第05話:集結、反逆のイレブン ~王と怪物と、革命の夜~
10年ぶりの連勝に沸くスタジアムの喧騒が、遠くの波音のように聞こえる。
シエルは一人、スタジアムの裏手にある風の強い丘に立っていた。熱狂の渦から逃れたかったわけではない。ただ、不思議な「引力」を感じたのだ。
そこには、一人の少年がいた。
夕陽に透けて消えてしまいそうなほど色の白い少年が、イーゼルに向かって筆を走らせている。キャンバスに描かれていたのは、歓喜するシエルたちの姿だ。けれど、その色彩はあまりに儚く、まるでガラス越しに見た幻のようだった。
「……すごい。写真(魔導写本)みたいだ」
「……君か」
少年は振り返らず、筆を止めた。その背中からは、シエルと同じ、けれどどこか悲鳴に似た魔力の気配が漂っている。
「ナイスゲームだったね。……僕には、眩しすぎるよ」
「ねえ、君も『蹴球ファンタジア』をやるんでしょ? 足の筋肉、すごく綺麗だもん。次は一緒にやろうよ!」
シエルの無邪気な誘いに、少年は自嘲気味に笑い、胸元のペンダントを握りしめた。
「無理だよ。僕は……神様に『時間』を愛してもらえなかったからね」
「え?」
「この国の医療じゃ、僕の心臓は治せない。かといって、神との制約があるから、魔法先進国へ引っ越すことも許されない。……僕はここで、君たちのような選ばれた人間が走る姿を、指をくわえて描くことしかできないんだ」
少年は名前も告げずにイーゼルを畳んだ。残された地面には、絵具のシミが、涙の痕のように点々と落ちていた。
***
10年ぶりの連勝に沸いた日の夜。スタジアムの熱狂とは裏腹に、王城の謁見の間は、張り詰めた氷のような静寂に包まれていた。
玉座に座るのは、即位したばかりの若き国王ビクトリアス・フェイルロード。その御前に、包帯だらけのガッドが片膝をついていた。
「エルフ戦に続く、ドワーフ戦での勝利、見事であった。……して、褒美は何が良い? 金か? 地位か? 申してみよ」
王の言葉に、ガッドは顔を上げた。その瞳は血走っている。
「……ビクター。金も地位もいらない。友として頼みがある」
「なっ、貴様! 言葉を慎め!」
側近たちが色めき立つが、王は片手でそれを制し、ガッドを睨み返した。
「……よほどだな。できることならば叶える」
「……『劇薬』を、所望いたします」
ガッドの低い声が、広間の空気を震わせた。
「陛下。この3年間……俺が『監督代行』を兼任してからの日々をご存知でしょう」
ガッドは、包帯の下で拳を握りしめた。
「連敗続きで予算は削られ、練習場の芝は枯れ、ボールすら満足に買えない。俺は自分の給料を削って道具を買い、徹夜で他国のデータを分析し、なんとかチームを維持してきました」
それは、誰にも言わなかったガッドの苦闘の告白だった。スター選手としてのプライドをかなぐり捨て、泥水をすするようにして守ってきた「フェイルロード」という看板。
「俺の腕など、どうなっても構いません。試合に出ろと言われれば、腕が折れていようとゴールに立ちます」
ガッドは顔を上げ、血走った目で王を見据えた。そこにあるのは弱音ではない。勝利への飢えだ。
「ですが、気合だけでは……今の戦力だけでは、世界には届かないのです! ……今なんです。今しかありません」
ガッドは、ドワーフ戦の新聞記事――シエルが輝く、その紙面を掲げた。
「シエルという『希望』が現れてくれた。国民が10年ぶりに熱狂している今この瞬間こそが、歴史を変える千載一遇の好機なのです!」
ガッドは頭を垂れ、床に額を擦り付けた。
「森の奥で隠遁する『アルベルト』の追放処分を解き、全権を与えてください。そして、王立監獄の地下3階にいる大罪人『フォルズ』に恩赦を!」
