表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

お兄ちゃんの授業7

 強引なようですが、話を進めましょう。さてこのようにして、“私は世界の事象を考えることが出来る”という前提は、“私はこの世界の事象を説明することが出来る”という具合に形を変えました。では、この前提は一体何を意味するのか、どんなことがここから帰結するのか。

 また一つ例を出しましょう。先程の例に合わせて“雨”絡みでいってみましょうか。そうですね、例えば皆さんがある夏の日に三重の御在所岳登山をしたとする。朝は良い天気だったのに登るにつれて段々と空模様が怪しくなり、山頂付近では荒れはしないが小雨となってしまった。一応天気予報を確認していたためこのことは織り込み済みで、そのため皆さんは余裕をもってゆっくりと考えた―――としましょう。さあ、皆さんはのんびりとこう考えることになった。どうして雨が降って来たのだろう。

 皆さんは頭の中で考える。そしてそれはどんな形をとるのか、こんな感じでしょうか。以前ここから随分と離れた南の海では太陽の光がさんさんと降り注いでいた。強い光は海水を温め海面からは水蒸気が立ち昇る。それがどんどん上昇していって、上空で冷やされると小さな水滴となりそれらが無数に集まって白い雲となる。そうして南からの風に押されて北の方へと流れて行く。またその道中でも海面からの水蒸気の水滴を吸収しながら、更に別のところからやって来た雲と合体したりしながら巨大な雲のかたまりとなる。またその厚みのために色も灰色になり、そのまま伊勢志摩と伊良湖の間から伊勢湾に侵入し、鈴鹿山脈の方へやって来る。そしてついにこの御在所岳の山頂付近にぶっつかって、こうしてここに雨が降って来たのだ―――このように皆さんは考える、このように皆さんは説明する。

 この説明は、おそらくこの御在所岳山頂におけるこの日の降雨に至った自然現象を写していると考えられます。つまりこのような流れで、この降雨という現象はもたらされたとするならば、この頭の中でなされた説明の流れは外界の自然現象のモデルであると考えられる。この説明の骨子はと言いますと、“太陽光が海面を温める”ことによって“上空に雲が発生する”、“この雲が南風に吹かれる”ことによって“三重の方へとやって来る”、そして“そこにある御在所岳にぶっつかる”ことによって“山頂で雨が降る”―――と、こういうものです。勿論この説明が間違っていることもありましょう。しかしこれが人間にとって考えるということ、説明するということ、世界のモデルを作るということなのです。間違っているところはまた後で訂正すればよい。ただ、このように世界の動きを説明することが出来るとするならば、それが無意味ではないとするならば、先程行なった説明の骨子は世界で起こっている現象にも当てはまっていることになるはずなのです。

 お分かりでしょう、先程の説明の骨子は“もし太陽が海面を温めるならば上空に雲が発生する”、“もしこうして発生した雲が南風に吹かれるならば北の方へ流される”、“もしそうやって流された雲が御在所岳山頂にぶっつかるならば雨が降る”であります。これらは全て、何々が起こることによって何々が生じるという関係で成り立っている。この関係は、私達が考えている、説明している場合には理由と帰結と呼ばれます。そして私達が考えている、説明している対象においては原因・結果と呼ばれます。そしてもしこの考えること、説明することが無意味ではないとするならば、この世界の出来事は原因・結果として生起していると説明しなければならないのです。

 先にも言ったように、この説明が間違っていることもあるでしょう。しかしこの場合間違っているのは、何と何を理由付けしたかということにあることです。つまり、理由を甲として帰結を乙としたが、ここが間違っていたというところから生ずる。帰結は丙だった、或いは理由が実は丁だったというような場合で、理由と帰結が正しくつながれば全く正しいのです。

 甲ならば乙である、乙ならば丙である、故に甲ならば丙である。このような形をとる説明自体は全く正当なのです。この推理の連鎖を用いて自然現象を説明したならば、そしてその説明が正しいならば、その自然現象はこの説明の通りに生起しているはずなのです。私達が自然現象を説明することが無意味でないとするならば、私達が考える理由と帰結の結合は自然現象における原因と結果に合致しているはずなのです。

 このお話は、くどいほど申し上げていますが、全て前提から出発しています。前提が否定されれば全ては崩れ去ります。だから絶対的ではない。自然そのものからのお話ではないから直接的に確実なものではありません。ただ私が承認していただくようお願いしたあの前提、世界がどのように動いているのかを説明することは可能だという前提は、おそらく認めざるを得ないことであろうと私は考えています。何しろ私達は人間なのですから。私達は世界の中におり、世界に属しており、おそらく世界の流れの何らかも規則に従っております。そして私達は世界を説明する際に、理由と帰結の繋がりという形で行なっていきます。こうした説明はおそらく、私達の認識の対象としての世界の側においては原因と結果という形で生起して行っている、と考えられる。さらに、この世界というものはそれ自体がいかなるものか、つまり人間の認識を通さない物そのものとはどのようなものなのか、これはどうしたって私達人間には分かるわけがありません。私達の認識を通さなければ、私達は何も知り得ない。私達は世界を見なければ、考えなければ、説明しなければ、世界の何たるかを知り得ない。いや、世界があるのかどうかも、もっと言えば、自分と言う何かがあるんだよということすら分からないでしょう。

