私はつくづく……
バレンタイン記念の特別短編です。駆け足で仕上げたので悪しからず。過度には甘くないはずです。
なんの祝日でもない平日ではあるが、周囲に見える登校中の生徒たちの足取りはどこか浮ついているように見える。
それもそのはず、今日はバレンタインデー。世間、というか日本では(友人/家族にという例外、いや例外なのか?もあるが)想い人にチョコレートを贈る日とされている。
まったくこの行事を昭和に思いついた某企業は貪欲というかなんというか……。結婚の禁じられた兵士達にこっそり結婚をさせてあげていた聖ヴァレンティヌスが今日の日本のこの現状を見たらどう思うだろうか。……いや、別にどうも思わないか。聖職者だし、こんなエピソードもある上に名前に聖って付いてるからきっとかなりいい人なのだろう。そんな人が見ても嘆くどころか祝福すらするかもしれない。
閑話休題。
否定的な見解を述べたものの、私だって一般的な女子高校生。花も恥じらう乙女なのだ。恋だってするし……想い人もいる。
今日という今日の日のために慣れないながらも準備をしてきた。背中のバッグの中に慎重に忍ばせたものの気配を──実際に出来るわけではないが──感じる。
自分ではよくできた方だと思っているが、彼はどう思うだろうか。もしかしたら不格好だなんて……いや、彼は絶対にそんなことは言わない。優しいから。きっとどんな出来になっていたとしても笑顔で受け取ってくれることだろう。でも、それでも。やっぱりほんの少し不安にならざるを得なくて。まだまだその時間は先だというのに心臓の鼓動は速い。きっと周りからは私の足取りも浮ついているように見えるんだろうな、と思う。
今から悩んでたって仕方がないのに。まったく私は……。
「か〜なっ」
私が一人悶々としていると後ろから軽く肩を叩かれた。
「あ、結衣。おはよ」
「うん、おはよ」
振り返るとそこには見慣れた笑顔。私の無二の親友、東結衣が立っていた。私の姿を見て追いつくために少し走ってきたのだろうか。わずかにだが息が上がっている。
結衣は息を整えると、急に神妙な面持ちになって私の方をじろじろと見てくる。
「…………」
「な、なに?」
私がそう訊くと結衣ははあ、とため息をついて言った。
「いや別に。いつにも増して浮かれてるなあって。そんなに見せつけたいの?」
「んなっ……そ、そんなんじゃないから!」
思いもよらないその言葉に、私はぶんぶんと両の手を振って否定する。顔が熱くなっていくのを感じる。今頃私の顔は真っ赤になっていることだろう。そんな私の様子を見てまた結衣はため息をつく。
「傍から見てたらそうにしか見えないって…………ほんと、佳奈って海野くんのこと大好きだよね」
「……うん」
「そこはちょっとでも否定してよ」
「いやでも嘘ついたってしょうがないし……」
私には想い人──というか彼氏がいる。海野愁という名前で、去年の夏ごろ私の方から告白をしたのがきっかけで付き合うことになった。そして、初めて出来た彼氏ということもあってかは分からないが、現在では付き合った当初よりもはるかに彼のことを好きになってしまった。
それはそれでいいことなんじゃないかと思っていた時期もあったが、授業中も気を抜いたら彼のことを考えてしまうし、あまつさえ試験中でもそれは同じ。こんなことまでは流石に結衣にも話してはいないが(絶対呆れられるに決まっているので)、最近はちょっと度が過ぎているだろうと自分でも思う。
「……まあ、なんでもいいけどさ。あの時佳奈の背中押したの私だし。とはいえ」
言葉の途中で結衣が歩き出す。私もその隣に立つ形で並んで歩く。
「流石に会うたびに惚気られてると彼氏もいないこっちからするとうんざりしてくるのよね」
「う、なんかごめん……」
「私の親友は一体いつからこーんな浮かれポンチになったのやら」
「浮かれポンチってなによ!」
「でも実際、そうとしか言えないでしょーが」
「う……」
反論を試みるも、悔しいことにまったく否定できない。
現にさっき自分でも認めたし。傍から見てもその浮かれようが分かるなら、私は紛れもなく恋愛浮かれポンチだ。恥ずかし過ぎていっそこのまま走り出してしまいたい。
