第十四話 潜熱の焔 後編
どうにか隙を作り、あれを使うしかない。
「おらぁ!」
奴は燃えたレンチを勢いよく投げた。レンチは右斜めに飛んでいったが俺はそれを目で追ってしまった。
集中力が仇となる。その隙に瞬時に距離をつめた奴は腹部へと右フックを放つ。また奴の右腕を取りに反応するがこれは読まれていた。奴の左ストレートが顔面へと叩きこまれる。とてつもない衝撃と痛みで後ろによろけてしまう、そして左を戻すと同時に右足のハイキックが顔面目掛けて飛び込んでくるのが見え、とっさに左の甲で防御するがもろにくらう。
一瞬、意識が真っ白になり立っているのがやっとだ。さらに奴は追い打ちのごとく、足の裏全体で押すかのように腹を蹴った、俺は後ろに仰向けに倒れた。顔面への痛みの恐怖心から、顔をガードする事で頭がいっぱいだったのだ。地面に強く頭を打ったのか手に力が入らず、俺の意識は混濁していた。
奴は胸の辺りのネクタイとワイシャツ部分を掴み引きずり移動させ、上半身をコンクリートの壁に強く押し当てた。
「よう、オレを止めると言っていたのに随分弱っちいなぁ、こっちはアメリカであんたより遥かに強い奴と腐るほど戦ってんだよっ!」
そう言うと握られているネクタイが燃え上がった。
「なぁおい、燃やされる時、人は何て言うかオレに教えてくれよっ!」
ネクタイの火が徐々に首元にせまるが、混濁した意識の中で別の事を考えていた。ネクタイを掴んでいる奴の表情はどこか苦しそうであり悲しそうで、まるでそのやり場のない苦しみを八つ当たりするかのような、幼さを感じた。そうだ、これは奴の心のメッセージなんだ。
そう思うと、本で学んだ交渉術なんてもうどうでも良くなった。そうだ俺なりの答え方をしよう。ネクタイの火がもう少しで首に到達しようとする中、右拳を握り、奴の腹にそっと当ててその右手首の上に左手を置いた。
「お前の炎は・・・暖かいな」
眉間にシワをよせ睨みつけていた奴の表情は、驚きの表情へと変わった。そして俺は左手でスイッチを入れた。
その瞬間、バチッ!バチッッ!っと音を鳴らして右拳から火花が飛んだ。奴は電流の衝撃で俺から手を離し、離した手で腹を押さえて後ろに転げ悶えた。
「Shit!お、おまえぇぇ、、」
このバイク用グローブには分解、改造したスタンガンを仕込んでいたのだ。電気には電圧値と電流値というのがあるが、人体にとって危険なのは電流値であり100mAも流れれば心室細動を起こし危険な状態に陥る。高電圧の電気だけなら危険は少ないが、あくまで100%安全な訳ではない。相手の汗の量にも影響するし、心臓や脳に近ければ危険でありこれを使うのは最終手段だった。
「うっ、、お前は…本当は人を燃やしたくなんてないんじゃ、ないか…」
俺ははっきりした意識を取り戻そうとしながら立ち上がり、燃えているネクタイを引っ張り遠くに投げ捨てた。
「お前が何故放火しているかは分からないが、これ以上自分を殺そうとするな!」
「う、うるせぇ!」
奴は叫んだ。そして苦痛を我慢する表情は、今までよりさらに攻撃的に変化し俺を睨みつけていた。
「お前は犯罪者と女を燃やしたいと言ったな、それは何故だ?お前からは深い憎しみのようなものを感じるが、決して悪党とは俺には思えない!いやむしろそのふりをしているように感じる!」
「Shut up!うるせぇ!うるせぇ!!」
「あんたには何も分かんねよ!」
奴は大声を上げると上半身を起こし、奴は何故か両方の手の平をコンクリ―トの地面につけた。すると地面は手の平を中心とし円形に赤色に変色し始め、奴の手がドロドロに溶けた地面にめり込みはじめた。
「な、何をしている!?」
言葉に返答せず奴はこちらに上目遣いに顔を向けた。そして額の汗が落ちると同時に奴はドロドロに溶けた塊を投げ飛ばした。咄嗟に顔を腕で守り溶けて燃え上がるコンクリート片をガードするが、奴は滅茶苦茶に辺りにまき散らした。建物内に火が散らばる。そして奴は叫びながら突進し同時に手に炎を纏わせ俺に向かって右ストレートを放った。しかし興奮しているのかそのパンチはあまりにも大振りで、容易に俺は身を屈めかわし奴を突き飛ばし一旦距離をとる。
「はぁ、はぁ、…」
奴は大きく肩で呼吸をしている。かなり疲労している様子だがそれは俺も同じでありさらにまき散らされた火が木造建築のこの工場全体に広がり始めて熱さと酸素の薄さが相まってお互いかなりの汗を額にかいている。しかし奴はこの戦いを止めようとはしない。
俺は後ずさりしながら次々と繰り出される大振りのパンチを上手くさばき、やっとの思いで右腕を捉えると肘関節をキメうつ伏せにして地面に拘束した。
「っぐぅぅ…放せよ!この野郎…」
「この、クソ野郎がぁ!!」
奴は激しく暴れようとする。
「待て、頼む!頼む、俺の話を聞いてくれ!」
必死に話そうとする俺の顔の汗が、地面に何滴も滴り落ちる。
「お前の能力は凄い!だが人を傷つける事に使って何になる!それこそお前が憎んでいる奴と同じになるんじゃないのか!お前は違うはずだ…だからその能力があるんだ!頼むよもうこんな事に力を使わないでくれぇ!」
「何言いやがる!燃やして、燃やして…燃やすだけだ!」
奴は関節をキメられながらも掴まれた腕を燃やし始めた。
「これで離さねーとあんたの腕ごと燃えちまうぜっ!」
「…くそっ」
グローブや衣服の上からでも熱さが徐々に感じてくる。
「さっさと!離しやがれ!」
汗だくであがき叫ぶ奴の姿、燃え上がる腕、追い詰められた俺はその瞬間,
言いたい事が急にあふれ出した。
「お前が何者で、どんな人間かは知らないが過去に何かあった事は分かる。分かるんだよぉ…あんたの蹴りやパンチはそういう場数を踏んで身を守るために鍛えられたって、そうじゃなきