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④/⑮

すみません、投稿したつもりが投稿出来てませんでした。


(。>ㅅ<。)ゴメン

 ♦♦♦


 

「大変お待たせ致しました。お預かり致します」

 


 レジが混雑しているからに違いない。

 お客様は少々乱暴にカゴを置かれた。

 チッ、とその口の端から小さな舌打ちが聞こえてくる。

 


「イライラするならポイント五倍デーに来るなよ」

 


 そう言ってやりたいところは山々だが、この仕事において我慢や忍耐といったものは肝要だ。

 俺は精一杯の薄っぺらい笑顔を貼り付けつつ、数々の商品のバーコードをスキャナーに通していく。

 


 商品がスキャナーを介する度に、バーコードリーダーから「ピッ」と甲高い高音が生じる。

 その機械音が前後のレジからも断続的に発生するせいで、それは鼓膜に残る不協和音としてそこら中に響き渡っていた。

 


 このままレジに立ち続けていれば、俺はそのうちノイローゼを発症してしまうだろう。

 などと思う度に、俺は心の中で何度も唱え直すのだ。

 俺は機械だ。余計なことは考えずに、作業を続ければ良いのだ、と。

 


「七点、1018円でございます」

「ちょうどお預かりします」

「ありがとうございました。またお越しくださいませ」

 


 流れるように定型的なやり取りを済ませ、俺はふうと一息もつく、暇もないほどの長蛇の列を横目に捉える。 

 途端、視界が点滅するような眩暈と共に、肩の上に漂う空気が質量を持って圧し掛かってきた気がした。

 


 だから日曜日のレジ係は嫌なんだ。

 いっそのこと、お客様に向けてスキャナーを放り投げて、制服を脱ぎ捨てながらレジから飛び出してやろうか。

 そうやって実現するつもりもない愉快な妄想を思い浮かべ、身体を覆うげんなりとした気持ちを何処かに追いやりつつ、俺は感情を殺してお客様に応対していくのだ。

 


 それでも唯一の救いは、このアルバイトは今日で最後だと言うことだろう。

 


 断じてクビになったわけではない。

 単なる自主退職だ。

 俺はここのレジ打ちの他にも、もう一つアルバイトをしている。

 だから稼ぎが途絶える心配もない。

 


 そもそもこちらのバイトは、夏休みという莫大な余暇を活用する為に始めたものだった。

 秋学期が始まって以来、もうすぐ一カ月が経過する。

 その日々の中で、ダブルワークが体力的にも時間的にも厳しいものであることを、俺は重々理解させられたのだ。

 


 今日を以てここでのアルバイトを終えることで、その分収入が減少することは不快だし、同僚との関係が失われることも残念ではある。

 他にも、このスーパーで社割がなくなるのは手痛いことだし、今からレジを受け付ける名物おじさんを相手取ることがなくなるのも、ほんの少し寂しいことかもしれない。

 


 しかし、それらはあくまでも許容範囲内のデメリットである。

 大学生にしかないメリットは、繰り返す毎日の圧倒的な自由度だ。

 幾らお金が手に入ると言っても、それで余暇を必要以上に擦り減らしては本末転倒であろう。

 


「合計、9822円でございます」と、カゴ二つ分のスキャンを終えた俺はお客様にそう伝える。

 


 眼鏡を掛けた理知的な相貌のお客様──レジ係の間ではいわゆる名物おじさんとされている──は丁度を現金で支払うと「ありがとうございました」と柔らかな表情で言った。

 


 こうして感謝の言葉を貰えると、こちらとしても気持ちの良いものがある。

「ありがとうございました。またお越しくださいませ」と俺は爽やかにその背中を見送った。

 


 レジに並ぶお客様をある程度捌き切ったところで、前半の休憩に入っていた主婦のおばさんが交代に来てくれた。

 持ち場を彼女に任せると、俺はすぐ休憩室に向かった。

 


 あぁ、さっきのおじさんがどうして名物扱いされているかというと、あの人は一万円相当の買い物を週に二回、つまりは一週間で二万円分もの食材を購入していくからだ。

 食費から推測するに、さぞかし大家族なのだろう。

 


 休憩室の扉を開けると、既に同僚たちは駄弁りながら昼食を摂っていた。

 俺も自然とその輪に混じり、家から持ってきたおにぎりを齧る。

 その最中、ふと携帯電話を確認すると、見慣れない初期アイコンからメッセージが一件、届いていた。

 


 俺は何気なくその内容を確認する。

 それとほぼ同時に、同僚の一人である三十路の女性はこう言った。

 


「雨夜くん、嬉しそうだね」

 


 どうやら、知らぬ間に俺の頬は緩んでいたらしい。

 指摘された俺は、思わず右手で口元を覆い隠し、だが、それも仕方のないことだろう。

 


 何せ、メッセージを返信してくれたのが、あの白星なのだから。

 

 

 ♦♦♦

 

 

「白星は他にどんな授業取ってるんだ?」

 


 これが、あの男と連絡先を交換したその日の夜に、私の携帯電話に届いたメッセージだった。

 


 気が付いたその時、私はメッセージに既読を付けることもなくそれを放置してしまった。

 別に、返事に迷ったわけではない。

 ただ、この男にわざわざ返信するという行為に労力を割きたくなかっただけだ。

 


 しかしそうは言っても、これから毎週金曜日は、不本意にもあの男と共に授業を受けるだろうことは想像に易いことであった。

 となると、やはり余計な顰蹙を買って男を敵に回すわけにはいかない。

 私は仕方なく、一週間分の時間割表を写真で送信した。

 


 私とは違ってすぐさまそのメッセージに既読を付けた男は「ありがとう」と簡潔な返事を寄越した。

 そしてそれ以上、あの男が私にメッセージを送ってくることはなかった。

 


 たったの一言で会話が途切れてしまったのは、私にとって、ほんの少し意外なことだった。

 


 あの男はもっと、こう、なんというか、

 あの手この手を使って私の関心を引こうと四苦八苦しながら会話を続けると思っていたのだが、現実には、やけにあっさりとメッセージ上のやり取りを終わらせてきた。

 


 まさか、駆け引きでもしているつもりなのだろうか。

 どちらにせよ、私にとってのあの手の人間に対する悪感情が変わることはないというのに。

 あの男の愚かさを一笑に付す思いで、私はその日も、すんなりと眠りについてしまった。

 



 

 そうして訪れた新たな一週間。

 まず最初の月曜日は言語の授業と選択必修の授業を受講し、それからアルバイトをこなして一日を終えた。

 あの男さえいなければ、やはり私は一人で、穏やかに毎日を過ごすことが出来るのだ。

 それを実感した今、あの男と再会せねばならない金曜日を思い、明日へと向かう私の足取りは一層重くなった。

 


 そしてその翌日の火曜日。

 私は二限目の哲学入門の講義が行われる建物へと、一人向かっていた。

 


 見慣れたキャンパス内を黙々と移動しながら、私は不意と、そのことを脳裏に浮かべる。

 あの男は何故、私の時間割表の詳細を知りたがったのだろうか。

 


 一応、あの男は私よりも一つ年上らしい。

 ということは、私が他に履修している授業の中に過去問を渡せる授業があるかどうか、それを探ろうとしたのかもしれない。

 


 要は、過去問を渡すことでの好感度稼ぎと言ったところだろう。

 私からしてみれば、無駄な足掻きとしか言いようがないことだが。

 


 しかし或いは、あまり想像はしたくないことだけれど、もしかすると──。

 


 四号館二階、大講義室と比べて少し手狭な中規模の教室に辿り着く。 

 学生はまだ半数ほどしか来ていないようで、私は適当な前列席に腰を下ろした。

 


 脳裏に過った不穏な想像を掻き消そうとしているうちに、ふと、教室の出入り口に見覚えのある影が立つ。

 男はこちらの姿を認めると、満面の笑みでこちらに歩み寄ってきた。最悪だ。

 


「おはよう、白星。君は黒くて分かりやすいな」

 


 どうして、ややもすると嫌な予感というものは的中しやすいのだろうか。

 男は当然のように空いている私の隣の席に腰掛ける。

 


「別に、あなたの為に黒色を選んでいるわけではありません」

 


 どうやら私の安らかな学校生活は金曜日だけでは飽き足らず、火曜日までもが侵食されることになるらしい。

 吐き出したくなるような嫌気を胸に抱えながら、私は男の挨拶に応じることはなく、心底落胆した声でそう答えた。

 


「やっぱり白星もこういう授業取ってるんだな。思った通りだ」



 男は鞄から教科書やらを取り出しつつ、何気ない会話を投げ掛けてくる。

 


