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9/15

⑨/⑮

 ♦♦♦


 

 その週末、俺はアルバイトに努めることも友達と遊びに出掛けることもなく、久しぶりに一人っきりの一日を過ごしていた。

 


 俺の本来の性分からして、孤独な時間は嫌いではない。

 アラームを使わずゆっくりと目覚め、お気に入りの音楽を聴く。

 それから、思い立ったように少し凝った昼食を用意して、書物を手に取る。

 


 そのように静かな半日を過ごし、昼下がりとなった時分、俺は散歩に出掛けることにした。

 


 行き先は既に決めている。

 以前のバイト先であったスーパーだ。

 


 本を読み終えてちょっとした暇が出来たので、仲の良い元同僚に顔を出そうという訳である。

 自然とこういうことを考える辺りが、なるほど、白星の言った通りに、俺の性分は二面性を孕んでいるということなのかもしれない。

 


 季節はもう十二月、初冬の終わりも近い日のことだった。

 北風が街の隅々に吹き込み、空気はすっかり冷え切っている。

 身体に纏わりついて霜を残すような厳しい寒さに負けぬよう、俺はダッフルコートを羽織って家を後にした。

 


 スーパーまでの道のりをのんびりと歩く。

 気温が低い分、背に浴びる日差しの温もりが心地良かった。

 白の混じった薄い水色の空には、小さな羊が数匹浮かんでいた。

 


 ニ十分ほど歩き慣れた道を行くと、短い間お世話になった、緑色の外壁塗装の為されたスーパーに辿り着いた。

 


 店頭にあるカゴを持ち、自動ドアを潜ろうとする。

 と同時に、すぐ隣からカートを引いたお客さんがスーパーに入店しようとしていた。

 


 俺は反射的に端に寄って道を譲った。

 アルバイト時代の癖が抜けていないようだ。

 お客さんは「ありがとう」とこちらに会釈したところで、突如、俺の顔に釘付けになった。

 


 俺は軽く首を傾げた。

 その人は俺の顔から何かを読み解くように、ジッとこちらを見つめ続けている。

 数秒その状態が保たれ、俺がお客さんを不審に思い始めたところで、男性はゆっくりと、その口を動かし始めた。

 


「あぁ、君は確か…黒奈の友達の…雨夜くん、だったかな?」

 


 目の前にいる男性が柔らかな表情でそう言った瞬間、小さな静電気が頭の中を走り抜けていく。

 その男性の一言を契機に、俺も俺でこの男性が誰であるのかを、そして、以前抱いた既視感の正体までもを理解したのだ。

 


「えっと…健介さん、でしたでしょうか?」

 


 彼に既視感を覚えた理由を明らかにしたい気持ちに駆られつつも、俺は先日の記憶を引っ張り出し、なんとか彼の名前を思い出した。

 


「うん、私の名前は村山健介だね」と、彼は微笑みながら俺の言葉に首肯した。

 


「そして、君の名前は雨夜陽太。経済学部経済学科の二年生で、黒奈の一つ年上だ。と言っても、黒奈から聞いたことはそれぐらいだよ」 

 


 その一連の発言に、俺は些細な違和感を覚える。

 が、頭に何が引っ掛かったのかはすぐ分かった。

 


 俺は失礼と知りつつも、思わず「…村山?」と言葉を零してしまった。

 


 しかし、健介さんは俺の無礼を咎めはしなかった。

 その顔に微笑みを浮かべたまま「そうだよ」と俺の独り言に応じる。

 


 それから、彼は顎に手を当てると、

 

「雨夜くんも私に聞きたいことがあるだろうし、実は私も、雨夜くんと少し話したいと思っているんだ。どこか落ち着ける場所で話す時間はあるかい?」

 

 という風な提案を持ち掛けてきた。



 特に断る理由はない。

 寧ろ俺としては、今の言葉で健介さんと白星の関係性が少々気になってしまった。

 


「…ええ、今日は特に予定もないので。ここに来たのも暇つぶしでしたから」



 俺がそのように彼の有難い申し出を受け入れると、「ありがとう。適当な喫茶店に行こうと思うから、私の車に乗ってくれるかい?」と、健介さんはカートとカゴを元の位置に戻し、俺を誘導した。



 俺は彼の後ろについて従う。

 駐車場に停められていた、七人乗り自動車の後部座席に腰を下ろした。

 


 車が発進する。

 健介さんは丁寧な運転で大通りを走り、車で十五分ほどの距離にあった大手チェーンの喫茶店に俺を運んだ。

 


 喫茶店に到着するまでの間、車内には曰く言い難い沈黙が充満していた。

 決して居心地が悪いわけではないのだが、かと言って緩んだ雰囲気があるかと言われれば、そうではない。

 そこには、診療所の待合室に漂うような仄かな緊張感があった。

 


「…村山さんは、あのスーパーで週に二回、それぞれ一万円分ほど買い物していきませんか?」



 俺はその重圧に耐えられず、つい、ハンドルを握る健介さんに妙に詳細な質問をしてしまう。

 ルームミラー越しに映る彼は驚き顔を浮かべた。

 


「よく知ってるね。雨夜くんの言う通り、私はよくあのスーパーで買い物しているよ」

 


 そうして俺の問い掛けに答えた後に、「健介さんでいいよ」と彼は優しく付け加えてくれた。



「実は僕、少し前まであそこのスーパーでアルバイトしていたんです。ですので、よく買い物される方は記憶に残っているんですよ」



 そう言って俺は彼の疑問に答える。


 すると彼は「あぁ!」と何かを思い出したように相槌を打った。

 レジ係をしている俺の姿が思い浮かんだのだろう。

 


「道理で一昨昨日も見覚えがある気がしたわけだよ」と彼は微笑みながら強く頷いた。



「週に二万円となると、かなり食費にお金が掛かりますね。大家族なんですか?」

 


 話が弾んだところで、俺はそのまま間を持たせるべく会話を続けようとする。

 


 質問を受け取った健介さんは「うーん…」と悩むように唸った後で「まぁ、そうとも言えるかな。雨夜くんは、ファミリーホームという言葉を知ってるかい?」とこちらに言葉を切り返した。



「確か…小規模な児童養護施設の総称だったような…」

 


 俺は記憶力を総動員し、いつか読んだ本にそのようなテーマのものがあったことを思い返す。

 


「うん、その通りだよ。私は妻と共にファミリーホームを経営していてね、それで大量に買い物が必要になるというわけさ」



「となると…」


 

 その発言とこれまでの事情から、俺は結論を焦るように一つの未熟な答えを導こうとした。

 


「話の続きは入ってからにしようか」健介さんは俺の言葉をやんわりと遮って車から降りていく。


 

 俺は自らを落ち着かせるよう、一度その口を噤み、車から降りて健介さんと共に喫茶店へと向かった。

 


 喫茶店の扉を開ける。

 爽やかなドアベルの調べが頭上に響き、店員さんの一人がこちらにやってくる。

 俺と健介さんは店員さんに案内されて、奥の窓際席に腰を下ろした。

 


「好きなものを頼んでくれていいよ」と健介さんはメニュー表を俺に手渡してくれる。

 


 とは言え、あんまり高いものを頼むのも非常識だと思えるので、俺はホットコーヒーを注文することにした。

 注文内容が決まったことを伝えると、健介さんは黒い呼び出しベルを押した。

 


 店内にチャイムが鳴り渡ると、程なくして、小柄な店員さんがこちらに向かってきた。

 店員さんは機械みたいな調子で「ご注文をお伺い──」と言い掛けたところで、不自然にその口を閉ざした。

 


 その様子はまさに、停電によって突如画面を黒くしたテレビのようであった。

 


 対して俺と健介さんもまた、唖然とその見覚えのある女性店員を見つめていた。

 彼女は不可解そうに俺達を交互に見やり「健介さんに…雨夜さん、ですか」と呟いた。

 


「奇遇だな、白星。ここで働いてたのか」



 俺は彼女の登場に心底驚かされながらも、それを表情には浮かべずに言う。

 


 以前、白星が働いていると言っていた飲食店はこの喫茶店だったらしい。

 居酒屋なんかで働いている様子は想像も出来なかったが、なるほど、喫茶店ならイメージ通りといった所だ。



 と言うか、白星が茶色の制服着てるなんてな。

 黒以外の格好している白星は新鮮だ。

 


「あれ…黒奈は別店舗でアルバイトしてるんじゃ…」 



「今日はヘルプでこちらに来ているんです」



 目を泳がせながら訊ねる健介さんに向けて、白星は淡々と彼の疑問に答えた。



 どうやら、この出会いは本当に偶然のものだったようだ。

 何のメリットがあるのかは分からないが、健介さんが俺をこの場に誘導した、とかいうわけではないらしい。

 


