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⑤/⑮

 ♦♦♦



 ──連絡先を交換してしまったのは、失敗だったかもしれない。

 

 

 あれからの日々を過ごす中で、私は度々、そのような後悔に付き纏われるようになった。

 


 というもの、火曜日と金曜日の授業の際に、そしてときどき水曜日に食堂にて、私はあの男と顔を合わせなくてはならなくなったのだ。

 それをより具体的に言えば、友人を紹介されたり、授業がない日にも昼食を共にするようになったりと、あの男は図々しくも私の穏やかな生活を蹂躙するようになった。

 

 

 鬱陶しくて仕方がない。

 あの男は夏場に大量発生する藪蚊であるかのように、週に三日も私の鼓膜にブンブンと煩わしい声を響かせてくるのだ。

 近頃はイヤーワームを発症したみたいに、小風に乗せられてあの男の幻聴が聞こえてくる時があるぐらいには、私はこの生活に辟易としていた。



 と言っても、あの男がそれほどに私に構ってくる目的は、未だにはっきりとしないところであった。

 


 共に過ごせば、いつか私が身体を許すとでも思っているのだろうか。

 きっと、こういうタイプの人間は煩悩にばかり頭を働かせているだろう。

 


 私はそのように考え、男には極めて冷淡に対応することにした。

 内心疎ましいと思っている心の一部を言葉に出来るのは中々に爽快だった。

 


 それでも、私が極端にあの男を避けようと思わなかったのは、ひとえにあの男の持つ人望の強さにあった。

 


 あの男はそれなりに顔が整っていて、なお且つ明るい性格の為に、学内ではちょっとした有名人となっていた。

 食堂や講義室に向かうまでの道のりで、あの男は事ある毎に男女の隔たりなく声を掛けられていた。

 そんな爽やかな男を敵に回せばどうなるのか、それは目に浮かぶように理解出来ることであった。

 


 私からすれば、その周囲の人々があの男に吸い寄せられている様子は、まるであの男が世界の中心を握り、思うがままに歯車を回しているように見えた。

 まぁ、あの男が中心に動く世界なんて、どうせろくでもない世界なのだろうけれど。

 


 だから私は仕方なく、あの男に振り回されてやることにしたのだ。

 昼食に誘われたらそれに応じることもそうだし、週に何度かは顔を合わせてやっていることもそうだ。

 


 たぶん、あの男の中では、私に接することは異文化交流に近しいものなのだと思う。

 普段は交わることのない対極にいる人間と偶々接する機会があったので、少しお話してみたとか、そういう感じだ。

 そういうわけで、私はこの男がそれに飽きるまで、ひたすら耐え忍ぶという選択肢を選んだ。

 

 

 そしてその日も、あの男に呼び出されてしまったが為に、私は渋々食堂前へと向かっていた。

 今日はカーディガンを身に着けているあの男は、私の姿に気が付くと、いつもの端正な笑顔でこちらに手を振ってきた。

 


 別に、わざわざ手を振ってくれなくても見つけられるから、ああいうのはやめて欲しい。

 普段は向けられない衆人の視線が一挙に私の身体中に突き刺さり、彼らの意識が別の方へと向けられるまでの間、全身がもどかしい気恥ずかしさに撫で回され続けるのだから。

 


「お疲れさん。今日は目ぼしいメニューは無さそうだった」



「そうですか」

 


 だがそれを言葉にすることはなく、私達はいつも通りの掛け合いを交わしながら食堂に入っていく。

 


 お互いに定番のメニューを注文し、適当な空席に腰を下ろす。

 それからの私達は、何か会話をするでもなく黙々と食事を口に運んだ。

 私達がお喋りせずとも、周囲の雑音が二人の間に流れている。

 そこに不自然な沈黙はない。

 


「今日はお友達がいなかったんですか?」



「いや、白星とご飯が食べたいな、って思って」

 


 ふと、言語というものの存在を思い出したように私が口を開けば、男は呆気なくそう言った。

 私以外にも似たような言葉を吐いているだろうに、これまでにも散々私の冷たい視線を浴びてきただろうに、よくもまぁずけずけと、そんなことを言えたものである。

 


「なんだよその目は」



「相変わらず気持ち悪いことを言う人ですね」

 


 こちらの蔑視に気が付いた男に向けて、私は吐き捨てるように言い返しておいた。

 私の罵倒を受けてもなんだか楽しそうに笑っているところが、この男の尚も不愉快なところだ。

 


「前から思ってたけどさ、白星って俺の評価低くないか?」

 


 自分で言うのもあれだけど、結構良いやつだと思うんだけどな、と男は付け加えた。

 


「当たり前でしょう。心象は日々下がり続ける一方です」

 


 そういうところですよ、と私は浅いため息混じりに付け加える。

 


「最初の時点でどん底だろう?」



「これは底無し沼ですから」

 


 私は打てば響くようにいつもの毒舌を吐いた。

「おいおい」と男は相槌を打つより他なかったようだった。

  


 それで会話はおしまい。

 再び二人の間には周囲の喧騒が流れ、それからの私達が会話を交わすことはなかった。

 そうして何の意味があるのかも分からない男との昼食を終え、私と男は空になった食器を持って返却口へ向かった。

 


 その最中、「なぁ、白星って今日バイトあるのか?」と男は極自然な流れで訊ね掛けてくる。



「…ありませんが」



 男に向けてそのように答えた私は、しかしその言葉を繰り出す寸前、さわさわと胸が小さく騒めく音を聞いた。

 私が数拍の間を置いて言葉を返すと、男は柔らかな笑顔でこう言った。

 


「じゃあさ、今日ここのご飯屋さん一緒に行かないか?」

 


 ほら、やっぱりこういうことになる。

 私は半ば諦めつつも、何の狙いがあって、という視線を含ませながら男を眺めた。

 


「いや、ここ結構良い感じの雰囲気してるだろ?だから一人で行くのもアレだなーって」

 


 男はポケットから携帯電話を取り出し、ずいとこちらに寄って件の店の小洒落た写真を見せつけてくる。

 


「…私の他にもたくさん友人がいるじゃないですか。その人たちを誘ったらどうですか?」



「今日暇そうなのは白星しかいないんだよ」

 


 男は間を置くこともなく言い返してきた。

 私だって、そんな程度のことの為に割く時間はないのだ。

 言えば何でも従うと思ったら大間違いだということを、ここらで知らしめておこう。

 


 そんな決意を固めた私が「なら別日にすればいいじゃないですか」と言い出しそうとした瞬間、男は牽制するように「心が今日だって言って聞かないんだ。頼むからさ~」と馴れ馴れしく言い添えた。

 


 やはり、頼み込めば何でも要望が通るとでも思っているのだろう。

 私は無表情のままにぎゅっと眉に力を込めた。

 けれども男はそれを手で簡単に払い除けたみたいに、私の圧力に臆することなくすました顔でこちらを見つめた。

 


 視線が交錯し合い、暫しの静寂が訪れる。

 やがて私はいつものため息をつくと「…仕方ないですね」と毎度の如く呆れたように言ってしまった。

 


 その呆れは果たして男に向けられたものなのか、或いは私自身へと向けられたものなのか。

 多分、どちらにも向けられたものなのだろう。

 


「やった!」と男はいつも通りにその表情をわざとらしく輝かせ、私に向けて無邪気を演じた喜びを示してくる。

 私はその様子に何かしらを思いながら、けれども普段通りに未確認生物でも見るような目を向けておいた。

 


 結局、この男に流されてしまった。

 本当に、この男に時間を割くぐらいなら暇を持て余していたいと思っているのに。

 このまま流されるだけというのはどうにも不愉快で、私はこのように切り返す。

 


「まぁ、無理やりにでも誘うぐらいですから、きっと奢ってくれるでしょうし」

 


 すると一瞬、男はつい手元から零れ落したように間抜けな表情を浮かべ、次いで頬を引き攣らせた笑みで私に応じた。

 


「え。ここちょっと高めなんだけど」

 


「冗談ですよ」



 私は淡白な表情のまま、さらりとそう言ってやる。

 男は未だ、呆けた表情で私を眺めていた。



 どうやら、まんまと一杯食わすことに成功したらしい。

 その事実を前に、私の心はふわりと軽く上昇するような、ちょっとした爽快感に満たされていった気がした。

 私はほんの少しだけ上機嫌になりながら、別れの言葉もなしに、男を放って別の授業教室に足を運んでいった。

 


