目掛けて突き上げるようにして叩きつけた。
掠った程度。
首の伸縮により宙を浮いたような見えるその顔は、左手で振るった、雑で単調な攻撃は彼女にとっては避けやすいものにも近かった。
ただ、痛みが身体を通して脳に酷く伝わり、反応が遅れただけ。
決して直撃、思ったようには握った左手は入らなかった。
けれど、『触れた』。
すると、クリーチャーの顎が弾けて、人の顎に必要な骨と肉は粒へと変化して四方八方へと散り、首の伸縮はテープを巻き戻るようにニョロニョロと戻る。
クリーチャーの左手は下顎を必死に抑えるかのようにして悶絶していた。
《異端執行》──この『クリーチャー』又は『それらに類する、関連する事柄』はこの力で捻じ曲げ、四散させるだけの力である。
「はぁぁぁ⋯⋯。いててッ⋯⋯。ふぅー」
正門は安堵する。
この異端な力を認識し始めたのは七歳の頃。
一般人相手には振る舞う事は出来ず、試す事もせずに調整のようなものはクリーチャーと対峙する場面のみ。
正門は常に命懸けの連続。
針が進むと度に、身体の熱が沸騰しているのでないかと言う錯覚に見舞わられ、最後には身体中が筋肉痛というオチに見舞われた事もあり、結果的に入退院やクリーチャーと遭遇する事で学校をサボったと認識される要因となっている。
(今回は二つ動いたか⋯⋯。軽傷ってところかな)
『ウゥゥウ⋯⋯。アァァァァァァ。⋯⋯⋯⋯ナンデナンデナンデナンデナンデナンデナンデナンデナンデナンデナンデナンデナンデナンデナンデナンデナンデナンデナンデナンデナンデオトコハオトコハオトコハワタシヲワタシヲワタシヲナンデナンデ───』
呻き声を発したクリーチャーは、ジタバタとして上着が乱れて煤焦げて、汚れた肌を露出させながら、脚を地団駄のように動かした。
『ナンデ』。
そんな有り触れた単語は正門の胸を締め付ける。
呼吸が絶え絶えとなり、《異端執行》により、身体の一部が欠損した女性クリーチャーへ近付き、右手で頭部を触れる。
撫でるように。
パサパサとして、髪は絡まっている箇所もあり、煤が触れた右手に付着している。
女性クリーチャーも何故こんなことをしているのか?という、困惑が伺えたが、それでも撫でるのを止めなかった。
「俺の事は恨んでくれて良い。アンタも、もう楽になってくれ⋯⋯。無関係な人を襲っちまう前にさ。身勝手なのは知ってる。自分勝手なのも。でもこのまま放置は出来ないから」
『ウウ──。アァァァァあぁぁぁ⋯⋯』
顎を抑えるようにして乗せていた左手は正門の右手添えられて親指を右手の甲をすぅーと、撫でた。
コンクリートすら怪力で粉砕していたとは思えない程の慈しむような動作を見せて、正門を見る。
その目は何を訴えているのか、正門は分からない。
しかし、何もかもを憎むような、殺意に溢れた視線では無いことは理解できていた。
『⋯⋯────』
プツリ、と糸が切れたように身体の動きは停止して、頭は捻れて最後は塵となった。
あとから正門がわかった事だが、この建物は放火犯によって火を点火されて燃えた建物であり、逃げ遅れた人間は一人の女性。
当時、女性が心中を計って放火した犯人と騒がれていたが、後に遺体となった女性の手足は縛られた痕が見つかった事と、身辺調査で心中をするにしては言動やそれ以前の行動が普通すぎた事。
正門は後に聞く。その女性は大学四年生の就職を真近に控えて、一人暮らしを始めた事。
そんな新生活の時期に、後に焼け焦げる事となる建物の付近で空き巣騒動が流行っていた事。
そして、接敵したクリーチャーは『上着』しか着用していなかったことを。
ズボンどころか下着もなにも。
そして、犯人の一人は『コウ』と呼ばれていた男。
鹿高好馬という二十二歳の大学生だった事も、全て後になって知った。
クリーチャーについては謎が多い。
物がクリーチャーになる事もあれば、場所がクリーチャーとなるケースもある。
しかし、人型に関して言える事は皆、一応に被害者であると言う事。
そして、状況によっては加害者だけでなく、無関係な者まで襲うケースも存在している。
正門は常々思う。クリーチャーを殺した者も人殺しになるのかと。
夏休みも終盤。
八月三十日、残り三時間もすれば日付が一日動く。
「明日、花でも添えにいくか⋯⋯。花って幾らするんだろ⋯⋯あれ?そういえば、俺⋯⋯」
手元に握っていたはずのカップラーメンと五百ミリリットルのペットボトルのお茶が入ったコンビニ袋は自分でも気付かない内に落としてきてしまったようだった。
「三人組も探さないとな⋯⋯」
「おにぃ〜。グーテンルォゲェェーーン!!」
「ぐへぇぇぇッ!!!──ッッうぅ」
強烈な衝撃と痛みが朝の眠気と後に発生する怠惰な気持ちを纏めて叩き壊す。
そんな一撃が熟睡中の節木正門の腹部を襲った。
彼に降りかかる妹から与えられた目覚ましコール。
既にタイマーが切れた扇風機に足をぶつけながら、フローリングに転がり、顔の先端、鼻を思い切り床と接触して鼻血が出てないか、手でペタペタと触りながら確認する。