「今日は授業中に話し掛けないでくださいよ」



 私は布石を打つべく、軽い睨みを利かせておいた。

 


「分かってるって。この授業は退屈しないから大丈夫だ」



「だといいのですが」

 


 男は苦笑交じりに応じたが、私はその声から憂慮を消さなかった。

  


「哲学論なんて、俺の周りだと好んで取るやつもいなくてさ、簡単に単位が取れる授業ってわけでもないし」


 

 男は腕時計で時刻を確認しながら話を続ける。

 言われてみれば、確かにそうだ。

 こういった人間は楽な授業を選んで、学業にかまけながら遊びにばかり夢中になるはずなのだが。

 


 その点、この男はそれなりに賢くて色々と知識を蓄えているようだし、わざわざこんな面倒な授業を受講しているし、けれども、髪型や大胆な言動はああいった手合いの派手そのものである。

 いまいち掴みどころのない人間だ。

 


「では、どうしてこの授業を登録したのでしょうか」 



「そりゃ、俺はこういうのが好きだからな」「白星もその口だろ?」

 


 この男の謎めいた部分がほんの僅かに胸に引っ掛かり、それを訊ねると、当然だと言うように男は言葉を返した。



「…まぁ、そうですね」

 


 私は渋々、男の言葉に同調する。

 こんな男と趣向が似ているなんて、あまり認めたくないことだった。

 


「いやぁ、見知らぬ人同士から、授業が二つも被る仲になるなんてな、こりゃ運命かも──」と、男は今日までの偶然の連続を感慨深そうに思い返しながら、おどけたように軽口を叩こうとした。

 


 だがその戯言を言い終える前に、私はあらん限りの目力で男を睨み付けた。

 こんな男と運命だなんて、そんなふざけたことはいくら何でも受け入れられなかった。

 


 私の迫力に気圧されたのか、男は呆れたように言葉の半ばでその口を閉ざす。

 呆れたいのは私の方だ。

 


 そしてその軽々しい言葉の代わりに「今日も今日とて手厳しいな、白星は。ま、これからお互いに助け合っていこうぜ」と男は私に向けて拳を突き出してくる。

 


 もちろん、私がそれに応えることはないのだけれど。



 ♦♦♦



 男が微妙な笑みを浮かべているうちに教室にやって来た教授は、授業開始のチャイムと共に講義を開始した。

 


 教室内は実に物静かであった。

 これは偏見でしかないのだろうが、わざわざ哲学論を学ぼうとする人間が授業を妨害するはずがないのだと思う。

 講義は滞りなく行われ、学生も呼応するように学業に真剣そのもので取り組み、授業時間はあっという間に過ぎ去っていった。

 


 そのお陰か、二限目が終了する五分前には本日の講義内容が終了したようだ。

「今日はここまでにします」と教授は早めに授業を切り上げ、真っ先に講義室から出ていった。

 


 私もそれに続いて荷物を纏め、教室から出て行こうとした手前、やはりと言うか、男は私を呼び止めた。

 


「白星は三限目、英語の授業だろ?」



「それがどうかしましたか?」



「じゃあ、一緒にお昼を食べに行こう」


 

 そう言って男はいつも通りに爽やかな笑顔を浮かべ、私に素敵な提案を示してくれる。

 尤も、私にとってそれは最低の提案だ。

 


 いくら授業が二つ被っていて、尚且つ共に講義を受ける嵌めになったからと言って、お昼を一緒するまでのことを許したつもりはない。

 私はその言葉を無視して講義室の出入り口へと向かおうとした、寸でのことだ。

 


「あぁ、そっか。白星は食堂で友達と落ち合う予定があるのか」



 と、男は演技っぽく手のひらを打った。

 


「嫌味な人ですね」足を止めた私は眉一つ動かさずに言う。

 


 男の言動は軽率そのものであったが、実際、その言葉の裏に隠れた意味は的を得ていた。

 男の推測通り、私には友達なんて間柄を築いている人間は一人もいない。

 まぁ、友人が欲しいだなんて思ったこともないけれど。

 


 とは言え、連日似たような皮肉の言葉を頂戴されては、当然、私の腹の中に住む虫の居所も少しずつ悪くなってくる。


「もし、今のあなたの心無い言葉に私が大きな傷を負っていたら、その場合はどうするつもりだったんですか?」と、私は冷淡な口調で男を問い詰めた。

 


