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美少女が消えた夏

作者: YB

 朝、目を覚ますと枕元に剣が置いてった。剣はソードで、その名の通り剣先の尖った刃物であった。

 俺は寝ぼけ眼を擦り、特に理由もなく剣の柄を握った───その瞬間、視界にゲームでよく見かけるステータス画面が映り込んだ。


 柿本哲哉 十八歳 レベル1 ジョブ【剣士】


 俺は「はあ? こんなありきたりな設定は馬鹿か亡者しかやらねえだろ」と口にして、視界領域に割り込んできたステータス画面を両手で振り払った。

 ステータスは音もなく消え、目の前は一般的な田舎家屋の二階にある、普通の高校生が暮らす部屋に戻る。

 しかし、剣は消えていなかった。

 俺はアルミ製の安物ベッドから起き上がり、剣に向かってこう口にする。

「消えろ」

 当然、剣は消えない。

「‥‥‥装備解除」

 すると、剣は亜空に消えて脳内のどこかに収納された。

「ハハハッ‥‥ついに俺も気がふれちまったか。現実逃避の豚どもが、ブヒブヒ言いながら手汗をかいて読むようなラノベに飲み込まれたか‥‥いや、それも悪くない。俺は豚どもに餌をやる畜産農家になって、喰われる側から喰う側になればいい」

 俺はタンスの取手にかけてあった学ランに着替えて、自室から一階玄関に降りて、そのまま家を出た。

 初夏の早朝はエメラルドな光線を朝露に乱射させていた。学ランを脱ぐかどうか悩む微妙な体温だった。

 俺は家の前に停めてあった自転車にまたがり、端に用水路が流れる田舎の公道に走りでた。

「哲哉、助けて!」

 すぐに声が聞こえた。声の方へ振り向くと、ボーイッシュなヘアースタイルに似合わない大きな胸を揺らした女がこちらに手を振っていた。

「誰だお前は!」

 俺は大きな声で言い返した。自転車を止めて、女に注意を向ける。

「何よ、超絶美少女な幼なじみにその態度は!」

「はあ? 俺はお前みたいな裏で鬼畜教師にケツを振ってそうなNTR要員は知らん!」

「そんなことより、助けてよ! 美少女(私)がスライムに襲われているのよ!」

 確かに、女の背後からプニプニした得体の知れない魔物が迫っていた。

「お願い、哲哉! その剣でスライムをやっつけて!」

 女は猛スピードで走ってきて、俺の腕を掴んだ。

「ほら、スライムを倒したらレベルは2に上がって、スキルを覚えられるわ」

 俺は女の手を振り払って、こう叫ぶ。

「ちょっと待ってくれ! それのどこが面白いんだ?」

 ボーイッシュな巨乳幼なじみ美少女は「え?」とキョトンと首をかしげた。

「剣で魔物を倒してレベルが上がるのが面白いのはゲームの話であって、小説とは全然違うだろ!」

「哲哉は分かってないなー。子供の頃ゲームで遊んだおっさんは自分でゲームするのがしんどくなったら、ゲームみたいな小説が読みたくなるのよ」

「ゲームと小説は別だ!」

「哲哉がそう言ったて、所詮は一人の読者、たかだか680円でしょ? 懐古主義のおっさんは、少なく見積もって25万はいるわ。一億円以上よ、この意味が分かるぐらいに、本気で小説家になりたいんでしょ?」

 俺は「ぐぬぬ‥‥」と呟き、「ソード装備」と口にした。

 右手に剣が出現し、俺はスライムに向けて剣を構えた。

「哲哉、いくら剣道部だからってそんな正眼の構えじゃあカッコよくないわ。もっと、絵に映えるポーズをとって!」

 女が大きな胸の脂肪を俺の背中に押しつけながら言った。

「リアリティはどうなる! カッコよければなんでもありなのか!」

「ええ、その通りよ。売れればいいのよ、売れれば。私たち美少女はおっさんの現実逃避というオカズになることで、存在を増殖させてエンタメを支配していくんだから」

「まるで、ウィルスだな」

「梅毒よりはマシでしょ」

「はぁ‥‥スライムを倒せばいいんだな。それで、俺はレベルが上がって、それを繰り返していたら小説家になれるんだな? 間違いないな?」

「‥‥‥それは、ほら、流行りは廃れるものだし、お気に入りのエロ本だってせいぜい二週間で飽きはくるし、文章が上手くても社交性がない社会不適合者は相手にされないし」

「くそっ! じゃあ、どうやったら小説家になれるんだ!」

「っていうかさ、哲哉。なんで、小説家なの? 小説なんて誰でも描けるし、読むのはめんどくさいし、ただの運ゲーじゃん。哲哉は絵が上手いでしょ? 小説家以外の『創作』の仕事を夢にしたらいいじゃない」

 俺は剣を投げ捨て、スライムを蹴飛ばして(スライムは用水路に落ちた)、女を睨みつけた。

「小説と絵は全く別もんだろうが! 需要に合わせて創作した奴の作品なんか、絶対に面白くないだろ!」

 女は「やれやれ‥‥とりあえず、おっぱい揉む?」と自分の胸を持ち上げた。

「好きでもない奴の乳を揉んだらライフが1減るから揉まない」

「でた、哲哉のクリエイターはライフが3個しかない理論。えっと、確か、恋人が出来たらライフが1減って、結婚したらライフが1減って、子供が出来たらライフが1減って、晴れて三個あったライフは全て消費されクリエイターは‥‥死ぬ、でしょ?」