「海野くんいい人だから大丈夫だとは思うけど、今からその調子じゃ将来が心配だよ」
「返す言葉もございません……」
結衣は手が冷えたのか、両の手を息でほう、と温める。私も今朝は手袋を忘れ、丁度よく手を入れられるポケットも無いので、さっきから手が冷えっぱなしである。
その時、おあつらえ向きに道の脇に自動販売機が現れたので鞄からいそいそと財布を取り出し、ココアを買おうとする。財布の中に百円玉を探すも、五十円玉ばかりがあってなかなか見つからない。数秒ほど探してようやく見つかり、十円玉二枚と共に硬貨投入口に入れ、「あったか〜い」の下にあるココアのボタンを押す。ごとん、という音がしてスチールの缶が落ちてきて、私はそれを拾う。触れた缶はやけどしそうなほど熱くて、思わず取りこぼしそうになってしまう。
「まあ、分かってるならいいけど。佳奈、振られない限りは海野くんのこと手放しそうにないし」
「もちろん」
「……こうもはっきりと言われるとそれはそれでなんかムカつく」
「酷くない?」
「あーあ、私にもいい人いないかなー」
プルタブを開けるのに手間取っている私を置いて、結衣は先に行ってしまう。私は開けるのを諦め、慌ててその背中を追う。
「ちょっとちょっと待ってよ」
「知らなーい。友人そっちのけで彼氏のことで頭がいっぱいな佳奈のことなんて知りませーん」
「もう!」
結衣とそんなふうに会話をしているうちに校門が見えてきた。当然ながら見える生徒たちの数も増加しており、その分周囲の騒がしさも増している。いつの間にか胸中にあった不安や緊張は解れており、少しだけ結衣に感謝する。
今日という日が良い一日になることを祈りながら、私はバレンタインであっても変わらぬ佇まいの門を通り校内へ足を踏み入れた。
教室に着くと、やはり中は騒がしかった。私はいつも少し早めに登校していて、この時間帯はあまり人がいないのだが、どうやら今朝は違う様だ。普段は二割ほどしかいないはずの教室に、すでに五割以上の生徒が登校している。バレンタイン恐るべし。そしてよく見たところ、男子と女子とで様相が違った。
男子たちは口々に「俺は今年もゼロだな……」「俺も……」と言っているのに対して、女子は友チョコとして買ってきたものを交換するなり、自作のものを出すなりと華やいでいる。表向きにはありがちな展開。なんならイケメンの平坂くんはヘッドロックまで極められてるし。強く生きてほしい。
でも残念。私はちゃんと知っている。男子はそんなことを言いながらも心のどこかでは期待していて、女子は女子で手作りをしてきた人のお菓子の出来栄えを見てこの後本命を渡すのかどうかを探っているってことを。……いや、別にそこまでもありがちな展開か。
まあしばらくしたら萌絵ちゃんが来て男子女子関係なく皆に配るだろうし、そうしたら一旦落ち着くだろう。あと普通に授業もあるし。
私はもちろん量が作れたわけではないので、誰かと交換する様なことはできない。ただ、時折普通に貰えることがあればそちらはありがたく戴こうと思う。あとは放課後まで平常心で過ごすだけ…………こんなこと考えてるあたり、やっぱり落ち着いてないなあと自分で思う。
彼と付き合い始めてから、正直ずっと不安なのだ。
海野くんは努力すればなんでも出来て、皆からも尊敬されてて。付き合うなら私なんかよりももっとすごい人の方が絶対にいい。私は一体何が出来るだろう?勉強だって学校では下の方。よくても真ん中。一教科を除いてほとんどが下位。熱心になれる趣味だって無いし。なんでもかんでも中途半端。
だからいつも思うのだ。本当は彼は私のことを好きなんかじゃなくて、ただ優しさから付き合ってくれているだけなんじゃないかと。
たまに彼は私のことを『優しい』と言ってくれることがある。「本当に優しいのは貴方で、私はそんなんじゃ全然ない」といつも思うが、その言葉を私は心の内に閉じ込めて笑って誤魔化す。もしそんなことを言ってしまったら、途端に彼の心が離れていってしまう様な気がして。
……ああ、いけないいけない。少し感傷的になってしまった。始業時間はあと二分後なのに、まだ一時間目の準備すらしていないとは。まったくつくづく私は彼のことが好き過ぎる。これはもう海野くんには私の心をこんなにした責任を一生私の隣で取ってもらうしかないだろう。……いや、流石にそれはキモイよ私。