 すると男は何故だか口の端をニヤリと吊り上げ、このような言葉で応じた。

 


「心の底から深くお詫びしようと思う。でもそれだけじゃ誠意が表れないと思うから、今日の昼食を一品奢るだろうな」



「…どう足掻いても、お昼は一緒に食べるつもりなんですね」



「あぁ、ご飯は一人で食べるより、誰かと食べた方が美味しいだろ?」


 

 完全に、手のひらの上で踊らされていたようだ。

 恐らくこの男は、私がこのような反応を示すと踏んだうえで、わざと昨日と似たような嫌味を言ったのだろう。

 


 手玉に取られたという事実を突き付けられ、とうとう、私の中に居る虫は奥底に漂う感情を表層にまで運んでしまった。

 


 私はつい眉を顰め、小さく息を吐き出す。

 男はその面持ちに勝利の笑みを湛えた。

 その得意げな顔は癇に障るから、是非とも止めて欲しいものだ。

 


「ほら、食堂が混み出す前に急ごうぜ」

 


 男は私の内情などいざ知らず、教室の出口に数歩近づき、私を手招きしてくる。

 強引な男に向けて鬱陶しげな視線を飛ばしてから「…仕方ないですね」と私は小声で言葉を零した。

 


「あなたの都合の良いように事が進むのは癪ですが、まぁ、お昼は混む前に済ませたいですし」


 

 そうして長ったらしい理屈付けを済ませた私は、微妙な距離を置いて、妙に浮足立った男の後ろをついていった。

 

 

 ♦♦♦

 

 

 運よく掴んだ二度目のチャンスで白星の連絡先を手に入れた今、俺の当面の目的は、彼女との距離を詰め、その親睦を深めることにあった。

 それは時間の掛かることだが、今は特に目を付けている他の女性もいない。

 花を育てるようにじっくりと、手間暇かけるのも悪くはないだろう。

 


 しかし、これまでにしてきたように、或いは友人に話し掛けるような軽い調子でメッセージを送ってみたところで、白星が返事を寄越さないであろうことは容易に推測の出来ることだった。

 


 例えば些細な日常会話を切り出してみたところで、良くて既読無視、恐らく未読無視、次会った時に「中身のないメッセージは送らないでください。迷惑です」と冷たく言い放されるのがオチだろう。

 


 であるからこそ、俺は彼女にメッセージを送信するにあたり、まるで二択を迫られた時限爆弾のコードを切り落とすかの如く神経を張り巡らせたのだ。

 まぁ、実際にはメッセージの送信までに五分も時間を掛けていないのだが。



 兎にも角にも、そうして色々と脳内で悪戦苦闘を繰り広げた結果、俺はメッセージ上でのやりとりを最低限に済ませ、白星と昼食を共にするにまで至った。

 初めはどうなることかと思ったが、現状を考慮すれば、意外と順調に事は進んでいるとも言えるだろう。

 


 そういう訳で、微妙な距離を開けてついてくる白星と共に、食堂目指してキャンパス内を歩けば、



「おつかれー。雨夜、今日サークル来るか?」



「あっ、陽太くん。今度ゼミ仲間で飲みに行くんだけど…」



「お、久々だな、陽太。どうだ?ゼミ上手く行ってるか?」



 といった具合で、サークルの先輩やゼミの友達、外国語の授業が被っている友達等々、彼らは俺のことを見かける度に、こちらに手を振って呼び止めてくれた。

 そしてその度に俺は足を止めて、彼らと軽い雑談を交わすのだ。 

 


「人気者、なんですね」



 辿り着いた食堂前の列に並ぶ際に、ようやく俺の隣にやって来た白星は、ふとそのような言葉を呟いた。

 


「そうだろ?友達っていいもんだぜ?」



「それは人それぞれですよ」

 


 俺が自慢するように語り掛けるも、彼女は素っ気なく言葉を返してくる。

 けれどまぁ、白星の言っていることも、俺には理解出来ないわけではなかった。

 


 そう、確かに俺という人間は、この大学内においては人気者、それは言い過ぎかもしれないが、少なくとも交友関係が広く、陽の当たる場所に生きている側の人間だった。

 