 俺は剣を女に突きつけた。もちろん、攻撃するつもりはない。見映えするためにだ。

「俺みたいな凡人はそれぐらいしないと、小説家になれねえんだよ! 小説家になるためなら、女なんていらねえ。世界から消えてもいい。俺はライフを無駄に消費しないぞ!」

 美少女は夏の蜃気楼のように存在を曖昧にし、消えていった。

「勝手に拗らせとけば?」

 美少女が残した言葉に俺は剣を振り抜いた。

「黙ってろ」



 その日の放課後、俺は涼宮ハルヒのいない文芸室に訪れた。もちろん、長門有希もいない。いるのは、七中桃千代という冴えない小太りなニキビ顔の女だけだ。

「柿本くん、今日も来てくれたんだ。剣道はもういいの?」

 桃千代は漫画原稿にGペンを走らせながら言った。

「膝やったんだ、早めの引退は済ませたよ。それより、原稿は? 俺の分は?」

 教室三分の一ぐらいの部室には長机が二台並べられており、窓側の奥に桃千代が座り、俺は入り口に近い席に座った。

「今日は2ページ分お願いできる?」

 桃千代が描きかけの原稿用紙を机に滑らせる。俺は滑ってきた原稿を手で止めて、内容を確認する。

「うっげ、少女漫画チックなイメージ背景は無理だ」

 裸の女がお尻を広げて、男を誘惑するエロ漫画の原稿だった。桃千代は来月のコミケに初めて参加するらしい。

「別に飛ばしてくれてもいいし、適当に埋めてくれてもいいよ」

「じゃあ、適当に埋めるわ」

 俺はカバンから筆箱を取り出し、学ランの袖を捲った。軟式野球のくせに勇ましい野球部の掛け声が窓の外から響いている。

「‥‥本当にいいの? エロ漫画なんか手伝ってもらって」

 申し訳なさそう声色でそう言った桃千代は当然のようにGペンを止めやしない。

「だからいいって。うちの学校、美術部ないし、一人で描いてても虚しいだけだし。むしろ、エロ漫画描いてる同学年の女の手伝いとか、クソ興味ある」

 俺は素直にそう思っていた。桃千代の原稿はしっかりとエロ漫画になっていた。それがどれだけ、大変で時間がかかることなのか、絵を描く自分にも理解ができることだった。

「柿本くん、自分のは描かないの?」

 桃千代が作業しながら言った。

「俺は保険で絵をやってるだけだから。小説家になれなかった時の保険」

 俺はシャーペンを手に装備して言った。

「中学の時、剣道と美術かけ持ちでやってたって聞いたよ。美術部で一番上手かったんでしょ?」

「一番って‥‥わざわざ美術系の学校目指す奴らの中で一番ってだけで。覚悟とリスクを背負った奴なんかいなかった。お前みたいにエロ漫画で食ってこうとする奴のがマシだな」

「柿本くんのそれって褒めてくれてんの?」

「別に、事実確認をしてるだけだが」

「あ、そう。柿本くんも漫画描けばいいのに」

「俺がやりたいのは小説なの」

「でも、小説描いてないでしょ?」

「頭の中ではほとんど完成してる」

「それ、表に出ないやつじゃん」

「背景のあたりとったから確認してくれ」

 俺は桃千代がいる場所に原稿を滑らせた。

「‥‥どうやって背景のパース一発でとってるの?」

 桃千代が原稿を確認しながら言った。

「お前の絵に合わせてるだけ」

「私はこんな正確な背景を想像して描いてないけど」

「俺からすれば、どうやってそんなエロい女の表情を描けるかって感じだが」

「それは、まあ‥‥‥私の思い出にあるものだから」

「ふーん、まあなんでもいいさ。それより、問題なければ背景清書するから返して」

「はいはい、問題ないです。よろしくお願いします」

 俺は再び原稿を受け取り、ペンに装備を変えて、原稿に集中した。



 夕暮れをバックに自転車のペダルを回す。高校から家まで自転車で四十分。それでも、電車で通うよりは気楽でいい。

 交差点にあるコンビニが目に入る。そこは俺の立ち読みスポットだった(安い飲料水を買うから許して欲しい)。

 無駄に広い駐車場に自転車を止めて、コンビニの自動ドアをくぐる。そして、週刊誌が並ぶコーナーへ足を進める。品定めする振りをしながら、漫画雑誌を物色する。

 そうしていたら、いきなり背後から柔らかな感触に抱きつかれた。

「カッキー、助けて!」

 柑橘系の匂いのする女がそう言った。

「なんだお前は!」

 俺は女を振り払い軽く突き飛ばした。

「キャッ! ちょっと、カッキー。女の子には優しくしなよ」

 女は派手なメイクをしたギャル美少女だった。無駄に開けたシャツの隙間から形のいい胸の谷間が露わになっている。

「そんな優男みたいな真似できるか!」

 俺は不貞腐れたように言い返した。

「あのね、カッキー。これからは、本命ヒロインを追いかけるより、複数のヒロイン全員に優しくして、美少女の魅力を引き出すことが竿役には求められるんだよ?」

 ギャル美少女は口に手を当てて悪戯な笑みを浮かべた。

「竿役言うな。主人公が女に興味なんか持っちゃ駄目だろ」

「キャハハ、それいつの話〜? 今時の読者はエッチな気持ちになりたくて小説を読んでいるんだよ。誰もカッコイイ主人公には興味ないって」

 俺はコンビニの本棚から週刊ジャンプを手にして口にする。

「ジャンプを前にして同じこと言えんのかよ?」

「カッキー‥‥ジャンプはジャンプじゃん。小説とは違うっしょ。ってか、ジャンプなんかリア充が読むもんじゃん。今でも小説読んでるようなひねくれ者の豚どもは、ジャンプなんか読まないから。ヤンマガのエロいページだけだから、読むのは」

「アフタヌーンぐらい読んでるだろ」

 ギャル美少女が呆れたように首を振る。

「あのね、カッキー。アフタヌーンに掲載されているようなサブカル漫画なんか、豚は読まないって。ってかさ、サブカルってキモくない? あいつら、金になんないのに意識の高さだけで創作してんだよ」

「俺だって、サブカルにはなりたくねえよ。低俗と呼ばれようがラノベの方が何百倍もマシだ」

「ふ〜ん、まあサブカルのことなんかどうでもいいけど。それよりも、カッキー助けてって!」

 ギャル美少女が俺の腕に抱きつきそう言った。

「こんな平和な国で何を助けるんだ! 生活保護の申請なら、共産党議員に頼めよ」

「ナマポの話なんかしてないって! カッキー、コンビニの外を見て!」

 ギャル美少女に促されて、俺はコンビニの窓を見つめた。

 無駄に広い田舎のコンビニの駐車場に、ゾンビの大群が迫ってきていた。

「これは歩くタイプのゾンビか!」

 俺は女を引き離して、二歩下がってそう言った。

「カッキー、コンビニの外にいるゾンビは演出の都合で歩いたり走ったりするゾンビだって!」

「はあ? 世界観とか設定とかあるだろ! その辺はウォーキングデッドみたいに統一しとけ!」

「プププッ、ウォーキングデッドの世界観だったらゾンビの内臓を塗りたくったら襲われないじゃん。匂いで誤魔化すってやつ? そんで、やることは人間同士の醜い争いじゃん」

「そもそもゾンビもんは一時間ぐらいで楽しむもんだろ。ダラダラ長時間やるから、ゾンビの恐怖がなくなっちまう!」

「カッキー、今からアタシんちでバタリアン見る? 今日、親いないんだよね‥‥」

「バタリアン好きの女にろくな奴はいねえよ、このサブカル野郎」

「え〜、バタリアンはカルチャーっしょ。サブカルじゃないから〜」

 俺は一呼吸おいて、コンビニの入り口へ向かう。しかし、すぐにギャル美少女に腕を掴まれ足を絡ませてしまった。

「ちょ、ちょっ、ちょっと! カッキー、死ぬ気?」

「このままコンビニでサブカルに染まるぐらいなら一思いにゾンビになってヤラあ!」

「ダメダメダメ! いくらゾンビブームでも、主人公をゾンビにした作品は本末転倒になりすぎて失敗してるから駄目! あと、ヒロインをゾンビにするのもダメ! 豚どもは腐敗した臭い女なんか抱きたくないんだってば!」

