第2話 派遣冒険者直樹、異世界転生管理局で派遣登録をする
「……今日派遣先が決定か……」
殺風景なカウンターの前に腰掛け、ナオはざわつく感情をぐっと抑える。目の前に座っているのは、銀髪で白い肌、背中には大きな羽根を持つ天使のような見た目の異世界転生管理局職員、アメリア・ホープだった。
「それでは、佐藤直樹さん。いえ、これからはナオ・サトーさんでしたね。異世界転生の派遣社員としての登録内容を確認させていただきます。まずはこちらにサインをいただけますか」
アメリアは常に背筋をぴんと伸ばした姿勢で、完璧に整ったスーツ姿だ。初めこそ冷淡そうに見えたその表情であるが、バルトの話を聞いた後だとどこか人間らしい温かみを宿しているようにも感じられる。
彼女は契約書類を差し出し、「こちらに」と言いながらサインを促す。
「ナオ・サトー……っと。なんだか慣れないなぁ」
ナオ・サトー。直樹がこの世界でこれから名乗っていく名前だ。
バルドのように完全に名前を変えてもよかったが、やっぱり長年連れ添った名前を完全に捨てるのは抵抗がある。
もし、万が一──再度転生をすることがあれば、いっそ名前を変えてもいいのかもしれないが。
カチカチと、淡々としたキー入力の音が響く。ナオは目の前の薄いホログラムのようなモニターに表示された内容をぼんやりと眺めていた。
分厚い書類を渡された時は「なんてアナログな世界なんだ」と思ったが、データベースのようなものはしっかりとデジタルでシステム化されているようだ。
そんなところは日本のお役所仕事と一緒だな、となんだかおかしくなった。
『氏名:ナオ・サトー
年齢:24歳
前職:ブラック企業派遣社員(業務内容:資料作成、会議セッティング、会計、雑務全般)
特記事項:特筆すべきスキルなし
適性:雑用係(サポートクラス相当)』
適正の欄に書かれた雑用係の文字を見て、ナオは小さく呟いた。
「……まぁ、だよな。スキルなんてあるわけないし」
ナオは薄笑いを浮かべた。同時に、胸の奥底がちくりと痛む。今さらだが、自分の人生がこれほどまでに「平凡」で「無個性」だったことを、これでもかと突きつけられた気がした。
「これからナオさんは、冒険者パーティーのサポート要員として、必要に応じて各パーティーへ短期的に派遣される形になります。契約期間は不定。案件に応じて随時更新となります」
「はいはい、要は便利屋ってことですよね」
「……言い方はともかく、そういうことになります」
アメリアは事務的に淡々と答えるが、口元がわずかに引きつった。どうやらナオの皮肉は届いているらしい。
「結局やってることは以前と変わらないな……」
ブラック企業での生活が思い出される。朝7時に出社し、夜は終電ギリギリまで残業。休日出勤は当たり前。評価もされず、上司に怒鳴られ、同僚に押し付けられ、心身をすり減らしていく毎日──気がつけば、あの過労死の瞬間。
……いや、正確には「瞬間」だったのかすらわからない。自分ではただ寝落ちしたつもりだったのに、気づいたら死んでいて、ここにいたのだ。
「転生って、もっと夢があるもんだと思ってたんだけどなぁ……」
ナオは肩をすくめる。魔法の力に目覚めて、最強の剣を手に入れて、異世界の王女と結ばれてハーレム築いて──そんな都合のいい話なんて、自分には縁がなかったらしい。
「そういえば、アメリアさん?」
「はい、何でしょう」
「この異世界転生管理局って、なんでこんなにシステム化されてるんですか? もっと、こう……異世界転生って、神様がドーン! って出てきて、異世界に送ってくれるのかと思ってたんですけど」
アメリアは軽く首を傾げ、少し考えてから答えた。
「神様? ああ……なるほど。確かに地球側の宗教観からすると、そういうイメージを持たれる方が多いようですね。しかし、私たちからすれば、"転生"とはあくまで一つの業務手続きであって、特別な奇跡ではありません」
「……業務手続き?」
「はい。異世界間の転生は、各世界のバランス調整のために必要な措置です。具体的には、人口比率の是正、資源供給の調整、文明の停滞回避、技術継承の促進など、さまざまな理由があります。私たちはそのために人員を適切な場所へ配置し、管理しています」
「まるで人間をモノみたいに扱うなぁ……」
「モノではありません。ですが、転生者の一人ひとりが特別であるわけではない、というのは事実です」