 俺に良くしてくれている皆は俺に好意を抱いているだろうし、対して俺も、皆に対して好意的に接していた。

 大学という空間において、俺は愛される人間であり、皆は俺を愛するのが当然であるという雰囲気が醸し出されていた。

 


 それが俺にとってどのような意味を持っていたのかは、今ここで語ることではない。

 だがとにかく、俺はそのようにして、大学生生活を順風満帆に過ごしていた。

 


「白星は何食べるんだ?俺はこれにしよっかな」

 


 やっとのことで食堂入り口に辿り着くと、俺は白星に向けて右上のメニューを指差した。

 今は絶賛ご当地フェア開催中のようで、味噌カツ丼なる名古屋名物が俺の食欲をそそった。

 


「私もそれにします」と彼女はフードトレーを掴み、先へ進んでいく。

 


「おっ、合わせてくれた?」



 俺が芝居っぽい驚き顔でそう問い掛けるも「いえ、全く関係ありませんよ」と答える白星の表情はやはり愛想の欠片もなかった。

 


 味噌カツ丼を提供しているレーンに移動し、それに加えて味噌汁も注文する。

 二人してお会計に向かおうとした直前、俺は何気ない一言を発した。

 


「お互い、緑が足りないご飯になったな」

 


「…そうですね」



 白星はほんの少しの間を置いてから、ぎこちなく首を縦に動かした。

 


 味噌カツと白米の間には申し訳程度のキャベツが垣間見えるが、これが昼食の野菜と言うには些か無理があるだろう。

 乾いた大地にほんの少しの草木が萌えたところで、砂漠は砂漠であることに変わりがないことと同じだ。

 


 野菜より肉だと考えているような俺からすれば、この程度はさして気にすることでもない。

 だが、一応大学生女子たる彼女にとっては、食事に緑が一切ないことは沽券に関わる事柄だったのだろう。

 


 白星はそそくさと小鉢コーナーへ向かった。

 そこから一品物をトレーに乗せ「これで大丈夫ですね」と彼女は仏頂面のまま、一安心したように小さく言った。

 


 白星の面白い一面が見え隠れしていたその一瞬に、俺は思わず笑みを零してしまう。

 こんなことを言っては、彼女がこの後どのような反応を取るかは明らかであったが、俺はついつい口を滑らせてしまった。

 


「結局、全部茶色だけどな」

 


 よく見ていなかったのだろう。

 彼女が急いで取ったそれは、実は切り干し大根の小鉢だった。

 これじゃあ見た目の色合いは変わらないだろうと、俺は駄目出しをしてしまったのである。

 


 白星は不思議そうに俺を眺めた。

 それから、己の選んだ小鉢に視線を落とし「…野菜は緑の食品ですから」と胸がつっかえたような調子で言った。

 


「それもそうか」と相槌を打ちつつも、俺は頭の中で一つ違和感を思い浮かべる。

 


 これまでの白星であれば、こういう時は俺を睨むはずだろう?

 だが、今回の彼女はそうしなかった。

 それが不思議でならなかったのだ。

 


 いやもちろん俺とて、あの薄墨の目から繰り出される冷徹な視線を浴びたいわけではない。

 俺はそのような趣味の持ち主ではないと、ここでしっかりと断言しておこう。

 


 と言ったものの、彼女に睨まれなかったことに対して、ほんの少しの寂しさを抱いた自分が心の何処かに居なくもないことは否めなかった。

 慣れとは恐ろしいものである。

 


 今度こそレジに向かい、まずは俺からお会計を済ませようとしたところで「では、この小鉢の分はお会計お願いしますね」と彼女は当然のように小鉢を俺のトレーに乗せた。

 


 俺がその行動の真意を問う前に「一品奢ると言ったのはあなたの方でしょう?」と白星は少しだけ得意げな目でこちらを眺める。

 


「そう言えばそうだったな」

 


 綺麗に一本取られた俺は苦笑しながら、追加で百円玉を取り出し、彼女の小鉢を奢らせてもらった。

 

 

 ♦♦♦

 

 

 昼食を購入した俺達は、トレーに乗った料理を傾けないよう気を配りつつ、空いている席を求めてがら騒ぎの食堂内を彷徨った。

 


 時々、一人席が空いているのを見かけた。

 けれど彼女がそこに向かわなかったのは、ひとえに小鉢を俺に奢られたからだろう。

 


