第1話 平凡なる男、佐藤 直樹《さとう なおき》の終わりと始まり
「はぁ……今日も終電かよ……」
夜の街をふらつくように歩きながら、直樹は自嘲気味にため息を漏らした。
見上げたビルの窓には、煌々と灯るオフィスの明かりがまだ残っている。
自分の勤務する会社もその一角にあるのだ。
時計を見れば、もうすぐ23時を回ろうとしていた。
「今日の残業は5時間か……。もう笑うしかないな……」
佐藤 直樹24歳。
ブラック企業勤務の派遣社員。
特筆すべきスキルもなければ、資格もない。なるべくして今の状況になった、と言われてしまえば、返す言葉すらもない。
転職を考えたこともあるが、経歴を見て「これといった実績がないですね」とやんわり断られたことは、一度や二度ではなかった。
毎月の給料は手取りで20万ちょっと。
ボーナスなんてもちろんない。
毎日毎日数字とにらめっこし、上司に怒鳴られ、時には土日も返上して、の繰り返しだ。
「やっぱり、あのとき資格の勉強をしておくべきだったかな……」
何度目になるかわからない後悔が、直樹の心をよぎる。
だがその後悔も、次にやるべきタスクの多さの前にはすぐに押しつぶされてしまう。
今も現在進行系で、明日の朝イチで提出しなければならない資料の修正が頭の中をぐるぐる回っているのだ。
疲れ切った体でアパートのドアを開けると、待っていたのは狭いワンルームの部屋。
脱ぎ捨てたスーツ、洗い忘れた皿、コンビニの弁当ゴミ。
そのどれもが「今を生きているだけで精一杯」という直樹の生活……いや、人生そのものを映し出していた。
──そして今日もまた、散らかった部屋もそのままにベッドに倒れ込む。
「明日も……がんばろう……」
疲れなのか眠気なのかも最早わからない、どうしようもない気怠さが直樹の意識を飲み込み、瞼が重く閉じる。
時計の針の音が静寂に響いている。
斜め向いにある街灯の灯りが、カーテンも開きっぱなしの部屋の中に薄っすらと差し込んでいた。
スーツのままだったため、寝苦しかったのであろう。
直樹は一度唸って大きく寝返りを打つ。
そしてそのまま、彼の意識が戻ることはなかった。
***
直樹が再び目を覚ました時、見慣れない真っ白な空間が広がっていた。
壁も床も、天井すらないような感覚だ。
ただひたすらに、真っ白な世界が広がっている。
慌てて身体を起こすと、直樹はすぐに違和感に気が付いた。
「身体が軽い……」
毎日、目覚めるたびに感じていた身体の怠さが、嘘のようになくなっているのだ。
腕を回してみたり、手を開いたり閉じたり、その場でジャンプしてみたりする。
「どうなってるんだ……?」
まるで無尽蔵の体力を誇っていた子供の頃に戻ったかのように、思い通りに身体が動く。
ここ何年も忘れていた久々の感覚に、少し嬉しくなった。
「……って、それより仕事に行かないと!」
ふと我に返った直樹は周りを見回した。
何もない白の空間。当然仕事に使う鞄も、着替えもそこにはない。
そもそもここはどこなのか。
目覚めるとこんな訳の分からない空間にいきなり放り出されているにも関わらず、まだ仕事のことを考えている。そんな自分に少し嫌気が差した。
直樹は結局どうすることもできず手持ち無沙汰なまま、ぽつんと立ち尽くす。すると間もなく、カツンカツンとヒールを鳴らすような足音が、どこからともなく近づいてきた。右から左から音が反響してくるせいで、まるで宙にでも浮いているような気持ちになる。
距離感はわからないが、恐らく遠くの方に何となく人の姿が見えてきた。
右も左もわからない直樹にとって、その人物だけが頼りだ。少し不安もあったが、人影がこちらへ近付いてくるのを大人しく待つことにした。
そして現れたのは、妙にきっちりとしたスーツ姿の女性だった。
その姿は人間離れしていて、背中には透き通るような羽が生えている。
白銀の髪と白い肌も相まって、まるで天使のようだ、と直樹は内心思った。光を帯びたターコイズブルーの瞳が、こちらを淡々と見据えている。
「佐藤直樹さんですね。まずはお疲れさまです」
「え、えっと……色々聞きたいことがあるのですが……」
「こちらは異世界転生管理局となります。私は職員のアメリア・ホープ。これから新天地『ルミナベルク』にて第二の人生を歩んでいただくにあたり、あなたの転生手続きを担当させていただきます」
そんな質問は聞き飽きた、とでも言うかのように、アメリアと名乗ったその女性は、直樹の質問を最後まで聞き終わることなく現在の状況について説明を始めた。
「佐藤直樹さんは、2025年5月25日0時47分に、過労による突然死でお亡くなりになりました。長時間労働による睡眠不足と疲労が原因ですね。お亡くなりになった後の対応として、こちらの管理局で転生先の調整を行っています」
異世界転生管理局……??