(で、出てないな⋯⋯。あぁ〜痛い)
朝から最悪な目覚めをしたと言うテーマが論文にあるなら出して欲しいものだ。
三位は取れるだろう。
「おはよっ。やっと起きた?」
「お、おい妹よ。兄ちゃんは妹の目覚ましなんざなくても立派にその役目を果たしてくれる時計がある⋯⋯。そいつの力を、なぜ信じてやらないんだ。お前にとって兄ちゃんを起こす=殴るへと変換される不思議な化学反応でも起こしてるって言うのか?」
鼻を撫でながら、人差し指で襲撃者を指す。
「おにぃが馬鹿な事も化学の発見でわかるといいね!」
(うわぁ⋯⋯ニッコニコの笑顔⋯⋯)
しかし、項垂れた兄の正門はへこたれずもう一度、朝の襲撃者こと、妹に向けて端を発した。
「バッカ!妹よ。お兄ちゃんは馬鹿やフリをしているだけの普通で、立派で、聡明な奴だぞ!⋯⋯、それに質問に答えてない。何故、俺の目覚まし時計を信じない!!」
正門が更に指を指す。当然その位置には丸型のフォルムに立て掛けられる脚が備え付けられているそれはそれは『普通』の今では珍しい電池式の目覚まし時計だ。
指を指す方角へと円香が視線をやると、納得したかのような頷きをしてから、正門の方へと向き直る。
「目覚まし時計より、妹の身体を使った目覚めの方が気分が良いだろぉ?そうだよね?」
「この子、朝から最低なんだ⋯⋯」
(それに何故だろうか⋯⋯。逆ギレに近い)
奇襲によりベッドから逃げて転がるようにして、降りた正門は床で屈むようにして襲撃者を見上げる。
俺と視線が合うと、ニヤついた顔は何か企みを含んだ笑みへと変化させた。
節木円香。正門より二つ歳の離れた妹。
淡い栗色の髪、ルビーにも似た赤い瞳に、左側の目元には泣きぼくろ。
中学三年生の彼女はナイスバディとは程遠い、普通の肉付きで「いつか、大きくなった時用にブカブカなやつ買ってるの!」と、胸に手を当てて豪語してから既に一年は経過した現在。
購入したにも関わらず、その胸元は山と言うより壁であり、橙色と白のラインが引かれたパジャマは未だに丈が合っておらず、上着の裾は七分丈のようになっている。
そんな、将来設計が既に十三歳頃から躓いた女の子を見ているとふとした事に気付いた。
違和感を見つけた。
小さな、違和感で些細でどうでもいい違和感。
それがわかると同時に正門は俯いて笑みをこぼす。
(⋯⋯、我が妹ながら甘いぜ⋯⋯)
それは一つ、円香の髪だった。
在宅中に後ろ髪を結ぶという行動を円香はしない。
一度、外出した証拠であると判断した正門。
しかし、現在の服装はパジャマであり、円香はパジャマで外出はしない。
即ち、わざわざ兄である正門の為に買い物を済ませてくれたという事以外ない!と、そう判断した正門はフッ、と口を緩ませてしまう。
(できた妹だぜ!朝食はゆっくりと味わうとしよう⋯⋯)
彼はお年頃の少年だった。
そんなお年頃の、更にお年頃の妹は人差し指をベッドの方へと指してヘラヘラとしながら口にする。
「おにぃ〜。良いの?もう時間が推して⋯⋯いや、押してるぜ?」
「惜してのはお前だ。⋯⋯なんたって朝から妹のパンチを喰らわにゃならんかねぇ」
「パンチじゃなくて肘打ちだったけど?」
「お前、漫画の戦闘シーンみたいな事して、俺を殴ったのか!!肘打ちは当たりどころによっては、プロレスですら禁止されてる奴なのに!」
「はいはい、エルボー、エルボー」
「エルボーはわかったの俗語じゃねぇー」
朝から高カロリーの会話をしている正門は呆れ果てて、俯くしか無かったのだが、そんな時に円香がベッドに向かい指を指して小悪魔の如く言い放つ。
「わかってる?おにぃ?じ・か・ん。押してるよ?補習最終日でしょ〜?今日」
「え!?あ、嘘だろ!今何時だ!」
ベッドの枕元にある目覚まし時計を確認する。
十時四一分。
補習の時間は九時ジャスト。
一時間と四十分は経過している事となり、叱責される事が確定事項となっている。
ただでさえ、担任教師から「テストで百点取っても節木くんは万年補習組ですよ」と言われている始末。
ここで「一生、面倒を見てくれるんですか?!」
と、言えたらどんだけ男として上がったのだろう⋯⋯いやむしろ、下がっているのかもしれない。
ともかく、状況は混迷を極めたに等しい。
担任教師に泣かれて、それを見た周りは舌打ちをするのが先か、はたまた呪いの言葉を囁かれるのが先か、更に言えば、グーが飛んでくるし、蹴りも入れられる。
挙句にはパイルドライバー⋯⋯。
悪い想像が幾らでも出来てしまうお年頃の少年。
(わぁ〜。悪夢のような宝石箱の山やでぇ〜)
冷や汗が流れ始める正門を見た円香は口に餌を含んだリスの様、笑いを必死に堪え抜こうと耐えていた。
「ぅぅ⋯⋯ププッ、ぐっ⋯⋯アーハッハッハッハッハ──」
しかし、それも限界に達して空気を口から漏らして、最後には高笑い。
(妹よ⋯⋯何が面白いのかね?)