自分で自分の益体もない思考にため息をつき、鞄から教材を取り出した。
「起立、礼。ありがとうございました」
ありがとうございました、と呟いてそのまま腰を下ろす。そのままぐいーっと伸びをして思わずほう、と息を吐く。
結局今日は一日中あまり集中できなかった。いつにも増して今日の授業内容が頭に入っていない。力積ってなんだっけ?まったく本当に重症だ。昨日時間を作れるか聞いたところ(ごめん無理、と言われないか正直ヒヤヒヤした)、放課後少しだけ用事があるとのことでちょっと待っててほしいとのことだった。そういうことなので、落ち着けることは無いだろうが私は最近借りた本でも読んでいよう。
「楽しみだね、この後。誰か告白するのかな」
「そりゃするんじゃない?わざわざこんな場が設けられてるんだから」
ふと、近くの子達がしている会話が耳に入った。告白?こんな場、とはなんだろうか。話しかけられるほど仲のいいクラスメイトでもないので、読書をするふりをして意識をそちらに集中させる。
「いやーほんと我が校の生徒会はすごいというかなんというか。バレンタインにかこつけて体育館でイベント開くなんて。よくバレー部とかバスケ部とかの体育館使う部活は許可したよねー」
「ほんとほんと」
……どうやらバレンタインパーティじみた超・ビッグイベントが体育館で、しかも生徒会主導で行われるらしい。なんで私はそんなことも知らなかったのだろうか。号令が終わるなり即座に荷物をまとめて教室から出て行った人がいる
のはそのためか。どうせ待つのだったらそっちに行ったほうが面白そうだ。結衣に連絡を入れて行ってみようか。
「告白と言えば、霧島さんが誰かに告白するって言ってたような……」
「え、霧島さん好きな人とかいたんだ。意外」
霧島さんは去年から一緒のクラスの人で、結構可愛い子だ。誰にでも分け隔てなく接する優等生タイプ、と言ったら少し嫌な感じがするかもしれないが多分根っからいい子なんだと思うし、私もかなり好意的に接している。なんだったらたまに勉強を教えてもらったりもしている。分からないところは彼女に訊いて大体解決しているので、本当に助かる。そんな彼女に好きな人がいたというのは正直私も驚いた。
「うん、なんでも去年から気になってたみたいで、誰だったかな……えっと」
気になる相手を聞きたいところではあったが、結衣の方から予定もないのでOKという返事が返ってきたので荷物をまとめて教室を出る。
教室を出て数歩歩いたところで何故か嫌な予感がしたので振り返ったが、当然何かがあるわけでもなく、気のせいかと思い直して体育館に向かった。
「意外と人いるねー」
「まあ、生徒会主導でこんなイベントやってたら人も集まるよね。色恋沙汰って人が最も好む話題の一つだし」
「……結衣、朝会った時とテンションだいぶ違くない?」
「えーそんなことないよ」
合流した結衣は明らかにやさぐれているとしか言いようのない雰囲気だった。一体何を見せられてきたのだろうか。多分見せつけられてきたのだろうが。結衣のいる四組はカップルが最も多いクラスと言っても過言ではない、というかそれが事実だから結衣がこんなことになっているのだろう。砂糖を吐きそうな環境で今日一日中授業を受けてきたであろうことは、想像に難くない。
「……お疲れ様」
「味方みたいな顔して慰めてるけど、私からしたら佳奈も敵みたいなものだからね。どうせこのあと海野くんにうじうじしながらもチョコ渡しに行くんだろうし」
「ちょ、痛い。結衣、ちょっと言葉が刺さる」
「もーいいもん、どうせこの後失敗が見えてる告白模様が見られるんだし」
こういう場で告白出来るのであればある程度どころかかなり勝算があるのではないか、という言葉は飲み込んでおく。もっと考えれば、雰囲気に流されて承諾してしまうこともままあり得そうだし、そう考えると今日のは半ば出来レースなのかもしれない。ここまで考えてこの企画を通したのなら、生徒会はよく考えている。こんなことをして生徒会になんの益があるのかは分からないが。校内の活性化、とか?……いや、こんな不純な方向からの校内の活性化なんて流石にしないか。単に生徒会も面白がっているだけかもしれない。
