全粒粉パン
文化祭まであと一週間。
パン焼き同好会の部室は、試作と反省と笑いで満ちていた。
でも今日は、少し静かだった。
こむぎは、全粒粉パンを焼いていた。
白くない。ふわふわでもない。
でも、噛むほどに味が出る。
「地味だけど、深い味。私みたい」
そうつぶやいて、こむぎは生地をこねる。
全粒粉パンは、扱いが難しい。
小麦の表皮や胚芽が含まれているため、吸水率が高く、グルテンが弱くなりやすい。
「水は少し控えめに。発酵は長めに。焦らず、でも見失わず」
こむぎは、一次発酵をじっくりと見守る。
焼成は190℃で30分。
「焼き色は、静かな自信。派手じゃなくていい。芯があれば」
しおりは、窓辺でスマホを見ていた。
「ねえ、こむぎ。クラスの男子、誰か気になる人いないの?」
「うーん…全粒粉みたいな人がいたら、ちょっと惹かれるかも」
「それ、どういう意味?」
「見た目は地味だけど、話してみたら味わい深い人」
しおりは笑う。
「こむぎの恋愛フィルター、完全にパン基準だね」
「うん。パンは裏切らないから」
妄想は、静かに始まる。
未来のこむぎ。パン職人としてテレビ出演。
「恋よりパンです」と言い切る彼女に、司会者が驚く。
「でも、パンって…誰かのために焼くものじゃないですか?」
こむぎは少しだけ微笑む。
「そうですね。誰かの心に届いたら、それはもう、恋かもしれません」
現実。
焼き上がった全粒粉パンは、香ばしくて、少し硬い。
でも、こむぎは満足そうだった。
「これ、文化祭の隠しメニューにしようかな」
「隠しメニュー?」
「“自分らしさパン”。誰にも見つけてもらえなくても、焼いておきたい」
しおりは、少しだけ黙った。
そして、ぽつりとつぶやいた。
「こむぎって、強いね」
「パンがあるからね」
「……私も、ちょっと焼いてみようかな。自分らしさパン」
ふたりは笑う。
夕方の光が、全粒粉パンの表面に静かに落ちていた。