兄の失態に笑い上戸となる妹なんて、嬉しくはないと思いつつ、兄である故に知っている事もある。
「お前、なんかやったな?」
「ハッハッ、えっ?あ、あぁ、えっとねぇー。その時計。実は私、こっそり早朝に短針をズラしました!」
「どっちに?」
「後ろに」
後ろに。つまり現在、十時を指した針ではあるものの、実際の時刻はもっと前に進んでいると言う事となる。
「⋯⋯もっとダメじゃねーかぁぁ!!」
担任教師の怒りの表情──よりも周りの軽蔑と迫害と叱咤の表情、行動、言動が目に見えて浮かぶ。
急いで起き上がると同時に妹に構うこと無く、そのまま、顔を洗いに行く。
「あ〜!!朝飯ぐらい諦めてゆっくりしよっかなぁ、とか考えた俺は俺を殴りてぇ⋯⋯」
急ぎ自室を出て、ダイニング、廊下をドタバタと音を言わせながら左へと曲がり、洗面台にまで。
鏡には正門の情けない面が映し出されていた。
ボサボサに跳ねた黒髪、黒目の如何にもな普通の面。
特徴と言われるものがあるとすれば、少しつり目な事ぐらい。
妹である円香は母親譲りの栗色の髪とルビーのような瞳と父親似の笑い上戸──、否、活発で明るい奴。
正門が親と似ていると言われれば髪色だけだが、そんなのどこにだっている普通の髪色だろう。
「⋯⋯」
ふと、正門の左後方。
鏡に映し出された洗濯する物を仕分けるために洗濯機用のラックに掛けられた白の籠に入っている円香が昨日着ていた赤い服。
昨夜、対時してクリーチャーを思い返す。
そして、正門を追いかけ回した三人組も。
あれから、正門は下の階に降りると三人組の不良達は皆ノビているのを発見。
どうやら、床から落ちた二人組は下の階にいた残りの一人と落下の末に衝突してしまい、三人共、多少の傷は負っていたようだった。
歩道の隅に三人を置いて、救急車を呼んでとっととその場から立ち去ってしまった。
あの建物も明後日には取り壊しの工事が始まる。
いずれ、誰もあの建物の存在は記憶から消えてしまう。
正門とて、その輪の中の一人だ。
蛇口から出る水をできる限り、両手から零れるほどに水を乗せて顔に当てた。
夏のジメッとした時期に冷たくて、気持ちの良い感触が顔に伝わる。
昨日のニュースで今日の気温は最高気温は四〇。
最低でも気温は三四という誤差レベルのことを言い出した時は、「熱中症で倒れたら地球のせいにして良いよな?」と、誰得なことを言い出していた正門であったが、補習という名の登校は余儀なく正門を猛暑へと誘う。
ならば、今のうちに多少は涼しんでいても罰は当たらない。
五分程で顔を洗い終わり、歯を磨いた後に跳ねてしまった髪を元の髪型に戻す為に悪戦苦闘しつつ戻し、改めて鏡を見る。
「よし」
そう呟いて駆け足で自室へと補習へ向かう為の準備をする。
円香は自室に戻ったのか正門の部屋には既に居なくなっていた。
学校指定のワイシャツに腕を通して、ズボンを履き、補習へと急いで向かう準備終えた。
半開きとなったままの扉を勢いよく開閉して玄関へと向かう。
「おにぃ、まだ七時半だぜぇ?朝からそんなにドタバタしちゃってぇ、どうしたのさぁ〜」
玄関の扉のノブに手をかけようとした時だった。
靴紐も急いでいるあまり、しっかり結べずに、ヤケクソになって、立ち上がった時に耳に届いた衝撃の真実。
背中にちっちゃい膨らみを何故か当てて耳元で囁くように呟く彼女は果たして、彼の目にはどう見えたのか。
「妹よ、やっぱりお前は愚妹だぁぁ!!」
円香の頭を腕でホールドし、ヘッドロックをかけてた正門。
「うぅっ。うわぁぁぁーー虐待だぞ!!哀れで可哀想な、おにぃの為をと思って円香なりの早起き法を編み出してやったのぉぉ、おおおぉぉぉーー!!!ギブギブ!!ご、ごめ、んなさぁいっ!ぐふぅっ」
二歳も歳下の妹を床に転がし、右腕を高らかに上げてガッツポーズを取り、そのくせ、やりきった感は出さない表情を作ってその場にたっている男が居た。
朝食を円香と正門との二人で食べている。
八月三十一日の時刻は七時五十分。
少し焼いたハムとスクランブルエッグをレタスに包んだ後、トーストを二枚贅沢に使い、なんちゃってハンバーガーを正門が食べて、それに対して苦言を申す円香。
食べ方が汚いや、乗っけて食べるから美味いや、旨みの相乗効果を期待する為にハムとスクランブルエッグをわざわざ作ったわけではない、など様々。
また、昨日の夜に泣く泣くコンビニ袋を落としてしまい、食べ損なった夜飯の話も含まれていた。
冷蔵庫の中が空となっていたのを早朝になって円香がコンビニへダッシュし、冷蔵庫の中身をある程度、補填した事も。