「そういえば佳奈、海野くんはー?」
髪をくるくると弄りながら結衣がそう私に訊いてくる。
「海野くんはなんか少しだけ用事があるって言ってた」
「……佳奈ってまだ海野くんのことそうやって呼ぶんだ」
「向こうも立花さんって呼んでくれるから」
「半年くらい付き合ってるんだしそろそろ名前で呼ぶくらいしてないとおかしいでしょ……」
結衣からのお前何やってんだよみたいな視線が厳しい。実際そうなのだろうが、なんというか。
「ここまで来ちゃうと、呼び方変えるのも変かなって……」
私のその言葉に結衣はため息をついて、
「だから、もっと手遅れになる前に今そうしろって言ってるんでしょうが……」
やれやれ、という声が聞こえそうなジェスチャーをしてそう言った。
『それでは只今より、楠高校生徒会主催、バレンタインイベントを開催いたします!』
生徒会長を務める堀君の宣言でこのイベントは始まった。どんなものかと思っていたが、内容は至ってシンプル。チョコの交換会としてこの会場を活用してもらうのと、公開告白イベントの実施。告白イベントは事前申請制らしく、数分おきに男女二名が呼び出されて、体育館の壇上で告白が行われていく……といった様子だ。
「ずっと前から、貴方のことが好きでした!」
「私の本命です、受け取ってくれませんか……?」
「貴女のことを思って作りました。どうか、受け取って返事を聞かせてください!」
順調にカップルが成立していく。その度に、周囲からパチパチと拍手が湧き起こる。意外にも野次を飛ばすような人はおらず、皆真剣に見守っている。お遊びの告白でないことが壇上から伝わってくるからだろうか。
とは言っても静まり返るのは可哀想、ということなのかは分からないが、会場内は適度に騒がしかった。
結衣はつまらないのか面白いのか分からない表情でずっと壇上を見守っている。
「玉砕祭りになるのかと思ってたけど意外とそんなことないね」
「玉砕祭りって……」
「告白しても成功する確率って結構低いはずなんだけどねー」
「何それ実体験?」
口ぶりから経験が伴っていそうな感じがしたので揶揄うような口調で結衣にそう尋ねてみる。すると結衣は不満そうに唇を尖らせて言う。
「私は一回も告白したことありません。何故か私に恋愛相談してきた人たちが皆そうやって玉砕してっただけ」
「それはそれでその人たちがなんか可哀想……」
気持ちは分かる。結衣は結構話しやすいし容姿もいいからどう考えてもモテそうなタイプだ。むしろ彼氏がいないことの方が不思議なくらいには。おそらくその人たちも似たような感じで結衣に相談をしては玉砕をしていったのだろう……。まあ、結衣は比較的真面目にアドバイス自体はしていそうなので、そこから振られたのは単に元からダメだったから、ということだろう。結衣もそれを分かっていて、さっきあんなことを言ったということだ。
「ま、こうして新しくカップルが出来るのは別に嫌なわけじゃないけどね。想い人を取られた人以外は基本的に誰も傷付かないし、見ててこっちもなんだか嬉しい気分というか祝福したい気分になってくるから」
「それはそうだね。……そういえばさっき、霧島さんが告白するとかなんとか言ってたような」
私がそう口にすると、結衣は驚いたような表情になる。
「え、あの去年一緒のクラスだった霧島さん?」
「うん。とは言ってもマタ聞きだから本当のところはよく知らないんだけどね」
「霧島さん好きな人とかいたんだ……なんかちょっと意外」
「結衣も知らなかったんだ」
「私別に他クラスの情報詳しいわけじゃないし」
特にそれ以上話すことも無くなり、しばし無言の時間が流れる。ちょっと喋り疲れたしこのまま休憩するか……と思っていると、新たに壇上に呼ばれる人の名前が読み上げられた。
「まずは二年三組、霧島紗枝さん。壇上にお願いします」
霧島さんだ。
つい先ほどまで話題に登っていた人物の登場に、思わず結衣と顔を見合わせる。正面に顔を戻すと、登壇する霧島さんの整った綺麗な顔は他の人たちと同じく緊張してか若干赤らんでいる。
まさかこんなに早く霧島さんの番が回ってくるとは。そうしたら、相手は誰なんだろう。彼女が想いを寄せる相手って……?