「なんかあれだろ、死ねない面白さみたいなのがあるんじゃねえか」

「ないないない。死のないパニックもんに面白さも需要もないから、これマジで。作家気取りの勘違いプロデューサーが『新しいゾンビ映画を作るんだ』と意味不明な供述して表に出てくるだけだから!」

「じゃあ、どうすりゃいいんだ! 俺は小説家にならないといけないんだぞ!」

 ギャル美少女はどこからともなくハンドガンを取り出して俺に渡す。

「ほい、これ。ハンドガン」

「バイオハザード定番のグロックだろ、これ」

「もちのろん。ハンドガンの種類なんか、こだわるのミリオタぐらいっしょ」

「こいつでミリオタかテツオタの眉間を撃ちぬけばいいのか?」

「そりゃあ、そうしたら日本の治安はかなり良くなるだろうけど、今はゾンビを撃って!」

「弾は?」

「無限だけど」

「はあ? 今、なんて言った?」

「弾は無限、バンダナなくても無限だって」

「そんなの‥‥無双ゲーじゃねえか!」

「大丈ブイ! その辺は、アタシが適当なタイミングでゾンビに襲われそうになったり、暴漢に犯されそうになったりするから!」

 俺が反論しようと口を開いた瞬間、コンビニの入り口から一体のゾンビがやってきた。

「カッキー、ゾンビが来たよ! なんとかして!」

「なんとかって‥‥とりあえず、裏口から逃げるぞ!」

「ごめん‥‥アタシ、足を挫いちゃって動けない。カッキーだけでも逃げて」

「分かった、じゃあな」

「コラコラコラ、アタシを置いて逃げんな。だから、てめえは小説家になれねーんだっつうの!」

「じゃあ、どうすればいいんだ!」

「そのハンドガンでゾンビを撃って、アタシを助けてよ」

 俺は手に持つハンドガンとギャル美少女に交互に目をやった。

 そして、ハンドガンを捨てて、ゾンビの胴体を思い切り蹴飛ばした。ゾンビはよろめきながらレジカウンターに突っ込んでいく。

「カッキー、なんで撃たないの?」

「俺は銃の撃ちかたなんか知らん!」

 ギャル美少女は存在を曖昧にし半透明になっていく。

「あのね‥‥ハワイで覚えたって言えば、だいたいの特殊技能は説明がつくんだよ?」

「なわけあるか」

 ギャル美少女は完全に存在を消失させる。

「週刊少年サンデーを前にして同じこと言えんの?」

「黙ってろ!」



 翌日の朝、学校の教室で前の席にいる七中桃千代に声をかける。

「今日は漫画手伝う?」

 小太りでニキビ顔の桃千代が「ちょっ!」と声をあげて、首を少しだけこちらに向けてヒソヒソと話す。

「柿本くん、教室で漫画のこと言わないで」

 俺も桃千代に合わせて声の音量を下げて口にする。

「漫画ぐらいいいじゃねーか」

「漫画じゃなくてエロ漫画だから。それに、私みたいなオタク女子の間にもヒエラルキーがあって、画力の高さが要らぬ嫉妬を呼び込んで、トラブルになることだってあるの」

「画力の高さって‥‥‥下手な奴が悪いんじゃねえの?」

「上手い下手だけじゃ説明できないことが人間関係にはたくさんあるって分かるでしょ?」

「いや、分からないが。上手いか下手か、面白いか面白くないか、そんだけだろ俺らの評価なんか」

 桃千代が「はぁ〜」とため息を吐き捨てる。

「それはプロの作家が言うからカッコイイのであって、素人が上手いだの下手だの語ってたら、ただの痛い奴でしょうよ。柿本くん、その性格で損してるっていい加減気づいたら?」

「イヤだ。人間関係で評価されるなら、俺はとことん下の下だよ」

「自覚してるんだ‥‥‥この先、どうやって生きていくつもりなの?」

「別に、普通にスゴウデクリエイターになって、日々締切に追われながら創作に人生を捧げるつもりだが」

「あのね、打ち合わせって知ってる? プロの作家さんって、描いている時間と同じぐらい話している時間も長いんだよ? 柿本くんみたいに喧嘩腰の人とは誰も話したくないよ」

「フンッ、そういう状況を技術でねじ伏せるのがスゴウデだろうが」

「スゴウデは打ち合わせから、スゴウデなんだって。まだ、私みたいな相手の目を見て喋れないオドオドしたオタクの方が扱い易いよ」

「お前はもっと堂々と描けよ。けっこう、いい絵描くんだからよ」

「コソコソ楽しむ漫画も世の中たくさんあるんだよ。私はそういう漫画がやりたいの」

「‥‥‥それで、やることがコミケに参加してお金を稼いで、高校卒業と同時に家出して同人作家目指すことか?」

「悪い?」

「悪くない。むしろ、尊敬する。俺より覚悟が決まってる奴、お前が初めてだ」

「柿本くんはどうするの? 美大に行くつもりもなさそうだし」

「小説家‥‥‥と言いたいところだが、あいにく俺は家族と縁を切るほどの覚悟を持ち合わせていなかった。親に言われて、適当なアニメの専門学校に進学だな」

「へえ、普通の親だったらアニメなんか絶対にやらせないのに、いい親だね」

「うちの親はリアリストなだけさ。アートなんて未知なものよりも、最近ブームになりつつあるアニメの方が現実的だって知ってるだけだ」

「柿本くんってアニメ好きなの?」

「全然、好きじゃない。絵を動かす意味が分からん」

「ふーん、向いてると思うけどなあ、理屈ぽいし」

「アニメなんか絶対に嫌だ。俺は親からもらったアニメ専門学校のなけなしの2年間でラノベ作家としてデビューし、小説家になって生計を立てていく」

「上京はしないの?」

「なんだその歌謡曲の歌詞みたいな質問は」

「茶化さないでよ」

「上京はしない。運よく、自宅から電車で一時間以内で通えるアニメ専門学校もあるし。ラノベ作家になったら、家に適当に金入れて、親に面倒見てもらいながら小説やればいいし」

「そっか、上京はしないんだ。私は所沢で暮らす予定なの。漫画の大手出版社が集まってるから、同人作家さんも住んでる人多いんだって」

「いつか、お前に俺の小説の挿絵描いてもらおうかな」

「うわっ、寒いってそれ」

「‥‥‥今のはなし、忘れてくれ! お前がキラキラしてるから、悪ノリしちまった!」

「さっさと小説描きなよ」

 ちょうどその時、担任の教師が教室にやってきて、いつもの日常に戻った。



 と、思ったが、日常は脆く崩れ去った。

 見覚えのない男が黒板の前に立ち、俺たち生徒に向かっていきなり宣言した。

「えー、皆さんの担任の先生は死にました。これからはボクが担任です。それでは、簡単に自己紹介をさせてもらいます」

 男は痩せ型で眉毛が太く、顔の骨格がやたらと印象に残る不気味な顔をしていた。

「ボクは三角木馬。別名、一億万部売った男と呼ばれています。趣味は2ちゃんねるパトロール。電気属性の妹萌え、ちなみに小説には一切興味はありません」

 ざわつく教室と俺の胸の内。俺は突然、担任になった男をどこかで見た気がしていた。

「えー、まず皆さんには売れているラノベを十冊読んでもらいます。そして、あとはキャラ名と萌え属性だけを変えて、殆どパクって描いてください。それが、一億万部売る秘訣です」

 俺は我慢が出来ず、机に手をついて立ち上がった。

「ちょっと待ってくれ! パクって描けって‥‥‥あんた正気か?」

 男はわざとらしくため息を捨てて、両手を開いてみせた(まるで「またお前か」と言うように!)