そんなつまらない会話を繰り広げている内に食べ終わった正門はいよいよ、本当に出発しなければならない時刻に差し迫っていた。
「そろそろ、行かねぇと」
「はーい。行ってらー、おにぃ。⋯⋯、あ!今日の夕方、旅行から帰って来るってさ」
「誰が?」
「⋯⋯、ニブチン。凛ちゃんだよ!今日、家族旅行から帰ってきたらこっちにご飯作りに来てくれるんだよ」
凛ちゃん──飯妻凛音。
ご近所付き合いで正門が中学の時からよく世話を焼いてくれている正門と同い歳の女性。
円香が誰かに懐くのは、正門から見れば嬉しい事である。
「へぇ⋯⋯アイツわざわざ、疲れてるだろうに⋯⋯。じゃあ、帰ったらあいつの為に買い物して俺が作るか」
その言葉に食後にダイニングにある薄緑色のソファで雑魚寝をしていた円香はUMAを人生で初めて目撃したかのような驚嘆と焦りの表情を全面に出して、背もたれに前屈みとなり体重を掛けた。
「おい!やめろやめろ!おにぃがまた料理を凛ちゃんの前で披露したら、落ち込むだろぉ!!前科二犯は、おにぃの為にあるんだよ?!」
「犯してねぇよ!一緒に作っただけだ!それにアイツがキッチンに立った事がない時に一緒に手伝っただけだ」
(と言うか、前科って何だ?!前科って)
「うわぁ⋯⋯おにぃ、気付いてるんでしょ?凛ちゃんの気持ち」
さながらゴミを見るかのような目で兄を見つめる妹。
しかし、彼はそんな表情も見慣れてしまっているほど、普段から割とだらしない為、躊躇なく流してしまう。
「わかってるよ。でも自分から言うのはなんか違くないか?」
飯妻凛音は節木正門に対して好意を抱いてくれている。
理由は不明。
しかし、どう見てもそうとしか思えず、違っていれば一流の詐欺師を名乗れるであろう。
そんな彼女を思い浮かべる。
詐欺師はねぇな、と結論付けて一蹴する正門。
「⋯⋯。まぁ良いや⋯⋯補習頑張ってねぇ」
「ほいほーい」
左腕を上げて力なく振る姿を見届けた後に玄関前に座り、靴紐を今度はしっかりと結ぶ。
既に蝉の鳴き声は玄関を隔てて聞こえてくる。
コイツら程の元気があればとも考えつつ、ゆったりと立ち上がる。
八時十五分。節木正門は二DKが広がった玄関を出た。
正門達が住んでいる場所は約一〇〇〇キロ平方メートル程の日本の中では大きな都市として世界からも一目は置かれている存在。
都市名──『真都』。
そんな『真都』も幾つか区分化されており、正門や円香が住んでいるのは、第三地区と名称されている場所。
地図で見た際にクロワッサンのような形をしている事から地区の皆からはクロワッサン地区やブーメラン地区等と揶揄されている。
第三地区は真都の中で最も面積が広く、大半の学生や社会人は何かしらの乗り物に乗り通学、通勤をしている。
バスの停車時間、電車のダイヤも多く、夏休みでなければ、平日の朝、最も混む場所と言っても過言ではない。
当然、この正門も同じであり、自転車を買った時には泣いて踊るほどだった。
そんな人生の相棒と言っても差し支えない自転車を四〇分間ほぼ、漕ぎっぱなしの末、辿り着いた。
正門の通う高校、私立河里種高校へと。
二つの校舎の内、一つがクラスがある教室と職員室と食堂や保健室があり、階は三階まで。
一年から順に二、三と学年が上がる度に、階が上がる。
生徒は皆、この校舎をメイン校舎。
もう一つは、実験室や音楽室、図書室と言った教室となっている。
文化系統の部活の教室もそこに該当されており、階は四階まであるが、正門は移動教室時以外に寄ることは基本無い。
生徒はサブ校舎と名付けており、妙な居た堪れなさがあった。
正門が聞いた話では、昔はこちらのサブと呼ばれていた校舎が皆のクラス教室だったのだから。
体育館はサブ校舎側に近く、すぐ横にはプール。
野球部は専用の練習場があり、バスケットボール部は体育館。
そして、現在グラウンドは陸上部とサッカー部が半々に使っていた。
「もっと、どうにかならないもんかね⋯⋯」
半々に使っていると言っても無限にグラウンドが広がっているわけでは当然ない。
正門が目撃した時には、サッカーボールを蹴っ飛ばしたら、陸上部の部員に直撃寸前だった。
そんなこんなな事態を目撃しつつも、無関係者でもある正門はメイン校舎の正門を通り、下駄箱を履き替えて自身の教室へと向かった。
夏ということあり、水泳部が活動しており、プール方面から笛が鳴る音と水に勢いよくダイブする音が響く。
二階の二年Bクラスと立て掛けられた教室の丁度、真ん中の一番奥の席へ腰掛けた正門はやってきた腰辺りまで伸びた青髪でフリフリのゴスロリ衣装を着飾る『担任』が来る。