亡くなった後の対応……???
初めて聞く言葉や自分の置かれた状況に、直樹は頭が真っ白になった。
「……え? え? ちょっと待ってください。俺、死んだんですか?」
「はい、死にました」
あまりにもあっさりアメリアが答えたため、直樹は言葉を失った。
思い返してみれば、確かにあの晩は異様に体が重く、目の前が霞むような感覚があったが……。
倒れ込んだ瞬間のあの暗い感覚──もしかして。
あの感覚こそが、「終わり」だったのかもしれない。
「そんな……俺、まだ何も……何もやり遂げてないのに……」
「まあ、そうでしょう。ここに来る方は全員、何らかの理由で寿命を全うできなかった方々なのですから」
アメリアは肩をすくめ、無表情で紙の書類をめくった。
「お亡くなりになった後は、基本的には『寿命まで異世界での再スタート』になります。どういった再スタートを切りたいのかを転生者様に希望をお聞きしているのですが、その様子ですとまだ具体的な転生希望先はお決まりになっていないようですね?」
「……え、えっと……まだ何がなんだか……」
唐突すぎる説明に直樹は混乱しつつも、異世界転生という響きに心がざわめいた。
まるで、昔見たライトノベルやアニメのような設定だ。
自分がそんなファンタジーの世界に?
でも、これは夢じゃなくて現実だ。
「あら……申し訳ありません。佐藤直樹さんは、今回初めての転生でしたね。ではまず、ここのシステム説明からいたしましょうか」
アメリアが戸惑う直樹の手を取ると、自分たちを中心に真っ白だった空間が一気に変化し、見慣れない景色が広がる。
そこは近未来的な作りの、役所のような建物だった。
アメリアのようにスーツを着こみ、髪をきっちりと撫でつけた職員たちが忙しなく歩き回っている。
彼らの全員が人の姿をしてはいるものの、背中に羽を生やしていたり、角や鱗がある者までいる。まさに「人外」というべき存在たちが、まるで市役所の窓口職員のような淡々とした態度で応対しているのである。
「先にも言いましたが、直樹さんが転生される先は『ルミナベルク』という世界に決定いたしました。守秘義務からあまり詳しくは説明できませんが、いわゆる直樹さんが居られた世界でいう『ファンタジーの世界』になります。ここは異世界転生管理局の中の、『ルミナベルク支所』とでも言いましょうか。ルミナベルクへの転生が決定した方々のサポートと各種手続きをしています」
「ファンタジー……ってことは、魔法とか使えるんですか?」
「そうですね、ルミナベルクでは魔法は一般的です。職業選択の中にも、魔導師がありますよ。ただ、人気の職業となっているので、適正次第では何年もお待ちいただかなければいけません」
「何年も……?希望した職業になんでもなれるわけではないんですか?」
「基本的にはどのような職業でも転生可能です。適正さえあればすぐに希望の職業に転生いただけるのですが、適正がない場合は各職業の欠員がでるまでお待ちいただく必要があります。その欠員待ちで何人、何十人、場合によっては百人以上の方が待機しています」
「そうなんですね……ちなみにさっき言っていた魔導師だとどれくらい待たなければいけないんですか?」
アメリアは手に持った書類をペラペラとめくって目を細めた。
「適正なしの魔導師ですと、現在は359名の方が欠員待機しておられます。大体7〜8年待ちですね」
直樹はあまりの数字に驚き、言葉を詰まらせてしまった。
「特にご希望がなければ、平民でしたらすぐにご案内できるのですが──あら、バルドさんこんにちは」
アメリアが声をかけたのはやたらにガタイのいい中年の男──バルドである。短く刈りそろえた赤髪に、髪色と同じヒゲを蓄え、ややくたびれた作業着姿だ。服装こそ質素ではあるものの、気の良さそうな表情をしており、いかにも「頼りになる男」といった感じである。
「やあアメリアさん。そっちのは……新人さんかい?」
バルドは直樹の方を見てにっと笑った。
直樹は目を合わせたまま会釈をする。
「ええ。今日こちらに来られたんです。えっと、こちらはバルド……バルド・グラントさん。鍛冶師の欠員待機で現在3年目を迎えている、言わば直樹さんの先輩ですね」
アメリアはバルドの紹介をすると名案を思いついた、とばかりに手を打った。
「せっかくですし直樹さん、バルドさんからお話を聞いてみるといいかもしれません。私ではお話できないこともありますし……」
「おいおいアメリアさん、そんなこと言って仕事を俺に押し付けようとしてないかい?」
バルド・グラントと紹介された男は大声で笑った。そんな事を言いながらも嫌な顔はしていない。
何とも豪快な人物だ。
「……バイト代はお出ししますよ」
「よぅし、任せとけ!」
そんなこんなで直樹は一旦アメリアから離れ、バルドと共にこの見慣れない役所のような建物を回ることになった。
建物の各所には見たこともない文字が書き連ねられていたが、不思議と書かれていることについては理解ができた。
そのことが余計に「死んで転生した」という事実を直樹に突き付けているようだった。
「兄ちゃん……直樹といったか?まだ若いのに災難だったなぁ。死因は?」
まるで天気の話でもするかのように「死因は?」なんて聞いてくるものだから、直樹は思わず苦笑いをしながら答えた。
「過労死……らしいです。自分ではいつ死んだのかわからないんですけど」
「過労死か!俺は労災ってやつだ、工場勤務でな。こう、プレス機に身体が……」
「わぁ!わぁ!!いいです!!その先はいいです!!」
何だかグロそうな話がでてきそうだったので、直樹は必死で遮った。
バルドは残念そうな顔をしているが、残念ながらグロ耐性は全くと言っていいほどない。
「まぁ、そのなんだ。とにかくここは、前世で本来の寿命を全うできなかった奴が来るんだ。不慮の事故、病死、他殺、そして直樹のような過労死とかな」
「そして死んだ後もこうして何年も待たされるなんて、なんだか夢も希望もないですね」
直樹は上を見上げながら大きなため息を付いた。
高い天井の上には、照明器具ではない、何かしらの光源があるようだ。あれが魔法というものなのだろうか。
「そうでもないぞ?前世で何者にもなれなかった奴、こっちの世界で適正がないと言われた奴も、ただ待つだけで何にでもなれる。剣士、魔導師、王族にだってなれるんだ。最高に平等な世界だろう」
「王族だって?」
直樹が驚いた声を上げると、バルドは辺りを軽く見回した後、長蛇の列ができている一角を指さした。
「ほら、あそこだ。あれが王族希望の待機列だよ。王族はそもそも定員人数自体が少ないからな。最後尾は確か……」
「16年待ちだよ」
酒で焼けたようなダミ声で、バルドの声が遮られた。
「よぉバルド。今日もバイトか?へへ……」
声をかけてきたのは、すでに酩酊状態の男だった。
歳の頃はバルドと同じくらいだろうが、ボサボサの髪、だらしない服装、まるで身なりを気にしない風貌から、随分と年老いて見える。