「ボクはパクれとは言っていません。殆どパクれと言ってるんですよ。いいですか、ボクのお客さまは臆病で根暗で、そして国語能力が極めて低い。作家志望の諸君が、やれ夏目漱石だの、やれサリンジャーだの、やれヘッセだと言ったところで、お客さまは一つも知りませんよ」

「知らないものを面白いって伝えるのが作家の仕事だ!」

「ふぅ‥‥‥やれやれ、ボクがなんとかしないと君のような勘違いラノベ作家志望が後を絶ちません。いいですか、お客さまは性欲さえ満たせれば他は特に必要としていません‥‥‥いや、性欲を満たす以外の全ては邪魔なんですよ」

「ラノベとエロ本を一緒にするな!」

「そう、それはその通りなのです。ラノベとエロ本は違う。じゃあ、何が違うのか君は答えられるかな?」

「ラノベは少年少女が読むもので‥‥‥エロ本は大人が読むものだ」

「全然、答えにもなっていませんね。まず、君は大切な真理を一つ見落としています。それは、性欲は何も一種類ではないということです。エロ本の性欲は極めて『生物本能としての性欲』的です。分かりますか? 生物の性質のしての本能的な性欲です。次は、日常の中で不意に巨乳女子の胸ちらに目が奪われてしまう性欲について。これは極めて『刺激による無意識の性欲』的です。つまり、思考のない神経による反射的な性欲です。最後にラノベの性欲について。これは極めて『感情という思考の性欲』的です。二十七種類ある基本感情の一つとしての感情的な性欲です。つまり、性欲には『本能』と『反射』と『感情』の三つあるんですね。ラノベとはこの三つの性欲をいかに表現するかが売れる要因になってくるのです。例えば冒頭、雨に濡れた同じクラスの美少女とバス停で鉢合わせた。主人公はつい透けた下着に目を奪われしまう───『反射』による性欲。そして、主人公は美少女に上着を貸してやるわけです「下着、透けてるよ」って。そうすると、同じクラスの美少女の瞳は輝き「ありがとう。あなたのこと勘違いしてたみたい」と言って好感度が上がる───『感情』による性欲。しかし、翌日美少女は風邪を引いて休んでしまう。何故かお見舞いに行くことになった主人公は美少女の部屋に上がり、美少女の汗を拭いてあげることになる───『本能』による性欲‥‥‥ええ、分かっていますよ。こんなことを講釈たれてもラノベ作家志望の皆様の心に鐘を鳴らすことなどできないことは! しかし、性を売り物にすると言うのは、三つの性欲のバランスが重要なのです! ただエッチするだけでも駄目! ただラッキースケベするだけでも駄目! ただ恋愛するだけでも駄目! 駄目駄目ダメダメ! そんなの、駄目に決まっている! ラノベでしか満たされない性欲があるのです! だから、ラノベはなくならない! だから、ラノベは面白い! さて、この『性欲』についてのお話はライトノベルのほんの入り口に過ぎません。そうですね、ボクからすればせいぜい三十万部程度の知識です。ここから、一億万部にたどり着くには、それは果てしないラノベ‥‥‥いいえ、創作‥‥‥いいえ、『面白いとは何か?』このことについて、探求をし続けなくてはなりません。いいですか、皆さん。もし、何かの手違いであなたがクリエイターになったとしましょう。そしたら、いくつかの打ち合わせに参加することになるでしょう。そこで必ず誰かがこう口にします───「面白ければいいんすよ、面白ければ」───多くのクリエイターは納得して首を縦に振ることでしょう‥‥‥しかし、よく考えてみてください‥‥‥面白いってなんですか? 明確に答えられるクリエイターはいますか? 面白ければいいと言った馬鹿な顔した無能は、面白いについて考えたことがあると思いますか? そんなものあるわけない! あるはずがないんだ! 何故なら、まだ人類は『面白いとは何か?』について解き明かしていないのだから! ボクですか? ええ、ボクは僅かながら面白いとは何かについて知っていますよ‥‥‥知りたい人は特別に補習を行います。受けたい生徒はいますか?」

 俺は目眩を覚えながら、ゆっくりと席についた。もちろん、補習に参加する覚悟などなかった。教室にいる全ての生徒と同じように、俺は新しい担任の言葉の意味を理解できずにいた。

「補習の参加はなしですか‥‥‥それでは、皆さん。今日から売れているラノベを殆どパクって小説を描きましょう!」



 七月の終わり、夏休みが始まって一週間が経過したそんな日に、七中桃千代の家の彼女の部屋で原稿の手伝いをしていた。

 どうしてもコミケ用の印刷の入稿に間に合わないから助けて欲しい、と桃千代は泣きながら俺の携帯に電話をかけてきた。俺は暇な夏休みを過ごしていたので、すぐに自転車に乗って桃千代の家にやってきたというわけだ。

 桃千代の家は鉄筋コンクリートで出来た南国リゾートにでもあるような幾何学的な形でできていた。四階建ての最上階には、大きな天体望遠鏡が置いてあって、その部分の屋根は半球体でできている。

 この辺では有名な歯医者の家系で、祖父母の代から一族が皆、医者というエリートらしかった。

「私は‥‥勉強もできないし‥‥顔も可愛くないし‥‥太ってるし‥‥もう、漫画しかないのに‥‥漫画しかないのに‥‥間に合わない‥‥ごめんなさい‥‥」

 小太りでニキビ顔の桃千代が泣きながら、原稿にGペンを走らせている。俺もここ最近では見せない集中力を発揮して手伝える作業をこなしていた。

 桃千代の部屋は雑多なオタク女子といった部屋で、家の外見とは真逆で庶民的であった。俺と桃千代はコタツ机に向かいって座っている。

「泣くな、うっとしい。描けば終わるんだから、黙ってやろうぜ」

 俺はうんざりした口調でそう言った。

「だって‥‥このままじゃあ‥‥終わらない‥‥」

 グスグスと目元を拭いながら、桃千代は嗚咽を漏らす。

「っつうか、お前な! ページ数が多すぎなんだよ! 初めて漫画描く奴のやる量じゃねえんだよ!」

「だって‥‥だって‥‥アイデアが止まらなくて‥‥全部、描きたかったんだもん」

 桃千代が描いているエロ漫画は、深夜アニメで放送している男性向けラノベアニメの二次創作だった。俺は見たことないが、世間ではかなり人気らしい。

「このままじゃあ‥‥終わらないよお‥‥」

「ああん? そんなもん間に合わなけりゃあ、ラフのまま印刷すればいいじゃねえか。たがだか、同人誌だろ? 週刊少年ジャンプだって、たまにネームのまま載っけるじゃねえか」