 ──あぁ、一刻も早く、独りの生活に戻りたい。

 


 今も私は心の底から、そのような望みの薄い願いを祈り続けている。

 けれど、まぁ、こういう日々も案外悪くはないのかもしれない。

 なんて思ってしまっている私が心の何処かに居ることは、もはや否定出来ないことだった。

 

 

 ♦♦♦

 

 

 昼食を終えた俺達はその場で別れ、それぞれの講義に臨んだ。

 四限目が終了すると、待ち合わせ場所にしていた本館入り口前にて、約束通り俺達は落ち合った。

 


「ここからニ十分ぐらい歩くんだけど、バスとか使うか?」



「いえ、歩きましょう。節約は大切ですから」



「御尤もだ」

 


 そうして俺達はキャンパスを後にし、行き交う通行人に紛れて街中を歩き始めた。

 


「折角久々に白星とデート出来るのにさ、今日はあいにくの曇りだな」

 


 俺はふと頭上を見上げる。

 一度目のデートの時とは違っていて、今日は空の青みは微塵も伺えず、辺り一面には薄い雲が立ち込めていた。

 


 日暮れ時であるせいか、その薄雲はほんのりと朱色を帯びている。

 赤い斜陽は雲の奥に隠れて良く見えなかった。


 

 俺がぼんやりと空の様子を眺めながら歩みを進めていると「デートのつもりはありませんが」と白星は抜け目なく鋭い言葉を返してくれる。

 それから、彼女は俺と同じように視線を上向けた。

 


「曇りは嫌いですか?」と白星は無関心そうに空を眺めながら言う。

 


「うん、かなり嫌いだ。気分が下がるから」



「そうですか。良かったです」


 

 俺がそのように答えると、白星は安堵したように小さく頷いた。

 俺は曇り空から視線を外し、隣に歩く白星へ顔を向けた。

 


「何が良かったんだ?」

 


「あなたと天気の好みが同じじゃなくて、という意味ですよ」彼女は涼しい顔で言った。

 


「白星は曇りが好きなのか?」



「ええ、曇り空は、誰が見ても灰色をしていますからね。みんなが同じように気分が下がって、そういうところが好きなんです」

 


 俺が質問返しすると、白星はつらつらと曇り模様の重苦しい魅力を述べてくれる。

 どうやら思っていた以上に、彼女の性格は捻じ曲がっているようだ。

「酷い趣味だ」と、俺はぼかすことなく率直な感想を述べた。

 


「でしょうね」と白星は抑揚のない声で応じる。



「あなたはどうせ、晴れの日が好きなんでしょう?」



 彼女は雲の隙間から微かに覗く太陽を恨めしそうに見やった。

 


「どうしてそう思うんだ?」



「太陽みたいに自己主張が激しいですし、きらきら輝いて五月蠅いからですね」

 


 彼女も俺に負けじと、歯に衣着せぬ物言いで理由付けしてくる。

 曇り空が好きな人にとって、太陽とは邪魔者扱いされる存在なのだろう。

 どうにも彼女の中での俺はそんなイメージらしい。

 いやもちろん、大学生となった俺は誰から見てもそのようなイメージを抱かれていると思うが。

 


「酷い言われようだけど、残念ながらそれは不正解だな」「俺が好きなのは、雨の日だから」



 そう言って俺が彼女にニヤリと笑い掛けると、白星は驚いたように数度瞬きを繰り返した。

 


「と言っても、休日の雨の日に限定されるけど」

 


 仏頂面の中でほんの少し目を丸めている彼女に向けて、俺はそのように条件を付しておく。

 


「家から一歩も出なくていい状況ならさ、雨粒の滴る音が心地良いんだ」



「…悔しいですが、その気持ちは少し分かる気がします」



 一言多い気がするが、白星は俺の意見に同意を示した。

 


「印象にそぐわないですね」と彼女は小さく言葉を零す。

 


「人間そんなもんさ」俺は彼女の言葉を笑い飛ばした。

 


 そのような意味のない会話を二、三回と繰り返しているうちに、俺達は大通りを外れた横丁に入っていった。

 