「はぁ……ユキノフ。お前さん、まだ何もせず並んでんのか?」
バルドが大きなため息をついて、ユキノフと呼ばれた男の方を見た。
「直樹。こいつはな、前世ではギャンブルで借金抱えて奥さんと子供に逃げられた挙句、急性アルコール中毒でおっ死んじまったどうしようもねぇクズだ。ここでもこうやって待機列に並びながら、1日中酒を飲んでダラダラしている」
「へっへっ……俺みてぇなクズでも待つだけで王族だ。バルドみてぇに毎日毎日バイトで忙しくしてるほうが俺には理解できねぇな」
ユキノフはニヤニヤと笑いながら、手に持った酒瓶に口を付け、残っていた酒を一気に飲み干した。そして呂律の回らない口で「せいぜい頑張んな」と呟いたあと、大きないびきをかきながら眠りについてしまった。
「……ったく。こんな奴にも前世に未練があるとか信じられねぇよな……」
バルドはボリボリと頭を掻きむしりながら、遠い目で長い長い待機列を見つめる。
「ここはな、自ら死を受け入れた人間は来れねえんだ。病死でもその苦しさから死を望んだ人間、闘うことを諦めた人間は転生できない。自殺なんてもっての外だ。言い換えるとここに居るやつは、前世に何かしらの未練があった奴だ」
「未練……」
直樹は自分の人生を改めて考え直す。
確かに何かをやり遂げたいという焦燥感は常に抱いていた。
しかしあまりに辛い毎日に、このまま消えてしまえたら、と何度となく考えたこともあった。
自分の前世に未練なんてものがあったのか──自分自身のことなのに、死んでようやく気が付くなんて、と自嘲してしまう。
「実を言うとな、俺は転生二回目なんだ」
バルドはワハハと笑ってみせた。
「二回目とかあるんですか?」
「ああ。転生先で寿命を全うするまでに死んじまうとな、もう一度やり直せる。決められた寿命まで、何度でも、だ。強くてニューゲームってやつだな。だからこそこうやって職業別の定員ってのがあるわけだ。好きな職業に簡単になれるんじゃ、世界に偏りがでちまう。それに現状が気に入らねぇからって、死んでニューゲームを繰り返すバカで溢れるだろ?」
バルドは再び豪快に笑うと、直樹の背中をバンと叩いた。
「それで、直樹は何を希望してるんだ?」
「……冒険者がいいかな、と思ったんですけど。子供の頃の夢だったんです。強い冒険者になって、世界で名を上げたいと思っていました」
「そりゃまた、王道だな。でも、五年は待たされるだろうな」
「五年……!?いや……うん。まあ、話を聞いてる限り、その数字が妥当なんでしょうね」
直樹は苦笑いをして返す。
しかしそこでふとした疑問が浮かんだ。
「あの。アメリアさんが言っていましたが、平民ならすぐに転生できるんですよね?じゃあ、平民に一旦転生した後で、冒険者を目指す、という道は……?」
バルドは直樹の質問に一瞬目を見開いた後、気不味そうに顎の髭を撫でた。
「……そうだな。確かに、そういう道もある。だがな……限りなく不可能に近い、ということだけアドバイスしといてやる」
「不可能に近い?それは何故ですか?」
直樹は納得がいかず、グイグイとバルドに迫った。
バルドは困ったような顔で目を逸らす。
「アメリアさんが言っていただろう、話せないこともあると。まあなんだ……アメリアさんの立場では確かに話せないが……」
バルドはキョロキョロと辺りを見回し、人気の少ない場所を見つけると、直樹のことを手招きでそちらへと誘導した。