「‥‥それはだめ‥‥そんなことしたら‥‥私は‥‥同人作家になれない‥‥たぶん‥‥これを間に合わせないと、私はだめになっちゃう‥‥気がする‥‥」

「たぶんだの、気がするだの‥‥‥そんなにエロい漫画がやりたいのかよ」

 桃千代がテッシュで鼻をかんで(それは決して美しい様子ではない)、嗚咽を無理やり止めた。

「柿本くんがお金とか、下心とかそういうのじゃないってことは理解してる。柿本くんは単純に、私がこうして苦しんでる姿が楽しくて手伝ってくれてるんだよね」

「人聞きは悪いが、まあそうだな」

「だからね、私は柿本くんにだけは教えておこうと思うの。お金も私の処女も、柿本くんは受け取ってくれないでしょう」

「金はまだしも、処女もらってもただの罰ゲームじゃねえか」

「うん、だからね。私の秘密を教えてあげる。私が泣いてしまうぐらい、エロ漫画が描きたい理由」

「聞いてやるから手は止めるなよ」

「あのね、私のお父さんは家の近くで歯医者を経営していてね。この辺では有名で、うちを見ても分かる通りお金持ちなの。だから、幼い頃から甘やかされて育った記憶しかないし、勉強ができなくても、ブサイクでも、親から嫌なことを言われたことはない。

 私も昔は苦手な勉強を頑張っていたし、漫画もアニメも嗜む程度だった。あれは、私が小学四年生の時。理由は忘れたけど、一日だけ親に内緒で学校をずる休みしたことがあるの。一度、普通に家を出て、両親が仕事に出かけたのを確認してから、私は家に帰ってきた。学校にはファックスで欠席の連絡を入れたわ。本当に何の理由もなかったの、本当に本当よ。

 私はずる休みをして何をしようか考えるだけでも満足だった。でも、予想外のことが起きてしまった。

 お父さんが帰って来たのよ、まだ午前中にも関わらず!

 私は息を殺して、階段の隙間から玄関をのぞいた。そしたら、お父さんは病院の若い歯科助手の女と一緒だった。私はそれがすぐに、母に対する裏切りだと理解した。勘違いであって欲しいと願っていたわ。仕事の関係で家に立ち寄っただけだと、そう言って欲しかった。

 私の望みは叶わず、お父さんと歯科助手の女の人は、あろうことか玄関で始めてしまったの!

 分かる? 自分の父親が種馬の種付けみたいに、女の人のお尻を突きはじめたの!」

「種馬の種付けってどんな例えだ」

「‥‥そうね、確かに例えがおっさんだったわ。まあ、まだ小学四年生だった私はかなりの衝撃を受けてしまった。最初は恐かった、いつも優しいお父さんが乱暴している姿が狂気的だった。でもね‥‥柿本くん、その歯科助手の女の人、すっごい気持ちよさそうな顔してたの。女の人ってそんな表情できるのってぐらい気持ち良さそうな顔‥‥‥私はその時、お父さんってすっごいって思った。すっごい気持ち良さそうな顔を女の人にさせてあげられるお父さんは‥‥‥私のお父さんは凄いんだって思った。

 そういう風に思えたらね、歯科助手の女の人は綺麗で、なんかもう神話を題材にした絵画ですかってぐらい美しく見えてきたの‥‥‥私は目に焼き付けた。お父さんと女の人の情事を全て。

 それから、私はずっと悶々と悶えていた。そんな私がエロ漫画に出会い、女の子の美しい体のラインや光悦な表情に惹かれて、自分でも描きたいと願ってしまい、そして同人作家を目指すのは、もはや必然でしょ?」

「‥‥‥いや、必然かそれ」

「どうだろう‥‥‥柿本くんは私の秘密を聞いて、やっぱり可哀想って思っちゃった? 子供ながら父親の情事を見せつけられてしまったんだもん」

「むしろ、ラッキーだろ。お前の絵は間違いなく、その時の体験が生きてる絵だし、むしろそういうことがあったから絵を描いているわけだし、そして漫画家になって続けていくなら当時の思い出が必ず生きるだろ? 最高じゃねえか!」

「あのさ、例えばよ‥‥‥例えばの話、私が知らない男の人に乱暴されて柿本くんに相談したら何て慰めてくれる?」

「いつか漫画にできるじゃねえか、よかったな!」

「‥‥‥最低っ」

「おいおいおい、俺に優しさを求めるなよ」

「柿本くんはさ、エロい漫画手伝わされて、エロい体験を聞かされて、ブスとは言え女の子と二人きりのこの状況を何とも思わないの?」

「あー、俺あんま性欲とかないんだわ、たぶん。だから、性的な作品がどういうものか、どうして触れてはいけないのか、何故コソコソしてんのか理解できてない。どんだけ描こうとしても萌えとか、美少女とか、性欲とか何となくは分かってるんだけど、自分の体に返ってこないから本質を知らない」

「え‥‥‥EDってこと?」

「厳密には違うけど、まあそれに近いかもな‥‥‥ってか、俺って絵が覚えられないんだよ」

「どういうこと? 正直、柿本くんの絵ってもうプロと遜色ないと思うけど」

「理屈では描ける。背景とかみたいに、アイレベル決めて、パースとって、それに物をのっけるみたいなのは得意だし、大抵の絵はそれで描ける。でも、俺は絵が覚えられないから、人の顔を想像して頭で描くことはできない。とんでもなく方向音痴で、それは目印になる絵を覚えられないからだし。物を置いた場所の絵を覚えていないからすぐに物がなくなるし、一番しんどいのは絵と名詞が結びつかないから、名詞を覚えるのが苦手で本のタイトルとか、長いカタカナとか全然覚えられない」

「脳の障害か何かなの?」

「アンチファンタジアっていうらしい。絵が想像できない、覚えられない脳の仕組みをしてる人のことを」

「何それ、柿本くんにピッタリの名前じゃない」

「俺ほどファンタジーな人間はいないだろ!」

「どこが! 私たちの美しいファンタジアに、柿本くんはすぐに現実を持ち込むじゃない! あのね、普通の人はイメージの中で生きているの。現実の自分なんか見たくないんだよ」

「だからそのイメージが浮かべられないんだっつうの‥‥‥だからお前みたいな絵を描ける奴から、色々学びたいって欲が湧いてくるんだな、きっと」

「性欲は湧かないくせに?」

「健全な男子高校生は好きな女の子で抜くだろう? 俺、あれって冗談か何かだと思っていたのよ。好きな子で想像するって意味不明じゃん。でも、普通の男子の想像力ってそういうことができてしまうぐらいあるんだよな‥‥‥俺は今でもそのことが理解できない」