 温色に満ちた横丁では、色艶やかな看板たちが通行人の耳元で甘く囁いている。

 道行く最中、「やきとり」と書かれた橙に輝く提灯がふと目に入った。

 隘路の両脇に立ち並ぶ飲食店の周囲には、空腹を刺激する香りと愉快そうな声が漂っていた。

 


 そういう朗らかな雰囲気を前にすると、つい居酒屋の暖簾をくぐりたくなるのが人の性というものだ。

 がしかし、今日の目的地はまた別である。

 


 俺はなんとか自分を律しながら、固い意志で細道を通り過ぎていった。

 衝動に揺れる俺を、隣を歩く白星は不審そうに眺めていた。

 


 横丁から更に道を逸れた狭い小路の奥に、お目当てのお店はあった。

 炭で汚れたように真っ黒な店舗からは、白い煙に混じって香ばしい匂いが溢れ出ていた。

 


「ご飯って…ここですか?」店前で立ち止まった俺に、彼女は遠慮がちに訊ねる。

 


「あぁ、ここの焼肉、美味しいらしいんだ」「ほら、行こうぜ」と俺は一歩前に出て、木目のあるダークオークな扉を開こうとした。


 

 しかし、白星はその場から動く気配がなかった。

 不思議に思った俺は後ろを振り返る。

 立ち尽くす彼女は、その殺風景な顔の中に珍しく困惑のような色を滲ませていた。

 


「…もしかして、白星は焼肉苦手?」



「…いえ、ただ、焼肉を食べるのは、久しぶりでしたから」



 俺がそのように彼女を心配すると、硬直から解かれた白星はそっとこちらに寄った。

 


「へぇ、いつ以来なんだ?」



 焼肉店の引き戸を開ける。

 暖色系の間接照明が、落ち着いた色合いの店内をほんのりと照らしていた。

「いらっしゃいませ、ご予約していらっしゃいますか」と上品な物腰でエントランス対応の男性は言う。


 

「高校生…いえ、中学生…それぐらい振りですね」



 白星は記憶を振り返るようにポツポツと答えた。

 


「はい、五時半から予約の雨夜陽太です」と店員の男性に伝えつつ「じゃあ美味し過ぎて感動の涙を流すかもな」と俺は冗談交じりの言葉を返した。

  


「予約してたんですか?」白星は唖然とした様子で俺を眺める。

 


「まぁな。白星なら一緒に来てくれるって思ってたから」俺はキザを装ってそう言ってみた。

 


「都合の良い言葉ですね。私が駄目なら駄目で、適当に他の誰か引っ張っていったでしょうに」


 

 しかしそこは白星だ。

 彼女はまさしく阿吽の呼吸で、皮肉たっぷりの言葉を俺に贈ってくれる。

 彼女の殺伐とした言葉に、席の案内をしてくれている店員さんは目をギョッとさせていた。

 


 けれども俺は彼女の発言を否定はしない。

 だって、俺は元よりそういう人間だから。

 


 しかし、否定はしなかったが、不意に思う。

 そう言えば、最近女の子と連絡とってないな、と。

 


 ……白星?

 彼女は女性と呼ぶには些か棘の多過ぎるバラだろう。

 近頃は、その棘を掻い潜ったところでバラかどうかも怪しいものだとも思い始めている。

 おっと、失礼な発言だったか。

 まぁ心の中に留めているので良しとしよう。

 


 俺達は小さな個室に案内された。

 一応並んで座れるほどの余裕はあるようだが、当然、白星が隣に来るわけがない。

 俺は手前、彼女は奥に座り、店員さんから簡単な説明を聞かされた。

 


「先にお飲み物をお伺いします」と恒例の言葉が飛んでくる。

 白星が頼みそうな様子はなかったので「後から頼みます」と答えておいた。

 


「前評判通り、良い雰囲気だな」俺の言葉に彼女は軽く頷く。

 


「何か食べたいものでもあったか?」



「いえ。正直に言うと、私はこういうお店に来たことがないので」



 お品書きに目を通す白星に訊ねると、彼女はそれをこちらに差し出しながら、あっさりとそう言った。

 


 少々意外なことかもしれないが、白星はこう見えて、自尊心が高過ぎたりはしない。

 分からないことや理解出来ないことがあれば、人に訊ねられるほどの度量が彼女にはある。

 はぐれ者にありがちな異常な形で磨き上げられたプライドの塊というものが、彼女には全く見られないのだ。

  


「分かった。じゃあ任せてくれ」

 


 俺は彼女の代わりに軽くメニューを眺め、店員さんを呼ぶと、適当に注文を済ませた。

 白星が烏龍茶を頼んだので、俺もそれに合わせておく。

 酒は一人で飲んでも楽しくないからな。

 


 思えば、ここ最近は家で酒を飲むこともめっきりなくなった。

 それに、そう言えば嫌なことを思い出す頻度も下がってる。

 過去に囚われないということは、それほど現在の日々が充実しているということなのだろうか。

 


「哲学論の期末考査って、今期はレポート課題なんだっけ?」



「そうですね。来月頃には論題を発表するらしいですよ。というか、聞いてなかったんですか?」



「聞いたけど忘れたんだ」



「私に聞くくらいならメモしてください」



「白星が教えてくれるから大丈夫だ」


 

 なんて他愛もない会話を楽しんでいると、先に飲み物が到着し、次いでタン、ハラミ、白米といった具合で続々と注文が届けられる。

 


 特に乾杯することもないので唱和は割愛。

 白星にもトングを渡し、俺は金網に肉を置いていく。

 その度に肉の焼ける音が耳に響き、旨味の閉じ籠った香りが鼻孔を突き抜けていった。

 胃袋は五感によって万遍なく刺激されていた。

 


 金網の半分ほどに肉を並べたところで、ふと気が付く。

 まだ、白星が金網に一枚も肉を乗せていないことに。

 


 何気なく正面に視線を移すと、彼女は何かを考え込むように、銀色の金網をぼうっと眺めていた。

 


「白星?自分の好きな肉焼いてくれていいぞ?」



「…そう、ですね」


 

 白星は遅れて俺の声に反応した。

 そして何かしらの思案を終えたのか、彼女はトングでカルビを掴み、金網の上に丁寧に置いていった。

 


 肉が焼けるまでの数分間、俺はいつもの如く彼女にあれやこれやと話し掛けていたのだが、いつもと比べても白星の反応はどれも薄いものだった。

 


 だがそれは白星の無関心さ故というよりは、彼女の関心が金網の上の肉に向いているからなのだと思う。

 白星は万全の準備を整えた定期テストに臨むかのように、肉が焼ける様子を真剣に見届けていた。

 まぁ、彼女の錫色の目を考慮すると、肉をぼんやりと眺めているようにも見えるのだが。

 


 実際、白星の状態は後者にあったらしい。

 焼けた肉を順番に取り皿へ移し、俺がお先に肉の旨味を堪能している間も、彼女は金網に、というよりは金網の奥にある何かを見るみたいに視線を固定させていた。

 


 白星は何をそんなに思い耽っているのだろう。

 


 他人事のように思っていた俺だが、彼女の置いた肉が焦げ始めてきたところで「白星、肉焦げてきてるぞ」と流石に声を掛けた。

 その言葉で我に返ったのか、彼女は慌てて右手を動かし、少し焦げてしまった肉をお皿に移していった。

 


「何か、考え事でもあるのか?」俺は深い意味があるでもなく、そう訊ねる。



「いえ…」と白星は視線を逸らして相槌を打った。

 


 そんな彼女は相変わらず無愛想であったが、だからこそ、その無表情の中に動揺の色が滲み出ていることは手に取るように分かった。

 


 いつもは素知らぬ顔で辛辣な物言いをする白星が、今は何ゆえか、その気持ちを掻き乱されている。

 彼女がこのようにしおらしい態度を見せるのは、これが初めてのことだった。

 


 突っ込むか、突っ込まないか。

 僅かな逡巡の末に、俺はこう言った。

 


「まぁ、話してみたら?とは言わないな、俺は。どうせ俺には話してくれないだろ?だからさ、好きなだけ考え込んでくれ。俺が代わりに焼いとくから」

 