それと同時に喋っていた友人との会話を中断してホワイトボードへと視線を移す。
そして担任教師、宇晄沙桜は集まった馬鹿組を見渡すと、指定した生徒が集まった事を確認したと同時に手を叩き合図を上げた。
「はーい!では馬鹿な生徒の皆さん。いよいよ、今日で補習はお終いです!しっかりデバイスに書き込んで、頭に叩きつけて、学んで帰ってくださいね」
悪意が多少混じっているようにも感じた正門だが、ここで声を上げる方が問題となる。
大人しく、さも何も聞かなかった事のように手に顎を乗せて宇晄の補習指導の準備を待っていた。
ニッコニコ顔のまま、右手首に巻かれた髪ヒモと見間違うほどの細いそれを取り出し両手でそれを真っ直ぐに伸ばし、親指でボタンを押した。
すると、教卓の上に置かれたプロジェクターにブルートゥースを接続し、完了の音と共にホワイトボードには今日までに学ばなくてはならない事が書かれた文字列が並んでいた。
準備は完了。
これより、補習が始まる。
「はぁぁ⋯⋯」
溜息が漏れ出た正門。つまらないとかではなく、ふとした疑問に心を霞ませていた。
「どしたん?フッシー。ため息なんてらしくないで」
そんな溜息が自然と耳に入った事で正門の方を眉を上げながら声をかけた者がいた。
希月樹。
てっぺんが黒と下に流れるほど色素が薄れていく緑の髪色をしており、糸目の関西弁で話す正門の友人の一人。
『フラフラと人生を生きていそう』や『嘘を吸って吐くレベルで行っている』とよく噂されていると、正門は耳にした事があるが、事実そうなので、『絶賛にその噂よ広まれ』と密かに望んでいる。
正門のすぐ右側の席に座る希月は顎を手に乗せて正門を見る。
質問の答えを聞こうと待っていた。
授業そっちのけにして。
「ため息ぐらい許せよ樹⋯⋯、いや、夏休みももう終わりだってのに、なんで学校に居るんだろって⋯⋯」
「そりゃ、フッシー、馬鹿だからっチ!」
そんな二人の会話に割り込むように答えを出す男が一人。
鬼灯花繡だ。
正門の友人の一人。
黒目で重力に反逆したいお年頃なのか、金髪の髪は所々が跳ねている。
首には鈍く光る犬のペンダントをぶら下げて指定された夏用の学生服を着ることなく、赤の半袖ワイシャツを着ている男だ。
語尾に『チ』が付くのが口癖なのか、キャラ作りなのかも正門は分かっていない。
強面ながら、意外と話自体には面白く乗ってくる正真正銘の変人。
「お前も同じようなもんだろ」
正門から見れば、この教室にいる時点で皆一応に馬鹿な判定。
正門は険しく鬼灯を見るも、そんなことは大して気にしていないかのように歯を見せて笑っていた。
「ちゃうちゃう。馬鹿は皆そうや。けどな、馬鹿にも違いがあるんや」
ここで、希月が出した新たな『馬鹿な論理』を提示した為、正門は右にいた希月へと顔の向きを変えて見遣る。
「ほうほう。希月。参考までに聞こうか」
何様のつもりなのか、胸高らかにホワイトボードに指し棒を当てて解説している担任教師を無視して、正門の左右の席を陣取っている二人の提示する理論に耳を傾け始めた。
「ええか。端的な事言うとやな、社会的な馬鹿か、学力的な馬鹿や。よくおるやろ?勉強出来るけど、出世できんやつ奴と勉強は出来んけど、社会に貢献できる奴。あれや。んで、ワイは前者、鬼灯は後者や」
挙げられた例えは何となく理解出来た風を装う正門だが、それ以上に名前が挙がらなかった事の方が気掛かりとなり問う。
「んで、俺は?」
「それは決まっているんじゃないっチか?両方っチ!」
それはもはや、体育会でリレーの選手を決める際、陸上部員に視線が向けられた時と同じように。
花瓶を壊した生徒は誰だと詰められるとき、悪目立ちする生徒を指差すように、ある意味では、予め、決定事項のような結論。
「なんだとぉぉぉーー!お前らだってどっこいどっこいだろうが!」
正門は立ち上がり、2人を交互に視線を移しながら同じカテゴリに引き込もうとする。
「ちゃうな。少なくても、学力に関しても、出席日数に関してもジブンには負けるわぁー。尊敬いたしますぅ、やで?」
一人、離脱。既にもう一人しか残っていない。
「諦めるっチ。そういう運命だっチよ?」
「チッチッチと、脇からよくもまぁイケシャーシャーと!!なに樹と同じポジに居るんだよ。お前だって学力も出席日数もギリギリ限界じゃんか!」
鬼灯花繡の出席日数は正門と二日違い。
勿論、正門の方が少ない側で、本来は棚に上げるような台詞ではないのだが、それでも彼は止まらない。
「アカンでー。そう癇癪起こしたら、これから先の発言が弱く見えんでぇ」
「癇癪じゃなくて、正当性を説いてるんだよ!」