「何でさ、絵を描いてるの?」

「一番、苦手なことだから。絵のことを勉強しなかったら俺はたぶんまともじゃなかった」

「‥‥‥今でも十分まともじゃないけど」

「フンッ、もう話はいいだろ? 日付が変わるまでに終わらせよう」

「‥‥‥‥柿本くんってなんか可哀想だね」

「それは、違うな。可哀想なのは、妄想にしがみつくお前たちだよ」

「そっちには柿本くんしかいないのに」

「‥‥‥ほら、やるぞ。描けば終わるんだから」

 結局、翌朝までかかったが入稿には間に合い、桃千代はこの夏、無事にコミケに参加することができた。

 漫画を描くコツを掴んだ桃千代は、これきり俺に手伝いを依頼することはなかった。つまり、俺と桃千代の関係はここでお終いということだった。



 夏休みが明けて、初日のホームルームでいきなり転校生がやってきた。高三の二学期の突然の転校生だった。

「ピピルッピ〜、天界からやってきたオコメマサコです。お米ちゃんって呼んでピピルッピ!」

 教壇の横に立たされたオコメマサコは、小柄な体型に似合わない巨乳青髪ツインテールの美少女だった。

「あ〜、僕は柿本くんの隣がいいぴ!」

 オコメマサコはそう言うと、ぴょこぴょこと俺の机の上に座った。

「おい、そこは隣じゃなくて、机の上だ」

 俺は睨みつけながら言った。

「柿本くんはライトノベル作家になりたいんだよね〜?」

 オコメマサコは揺蕩わな胸を揺らしながらそう言った。

「‥‥‥そうだが」

「ふひひ‥‥‥僕はこう見えても、ラノベ作家なのさ!」

「な、なに! 俺と同い年でラノベ作家なのか!」

「ピピルッピ〜‥‥‥これも何かの縁だからね、柿本くんにラノベ作家になる方法を教えてあげるよ」

「‥‥‥詳しく話せ」

「おー、食いつくね〜。いいかい、ラノベ作家に必要なのは‥‥‥トーク力だよ」

「トーク力だと?」

「そうだよ、僕はラノベ作家としては下の中だけど、ラジオDJとしてならラノベ作家の中でナンバーワンさ!」

「ちょっと待て‥‥‥ラジオDJとしてのラノベ作家って何なんだ? 作家は作家だし、DJはDJだろ? 一緒くたにする意味が分からない」

「これだから素人は困るな〜。柿本くん、僕はねラノベ作家としてならただの一発屋さ。アニメ化ガチャで成功するという豪運を引き当てたこと以外は、二作目、三作目が売れずそのまま消えていくだけの、どこにでもいるラノベ作家だった。でもね、僕はアニメ化の企画と同時に始まったラジオでゲストに呼ばれ、そこで声優さんにイジられて、そこそこいい感じに話せたんだよ!」

「さっきから一体何の話をしている? 俺はラノベ作家になりたいんだぞ」

「ちっちっち〜、柿本くんいいかい? ラノベ作家としての僕はもう終わっていると言っても過言ではない‥‥‥ラジオDJとしての僕は本職には絶対に敵わないさ‥‥‥でもね、ラノベ作家のラジオDJとしての僕はまだたまにお仕事を貰えるだけの実力はあるのさ!」

 オコメマサコは大袈裟に手を広げた。その反動で胸が大きく揺れて、シャツのボタンが弾けた。

「いや、それはもうラノベ作家じゃないだろ?」

 俺は慄きながらそう言った。目の前の美少女の自信がどこからやってくるのか分からない。

「小説家になるなら、小説以外の仕事をすればいいってことだよ〜。僕みたいに、ラノベ作家ラジオDJでもいいし、ラノベ作家文章作法講師でもいいし、ラノベ作家コスプレイヤーでもいいし、ラノベ作家医者でもいいし、ラノベ作家バンドマンでもいいし、ラノベ作家専業主婦でもいいし、ラノベ作家ヤクザでもいいじゃないか〜」

「おいおいおい、それは本当にラノベ作家か? 俺がなりたいラノベ作家は涼宮ハルヒとかイリヤの空とかああいうSFに青春を掛け合わせたような爽やかな───」

「柿本くん、現実を見なよ。そんな夢の印税暮らしを手に入れたラノベ作家なんて、稀中の稀だよ。運にも時代にも恵まれたほんの一握りだよ」

「夢を見るのは自由だろ!」

「うんうん、そうだね。ラノベ作家志望はみんなそうだね。でもね、ハルヒの作家もイリヤの作家も普通の仕事をしながら、小説を描いたんだよ。あの、スティーヴン・キングだって高校の教師をやりながら、子供を育ててコインランドリーで洗濯物が乾く時間の合間に小説を描いていたんだ!」

「俺は違う‥‥俺はもっと、こう上手くやれるはずだ!」

「あのね〜、柿本くん。君は才能も文才も奇抜なアイデアも社交力も見た目もなにも持ち合わせていないモブ以下の存在なわけよ。そろそろ、気付きなよ〜。はっきり言うけどね、柿本くんは小説家にはなれないよ。だって、読者の気持ちを理解できないでしょ? 生まれつきの脳の特性もあるだろうけど、君は結局、自分のことばかり考えて、他人に興味がないじゃないか。そんな人間がどうやって、読者を楽しませる小説が描けるというのさ」

「それは‥‥‥これから、勉強していって‥‥‥もっと、上手く小説が描けるように‥‥‥」

「柿本くんは投稿していない小説が何十とあるよね? 何故、応募しないんだい? 切手代はかかるけど、それぐらいならママに頼めばいくらでも出してくれるだろ?」

「自分で納得できない作品を読ませることは‥‥‥」

「できないって! そんな馬鹿な話があるか! 柿本くん自身も気づいているんだろ?」


 ───小説家になんかなれるわけないって


「そんなはずない‥‥俺は、必ず小説家になって」

「一度でも書籍化したら小説家かい? 小説だけで食えない兼業作家は小説家と呼べるかい?」

「そんなもの小説家じゃない!」

「違う! それこそ、小説家だ! 兼業農家も兼業作家も同じだよ! 柿本くんがやるべきことは、小説を描くことじゃない。その捻くれた性格でも親に迷惑をかけずに生きていけるように‥‥‥」


 ───小説家以外の仕事に就くことからだ


「さあ、夢の時間は終わりにしよう。もう高校生活は終わりだ!」

 青髪ツインテールのロリ巨乳は俺の机の上に立ち、腰を振って呪文を唱える。

「ピピルッピ、ピルピルピッピ〜‥‥‥柿本くんよ、大人になあれぇぇぇぇぇ!!!」

「俺は‥‥‥俺は‥‥‥」

 俺の目の前から美少女は消えた。いや、消えたのは俺だ。



 不意にまぶたを開けば、鉛筆の屑で黒くなった狭い作画机で絵を描いていた。絵を描いているというより、書いているだけだった。ただ、決められた線をなぞり、足りない部分を補足していくような表現やクリエイティブからかけ離れた作業だった。

