⑥/⑮
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白星と約束交わして早一週間、大学ではとうとう、三日間に及ぶ学園祭が幕を開けた。
この三日間は外部からも多数の訪問者が学内に足を運ぶため、大学中が一切合切の大混雑に見舞われることになる。
一年前の俺は、この開店セールばりの人の押し合い圧し合いに度肝を抜かされたものだった。
学祭は年に一度のお祭りだ。
だから学生たちも、頭のネジを一つ外したみたいに異様な活力で溢れ返る。
この誰彼もがエネルギッシュな空間を前に、いつでも冷淡な白星は何を思うのだろう。
それぞれの都合上、四人で学祭を巡るのは二日目ということになった。
なので一日目の俺はサークルの売店に尽力した。
我がテニスサークルの販売商品はベビーカステラだ。
定番中の定番である焼きそばや唐揚げと比べ、こちらは主食というよりはデザートに近しい分類にあると思われる。
高めの値段設定で強気な勝負を挑んだところで、回転率は下がる一方な予感がしていた。
それ故、利率が低くなるのもやむなしと、我がサークルでは価格を安く設定している。
競合他社はこの低価格に四苦八苦することだろう。
因みにだが、テニスサークルと一口に言っても、俺の所属するサークルは硬式だし、振るのはラケットの方だ。
一日目の俺は、レジを担当することもあれば焼きを担当することもあったし、呼び込みや宣伝に繰り出すこともあった。
自慢じゃないが、顔の広さと良さで顧客吸引力は持っている方だ。
同じくである駿介と共に、学祭に訪れた高校生や知り合いに自社商品を購入させ、ついでに明日の票集めも兼ねておいた。
空き時間には友達のダンスやチア、ライブなどのステージを見て回った。
こういうのは、ステージに知り合いがいると面白さが倍増する。
屋台の売り上げは好調のようで、サークル仲間も大盛り上がりだった。
そのようにして、俺は学祭一日目を終えた。
そして迎えた学祭二日目。
白星は午後からこちらにやって来るとのことである。
そのため午前中は、午後いっぱい任せっきりになる売店でしっかりと働かせてもらった。
どうやら、スイーツ系を販売する他のサークルが価格の引き下げを行ったらしい。
先輩方はその事実に焦りを見せていた。
昨日までのような大盛況は難しいだろうとのことだ。
となると、本日の俺達は呼び込みを積極的に行わねばならない状況にあるのだろう。
しかし、それはそれ、これはこれである。
その為に午後の予定をすっぽかす気はない。
惜しまれながらも屋台から抜け出した俺と駿介は本館の方へと足を向けた。
到着から五分ほど経過すると、白星を連れた彩名がこちらに姿を現す。
黒スキニーに黒パーカー、いつも通りのまっくろくろすけな白星だ。
「ごめん、待った?」と彩名は俺達に訊ね掛ける。
白星は言葉を発する代わりに、ぺこりと軽く頭を下げた。
「大丈夫、いま来たとこだから」と駿介が返すと「黒奈ちゃん、午前でバイト切り上げて来てくれたんだって。感謝しないとね」と彩名が白星の方を見ながら微笑んだ。
「そうなのか、白星。わざわざありがとな」
あの白星がバイトよりも俺達との約束を優先したのだと思うと、俺はなんだか嬉しかった。
「いえ、そういう約束でしたから」彼女はいつも通り、さも事も無げに答えた。
四人共まだお昼を食べていないと言うことで、俺達は人混みの合間を縫って屋台の並び立つ通りに向かった。
売店エリア付近に足を踏み入れた途端、俺や駿介の顔見知りが、こっちの店はどうか、うちの店に来ないか、と両手両足を四方八方に引っ張ってくる。
知らぬ間に感圧センサーを踏んだみたいに、気が付くと、俺たちの周辺は人の輪に囲まれていた。
客引きに奔走する彼ら彼女らを上手く躱し、或いはその店に寄ったりしながら、俺達は簡易的な昼食を済ませていく。