霧島さんが壇上に登り終える。それを見て、生徒会の進行役の子が相手を読み上げようとする。
「続いて──」
その瞬間。ちりっ、と嫌な予感がした。先ほど教室の前で感じたのと、全く同じ感覚。その言葉を何故か、どこか私は聞きたくない気がして。
だが、そのほんの少しの警鐘は身体に行動を起こさせるまでには至らない。結局私は読み上げられる名前をそのまま聞いてしまった。
「二年一組、海野愁さん。壇上にお願いします」
「…………え」
ほとんど無意識のうちに私の口から溢れる声。視界に僅かに入っている結衣の表情は驚愕の色に包まれている。
霧島さんが何かを言っているが、うまくきこえない。視力はそこまで悪くないはずなのに、海野くんの表情もあまりみえない。……あれ、どうしちゃったんだろう。わたし。
「海野くん……?」
さっき心の中で思ったことが、まったく余計なタイミングで頭をもたげる。
ここで告白するってことはある程度どころかかなりの勝算が──
今日のは半ば出来レース──
手足の感覚が、だんだんと無くなっていく。
私が見つめる先には真っ直ぐに海野くんを見つめる霧島さん。
そうして、十数秒に渡ったであろう言葉ののちに霧島さんが自身の手にある、実に丁寧に装飾がなされたチョコレートを海野くんに差し出そうとして──
そこで、私は立ち上がって体育館の出口へと向かった。
「ちょ、佳奈!?」
結衣の声が後ろから聞こえた気がするが、私は止まらなかった。いや違う、止まれなかった。だって振り返ってしまったら、なにかよくないもの──私にとって──を目に映してしまうような気がして。
体育館の出口付近で静かにパーティの様子を静かに見守っていた生徒たちが全速力で走っている私を何事かという目で見てくるのを厭わず、体育館の外に出て階段を駆け下りた。
頭の中がとにかく混乱している。心臓が痛いくらい跳ねている。
普段は走らない校舎を、普段あまり動かすことのない身体を使って、駆ける。
どこか、どこか──静かな場所へ。今みたいに他の人に見られることがない場所へ。
すれ違いざまに怪訝そうな顔を向けられているのが自分でも分かるが、そんなことは気にしていられなかった。ただ、一人になりたかった。
一生懸命準備して、今までの人生の中でもとびっきりいい一日になると思っていた。実際、さっきまではそうだった。期待に胸を膨らませて、彼のことを待って……。
でも、それはあっけなく、一瞬で砕け散った。今日一番彼を待っていたのはあの子。霧島さんだった。壇上に並んだ二人の姿はどうしようもなく私にはお似合いに見えて。たとえ今付き合っているのが私だとしても、そんなものはなんの役にも立たないものなんだって、分かってしまった。
認めたくなくても、それは私にとってはどうしようもない事実で、酷く打ちのめされてしまった。
「はあ……はあ…………う、ぐすっ」
知らないうちに校舎裏まで来ていたようだ。堰を切って溢れ出した涙が、土に滴り落ちる。
常々自分でも思っているじゃないか。私と彼とでは釣り合わないって。彼にはもっと相応しい人がいるんだって。だから、もしそんな人が現れたなら。その時は潔く身を引こうって──。
なのに、どうしてこんなに涙が溢れるんだろう。
「ぐすっ、ひぐっ、うう……」
どうして?そんなの聞くまでもない。私が、彼のことがどうしようもなく好きだからだ。好きだから、幸せになってほしい。思うがままに生きていってほしい。
でも、私のことを見ていてほしい。離れたくない。ずっと私のそばにいてほしい、本当はずっと、私のことだけを考えていてほしい──なんて、某グループの曲の聴き過ぎだろうか。ましてや今日はバレンタインだ。似合わない。
……まったくくだらない。こんなことでは無理矢理にでも笑えない。
「ああ……」
どうしようもなく胸が苦しい。こんな気持ちになるのはいつぶりだろうか。いや、多分こんなのは初めてだ。……つらい。
息が白い。空を見上げれば、雪が降っている。