 与えられた分だけ与え返す。

 これまでの行動を見る限り、等価交換が彼女の信条の一つなのだと思う。

 


 そうして端から順番に席を探していると、幸運にも、窓辺に二つの空席を見つけ出した。

 反対側に顔を向けていた白星に「あっちだ」と呼び掛けると、彼女はこちらに振り返った。

 


 他の誰かに取られないうちに。

 そんな気持ちで俺が急いで席に向かったその時、

 


「おぉ、陽太」



「ん、雨夜くん。おはよう」


 

 と、向かいの席から聞き覚えのある二つの声が飛んできた。

 


 俺は不意にそちらへ視線を向ける。

 そこでは二人が、幼馴染同士で仲良くランチタイムを楽しんでいた。

 


「駿介と彩名か。火曜に会うのは珍しいな」俺は席に座りながら言う。



「だな」と彼はその言葉に同調を示し、彼女は軽い頷きで応えた。

 


 右手に座る茶髪な彼から紹介しよう。

 笑顔になると目尻の下がる可愛い系の男子だ。

 名前は金沢駿介(かなざわしゅんすけ)で、歳は俺と変わらない。

 


 多分、俺が大学で仲良くしている人の中で、一番親しみを持っている相手なのだと思う。

 対して駿介の方がどう思っているのかは知らないが、そういうことはあまり考えないのが吉である。

 


 続いて、その隣に座るショートヘアな彼女を紹介しよう。

 名を奥平彩名(おくひらあやな)と言い、駿人の実の幼馴染である。

 天然っ子というわけではないが、ちょっぴりのんびりとした女の子だ。

 


 因みに本人たちの言い分によると、別に付き合っているわけではないらしい。

 しかし、ならばこの仲の良さはどう説明してくれるのだろう。

 俺としては、サッサと確かな関係を築いて欲しい所である。

 


 などと余計なことに頭を働かせていると、彩名は俺の隣に腰掛けた白星を目線で追った。

 


「…あれ。雨夜くん、その子は?」



「あぁ」と俺は曖昧に彼女の疑問に答える。

 


「え?陽太一人じゃないのか?」駿介は少々驚いたように目を見開いた。

 


 こういう状況でも無口な白星は、席に座って物珍しいものでも見るかのように二人を眺めていた。

 さて、彼女のことをどう紹介したものか。

 俺は少々頭を捻らせ、二人にこう答えることにした。

 


「そうだな。こいつは友達だ」俺は満面の笑みで言った。

 


「違います」と白星は間髪入れずにそれを否定した。



 二人は豆鉄砲を食らったように硬直し、次いでお互いに顔を見合わせた。

 


「白星黒奈。経済学部経済学科の一年生。要するに、俺と駿介にとっては同じ学部の後輩だな」

 


 だんまりな彼女の代わりに、俺が軽く他己紹介をしてやる。

 彩名は俺や駿介と違って商学部に所属している為、直接の後輩というわけではない。

 


「白星は寡黙な上に、口を開けば刺々しいことを言うようなやつだけど、まぁ悪いやつじゃない。仲良くしてやってくれ」

 


 俺はそうやって彼女の性格を偽りなく述べたつもりだったのだが、白星は心底迷惑そうな視線で俺を向けると「変な風に紹介しないでください」と反論した。

 


 駿介と彩名も白星に向けて軽く自己紹介をする。

 流れで俺も自己紹介してみると、三人分の冷たい視線が浴びせられた。

 


「まだ陽太に俺の知らない友達が居たなんてなぁ」



「知り合って一週間も経ってないからな」

 


 俺が駿介に向けてそう補足説明を入れておくと、「ところで、雨夜くんはどこで黒奈ちゃん捕まえてきたの?」と、彩名が少々ツッコミどころのある言葉を発した。

 


 しかし、俺はそれに文句を言えない。

 これまでの俺の行いを知っている以上、彼女がそう考えるのは仕方のないことだった。

 


「捕まえられたわけじゃありません。勝手にこの人が付きまとってくるんです」

 


 蚊でも見るかのような煩わしさを含んだ視線でこちらを一瞥した白星は、二人に向けてそのように弁解する。

 


「そうなの?」彩名は意外そうに俺を見やった。

 