その途中、駿介はふと思い出したように白星に笑い掛けた。
「そうだ白星さん。あっちに美味しいベビーカステラが売ってるんだ。みんなで買いに行かないか?」
「そうなんですか」と彼女は素直に駿介の話に応じる。
「こっちこっち」と駿介は白星が何も知らない良い事に、そちらへ誘導しようとした。
しかし、白星が駿介の魔の手に引っ掛かるその直前、「駿くん、それは自分の売り上げの為の口実でしょ?そんなことの為に黒奈ちゃん使わないの」と彩名がじっとりとした視線で彼を見やった。
マッチポンプ的な行為を咎められた駿介は、しかし懲りずに「いやまぁそうだけど、味は保障するぜ?」と白星を引き込もうとする。
「美味しいのでしたら買いに行きましょう」とやはり二人の前では猫を被っている彼女は、大人しく我らが屋台へ向かっていった。
「俺が言っても絶対行かないんだろうな…」と、俺は誰にも聞こえないぐらいの声量で唇を尖らせる。
がしかし、声高に屋台を盛り上げる叫声が飛び交うこの場でも、白星は俺の声を拾ったらしかった。
「何か言いましたか?」と彼女はすぐにこちらへ振り向く。
俺は右上に視線をやりながら「いや、何も」と素っ気なく答えた。他意はない。
模擬店が展開されている通りをざっと練り歩いた俺達は、それから目的もなく訪れたステージに茶々を入れ、一通り気が済むと、校舎内の空き教室で下らない話に興じた。
現在時刻を確認し「そろそろ行ってくるね」と彩名は何処かへ向かっていく。
聞くところによると、軽音サークルに所属する彼女はこの後のライブに出演するらしい。
当然、俺達は彩名のステージを見物するべくプログラム表を手に取った。
それに従い移動すると、少々早めに到着してしまったようだ。
目の前のステージ上では、お笑いサークルによるコントが繰り広げられていた。
それを眺める俺や駿人を含む観客の多くは、笑うべきところで弾んだ声を洩らした。
けれども灰色の目でステージを眺める白星は、その眉を一つとして動かすことはなかった。
彼女が相好を崩すことのないままお笑いライブは終局を迎え、続く軽音サークルの準備が始まる。
白星は生まれてこの方笑みを零したことがあるのだろうか。
などと馬鹿みたいなことを思いつつも、俺は観客と化していた知人たちと軽い雑談を交わした。
そのうちに準備が完了したようで、まずは先発のグループが演奏を開始した。
口笛や歓声が飛び交い、野外ライブに似た一体感のある高揚が、ステージ周辺を波のように呑み込んでいく。
まぁ、そんな熱い空間においても、常に平常運転を貫く白星は無表情にステージを眺めているのだが。
「そうだ白星、俺達ミスコン出てるんだけどさ、良かったら投票してくれよ」
グループが交代する間隔で、俺はふと、白星に明日のミスコンの話題を振りかけた。
隣でライブに熱中していた駿介も「俺に清き一票を頼む!」と、どこぞの政治家のような言い草で彼女に懇願している。
俺の話を聞いた白星は、顎に手を当てて視線を下向けると、
「あなたには投票しませんよ。是非負けて欲しいので」
と俺に毛ほども思いやりのないことを言った。
仮に彼女が表情を動かしたのならば、それは冷笑を湛えていそうな様子であった。
「負けたらそれなりに自尊心が傷付くんだけどなぁ」俺はぼやくように言う。
「いいじゃないですか、偶には顔に泥が塗られることがあっても」
どうにも彼女は俺に負けて欲しいようだ。
少し愉快そうに俺を眺めながら「泥が付いたら拭ってあげますから」とまで言ってくれた。
あの白星がわざわざ顔を拭いてくれるのならば、それはそれで悪くないのかもしれない。
「偶にでも顔に泥が付くのは嫌だろ。まぁ泥パックならいいけどさ」と、俺が少し頭を捻らせて言い返せば、「少しも上手くないですよ。さっきのお笑いの方が面白かったです」と、白星は呆れたように答えた。
どうやら表情には出ずとも、彼女はそれなりにお笑いを楽しんでいたらしい。
白星が高度な自立型ロボットという可能性は失われたようだ。
そのようなやり取りを交わしているうちに、次のグループが演奏を開始した。
似たようなことを何度か繰り返していると、とうとう最後のグループが姿を現した。
彩名の出番だ。
大取りを務める彼女の技量は高く、観客も一段と濃い熱狂に支配されているようだった。
アンコール曲を歌い終えると、彩名の所属する軽音サークルはライブを終了した。
ステージで一礼した途端、彼女たちは慌ただしく撤収作業を始める。
それを見届ける白星は、呟くようにこう言った。
「奥平さんは、歌が上手なんですね」
「そうそう、彩名は昔からずっと歌うのが好きだったから」
ずいとこちらに首を突っ込んだ駿介は、彼女の何気ない一言に深く共感するよう強く頷いた。
軽音サークルはある程度荷物を纏めると、舞台裏の方から音楽器機を何処かに運び去ろうと動き出す。
その中に彩名を見かけた駿介は、嬉々と男手として彼女を手伝いに向かった。
俺も同じようにそちらへ向かおうと一歩繰り出したところで、「待ってください」と彼女は物理的に俺を引き止めた。
その言葉を境に、俺の身体はそれ以上前に進まなかった。
普段は感じない違和感を覚え、俺は自らの手元を見やる。
白星の右手が、俺の手首を掴んでいた。
細く、冷たく、でも柔らかい右手だった。
「……どうしたんだ?」
「少し、何処かに行きましょうか」
俺が唖然と白星を見やると、彼女はいつも通りの仏頂面で向こうの方を眺めていた。
「早く行きますよ」と白星は俺の腕を掴んだまま、俺からの承諾を得ることもなく、自分勝手に駿介達とは真反対の人混みへ進んでいく。
今この瞬間、白星が絶対に取らないであろう行動が、次から次へとドミノ倒しのように起こり続けている。
俺は思わず言葉を失い、彼女に引き摺られるままに二歩、三歩と足を進めた。
何が何だか分からない、という風な俺を見た白星は、あからさまに呆れたようなため息をついた。
ある程度ステージから離れた場所に辿り着くと、彼女は俺の手首を解放し、駄目な人間を眺める目つきで言った。
「なんで分からないんですか。金沢さんと奥平さんを二人にしてあげた方が良いに決まってるじゃないですか」
「……あぁ、そう言うことか。でも、駿介は白星が思ってる以上に臆病だからな。たぶんなんにも変わらないと思うぞ」
そんな気遣いが出来る人間だったのか、白星は。
俺は心の内でそのようなことを思いながら、彼女の一連の行動の意図を理解した。
突拍子のない出来事であったとしても、彼女の行動に動揺してしまったのは不覚だった。
「折角だし、ここの展示でも見て行こうぜ」
平静を取り戻した俺は、すぐそこにある二号館を指差す。
「仕方ないですね」と白星は無愛想に応えた。
「もう暫くは二人にしてあげましょうか」俺と白星の思惑は見事に一致していた。
自動ドアを潜り、館内に立ち入る。
こういう場所は人気がないと思っていたのだが、それなりに見物客はいるようだ。
展示会である為か、館内は屋外からの遠い喧騒が聞こえるのみで、そこには充分に落ち着いた雰囲気が醸し出されていた。
「魚の展示ですね」
彼女は前方の水槽に近づいていく。たぶん、農学部の展示だろう。
「この青いやつ、綺麗だな。白星もそう思わないか?」
俺も水槽の一つを眺め、白星にそのように同意を求めた。
彼女は水槽に泳ぐ青い魚に目を凝らし、「そうなんでしょうね」と味気のない相槌を打った。
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それからの俺と白星は、二階の展示、子供にさぞ人気であろう鉄道模型を眺めてから駿介達と合流した。
思った通り、何の進展もなさそうだった。
他人に無関心な白星が気を利かせてくれたというのに、まったく、情けない話である。
そうして俺達は、何事もなく二日目を終えた。