淡々と告げるアメリアの声音に、ナオは軽い敗北感を覚える。結局、自分はただの「穴埋め要員」に過ぎないのだ。
「さて、手続きは以上です。これがあなたのIDカードです」
アメリアが手渡してきたのは、シンプルなカード。そこには「ナオ・サトー/雑用係(派遣冒険者)」と記載されていた。
「ダサッ……」
「仕方ありません。派遣冒険者とは、そのようなものですから」
「ふーん……」
ナオはカードを受け取り、しばらく眺めていた。どこか虚しい気持ちと、これから始まる新しい生活への不安が入り混じる。だが、ここで腐っていても仕方がない。目の前のことを一つずつ片付けていくしかないのだ。
「それでは、初回派遣先の案内です」
ナオは姿勢を正し、息を飲んだ。心臓が小さく鼓動を打つ。ブラック企業で上司に呼ばれるたびに感じた、あの嫌な緊張感がふと蘇る。しかし、ここではもう叱責されるわけでも、深夜残業を押し付けられるわけでもないはずだ──そのはずなのに、何故か身体が身震いをした。
「初回派遣先は、辺境村ラグニス周辺で活動中の初級パーティー『シルバーウルフ』になります。駆け出し冒険者たちで組まれた小規模パーティーです。パーティーへの依頼内容は村周辺の草むしりや整備、および小型モンスターの駆除。あなたはその依頼の補佐をしていただきます。期限は三日間になります」
「……やっぱり雑用係か」
ナオの肩から力が抜ける。バルドから事前に聞いていた話から、どんな危険地帯へ送り込まれるのかと思ったが、想像からはあまりにもかけ離れた地味な内容だった。だが、同時にホッとした気持ちもある。いきなり命がけの戦場に放り込まれるよりは、よほどマシだ。
「危険度は低めですが、野生のモンスターを相手にする仕事です。油断は禁物。なお、派遣中はあくまで補助的な立場であり、主導権は現地のパーティーにありますので、慎重な行動を心がけてください」
アメリアが淡々と説明を続ける。彼女の視線は冷たいはずなのに、その瞳の奥に、どこか心配げなゆらぎがあるようにも見えた。
「わかりました。えっと、何か用意しておくものは?」
「特にありませんが、装備品の貸与は最小限です。防具は基本的な革鎧、武器は簡易の木剣が支給されます。その他の物資は現地でご自身での判断となりますので、ご了承を」
「木剣、か……」
ナオは小さく笑い、苦い気持ちを飲み込んだ。結局、自分はここでも「何もない派遣冒険者」だ。それ以上でもそれ以下でもない。胸が躍るような冒険なんて夢のまた夢なのだ。だが、それでもやるしかない。
「それと……」
ふいにアメリアが言葉を切り、視線を外した。羽根がかすかに揺れ、その表情が一瞬だけ曇ったように見えた。
「何ですか?」
「……いえ。特に問題はありません。ですが、もし何か困ったことがあれば、すぐに私に報告してください」
「……?」
アメリアが何か言いかけたようにも見えたが、きっと聞き直したところで何も答えてはくれないのであろう。ナオは少し消化不良な心持ちになったが、それ以上追求するのはやめておいた。
「おい、坊主! 初派遣決まったか?」
その時、後ろから聞き覚えのある声が響いた。
振り向くと、そこにはバルドが立っていた。くたびれた作業着に、よれた肩掛けバッグを提げ、髭をさすりながら笑っている。
「ええ、決まりました。草むしりと、モンスター駆除だそうです」
「ははっ! 派遣デビューは雑用からだよなぁ。まぁ、最初はそんなもんだ」
バルドは豪快に笑い、ぽんとナオの肩を叩いた。
「気をつけろよ、ナオ。……俺がこの前話したこともそうだが……派遣先ってのはクセ者揃いだからな。特に新人パーティーなんて、手探りで行動してるから、予想外のトラブルなんざザラだ。油断するなよ」
「……わかりました。ありがとう、バルドさん」
「おう。何かあったら、ここに戻ってこい。転生2回目の俺が、世渡りアドバイスくらいはしてやる」
そう言って笑うバルドの表情には、どこか父親のような温かさがあった。
「……それでは、現地へ向かっていただきます。よろしいですか?」
アメリアの言葉が、部屋の片隅から静かに響く。ナオは深呼吸を一つし、アメリアとバルドに一礼すると、転生者専用の転移ゲートへと足を向けた。
異世界「ルミナベルク」での、最初の一歩を踏み出すために。