「階級だ。これから転生する世界、ルミナベルクは歴然たる階級社会なんだ。転生者は容易に転職ができないようになっている」
「そ、そんな。じゃあ平民を選ぶ人なんてほとんど居ないんじゃ……」
「だからこその口封じだ。平民、特に転生者の平民がいなければ世界は成り立たない。理由は色々あるが……これは実際に世界を見てからのほうが理解できるだろう」
バルドは大きなため息をついた。
「アメリアさんはな、そういう階級文化にうんざりしている立場なんだ。本当のことを何も言わず転生者の未来を決定することに憂いている。だからこうやって俺や、他の『転生二周目の信頼できる人間』にバイトと称して案内役を任せている。ほら、他の役人たちを見てみな」
バルドは長蛇の列ができる窓口を指さした。
「次の方。……希望転生先は冒険者、ですね。こちら五年待ちとなっていますが、平民や農民から冒険者を目指すのであればすぐにご案内を……」
「次の方……」
淡々と進む手続きに並ぶ者たちは、みな「何も知らずに転生を言い渡された人間」たちだ。既に職員から転生の待機について話を聞いているのだろう。これから第二の人生が始まるというのに、表情は暗く、すでに疲れたように列に並んでいる。
「ひでぇもんだろ。淡々と手続きを済ませやがって、お前らは機械かよ、ってんだ。転生者の人生なんか考えちゃいねぇ。直樹はアメリアさんと最初に出会ってラッキーだったよ。こうして選択の余地が与えられている」
「ラッキーか……でも、結局なりたい職業になるためには何年も待たなければいけないんですよね」
直樹は今日何度目かわからないため息をついた。ファンタジーの世界ではありふれた職業でもある「冒険者」という選択肢が、これほど狭き門だとは知らなかったのだ。
五年待ち。
ふと、先ほど会ったユキノフと呼ばれた老人が頭をよぎる。
ここで五年も「死んだまま」待つのか?あの老人のように。
それではまるで、生まれ変わっても死人のようだ。
自分が求めていた「新しい人生」は、そんなに遠いものだったのか?
「これからのことが心配なんだろう?何年も待てと言われたら無理もない。だがな、直樹。お前さんに与えられた選択肢は待つだけではない」
バルドは直樹を安心させるかのように、親指を立ててにっと笑ってみせた。
「一つはすぐに就ける平民や農民への転生だ。そこから成り上がるのもよし。しかし……」
「成り上がりの可能性は限りなくゼロに近い、ですね?」
「その通り。2つ目は素直に待機することだ。転生待機者申請をすれば、この異世界転生管理局の管轄内における必要最低限の衣食住は保証される。僅かだが自由に使える金も与えられる」
なるほど、それでユキノフは何もせずただ酒を飲み待機をしているだけの暮らしをずっと続けていたわけだ。生活保護のようなものなのだろう。
「だが本当に最低限だ。それが嫌な人間は俺のように管理局内のバイトをして過ごしているってわけだ。所詮管理局内でしか行動はできず不自由を感じることもあるが……事務作業、書類整理、清掃、管理局内の商店の店員……仕事は山のようにある」
バルドは御用聞きとして、今回のように職員の助っ人をするバイトをしながら待機しているとのことだ。
「俺にとってはそれが一番現実的なところなんですかね……」
なんだかファンタジーの世界とはかけ離れた現実を突きつけられ、どうしようもなく惨めな気持ちになる。
そんな中、ふと耳に飛び込んできた声があった。
「──お待たせしました。転生先の派遣冒険者登録、まだ募集中です」
派遣冒険者登録?