「なっ……!?」
広間がどよめきに包まれる。
「気でも触れたか! アルベルトは先代の時代に永久追放された禁忌の男! それにフォルズだと? あの下賤なこそ泥を神聖なフィールドに立たせるなど!」
「次の相手は、あの傭兵王国ですっ! 品行方正な無能より、勝利を盗める悪党が絶対に必要ですッ!!」
ガッドの絶叫が、反対意見をねじ伏せた。
「この3年間、俺は全てを捧げてきました。……その俺が、命に代えても必要だと言っているのです。どうか……どうかご英断を!」
床に落ちる雫。鬼と呼ばれたガッドが流した、万感の涙。広間は静まり返り、大臣たちはその気迫に言葉を失っていた。
若き王は、震えるガッドの背中を見つめ――玉座からゆっくりと立ち上がった。
「……苦労をかけたな、ガッド」
威厳に満ちた声に、ガッドが顔を上げる。
「そなたの『わがまま』、国運を賭ける価値がある」
慌てて老臣が叫ぶ。
「なりません陛下! アルベルトは先代王が追放した男! それを呼び戻すなど、先代の顔に泥を塗る行為ですぞ! しかも、選手としての参加を条件に恩赦など前例がありません」
「黙りなさい」
王の一喝が、老臣を黙らせた。
「泥を塗ったのは、どちらだ。……国の宝である英雄を、一度の失敗で切り捨て、10年間もこの国を泥沼(最下位)に沈めたのは、先代王ではないか。そして、前例がなければ、今ここでつくればよいのだ」
王は玉座の階段を降り、ガッドの目の前まで歩み寄った。
「ガッドよ。そなた一人に、3年も泥を被らせてすまなかったな」
「……い、いえ! 俺は……!」
「アルベルトの追放は即刻解除する。フォルズの恩赦も認めよう。……だが、それだけでは足りぬよな」
王は、窓の外――アルベルトが隠遁している森の方角を見据え、静かに、しかし力強く宣言した。
「一度捨てた英雄に、都合よく『助けてくれ』と紙切れ一枚で命じるわけにはいかぬ」
「これから余が自ら孤児院へ向かい、直接頭を下げて、先代の判断が間違いであったと詫びてこよう」
「なっ……!?」
ガッドが目を見開く。王自らが、追放者に謝罪に行くなど、前代未聞だ。
「へ、陛下! そこまでしていただかなくても……!」
「良いのだ。……品行方正な無能より、勝利を盗める王もきっと必要だろう?」
若き王は、悪戯っぽくニヤリと笑った。
ガッドは、言葉を失った。そして、今度こそ深く、心の底から平伏した。
(……ああ。この国は、変わる。この王とならば……俺たちは勝てる!)
「御意……ッ!!」
フェイルロード王国。万年最下位の弱小国は、この日、真の意味で一つになった。
***
王立監獄、地下3階。
カビと汚水の臭いが充満する独房で、一人の男が退屈そうにコインを指先で躍らせていた。鉄格子の向こうに、ガッドが立つ。
「……生きてたか、フォルズ。ここから出るチャンスをやる。フェイルロードのために走れ」
「ヘッ。あの万年最下位チームのためにか? 泥舟に乗るくらいなら、ここで腐ったパンを食ってる方がマシだね」
男――フォルズは、寝転がったまま鼻で笑った。
「俺の足があったって、点を取れる奴がいねぇ。真面目に走るなんて馬鹿らしい」
ガッドは無言で、鉄格子の隙間から新聞の切れ端を放り込んだ。そこには、ドワーフの鉄壁をぶち抜くシエルの姿があった。
「泥舟じゃねえ。……『希望』が乗った宝船になったんだよ。お前の大好きな『金銀財宝(勝利)』、盗り放題だぞ」
フォルズが紙面を拾い上げる。その目が、一瞬だけ鋭く光った。
次の瞬間、ガッドの腕から懐中時計が消えていた。フォルズの手の中で、チクタクと音を立てている。
「……相変わらずだな」
「へへ。腕は錆びてねえだろ? ……面白ぇ。乗ってやるよ、キャプテン」