更に希月からの横槍で更に相手が増えた。
これで二対一の不利な状況。
正門は左右に陣取り、「間違った事なんて言ってはりまへんわぁ」と言わんばかりにゆったりとした体勢で椅子に腰掛けて聞く耳を持とうとしなくなる。
「節木くん⋯⋯。私の授業はつまらない⋯⋯ですか?」
担任教師が遂に正門の机の前にまで来た。
決して、小さくて見えませんでしたと言うわけでは無い。
討論に白熱しすぎていただけである。
(いたんだ。気付かなかった⋯⋯)
小さくて見えていなかったからだ。
一四〇センチメートル程度の担任教師は推定年齢とは裏腹な着飾ったゴスロリの裾を握り締め、淡い緑をした瞳で上目遣いに等しい顔をしつつ正門を覗き込む。
大の大人がコスプレをして教室で教師をやっていて受け入れられている事が正門には不思議でならない。
しかし、人気は実際に高い。
「え?!⋯⋯、まぁ正直、ツマラナ⋯⋯、いや、面白いです!はい!!」
周りの射殺すような視線と僅かに何処からか聞こえた舌打ちが心臓を鷲掴む感覚に苛まれて嘘を吐く。
現在、補習という事もあり生徒の人数は八人程。
しかし、二年B組は三二人いる。
いつもはこの視線は約四倍に膨れ上がるのだ。
そして、正門は知っている。
わざとテストの点を落として補習を受けた馬鹿が混じっていることを⋯⋯。
「一番前の席で補修を受けている間抜け面の田中、貴様だぅあぁぁッ!!」
と言えれば気持ちも多少はスッキリしたのだろうが、残念ながら、そうはならない。
何故ならば、彼からの視線が最も痛いのである。
大好きなフィギュアを母親の手、自らゴミ袋へと処分される光景を見てしまった時の息子の眼差し。
ティッシュをズボンの中に入れっぱなしにして親からの注意の視線。
あれと同等かそれ以上の視線を田中は今尚、正門に向けている。
(田中!怖い!)
そんな宇晄の身長の小ささにより、視界へとどうしても先に映ってしまう田中くんにガクブルする正門は逃げるように視線を下に落とす。
「──と聞いてくれないんですか!激おこですよ!デバイスも机に置いてないですし⋯⋯、また忘れたんですか?それともまた窃盗にされて奪われましたか?はたまた、エッチな物でも観ていて、ウイルスが侵入して使えなくなりましたか?!」
そう言い、手に持っていたデバイスはいつの間にか宇晄先生の腕に巻かれており、それをフラフープ感覚で腕で回しながら問いかけた。
(この人の中で俺は、そこまで酷い扱い受けてるの?)
何も知らない人が傍から見れば、小学生女児に説教されている高校生の図にしか到底思えない。
そんな光景が机を挟んで行われていた。
「すいません⋯⋯あります」
「なら、早く机に出して起動してください。節木くん。⋯⋯良いですか?このデバイスは国が支給しているとは言え、機密情報の塊ですよ?昔は、スマホとかパソコンとかそう言った物を所持し、データを管理していましたが、今の時代は違います!この『パーソナルデバイス』通称『デバイス』はこう言った授業でも、買い物でも、友達と連絡を取り合う時も、ゲームだって⋯⋯あらゆる所で必要となる存在です。必要な時は常にあるので、肌身離さず持っていて欲しいんです。⋯⋯なのに、婚活が上手くいかないのは一体なんでぇぇぇ」
「すいません。最後のは関係ないですよね?⋯⋯」
「結婚が夢な人だっているですよ!節木くんッ!!」
涙を瞳から零れないように堪えていた宇晄は目の前に居た馬鹿な生徒一人にお叱りを入れた後、ホワイトボードの方へと戻り、教卓の内側にあった台を手に取った後、それを床に置いた後、登って、指し棒を使い、生徒の授業を再開した。
「なんで、コイツらはノーカンなんだよ⋯⋯」
「愛やで、愛」
「愛されてるっチねぇ〜」
「黙れ⋯⋯」
聞かれないように小粒程度の負け惜しみは自分の心を痛くするだけに終わった。
本来の補習は十五時辺りで終わりを迎え、一斉に帰宅するのだが、残念ながら、学力も社会性も要領も乏しい少年にとって十五の数字は一人だけ残る事を意味していた。
友人の希月と鬼灯も鞄に教材を放り込みとっとと帰ってしまい、担任の宇晄沙桜と節木正門だけが、教室で未だ、マンツーマンで補習内容を教えていた。
内容は現代社会。
法の改正や環境問題に取り組む組織も当然、内容に含まれていたが、一番正門が気になったのは【魔法】だった。
「先生。なんで魔法ってあるんですかねぇ」
教室の窓を開けているためか、陽射しが正門の左半身を熱くして、汗を発生させる。
向き合うように正門の机でペンを持って授業を教えている宇晄は右半身が陽射しに当たっているが、汗一つもかくことなく考え込む。
