エピローグ
文化祭が終わった翌週。
部室には、少しだけ静けさが戻っていた。
こむぎは、残った材料で小さなパンを焼いていた。
今日のテーマは「パン言葉」。
パンに込めた気持ちを、焼き色と香りで表現する。
「食パンは“誠実”。まっすぐで、飾らない味」
「バゲットは“孤高”。硬いけど、芯がある」
「メロンパンは“予感”。甘くて、ちょっと切ない」
「全粒粉パンは“芯のある静けさ”。地味だけど、深い」
「シナモンロールは“記憶”。香りが、心に残るから」
こむぎは、パンを焼くたびに、自分の気持ちを整理していた。
パンは、言葉よりも正直だった。
焦げれば焦りすぎ。膨らまなければ迷いすぎ。
でも、うまく焼けたときは、心も整っていた。
「パンって、焼き方に性格が出るよね」
しおりが言った。
「こむぎのパンは、いつも優しい」
「しおりのパンは、ちょっと大胆」
「それって…恋の話?」
「ううん。パンの話」
ふたりは笑う。
パン焼き同好会は、まだ部員2人だけ。
でも、文化祭でパンを食べた誰かが、入部希望を出してくれたらしい。
「来週、見学に来るって。男子だって」
「曲がり角でぶつからなかったけど…パンでぶつかったのかもね」
こむぎは、焼き上がったパンを袋に詰めながら思った。
恋は来ない。出会いも、まだ遠い。
でも、パンは焼ける。
それだけで、十分だった。
パンの香りが、誰かの心に届くなら。
それはもう、恋に似ている。
パン焼きのコツを教えることは、気持ちを伝えること。
「予熱は、心の準備」
「水分は、やさしさ」
「焼き色は、想いの深さ」
こむぎは、ノートに焼き方のメモとパン言葉を並べて書き残した。
それは、未来の誰かへの手紙のようだった。
窓の外、秋の風が吹いていた。
こむぎは、明日のパンのレシピを考えながら、そっとつぶやいた。
「パンは、焼き続けることで、誰かの記憶になる」
「それって、ちょっと…運命みたいじゃない?」