「…語弊はある気がするけど、間違いとは言えないな」



 僅かに返事に迷った末に、俺はそう言って素直に粘着行為を認める。



 途端、「へぇ」と二人は息を合わせて嫌な笑みを見せた。

 このまま話を続けていては、何か俺に不利な内容を歪曲して話される気がした。

 話題転換を試みるべく「そう言えば」と俺は駿介に話を切り出した。

 


「駿介ってロシア語専攻してただろ?」

「白星も第二言語はロシア語登録してるみたいなんだ。何か困ってたら面倒見てやって欲しい…ってことで、二人と連絡先交換しときな?」

 


 そうして俺は見事自然な流れで、別な話題に水を向けることに成功した。

 


「はい、これが私の連絡先」「これが俺なー」と二人はすぐに連絡先を開示する。



 白星も同様に自ら携帯電話を取り出し「よろしくお願いします」と失礼のない態度で連絡先を交換した。


 

「やけに素直だな」

 


 彼女も人との接し方を覚えたのだろうか。

 俺は感心の意味を込めてそう言った。

 


「あなたと違って、この人たちは獲物を狙うような目をしてないですから」



 白星は淡々と俺に悪態をついてくれる。

 


「なるほどな」と俺は二重の意味で納得した。

 

 

 ♦♦♦



 それからの俺達は、あれやこれやと雑談を交わしながら昼食を食べ進め、昼食を食べ終えると、今度はラウンジにて中身のない話に花を咲かせた。

 


 予想外だったのは、白星がご飯を食べ終えた傍から何処かに行ってしまう、という有り得そうな展開にならなかったことだろう。



 彼女は自らの意思で、俺達と行動を共にしていた。

 これは大きな一歩かもしれない。

 


 白星は決して自分から話題を振りかけることはなかったが、駿介と彩名に何かを訊ねられると、必ず丁寧に受け答えしていた。

 


 例えば「黒奈ちゃんはサークルとか部活には入ってるの?」と彩名が言えば、「いえ、どちらも所属していません」と返すし、「白星さんはアルバイトしてるのか?」と駿介が問えば、「ええ、飲食店で働いています」と答えた。

 


 俺が聞いても無視するだろうに、こうにまで扱いに差があると悲しくなってくるものだ。

 というか意外だ。こんなにも無愛想な白星が飲食店で働いているなんて、俺には全く想像出来ない。

 


 そんなこんなでお喋りは三限の目前まで続き、俺が腕時計で時間を確認したところで、この集まりはお開きとなった。

 白星と彩名はそれぞれ別館へ、俺と駿介は本館にある授業教室へと足を向けた。

 


 俺は三階、駿介は二階でそれぞれ別の授業がある。

 俺達は分岐点となる階段前に辿り着くと、いつものように手を振り合おうとした、直前のことだ。

 

 

「なぁ」と駿介が俺を呼び掛けた。

 


 ふと彼の表情に意識を向けると、駿介はニヤニヤとした笑みで俺を眺めていた。

 


「なんか、意外だったぞ」彼はその笑顔を湛えたまま、曖昧な言葉を続ける。



「何がだよ?」



 普段とは真逆のタイプを連れ回していることだろうか。

 俺は疑問をそのまま投げ返した。



「いや、女遊びに定評のある陽太が、あんな風にあしらわれるなんてな。新鮮だったってことだ」

 


 そう答える駿介は、先ほどの嫌な笑みを消すどころか、ますますその笑顔を深めていった。

 

 なんだか馬鹿にされているようでちょっと不快だった俺は「初めて相手にするタイプなんだ。まぁ、ゆっくりやってくつもりだ」とぶっきら棒に答える。

 


 しかしどうにも、それは駿介の望む回答ではなかったらしい。


「はいはい。まぁ頑張れよ」と応じる駿介はそんな俺に呆れているような、はたまた雛を見守る親鳥のような表情であった。

 


「じゃ、また明日な」と彼は言い残し、その場を去っていく。



「おう、また明日」と俺は彼に背を向けて、階段へと足を進めた。


 

 駿介は何を期待しているのだろうか。

 階段を一段一段丁寧に登りながら、俺は不意と、そのような思考に陥る。

 しかし、いくら考えてみても、それは今の俺には良く分からないことでしかなかった。

 


 ほんの少しずつ、あらゆる物事は変わっていく。

 自身はその変化に気が付かないまま。






次回の投稿日は、6月10日の土曜日となります。


それでは、また次話でお会いしましょう!

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