「二人共、知り合いだったんですね」白星は意外そうに俺を眺める。

 


「いや…まぁ、確かにそんなもんか」



 俺はどう答えようか迷ったものの、店員とお客様の関係であったことを思い出した。



 雑談はそこで切り上げられた。

 白星は俺とは目も合わせずに抑揚のない声で注文を読み上げ、逃げるようにその場から去っていった。



「場所、変えますか?」



 その姿が見えなくなったところで、俺は前方に座る健介さんに問い掛ける。

 


「いや、大丈夫。黒奈も気にはなるだろうけど、仕事中だし聞き耳立てたりはしないだろうからね」



 健介さんは気を取り直したようにそう言った。

 


 彼の言葉の通り、注文した飲み物を持って来てくれたのは別の店員さんだったし、それ以降、白星の姿は見えなかった。

 キッチンに引っ込んだのかもしれない

 これなら場所を変える必要もないだろう。

 


「雨夜くんが気になっているであろうことから、先に話させてもらうよ」

 


 俺がホットコーヒーに口を付けると、健介さんはそう言ってごくあっさりと、話の核心を切り出した。

 


「私と黒奈の苗字が違っているのは、私と黒奈が叔父と姪の関係にあるからなんだ」

 


 その事実を前に、俺は然程驚かなかった。

 これまでの情報を整理すれば、ある程度は予測可能なことだったから。

 


 けれども一方で、その時の俺は、心の内側でほんの少しの安堵感を抱いていた。

 彼女の性格からして無いとは思っていたが、もしも健介さんが白星の、例えば援助交際相手だったら……援助交際、か。

 


 嫌な単語を思い出してしまった。

 もうこのことを考えるのはよそう。

 


 などと、他のことに頭を働かせるぐらいには、俺はあからさまにホッとしていたのだと思う。

 そしてその心の隙間を突くようにして、健介さんはこのように言い足した。

 


「同時に、私は黒奈の育ての親でもある」



「え」

 


 思わず小さな声が洩れ出た。

 その衝撃には、自らが放った振り子が戻ってきたことに気が付かず、そのまま顔面に鉄球が直撃したかのような深い重みがあった。



 彼は追い打ちを掛けるように続ける。

 


「黒奈の両親は、彼女が三歳の時に大きな交通事故に遭ってね、その時に亡くなってしまったんだ」

 


 育ての親、という言葉を聞いた瞬間から、なんとなくその可能性は脳裏を過っていた。

 しかし、現実に彼の発言を耳にしたその時、俺はどう足掻いても言葉を失ってしまった。

 


 だが、健介さんの話はまだ始まったばかりだ。

 


「ただ、不幸中の幸いだったのは、同乗していた黒奈だけは命を取り留めたことだろう。救急搬送された病院先で、彼女に命に別状がないことを知らされた時、私は心の底から安堵したことをよく覚えているよ。両親を亡くしてしまった彼女を誰が引き取るのか、という話になった時に、私が是非、と引き取らせてもらったんだ。姉の子だったからね、思い入れもあったんだ」


 

 彼は悲痛な面持ちで昔日のことを語った。

 


 それから健介さんは、俺が車の中で考えていたことを否定するように「だから、黒奈は児童養育事業として引き受けた子じゃない。ファミリーホームは彼女が一人暮らしを始めた後に立ち上げたものだよ」と結論を述べてくれた。

 

 

「たぶん、雨夜くんが聞きたかったのは私と黒奈の関係性だろう?」

 


 ふと現実に引き戻された俺は、彼に向けてぎこちなく首肯した。

 本来であればゆっくりと時間を掛けて把握するべき重大な情報の数々が頭の中いっぱいに飽和しており、やはり喉を震わすことは叶わなかった。

 


 しかし、健介さんは情報整理の猶予を与えることなく、真剣な顔つきで俺に問い掛ける。

 


「そしてここからは、私が雨夜くんに聞いて欲しい話なんだ。聞いてくれるかい?」

 


 頷かざるを得ない状況に追い込まれ、俺は健介さんの話に耳を傾ける姿勢を見せた。



 言葉はなかったが、俺の真摯な態度を了承と見なしたのだろう。

 彼は小さく、ため息を吐き出す。

 それが、昼間の喫茶店に満ちるささやかな騒めきに溶け込んでいった頃、彼はゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。

 


「……黒奈はね、今でこそあんな調子だけど、昔……両親を亡くす前は、明るい子だったんだ。無邪気に笑って、よく外に出掛けて、活動的な子だった」


 