「うーん。難しいですねぇ⋯⋯。二〇〇年前まではなかったんですけど、突然、生えてきたと言いますか」
「でも、普通。そう言うのって糾弾とか異分子として排斥されるものでしょ?今じゃ普及すらしてる」
この世界は魔法を用いて身を守り、現代技術で生活の基盤をより高めるという方針を取っており、日本もその一つ。
魔法というのは言わば、身体機能に近い形で受け入れられている。
それに加えて、警察組織や救急隊、消防士を始めとした役職に勤務している者は皆、それ相応の【魔法】をつかう。
警官ならば、捕縛するための魔法。場合によっては身体強化や犯罪者に対して攻撃する魔法もある。
救急隊や医者の部類は治癒の魔法。透視や触った者の悪性細胞を見抜く何てものもある。
消防士は水を行使した魔法。だけではなく、肉体強化と地面を用いて壁を生成する魔法が必須となる。
正門が見たニュースの情報では、一人の弁護士がある犯罪者を無罪にした内容だった。
二転三転と供述を変えていた如何にもな犯人が、新たな弁護人となると、最高裁の判決は瞬く間に無罪一色に早変わり。
弁護士が変わるだけでそこまでひっくり返るなんて、『ドラマのようだ』と思うと同時に『魔法で何かしたんだろうな』という身も蓋もない思考が過ぎっていた。
そして、更に言えば、弁護士が被疑者を『一方的に嫌えば』、『無罪の人間』も死刑にすら出来る可能性があるのが【魔法】だと、正門は認識したのだった。
魔法が廃れてくれていれば、そう思ったことは一度や二度では無かった。
「そうですねぇ。結果だけ言ってしまえば、『魔法使い』と呼ばれる者がごく普通に才を持って生まれる事例が増えてしまったからではないか⋯⋯。先生はそう思います。やっぱり慣れって有りますからねぇ。『魔力』はあって当たり前。『使えて』当たり前が恒常的かつ普遍的になったと言うのも大きいです。⋯⋯それに、技術の進歩には未知は、新たなスパイスですしぃ〜」
「ふーん。そういうものか⋯⋯」
大人になればいずれはそう思えるようになるのかもしれない。
そう考える事として、机に広げられたデバイスを使い、専用のペンで文字を連ねていく。
「【魔法】は嫌いですか?」
正面を見ると、やるせなさそうな表情が見えた。
少し、間を置いて呟く。
「正直、好きではないですね」
すると、宇晄は少し笑みを零し、言葉をゆっくりと、労わるように紡いだ。
「その考え方は大事にしてくださいね」
「普通、好きになる方法とかご教授を賜わる所では無いですか?」
悪い顔をして言うものだと、正門自身が一番思っていた。
それと同時に子供なのだとも。
そんな少年とは違う大人な宇晄は淡々と言った。
「先生は【魔法】が好きです。当たり前と思って行使してきました。もう、悪くも言える立場では無いんです。それに便利ですしね⋯⋯。けれど、それが一概に良いとも思いません。理由は⋯⋯まぁ色々です。なので、もし【魔法】を使って悪用する人がいたら、貴方はただ一人。糾弾する資格があるって事ですよ」
まだ、三ヶ月程度しか正門の担任をしていない宇晄も当然、引き続きのようなもので、ある程度は正門の家庭事情や、状況を理解しているのだろう。
でなければ、『一人』とは言わない。
「先生って、俺が【魔法】使えない事知ってるんでしたっけ?」
「勿論、知ってますよ」
「へぇ〜。よく不登校児の事まで」
「ふふーん!ちゃんとこれでも教師やってるんですよ!先生はッ!」
無い胸を張って腰に手を置き、ドヤる。
鼻から息が出るほどに。
窓から吹き抜ける風が、彼女の青髪を左側へと流し込むように吹く。
正門に魔力は無い。
しかし何故か、『別の力』が備わってしまっている。
その力は無闇矢鱈と使わないように十歳頃に戒めのようにしている。
これは教師陣も知らない。
友人も知らない。
円香も知らない不思議で未知で理解不能な力。
「だから、ちゃんと頼るんですよ?大人に頼る事は悪では無いです。それらを悪用する人が悪なのですから」
そう言い、淡い緑の瞳は優しく見る。
「じゃあ、俺ら子供を使って金を貰ってる教師も悪ですね」
冗談混じりに社会性皆無は、ぼやくように言う。
「えぇ!?な、な、何を言うんですか。ちゃんとした立派な、正当な報酬ですよ!!」
そして、公務員とは何か、どれ程の苦痛と眠気と面倒臭さで出来上がっているかを宇晄は正門へ一から教える事により、補習の時間は終了した。
十七時頃に差し掛かると、教室をお互いが出て宇晄は職員室へと。
正門に感謝を告げられた宇晄は、明日からもちゃんと来るように、と登校を促して短い歩幅で向かった。