 今のは紛れもない本音だ。

 例え悩み事があったとしても、彼女が俺に相談することは決してないだろう。

 彼女にとって俺はそのような間柄ではないだろうし、俺は良くても、何より白星自身がそれを嫌がるだろうから。

 今の出来事を軽く流すように、俺は空いた金網にまた肉を乗せていった。

 


 妙にしんみりとした雰囲気の中で、肉がじゅうと焼ける音だけが奏でられる。

 暫く黙り込んでいた白星は「…ありがとう、ございます」と不意に呟いた。

 チラリと垣間見た彼女は、何かを身体の内側に隠したように、やけに後ろめたそうな顔で視線を落としていた。

 


 そう言えば、白星から真正面から感謝を述べられるのは何気にこれが初めて気がする。

 そう思うと、この選択も悪くなかったかもしれない。

 


「最近、学内が騒がしいと思いませんか?」

 


 黙々と俺の焼いた肉を食べ進めていた白星は、突如、そのようなことを言い出した。

 


「騒がしい?いつものことじゃないか?」



 考え事の正体はそのことだったのだろうか、と頭の片隅で俺は思う。

 


「そういう意味ではなくてですね、例えば、あれは美術部でしょうか。大きな絵が運ばれてたりするじゃないですか」

 


 俺は白星の言っていることがいまいち腑が落ちなかった。


「今日もキャンパスを出る前に、運ばれていたでしょう?」と彼女は言葉を付け足す。

 

 具体的な場面を思い起こした途端、俺は白星の言い分に得心した。


 

「あぁ、そう言うことか」と一人勝手に納得した俺は笑みを零す。

 


「何がおかしいんですか」白星は不服そうにこちらを見やった。

 


「いや、ごめんごめん。そっか、白星は初めてだもんな」

 


 彼女が不満そうに俺を眺めることを気にせず、俺は一頻り笑った後に答えた。

 


「学祭だよ」

 


 今度は白星の方がピンとこないみたいだった。


「もうすぐ学祭があるから、多分それはその準備だ」と先程の彼女と同じように付け足すと、白星は得心したように「あぁ、学祭ですか」と頷いた。

 


「サークルとかに参加してないと、あんまり関係ないもんな。高校の文化祭とかと違って、全員強制参加ってわけでもないし」


 

「と言うことは、サークルで何かするんですか?」彼女はありきたりなことを機械的に訊ねた。

 


「そうだな。俺はサークルで売店をやることになってる」俺はよくある質問に義務的に答えた。


 

「そうだ、白星も学祭来ないか?みんなで色々回ったりしてさ」



 俺は然もいま思い付いたかのように、前々から駿介と彩名の三人で考えていたことを提案する。

 


「…そうですね。みんなで、ということであれば」



 白星は一応悩ましそうな様子を見せてから、すんなりと俺の提案に乗った。

 


 まぁ、今日は俺と二人で飯食いに来たぐらいだしな。断る理由はないか。

 と思った所でふと脳裏に過る。



「みんなで」という言葉を強調した辺り、もしや俺と二人で行こうと誘ったのならば、白星はその提案を一刀両断していたと言うことなのだろうか。


 

 仮にそうだとすると、今日、白星が俺に付いてきた理由はなんなのだろう。

 彼女の線引きは良く分からない。

 


「幾ら掛かりましたか?」

 


 焼肉を一通り楽しみ終え「そろそろお会計をしようか」という時になって、白星は財布を取り出しながら俺に聞いた。

 


「ん?奢られに来たんじゃないのか?」伝票を手に取った俺は軽く首を傾げる。

 


「そのつもりでしたが、流石に可哀想だと思いましたので」



 俺に向けてそう言った白星は、年下のくせに少し上から目線だった。

 


「そっか。じゃあ食べた分払ってくれると助かる」

 


 でもここは素直に、俺は彼女の出してくれた助け舟に乗り込ませてもらった。

 奢りとなると、明らかに懐の温度が下がる予感があったから。

 


 意外と彼女は良心的だ。

 そんなことを思いながら、俺は白星との二度目のデートを終えた。

 


 

 目的が形骸化しつつあり、手段だけが宙に浮き始めたことに、俺はまだ気が付かない。







次回の投稿日は、6月11日の日曜日となります。


それでは、また次話でお会いしましょう!

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