直樹は声の方に振り向き、窓口の案内板に目をやると、そこにはこう書かれていた。
> 【異世界派遣冒険者登録制度】 人手不足のパーティーへの一時派遣を行います。派遣先で希望転生先の適正を身に着けていただける他、実績に応じて待機時間が短縮される場合があります。
「派遣冒険者って……?」
直樹が声をもらすと、隣のバルドが肩をすくめた。
「まあなんだ……これが第三の選択肢だな。あんまりお勧めはしねぇが……派遣冒険者ってのは、要するに冒険者の雑用係だよ。特別なスキルや資格がなくても登録できるが、待遇は最低限。派遣先は大体、面倒な仕事ばかりさ。村の雑草取りから始まって、魔物退治の手伝い、荷物運び……。まあ、冒険者とは名ばかりだな」
「でも、実績次第で……待機時間が短くなる?」
「運が良ければな。……運が良ければ、ってのは生きていられたら、って意味だ」
バルドは「長くなるから」と言って管理局内のカフェスペースに直樹を招いた。そこは職員の休憩所としても使われているようで、スーツを着込み、人外の見た目をした役人たちがところどころで談笑している。
カフェスペースの隅の方、ほとんど誰も居ない場所に二人が座ると、バルドはぽつりぽつりと話始めた。
「転生一回目の俺はな、『この世界で成り上がってやる!』って勇んで冒険者を希望したんだ。それこそ今の直樹と同じようにな──」
しかしその当時でも冒険者は人気職業。バルドは待機時間を短縮するために、派遣登録をした。派遣先ではパーティーのお遣いや荷物運びといった雑用をこなしていたが、ある日のことだった。
「ある洞窟に手強い魔物が出るから人手が欲しい、ってんでな。派遣冒険者達がたくさん集められたんだ。集められたメンバーの間には何となく不穏な空気が漂っていた。だがな、バカな俺と一部の派遣冒険者は『ようやく冒険者らしい仕事がやってきた!』なんて喜んでたんだ。それが不幸の始まりだ……」
バルド達派遣冒険者達はほとんど戦闘の経験がないにも関わらず、一流の冒険者でも避けるような手強い魔物相手に先陣を切らされることとなった。
要はメインパーティーの体力温存および補給物資節約のため、人海戦術で派遣冒険者達に道を切り開かせるのが目的だったらしい。逃げ出そうとする者は、本来味方であるはずのメインパーティーメンバーに容赦なく殺され、闘うことを余儀なくされてしまった。
「そんな……そんなの、捨て駒じゃないですか──」
「そうだ。捨て駒だ。あいつらにとってな、転生者、ってのはいくらでも沸いて出てくる人形くらいにしか思ってねぇのさ。これが階級社会に根付いた差別ってやつだよ。当然、俺も逃げ出せずに結局グリフォンに一撃でやられちまった」
直樹はバルドのあまりにも惨い体験談に閉口してしまう。
「それで今回二度目の転生、ってわけだ。俺はもうあんな思いは御免だからな……今はこうしてバイトしながら、待機の順番が来るのをのんびり待ってるのさ」
「……他の派遣冒険者の方々はどうなったんですか?」
バルドは言葉を発さずに首を横に振った。
生き残った者はいない、とでも言いたいのだろう。
「再び転生してからな、何十人も派遣冒険者に登録してルミナベルクに行く奴らを見送った。紛争地域の前線に派遣された人間、毒ガスの充満する洞窟に放り込まれた人間、金持ち貴族の遊びで闘技場送りにされた奴なんてのもいた。雑用係なんてのはまだ良いほうだ。俺が知る限りで適正を得て希望職種にありつけたやつなんて、片手で収まるほどしかいない」
つまり、ほとんどの派遣冒険者達は、何らかの形で利用されて死んでしまった、ということだ。
バルドに──いや、アメリアに会っていなければ直樹はその事実を知ることなく利用されていたのかもしれない。考えただけでゾッとする。
「そんなわけでな、俺は派遣冒険者登録は絶対におすすめしない。平民としてのんびり田舎暮らしをするか、自分の番が回ってくるまで大人しく待機しておくか……」
「………でも、僅かでも適正を得られた人はいるんですよね?」
「おいおい!俺の話を聞いていたか!?」
自分が成り上がりたいと思った理由は、何だったのだろう。
ブラック企業で過ごした日々の、あの息苦しさから解放されたい。何者かになりたかった。
けれど、待つだけの時間に埋もれてしまうのなら、結局はまた同じことの繰り返しではないか。
バルドの言葉は確かに胸にずっしりと重くのしかかる。不安がないと言えば嘘だ。
「死んだらまた、やり直せるじゃないですか」
そう、目の前のバルドが二回目の転生者であるように、死んでもまだチャンスがある世界なのだ。
直樹は決意した。ここで何年も待ち続けるより、少しでも前に進めるなら──。
「俺……やります。派遣冒険者に登録します!」
ナオの声は、管理局の無機質な空気に少しだけ響いた。
その目には、決意の光が宿っていた。