 俺はアニメ専門学校を卒業後、十社のアニメ制作会社の試験を受けて、九社から面接で落とされて、面接のなかった一社に就職した。

 アニメーターが社長をやっているいわゆる作画下請けスタジオで、国分寺のマンションの一室に所狭しと並べられた古い作画机で、俺と同世代の奴らが毎日、ただ絵を書く作業をこなしていた。

 就職してから二年が経過していた。つまり、高校を卒業してからすでに四年もの歳月が過ぎていた。

 この二年のあいだ、隣の席のアニメーターはもう六人も入れ変わっていた。監獄のような密室で、朝から晩まで絵を書く作業をすることは、俺ですら気が滅入ってしまう。

 しかし、俺は一度も辞めようと考えたことはなかった。小説家になれなかった俺にはこの監獄暮らしがお似合いとさえ思っていた。

 一日のノルマである7カットの原画の清書を終えたのは0時を過ぎてからだった。作画机から立ち上がると、俺以外のアニメーターは皆、作画机に突っ伏して眠っていた。こいつらは、一日7カットというノルマがこなせず、その罪悪感から無駄にスタジオに寝泊まりして、償いをしている『つもり』になっているだけの普通の人たちだった。

 数週間もすれば、スタジオを去り、SNSで『私はアニメーターだった!』という肩書きで、特別感による承認欲求を満たすだけのクズだ。

 俺は上がり原稿を手に持ち、社長の部屋をノックした。

「おー」

 部屋の中から声が聞こえて、俺はなにも言わずドアを開けた。

「‥‥‥上がったんで帰ります」

 俺は棚に原画を置いてそう言った。部屋にはセブンスターのタバコの匂いが充満していて、ポリエステルで出来た観葉植物に灰が積もっていた。

「柿本だけか、上がったのは」

 髭面にメガネの神経質な顔をしたおっさんが部屋の窓側に置かれた机に肘を立ててそう言った。

「みんな寝てるっすよ。俺も疲れたんで、帰って寝ます」

「ちょっと待て。ほら、これ」

 社長はちょいちょいと手招きして俺を呼んだ。

「あぁ、給与っすか」

 俺は億劫そうに歩みを進めて、社長と机を挟んで対面した。机には何作品か分からないほどの、絵コンテが置かれていた。このスタジオは社長が大量に原画の仕事を引き受けて、めんどくさい二原(ラフ原画の清書)を若いアニメーターにやらせる方針だった。

「えっと、柿本は今月、百六十カット2原をやったから‥‥‥ほら、八万な。お前だけだぞ、五万以上も稼げるのは」

 社長は財布から一万円札を八枚取り出し、俺に渡した。

「別に金なんてどうでもいいすよ」

 俺は金を受け取り、そのままポケットに詰めた。

「欲がないな、最近の若い奴は。俺が柿本ぐらいの頃は、金があれば昼間から風俗に行って、一発抜いてからスタジオに入ったモンだぞ」

「そんなん疲れるだけでしょ」

「かぁー! 疲れるってお前な! 金の使い方を知らねえ奴が、どうやってアニメで金を稼ぐつもりだ!」

「お金のためじゃないでしょうよ、仕事のために絵を書いてるんすから」

「柿本は馬鹿だな。金がなきゃあ、仕事もできねえだろうが。いいか、男ってのは金の使い方を知らねえとな、一発屋女優とやっすい恋愛をして、しまいには百億で宇宙に行って、『子供たちに夢を届けたかった』なんて、ほざいちまうようになる。考えてみろ、百億使ってやることが、宇宙に行くことだぞ? それのどこが面白いんだ! てめえが宇宙に行って夢見るガキがどこにいるんだ! だったら、俺に一億寄越せ! そしたら、ガキども数百人ぐらいは夢見させてやるようなアニメを作ってやるよ」

「社長、一体なんの話をしてんすか」

「お前みたいな金に興味ありませんって奴は、十億稼ごうが、百億稼ごうが、やることはせいぜい宇宙に行くぐらいで、感動させる作品を作ることなんでできねえって話だ」

「‥‥‥別に宇宙に行かないっす」

「宇宙にも行かねえ、作品も作らねえで、お前はなにがしたいんだ? 金持ちのユーチューバーのやることが激辛ペヤングを食べることでいいのか?」

 俺は肩で息をして首を振った。

「一平ちゃん派なんで、俺」

「馬鹿野郎、そんなこと聞いちゃいねえ。柿本、若いうちに金の使い方を覚えとけ。アニメはとにかく金がかかるぞ、百万、二百万なんかあっという間に消えちまう。でも、それに慣れないとな、自分の懐に一度入った金を、絵描きに払うなんて到底できやしない」

「‥‥‥アニメを作るつもりはありませんけど」

「バーカ、お前みたいな奴がいつか作っちまうんだよ。それが、アニメの呪いだ」

「俺、アニメも絵を描くのも好きじゃないんで」

「それがどうした? 好き嫌いで上手い下手が決まるのか? 『結局、最後は好きかどうかです! 本気で好きな人だけが続けていけます!』だって? そんなの大嘘だろうが。上手い奴と手が早い奴だけが続けていける仕事だろう。お前は、上手くて手が早い。締切も守るし、家にも帰る、朝にはしっかり出社する」

 社長は机の引き出しを開けて、分厚く膨らんだ封筒を取り出した。

「かかってんだよ、アニメの呪いに。ってことで、今日で柿本は‥‥‥クビな。退職金に二百万くれてやる。これは、まああれだ、ブラックユニオンに告げ口しないでくれっていう口止め料金みたいなもんだ。黙って受け取っとけ」

「‥‥‥俺は何て答えればいいんですかね」

「もう一度言ってやる。黙って受け取れ、だ。近いうちに、俺の知り合いの制作進行から電話くるから、せいぜい足掻いてこい‥‥‥死ぬまでな」

 俺は躊躇いながらも、分厚い封筒を受けとった。そして、慣れない仕草で頭を下げる。

「今までありがとうございました。結構、勉強させてもらいました」

「百億で宇宙に行くような馬鹿な男にはなるなよ。百万でもいい、感動させる作品を生み出せるような男になってみせろ」

 こうして俺はスタジオを辞めた。社長が肺癌で死んだのはそれから一ヶ月後のことだった。



 社長から紹介してもらった制作進行は同い年の坊主頭の男で、阿佐ヶ谷の隅っこにある公園で会うなり「柿本くん、オスカー目指しましょうよ」と言ってくるような変な奴だった。

