シナモンロール
文化祭の朝。
パン焼き同好会の屋台には、焼きたての香りが立ち込めていた。
こむぎは、最後の仕上げにシナモンロールを並べていた。
甘くて、くるくる巻かれていて、ちょっと複雑。
まるで、こむぎの妄想みたいだ。
「シナモンの香りって、記憶に残るんだって」
こむぎが言うと、しおりが頷いた。
「じゃあ、誰かの心に残るといいね」
「うん。恋じゃなくても、パンの記憶になれば」
シナモンロールの焼き方には、香りと形のバランスが大事。
生地は薄く伸ばし、シナモンシュガーを均一に散らす。
「偏ると、記憶も偏る。まんべんなく、心に残したい」
くるくると巻いて、端をしっかり閉じる。
「巻き方は、想いの強さ。ほどけないように」
焼成は180℃で15分。焼きすぎると香りが飛ぶ。
「香りは、余韻。強すぎず、でも忘れられないくらいに」
妄想は、今日も止まらない。
屋台に現れる男子。
「このシナモンロール、君が焼いたの?」
「はい。恋する味です」
「じゃあ、僕の心に焼きつけてみて」
こむぎは赤くなり、パン袋を差し出す。
現実。
昼過ぎ、屋台は予想外の人気。
「恋するメロンパン」も「自分らしさパン」も売れていく。
そして、最後のシナモンロールを手に取ったのは、見知らぬ男子だった。
「これ、すごくいい香りですね」
こむぎは、少しだけ照れながら答える。
「…恋の香り、かもしれません」
男子は笑った。
「じゃあ、大事に食べます」
それだけだった。
ぶつかってもいない。
名前も知らない。
でも、こむぎの心には、小さな奇跡が焼きついた。
文化祭の終わり。
部室で、こむぎとしおりは残ったパンを分け合う。
「ねえ、こむぎ。今日、ちょっと恋っぽかったね」
「うん。でも、パンが恋人だから」
「それでも、誰かに届いたんだよね。こむぎの気持ち」
「うん。パンって、そういうものかも」
こむぎは、ふと呟く。
「パンって、花言葉みたいなものだよね」
「え?」
「食パンは“誠実”、バゲットは“孤高”、メロンパンは“予感”、全粒粉パンは“芯のある静けさ”、そしてシナモンロールは…“記憶”」
しおりは笑う。
「それ、パン言葉って呼ぼうよ」
夕暮れの部室。
シナモンの香りが、静かに漂っていた。
恋は来ない。でも、パンは焼ける。
それが、こむぎの青春だった。