二月なのに、まるでクリスマスだ。さっきのぼんやりとした思考はあながち間違いでもなかったのかもしれない。
「寒いなあ……」
クリスマスの日を過ごしていた時は、あんなに心も体も暖かかったのに。
今では心までもすっかり冷え切ってしまって動けない。
ああ、久しく味わっていなかったこの感触は、そうか。
──これが、失恋か。
どれだけの間、外でそうしていたことだろうか。ちらりと腕時計を見るともう午後四時半を回っていて、体育館のパーティがそろそろ終わる頃だった。
「あ……」
このまま帰ってしまおうか、と思ったところで気づく。
海野くんに渡そうと思っていたチョコレート。荷物ごと体育館にほっぽり出してきたせいで無いことに気づかなかった。もう渡す意義を無くしたものだけれど。
でも作った以上は渡しておきたい、なんて。……未練がましいなあ、私。
そういえば結衣も置き去りにしてしまった。私が急に飛び出してしまったものだから、驚いていることだろう。
「……でも、事情は分かってくれてるよね」
結衣はこの学校に入ってからの付き合いとはいえ、私の一番の親友だ。私の海野くんの惚気話を誰よりも聞いてきたのも結衣だ。だから今回ばかりは少しくらい、多めに見てくれるだろう。
ごしごしと目尻を擦って涙を拭く。
ふと、あたりを見回して気づく。そういえばここは私が海野くんに告白をしたところだったっけ。我ながらベタな場所を選んだものだ。
長い時間の末に海野くんが返事をしてくれた時は本当に嬉しかったなあ……。それから時々だけど、二人で一緒に色んなところに行って、本当に楽しくて……。
だいすきだった。
じわ、とまた涙が溢れてくる。
……帰ろう。これ以上ここにいてももっと辛くなるだけだ。
最後の涙を拭いて立ち上がり、また体育館に戻ろうとした。──だから、後ろから誰かの足音が聞こえても、気にしなかった。
「立花さん?」
「……え?」
私を呼び止める、穏やかで、優しい声。
私はあまり人を声だけで判別することができない。でも、聞き間違い様がなかった。だってその声は──
「海野、くん……?」
私の恋人、海野愁くんのものだったからだ。
「……探したよ」
「どうして、ここに……」
「東さんが多分ここにいると思うって候補を幾つか挙げてくれて、探してたら今見つけた」
海野くんが少し照れくさそうに笑って言う。
そうじゃない、私が聞きたい事はそういうのじゃなくて──
「なんで、私を」
「え?」
「どうして、私を探してたの……?」
「どうしてって、それは……」
私の心底不思議そうな言葉に、海野くんもまた心底不思議そうな顔をして答える。
「立花さんの彼氏、だから?」
「え……」
私が不可解な顔をすると、海野くんは更に不思議そうな顔になる。
「え、違うの?」
「いや、そうじゃなくて……だから、霧島さんは?」
「……どうしてそこで霧島さんが出てくるの?」
もうわけが分からないといった様子で、海野くんは若干泣き出しそうな顔をする。でもそれは私も一緒で、
「だってさっき……」
「さっきって?…………あー」
ようやく思い当たったらしい。多分海野くんは頬を掻きながら少し気まずそうな顔をしているような気がする。
「霧島さんのチョコ…………私は」
「待って待って!受け取ったけど気持ちは受け取らなかったから!」
「……え?」
思いもよらないその言葉に思わず顔を上げる。そこには先ほど思ったとおり、気まずそうに頬を掻いている海野くんがいた。
そんなことより、気持ちは受け取ってないって。
「ほんとほんと!その、数日前に生徒会から手紙が来てさ。今日になるまでなんのことか分からなかったんだ。ちょっと校内の情報に疎くて……その……」
「それって」
「うん、ちゃんと断ってきたよ。」
海野くんが申し訳なさそうに言うのを見て、私は安堵のあまりはあーーっと大きく息を吐いた。
なんだ。海野くんは霧島さんの告白を受けたわけじゃなかったのか。それを認識した瞬間、大きな感情の塊がふつふつと体の奥底から湧き上がってくる。