 さあ、こうした説明ですね、これをお釈迦様もされておりまして、これがそのまま仏教のお教えとなっているのです。この中で用いられている法則、これが因縁果、因と縁が合わさって果となる。先程ご説明した因果律というものの、“因”が因と縁が合わさること、“果”がそのまま果であります。この因縁果の連鎖によって世界――この場合苦の世界なのですが――を説明し、その構造を明らかにすることによって苦の世界からの解放を目指す―――と、しかしこのことは現在の問題から逸脱していますね、口が滑りました。

 では、これ以上喋っているとまた余分なことを口走ってしまいかねませんから、これで私の話はお仕舞いといたしましょう。時間の関係で質問時間は設けません。何かありましたら、後日ご連絡を。私、逃げも隠れもいたしません。ただ金土日祝日前日の夜は多分不在にしておりますので、念のため。ご清聴ありがとうございました。


      *    *    *    *    *    *    *    *


 こうしてお兄ちゃんの長い授業が終わった―――と言いたいんだけど、ここで突然一人の生徒が手を上げた。「先生!」それはあのこだった。僕はドキっとしてしまった。一体何事だろう。

 お兄ちゃんの方も思いがけないことだったらしく、一瞬目を大きく見開いて口を小さくほの字に開けた。けれどそれも瞬時のことで、お兄ちゃんは直ぐに表情をあらためてそれにこたえた。「はい?何でしょうか。もしご質問でしたら‥‥‥」「いいえ」あのこは言った。「先生、もう一つ忘れてませんか?有限と無限についてですよ」これを聞いて、お兄ちゃんは少々大袈裟に驚いて見せた。「あらまあ、そうでした。確かにその通りですわ。いやあ、ありがとうございます。すっかり忘れていましたよ。面目ない。そう、有限と無限の問題でしたよね。うん、そうですね。それはですね、ええと、一番初めにお話しした“私とは”という問題においてです。ここで認識の根元として“限”というものを仮定したわけなんですが、この“限”ですね。これが有るか無しか、“限”の出現以前以後ですね、それが有限と無限の意味というわけで‥‥‥」「先生、それじゃあ駄洒落じゃない!」「ありゃ、ばれました?」クラスの皆は一斉に大笑いし(その中で級長だけはおそろしく真面目な表情だった)、同時に盛大な拍手が起こった。こうして授業は正式に終了した。


      *    *    *    *    *    *    *    *

      *    *    *    *    *    *    *    *


 すっかり遅くなってしまったけれど、お兄ちゃんは皆から派手な見送りを受け、恐縮しながら帰って行った。僕らが教室に戻る途中、退屈な話を長々と聞かされたにもかかわらず、級友たちは楽しそうにお喋りしながら歩いていた。その中にはひどく真剣な表情で押し黙っている級長がいたものだから、僕は、お兄ちゃんが妙ちきりんな話で煙に巻いてしまったようで申し訳ない、と話しかけた。級長は、「そんなことはない、一生懸命聴いちまったよ」とこたえてくれた。それから「僕は前から今日先生に質問したようなことを考えていたんだよ。いろいろな本も読んでみたんだけど、どうしても解らなかったから周りの大人に聞いてみた。けれど誰も答えられない。答えてくれても、誰それ曰く、だよ。結局誰も真面目に取り合ってくれなかったんだ。でもあの先生は真摯に正面から答えてくれた。本で読んだ(だけでちゃんと理解できていないまま字面だけ覚えた)ことや、以前誰かから聞いた(だけでやっぱり理解できていない)ことなんかを繰り返すんじゃない。自分自身で考えて、おまけにすごく丁寧に話してくれた。全然誤魔化すなんてこともせずにね」級長は至極真面目な様子だ。僕に気を使っているわけではないらしい。それに、お兄ちゃんのことを“先生”だなんて。そういえばあのこも発言の時、確か先生と呼んでいたっけ。まあ、それはどうでもいい。ただ僕は、誤魔化していないという級長の言葉が引っ掛かったので、いや最後の有限・無限の話は誤魔化してたでしょ、と言った。すると級長は、「そんなことはないよ。今日の話全体から考えると、あの簡単な説明で納得できる」とこたえた。僕にはイメージくらいしか出来なかったけど、どうやら級長はかなり分かっているようだ。やっぱり大した男だ。

 教室に戻り、皆そそくさと帰り支度を始めた。予定時間を大幅に上回ってしまった。今日は金曜日だから明日の心配はないけれど。そういえばお兄ちゃん、今晩バイトじゃないか。開店準備があるはずだから、多分遅刻だろう。申し訳ないことをしてしまった。でもお兄ちゃんのことだ、何とかするだろう。それよりも僕だってもういい加減学校を出なければ。そう思って手早く支度を終わらせたら、担任の先生が来られた。ちょっといいか、と言われる。何だろう?実はお前の兄貴の高校時代の先生が来とってな、お前に話を聞きたいと言ってござるんだ、とのこと。だからちょっと来てくれ、と半分無理やり職員室にしょっ引かれた。級友たちは、達者でなーとかいいながら手を振っている。悪友どもが。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