「オスカーってアカデミー賞? ディズニーに勝つってか」

 俺はブランコに乗って勢いをつける。住宅に囲まれた公園には俺と坊主頭の男しかいなかった。

「ディズニーは落ち目なんで余裕っすよ」

 男はブランコの柵に腰をかけて軽い口調で言った。

「ピクサーは?」

「ディズニーと変わんないっすよ。トイストーリーを擦り続けてるだけっしょ」

「そもそもジブリに勝てねえだろうが」

「ジブリなんて後継者いないじゃないっすか、余裕よゆー」

「お前、馬鹿だろ? 二原しかできないアニメーターと、ただの制作進行がディズニー? ジブリ?  オスカー? 夢見過ぎ」

 男はまっすぐとこちらを見つめる。

「いいじゃないっすか、夢見過ぎぐらいが。どうせ、死ぬまでアニメ作ることになるんだし、オスカー目指すぐらいの目標があった方が楽しいっしょ」

「俺は死ぬまでアニメを作らないが」

「じゃあ、何するんすか?」

「そりゃあ、アニメの仕事をしながら‥‥‥小説を‥‥‥ライトノベルを完成させて、応募して‥‥‥いつか賞をもらって出版して、それがそこそこ売れて、生活に困らないぐらいの印税をもらいながら小説を書き続けていく」

 俺は同い年の男に笑われることを覚悟して言った。俺だって今さら小説家になれるなんて微塵も思っていない。小説家になりたかった俺はあの夏、消えたのだ。

「ラノベいいっすね! オスカー目指すなら、オリジナルアニメは避けて通れないっすからね! 柿本くんが作画にしか興味のない作画厨じゃなくてよかったっす。僕はね、作画じゃなくて一緒にアニメを作ってくれる人を探していたんですよ」

「‥‥‥俺はアニメの作り方も、ラノベの書き方も知らないし。原画だって修正に合わせて書くことしかできなくて」

「そんなもん、これから覚えていけばいいじゃないっすか!」

 俺はブランコから降りて、坊主頭の男の前に立った。

「ってか、お前さ、どこの会社の制作なんだ?」

「先月クビになったんで、フリー制作進行っすかね」

「はあ!? ただの無職じゃねーか!」

「はははっ! 柿本くんもクビになったんでしょ? 無職同士、オスカー目指しましょう!」

「ふざけんなっ! 危うくのせられるとこだったぜ」

「のせられて大丈夫っすよ。新しく会社は作るんで。狭いとこっすけど事務所も借りました」

「え? 会社作るって、他にもいんのかいアニメーターは?」

「僕と柿本くんの二人だけの会社っす」

「二人でアニメが作れるわけねーだろっ!」

「アニメは無理っすね。でも、エロアニメなら二人でも作れるんすよ」

「‥‥‥エロアニメ?」

「そうっす。最近のエロアニメは十五分ちょいのものが増えてて、一人原画でも十分やれる作業量なんすよ。もう企画ももらいました。予算は高くはないっすけど、思っていたより安くもないって感じっす」

「俺が断ったらどうするつもりだ?」

「そりゃあ、製作会社に頭下げに行って、会社をすぐに凍結させて、事務所はまあトンズラこぐっす」

「お前、めちゃくちゃだな」

「そうっすか? 楽しそうじゃないっすか」

 俺は「はぁ〜」と長いため息をついてから口にする。

「‥‥‥ま、ほかにやることもないしな」

 坊主頭の男は「やっり!」とガッツポーズを決めた。

「じゃあ、柿本くん。今からエロアニメ監督ってことでよろしくっす!」

「はあっ? 俺が監督だって?」



 大久保駅近くにあるアフレコスタジオを出ると外は雪だった。

 雪が鼻先を掠めたのを見て、エロアニメ監督になってもう七年も経過したのかと感慨ふけてしまう。

 奴は俺のことをずっと『柿本くん』と呼ぶので会社にいる時は実感が湧かないが、アフレコスタジオではみんなが俺のことを『監督』と呼ぶ。

 一回りも年上の人から監督と呼ばれることに最初は抵抗があったが、今では「うす」と返事ができるぐらい俺の中でも監督が定着していた。

 そっか、俺はエロアニメ監督になったのか。大久保駅に向かう細い路地でふと我に返る。

 最初は一本作ったら辞めるつもりだったのに、気づけば十本以上、俺の偽名が監督としてクレジットされた作品が世に出回っている。

 そのことを考えると不思議な気持ちになる。


 ───俺は小説家になりたかったはずなのにな


 二十八歳になっていた。俺のもとから美少女が去って十年だ。

 ‥‥‥いや、違う。そうじゃない‥‥‥去ったのは美少女じゃない。去ったのは、俺で‥‥‥俺は夢に向かってどんどん先に進んでいくあいつから逃げたんだ。

 もう忘れようと思っていた。もう忘れられていると思っていた。しかし、エロアニメを作るほどあいつのことを知っていって、俺は大久保駅の改札の前でスマホを操作した。


『柿本くん、久しぶりだね』

「あ、あぁ‥‥‥そうだな」

『どうしたの、ずっと連絡くれなかったのに』

「たいした用事じゃないんだが、なんだ‥‥‥その‥‥‥何してんのかなって」

『冬のコミケの原稿描いてるよ』

「壁サークルなんだってな。なんかで見た」

『壁って言ってもそんなにだけどね』

「‥‥‥少し前にオリジナルでだした同人誌、読んだ」

『うそ? やめてよ、私そんなに上手くなってないでしょ?』

「やや右斜めの顔ばっかだな、お前の漫画は」

『喧嘩売ってる?』

「でも、なんか分かったよ‥‥‥分かるようになったんだ、俺」

『柿本くんってアダルトアニメの監督やってるでしょ?』

「え、なんで知ってんだ?」

『狭い業界ですから。私の知り合いがね、すごく丁寧にアニメにしてくれたって喜んでたよ。その話聞いて、柿本くんだなーってなんか思ったの。私の漫画の背景もすっごい丁寧にやってくれたもんね』

「仕事だからな」

『私はお金、払ってないけどね』

「あのさ、もう結婚した?」

『してない』

「だったら、俺と結婚しない?」

『いいけど、柿本くんは大丈夫なの? 恋人ができたらライフが一つ、結婚したらライフが一つ、子供ができたらライフが一つ、これで合計三つのライフを失い作家は死ぬ‥‥‥でしょ?』

「俺はもう作家になれなくてもいいから」

『じゃあ、子供つくってくれる?』

「おう」

『今から会いに来てよ』

「歌謡曲の歌詞みたいに言うな」

『わぁ、柿本くんぽい』

「会いに行くよ」

『教えて欲しいんだけど』

「なんだ?」

『柿本くんってどんな小説を描こうとしていたの?』

「病弱で捻くれた中学生が世界を救う話、天然って呼ばれた男の子が賢くなってお姫様を救う話、猫が時間を超えてたくさんの人に愛される話、ゲームのモブキャラが主人公になるため競い合う話」

『柿本くんぽいね。いつか読ませてくれる?』

「おう、いつかな」



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