 健介さんは何処か懐かしむような表情で俺に語り掛ける。

 しかし、彼の話す白星の幼少期は、俺の想像する子供の頃の白星とは百八十度真逆に位置していた。



 ならばどうして、今の白星はああも素っ気ないのだろうか。

 直前の重い話を忘れたかのように、俺は彼女の無表情を思い浮かべる。

 


 直後、その理由らしきことを健介さんが言葉にした。

 


「でも、私の家に引き取られた以来の黒奈は笑わなくなったし、表情を表に出すこともなくなった。外にも自ら足を運ぼうとしなかった。自室に引き籠って、ひたすら茫然と日々を過ごしていたよ。そんな彼女の変わりようを見た私は、初め、それを事故の後遺症かと疑った」

 


「私は黒奈を連れて大病院を何件か駆け回ったよ。だけど、どのお医者さんも似たような結論を出したんだ。脳に異常が見られない以上、両親を亡くしたことによる喪失体験だろう、とね」

 


「当たり前のこと言うようだけど、両親が目の前で息絶えるというのは、三歳の幼児に許容できるような出来事ではなかったんだと思う。黒奈は時間を掛けて、ゆっくりと心を癒していく必要があったんだ」

 


 健介さんはそこまで話し終えると、乾いた口を潤すようにアイスコーヒーを手に取った。

 その間隔はまるで、これからのことをどのように話すべきか迷っているようでもあった。

 俺は黙って、彼が再び口を開くのを待ち続けた。



「だけど、時の流れはそう悠長に、黒奈に時間を与えてくれはしなかった」



 健介さんは嫌な口ぶりで話を再開した。

 


「心神喪失状態の黒奈は満足に幼稚園に通うことも出来ず、すぐに小学校入学を迎えたよ。読み書きや数字を読む程度のことは私と妻が教えられたけど、肝心の子供同士のコミュニケーションを黒奈に教えてあげることは出来なかった。その上、それ以来ずっと表情に乏しい黒奈は誰とも話そうとしなかったそうだ。笑わない子と一緒に居ても楽しくないからね、黒奈に近づこうとする子は誰一人としておらず、黒奈は誰とも仲良くすることなく小学生時代を過ごしたよ」

 


 健介さんはそこで一呼吸挟んだ。

 そして次に言葉を発した際には、その静かな声調の中に、仄かな怒気に似たものを滲ませていた。



「悲しい事だけど、そんなあぶれ者は当然のようにいじめの標的にされてしまった。押し飛ばされたり靴を隠されたり、或いは水を掛けられたり、表立って悪口を囁かれたり…本当に、色々あった。そんな話を聞く度に、そして、学校から帰って来た黒奈の服が破れていたり、かすり傷を負っていたりするのを見る度に、私はどうしようもないほどの憤怒に駆られたよ。でも、黒奈本人はそうでもなかった。黒奈は何をされてもうんともすんとも言わず、無口無表情を貫いていたそうだ」

 


「何の反応もない黒奈を虐めていても、面白くなかったんだろうね。次第に黒奈はいじめの対象でなくなり、孤独だけれど穏やかな学生生活に戻っていった。そういう経験があったことも影響したのか、黒奈は表情に乏しいまま成長していった。小学、中学、高校と、どの学生時代でも誰とも接さず、ただ一人で居続けた」

 


 白星の凄惨な過去を聞かされた俺は、彼に小さく頷き返すのに留めた。

 その時の俺が白星に抱いた感情は、同情と言うよりは、似た者同士ゆえの共感に近しいものだった。

 


 もっとも、俺はいじめにあった経験がない。

 彼女の心と身体が感じた痛みにまで共感することは出来ない。

 


 再びアイスコーヒーを口に含んだ健介さんは、心の内側に溜まったものを吐き出すように深く息をついた。

 それから、今度は打って変わって優しい表情で俺を見やると、喜色の入り混じった声でこう言った。

 


「だから、一昨昨日の黒奈を見た時、私は本当に驚いたんだよ。これまでは友人の姿が影も形も無かった黒奈が、誰かと友達と呼べる間柄を築いただけじゃなくて、家にまで招いたなんてね。本当に驚いたし、同時に、親としての深い安堵と感動があった」

 


 そこで、健介さんは忘れていたことを思い出したように眉を上に動かすと、小さな咳払いを挟んだ。

 


「随分と長い間、私ばかり話してしまったね」彼は頭を掻きながら言葉を続ける。

 