嬉しい。たまらなく嬉しい。海野くんは、まだ私の隣にいてくれる。まだ私は、彼と一緒に過ごしていける。
霧島さんには少し申し訳ないけど、この時彼女のことは考えられなかった。
「あの……」
「えっ!な、なにかな海野くん」
一瞬だけでも自分の世界に入り込みすぎて、声を掛けられただけで驚いてしまった。恥ずかしい。今の私は今朝よりももっと顔が赤くなっていることだろう。
改めて海野くんの方を見ると、彼は手に何かラッピングされた袋を持っていた。それを、彼は私の方に差し出して言う。
「これ、バレンタインだから作ってみたんだけど……よかったら」
「え、これ海野くんが作ったの」
「そう」
「すご……」
……もしかしたら、彼には女子力でも敵わないかもしれない。クリアな袋の中には……ガトーショコラ!?まったくつくづく彼には驚かされる。ありがとう、と言って私はそれを受け取り、また存在を忘れていたことに気付く。
「わ、私もチョコ、用意したんだけど」
「ありがとう、嬉しい」
そう言って彼は優しい笑みを浮かべる。ああもうほんとに……それは私には反則だ。さっきまで少しトゲトゲしていた心がだんだんと溶けていく。
ふと、私はさっき結衣に言われた言葉を思い出した。
──手遅れになる前に──。
「ね、海野くん」
「なに?」
それはあまりにも当たり前のことで、こんなに気合を入れるようなことでも無いかもしれないけれど。それでも私は少しだけ大きく息を吸って言う。
「──私のこと、名前で呼んでくれないかな」
「佳奈さん」
「早い!?」
初めて海野くんに名前を呼ばれたことは嬉しかったのだが、なんというかこう、心の準備が。私は今日何度頬を染めるのだろう。
……でも、よく見てみると海野くんの顔も少し赤くなってる気がする。よかった、私が意識し過ぎなんじゃなくて海野くんもそれなりに恥ずかしいんだ。というか海野くんが顔赤くしてるところ久々に見た。……うん、やっぱりかわいい。かっこいいのにかわいいって本当に反則ではないだろうか。……こうしてみると、私って彼の限界オタクだなあ。
俯きながら、スカートに付いた土をぱんぱんと払う。今顔を見るのは照れ臭くて出来ず、そのまま体育館の方へ足を向ける。
「じゃあ、行こっか。海野くん」
そう言って小走りで駆け出そうとした時──
「待って」
海野くんに腕を掴まれた。
「え」
振り返ると、こちらを真剣な眼差しで見ている。その真剣な眼差しに思わずどぎまぎして、私は駆け出そうとしていたことを一瞬忘れる。
「佳奈さんも、名前で呼んでほしいな。僕のこと」
「あ……」
海野くんに指摘されてようやく気付いた。
思わず顔が綻ぶ。そうだ、もう、彼のことを名前で呼んでいいんだ。むしろこっちからそう呼ばないのは不公平というものだろう。うん。
だから私は口にするのだ。たった数文字にしかすぎない、けれど私にとっては何よりも尊いその名前を。
「──うん、じゃあ、行こっか。愁くん」
無意識のうちに伸ばした手は、彼の手と触れ合い、そしてしっかりと繋がった。
「かーなー?なにか私に言うことがあるんじゃないかな……?」
「ごめん、いやほんっとにごめん!」
もちろん、あのあと結衣にしっかりと怒られたことは言うまでもない。
しかしまあ、我ながら本当に酷いことをしたものだ。最後まで見ずに暴走した挙句、親友に迷惑をかけた上で愁くんのことを若干傷つけてしまうとは。本当に情けない。
でも、これらのことから分かることがひとつだけある。……いや、別に考えるまでもないことなのだが。
まったく、つくづく私は……
「愁くんのことが好きすぎるんだな……」
「惚気ていないでもっと反省の色を示して」
「ご、ごめん!口に出てた!?」
「ちょっと待ってもう本当にムカついた」
私は生まれて初めて友人に平手打ちをされたのだ、と気付くのには数秒の時間を有した。
メルヒェン・マイネスレーベンス。主人公の佳奈ちゃんには自分の気持ちを一部代弁してもらいました。
ハッピーバレンタイン。




