第29話 追跡者
深い森の中を歩くのは、青いフードに眼鏡を掛けた神経質そうな細身の男だった。
腰には黒い鞭を装備しており、慣れた足取りで森の中を進んで行く。
彼の背後からは、漆黒の毛皮に身を包んだウェアウルフやヘルハウンドにキラーベアなどの高ランクの魔獣達が続いており、獲物を追う狩人の様に鼻をひくつかせて、臭いを探っていた。
ラグナは、うんざりした表情で、森の先を見つめて、深いため息を吐く。
「まさか、こんな辺境の地まで来る事になるとはね・・・」
クロイツェル家の長男であるロイドから依頼を受けた時は、家出した婚約者を探す簡単な仕事のはずだった。
しかも、相手は世界一の大富豪であるハートフィリア家の長女だ。
箱入り娘の貴族令嬢が家出をしたところで、そんな遠くには行けるはずも無く、直ぐに見つかるものと考えていた。
しかし、彼女の足取りを追い始めてから既に半年が経とうとしているにも関わらず、未だ見つかっていない事に苛立ちを隠しきれない。
それでも、ロイドから預かったクロエのハンカチの匂いを辿ってここまで辿り着く事ができた。
それはつまり、クロエが未だ生きている事を示していた。
途中、クロエが乗っていたと思われる荷馬車が襲われた形跡を発見した時は、確実にクロエが死んだか誘拐されたと思った。
しかし、その場にクロエの死体は無く、魔物達に食い散らかされた御者と盗賊達の死体しか無かった。
現場には、戦闘があった形跡も残っており、クロエが、その場から立ち去った形跡も確認済みだ。
「貴族令嬢がどうやってこんな場所まで来れたんだ?」
この辺りは、強い魔物や盗賊も多く、とてもじゃ無いが、貴族令嬢だけでは辿り着く事はできない。
魔物に食われるか、盗賊に身ぐるみ剥がされて売られるのが関の山だ。
「・・・協力者がいるのか?」
ラグナは、面倒臭そうに眼鏡の位置を直す。
足手まといの令嬢を守りながら、盗賊や魔物を倒し、辺境の森の中を進める手練れがいるとなると、連れ帰るのも一筋縄にはいかない可能性もある。
金で雇った冒険者か傭兵、若しくは浮気相手の騎士や魔術師かも知れない。
だが、ラグナにとっては、その程度の相手は脅威にはなり得ない。
仮にソードマスターのロイドが本気で剣を向けてきたところで、負ける気は無い。
とは言え、相手がAランク以上となると、配下の従魔は多少なりとも消耗する事になる。
出来れば無駄な戦闘は避けたいと言うのが本音だ。
「それにしても、この場所は、嫌な記憶を思い出すね」
何故、寄りによってこの地に逃げたのかと、ラグナはため息を吐いた。
300年前の記憶を思い出すと、今でも吐き気を催す。
いきなり異世界に召喚されて勇者として送り込まれたのが、この呪われた地だった。
死と隣り合わせの、壮絶な戦闘と殺戮が繰り広げられる戦場では、恐ろしい魔物達が闊歩しており、人間は弱者だった。
神々から与えられた権能と神器を持つ勇者は、最初は千人以上いたが、魔王軍は数が多い上に、幹部の魔物は勇者並みに強く、次々と仲間の勇者が死んで行く光景は地獄だった。
ビーストテイマーの権能を与えられたラグナは、魔獣に対して、魔王以上の支配力を持っており、魔王の配下を自身の従魔にして、前線で戦わせた。
ラグナ自身は後方に隠れていたので、最後まで生き残る事が出来たが、今でも魔王との戦いはトラウマだ。
こんな場所からは、一刻も早く帰りたい。
それに、目と鼻の先にあるイステリアは貿易が盛んな港町だ。
もしも、クロエが船に乗り、国外へ逃げた場合、追跡はより難しくなる。
「急いだ方が良さそうだね」
ラグナは、イステリアの街を目指して、足を早める。
「お前達は先に行け、見つけたら多少乱暴でも構わないから捕らえてしまえ」
ラグナが指示すると、ウェアウルフ達は音も無く森の奥へと消えた。
「この僕に、ここまで手間を掛けさせたんだから、少しくらい痛い目に遭ってもらわないとね」
ラグナは残忍な笑みを浮かべて、眼鏡を光らせる。
依頼人であるロイドには、傷一つ付けずに連れて帰ると約束したが、傷なんて治癒のポーションで治療すれば誤魔化す事は容易い。
それに、調教や拷問はラグナの得意分野であり、クロエが逆らえない様に恐怖と苦痛を与えることで、告げ口すら出来なくするつもりだ。
何より、相手は世界一の大富豪の娘だ。
隷属の首輪で、自分に逆らえなくすれば、いくらでも金を手に入れられる事が出来る。
しかも、王国一の美女としても有名な令嬢だ。
自分の意のままに操れば、それなりに愉しめるだろう。
ラグナはいやらしい笑みを浮かべて舌舐めずりをする。
ラグナは、最初からクロエを無事にロイドへ引き渡すつもりなど無かった。
ラグナが準備した隷属の首輪は、ビーストテイマーの権能で創り出したアイテムであり、首輪をした対象をラグナの意のままに操る事ができる効果がある。
首輪の支配力は、魔王より高く、魔王に忠誠を誓った魔物の支配権すら奪えるだけの力がある。
ラグナは、ロイドにクロエを引き渡した後もクロエの支配権を手放すつもりなど無く、公爵婦人を従魔にして、ハートフィリア家とクロイツェル家の両方を乗っ取り、支配するつもりだった。
「ふふふ、無垢な令嬢の顔が屈辱と恐怖に染まるのが愉しみだよ」
ラグナは、腰の鞭を指でなぞり、ゾクゾクと快感を思い出していた。