正門は宇晄とは反対方向から校舎の正門を抜ける為、階段を降り、下駄箱へ行き靴を履き替えて、横に八〇メートル程度の駐輪場に四台ほど停められた内の一つのグリップを握る。
ポケットに放り込んでいた鍵を使い、ロックを外し、夕暮れ時の陽射しが肌を暖めつつ、ペダルを漕ぐ度に前から来る風が気持ち良くも感じていた。
高校の正門を抜けて右に大きくカーブし一〇分。
点々と街灯の灯りに当てられた事により正門から伸びる影が行ったり来たりを繰り返していた街路樹でそれは起きた。
「ん!?」
カチッ。
針の動く音が頭へ直接響くように、確かに聞こえた。
ブレーキを思い切り握り、急停止。
バランスを崩しそうになるのを左脚に力を入れ、支えると同時に、下へと向けていた顔は左右、後方をチラチラと知らぬ間に迷子になった子供のように動かしていた。
「『クリーチャー』がいるのか⋯⋯?でも、何処にいるんだ?」
《異端執行》は正門が『クリーチャー』だと判断し、それが正しい場合にのみ、『最初の針』が動く。
例外は無かった。
が、今回。正門が全く意識していない、認知も認識もしていないタイミングでそれは鳴った。
『こ、こ──ここ、だ。み、み──見つけ⋯⋯、──助けて』
女性の声がする。
遠くと言うには語弊があるものの、近くには居るが塞がれた所に居る。
そういった印象を受ける音響にも聞こえ、アスファルトが並んだ地面に視線を落とし、注意深く見回す。
「!⋯⋯いた」
銀の髪色に土や血で汚れた白のインナーを一枚だけ上に着用して、倒れている十五、六歳程の少女がそこにはいた。
『うぅ⋯⋯』
「アンタ大丈夫か?!すぐに救急車を!」
正門は間違えた。
『クリーチャー』は高圧蒸気のように噴射した気持ちをガムシャラに口に吐き散らす事はあっても、それに合わせて会話を試みても内容が噛み合った事は、かつて一度も無かった。
先入観で正門は眼前に倒れている存在を『人間』と判断していた。
『いや、ワタシは、クリーチャーと⋯⋯、君らが呼ぶもの、だよ。どの道、門前払い⋯⋯だから』
「⋯⋯。じゃあさっき、針が動いたのは⋯⋯。言っておくが、俺の力は『対クリーチャー用』みたいなものだ。助けるなんて事、俺の芸当じゃあ無理だ」
事実だけを述べた正門。
冷静で冷淡でありたい正門。
そして、瞳から泣き落としにも見える涙が流れ始めた銀髪のクリーチャー。
僅か、一メートル弱の距離で鼻を啜る音、嗚咽を漏らす音が妙に痛ましく、鮮明に、記憶されていく。
徐々に腕が正門に向かって伸びていく。
しがみつこうと、足掻こうとするその光景になんとなく憶えがあり、視界にチラつき始めた。
嗚咽は徐々に言葉となって正門を締め付ける。
『⋯⋯、死にたく、ないよぉ。まだ、ワタシは死にたく⋯⋯、うぅ、ううぅ。うぅぅわぁぁぁぁぁぁん。あぁぁぁぁあぁぁあ⋯⋯。イヤだ、イヤだ。頼む、お願い、後生だよ。助けて⋯⋯ううっ。ワタシを救ってくれぇぇ』
唖然、驚愕、動揺。
これらの感情が渦巻いた正門はジッと、泣き縋り、汚れたインナーを地面に擦り付けながら、這いつくばりながらこちらの脚へ手を掛けて来るのを見ているだけだった。
(クリーチャーが、助けを⋯⋯。いやそれ以上に喋った?会話が成立⋯⋯したのか?でも俺には助ける事は⋯⋯、今更。散々クリーチャーを殺して来たのに⋯⋯。今更!)
正門は彼女が脚に乗せてきた手に触れようとした。
伸ばそうとする右手は徐々に伸びて、近づく。
触れて、針を進めれば、確実に殺せる。
しかし、その手は小刻みに震えていて、残り数十センチの所で止まった。
要らない思考が過ぎる。
不必要で、不平等で均等性も無く、埒外で子供の戯言のような、それでいてお節介な情が湧く。
(助けたい⋯⋯?!)
『人間』と間違えたからなどではない。
正門はかつて三度ほど、『人間』と『クリーチャー』を間違えて接そうとして、痛めに遭ったことがある。
女性だからでもない。
助けたいと思う対象なんてものに性別は要らない。
要るのなら、人間なんてものはとっくの昔に性別を分けて隔離し合うように生きてきたはずだ。
ならば。
⋯⋯泣いていたからだ。
泣いている存在を助けたいと少年は思ってしまった。
百を超えるクリーチャーを屠っておきながら。
それでも、助けたいと思ってしまった。
愚かな男はシャツを脱いで、それを右腕へと、皺を気にすることのないようにして巻き、手を取った。
『⋯⋯うぇ?』
夕暮れの八月三十一日。
少年は『クリーチャー』に手をさし伸ばした。
長ければ言ってください。
何処かの話辺から分けます。
五等分にしてコンパクトにします。