三日目は昨日の分を取り戻すべく、俺は終日模擬店の集客に力を入れた。
その甲斐虚しく模擬店の売り上げは一日目が天井となり、例年通りの純利益に落ち着くことになった。
ミスコンは当然の如く敗退した。
駿介は準グランプリを勝ち取った。
俺は皆に慰められた。
週明けは白星に馬鹿にされそうだ。
日が暮れる頃には、俺達も模擬店に利用したテントや調理器具の片付けを終えていた。
そのままサークルのメンバーで事前に予約しておいたスポーツバーに向かい、今はそこで怒声に似た狂騒の入り乱れる猥雑な宴が開かれていた。
「準グランプリおめでとさん、駿介」
「あぁ、陽太も悪くない票数だったな」
「強者の余裕ってやつか」
「ちげーよ」
そんな中身のないやり取りを交わした後で「んで、駿介はなんでここに居るんだ?」と俺は本題を切り出した。
駿介は首を傾げて俺を見やる。
俺は昨日の誰かのように深く吐き出しそうになったため息を抑え込んで、「彩名と二人で打ち上げ行けば良かっただろ?」と直接的な言葉に言い換えてやった。
途端、彼は弱ったように頬を掻きながら「彩名もサークルの打ち上げあるだろうし、今日はそういう日だし…」とそれらしい理由を付けて逃げ腰を見せてくれる。
こんなにも草食な男が準グランプリなど、もはや世も末といったところだろう。
ならば賞さえ取れなかった俺はもっと酷いのかもしれない。
いや、今は自分のことは棚に上げておこうか。
「行く人は行ってるぞ。ほら、今日は会長いないし」
プロジェクターに映るプロ野球を見て盛り上がる仲間を指しながら俺は言う。
返す言葉に迷ったらしい駿介は、苦しみ紛れに話のタネを取り換えた。
「そういう陽太はどうなんだよ、白星と」
「白星?」俺は語尾を上げて彼女の名前を繰り返す。
「上手くやるつもりだ、とか言ってただろ?実際どうなんだ?」
彼は俺を問い詰めるように訊ねた。
不意に、一カ月ほど前の記憶が蘇る。
駿介に向けて大口叩いたことを思い出した俺は、思わず苦笑を入り交えつつ、ハイボールを呷った。
その様子を見た駿介は「やっぱりな」とニヤリと形の良い笑顔を作る。
俺が目を逸らしたのを、苦渋の肯定と捉えたのかもしれない。
「あの子は遊び人を装うお前には靡かないだろ?陽太も誠実さっていうものを知る時が来たんだよ」
もう酔っているのだろうか。
駿介はそれからも、ぺらぺらと饒舌に口を動かし続けた。
恋愛経験の薄い人間の助言ほど信用ならないものはない、と俺は思っている。
故に、彼の講釈は聞くに堪えないものだったが、お陰でふと、すっかり忘れていたことを思い出せた。
俺は元より、そういうつもりで彼女に近づいたのだということを。
しかし今はどうだろうか。
俺は近頃の自身を客観的に振り返る。
ここ一カ月ほどを見るに、少なくとも今の俺は、白星と肉体的な関係を築きたいとは考えていないように思えた。
寧ろ、俺が道化を演じ、彼女がそれを軽く受け流す。
今あるそんな距離感を保ちたいとさえ思っているのかもしれない。
率直に言って、それは不思議な気分だった。
異性を前にして、このような健全な感情を抱いたのは随分と久しいことだった。
それが一過性のものであったかのように、夏までは山のようにあった異性交遊が影も形もなく、今や誰かと連絡を取り合うことさえしていない。
以前の俺と比べれば、それは情欲という感情を何処かに忘れて来たようでさえあった。
この奇妙な感覚を、俺はあえて手持ちの言葉で表現しようと思う。
たぶん、俺はこの日常が気に入っているのだ。
無意識に吊り上がる口角を覆い隠すよう、俺はもう一度グラスを口に付けた。
ここでようやく、俺の心の片隅は自身の変化に気が付き始める。
そして、その変化が誰によってもたらされたものなのかについても。
次回の投稿日は、6月11日の火曜日となります。
それでは、また次話でお会いしましょう!