「…要するに、私が君に話したかったことは、厚かましいことを言うようだけど、雨夜くん、今後とも黒奈と仲良くしてやって欲しいんだ」



 そう言った健介さんが軽く頭を下げるのを見て、俺は未だ、話の全貌を理解し切れている自信はなかったが、それでも彼の言葉に応じようと強く思った。

 このような話を聞かされては、俺はますます、彼女を放っておきたくはないと思ったから。

 


「もちろんです」と俺は彼の言葉に堂々と応えて見せたものの、その後に自らの金髪を指差し、自嘲的に訊いた。



「ですが、そんな話を僕にしてしまって良かったのでしょうか?自分で言うのあれですが、こんな見た目をしていますし」

 


 訊ねられた健介さんは、一度、大袈裟にその目を丸め、それからくしゃりと相好を崩した。

 


「あぁ、その点については心配しなくていいよ。私は職業柄、人を見る目に長けている自信があるんだ。雨夜くん、君は見た目こそ派手だが、根は思慮深いのだろう?」



 どうやら本当に、人の本質を見抜く力があるらしい。

 俺は微笑みながら「どうでしょうね」と言葉を濁した。

 要は健介さんから見た俺は、ハリネズミのように見た目で威嚇する臆病な生き物ということなのだろう。

 


「それに、そうでもないと黒奈が仲良くしようとは思わないだろうからね」



 健介さんは嬉しそうに言いながら、しかし慌てたようにこう言葉を付け加えた。



「あぁ、こんな話をしたのは、それを人質に黒奈と仲良くして欲しいとか、そういうわけじゃないんだ。雨夜くんを信頼してのことだよ」



「信頼して下さりありがとうございます。僕としても、白星と仲良くするのは楽しいですから」

 


 俺はそのように言葉を返し、ぬるくなったホットコーヒーに口を付けた。

 以降は他愛も無い雑談を交わし合い、俺達は喫茶店を後にした。

 


「何処まで送って行けばいいかな?」と尋ねてくれた健介さんに対して「お気遣いありがとうございます。でもせっかくなので、運動がてら歩いて帰ろうと思います」と俺は言葉を返す。

 


「何か困ったことがあったら、いつでも連絡してくれていいよ」と健介さんから連絡先を頂いたところで、俺達は別れた。

 


 彼の車が消えるのを見届けてから、俺はぼんやりと、道路沿いを歩き始める。

 


 運動がしたかったのは嘘ではない。

 しかしより正確に言えば、今の俺は一人になりたかった。

 喫茶店で得た莫大な情報を、一から整理するための時間が必要だったのだ。

 


 単純に、白星と健介さんが姪と叔父の関係であると言うことだけであれば、俺は白星のバイト終わりまで時間を潰して、俺に待ち伏せされたことをうざったく思うであろう彼女と共に帰路に着いただろう。

 


 しかし、実際問題は複雑であった。

 情報過多に陥るほどに白星のあれこれを知った今の俺では、どのように彼女に接してやればいいのかが良く分からなかった。

 


 いや、接してやれば、ではないか。

 俺自身がどういう風に白星に接するべきなのか、それが判然としなかったのだ。

 


 そんな風に思い迷う俺ではあったが、それでも一つ、ハッキリとしていたことがあった。

 


 それは、彼女に悲惨な過去があり、そのために彼女が表情を表に出さなくなったことに対して、憐れみや慰めを向けるのは違うだろう、ということだった。

 白星はそのような扱いを受けることを望んでいないだろうし、何より俺自身も、彼女にそのような目を向けたいとは思えなかった。

 


 俺は以前、白星がしてくれたように、もっと、こう──。

 


 ふと、足が止まる。

 なるほど、と俺は導き出した答えに強く納得する。

 


 よくよく考えてみると、それは思い悩むほどのことではなかったのかもしれない。

 だって、俺はただ、これまで通りに白星に接すれば良かったのだから。



 確かな結論を得た俺は、晴れ渡る冬の青空に似た爽快感に包まれながら、弾む足取りで我が家を目指していった。

 

 

 ♦♦♦

 


 この日、健介さんは肝心なことを伝えなかった。

 しかし、その判断は彼の責めに帰するべき事柄ではない。

 それは、本人以外の口から語られるべきことではないし、何よりも俺自身が、そのことに気が付く必要があっただろうから。

 

 

次回の投稿日は、明日の6月18日となります。


それでは、また次話でお会いしましょう!

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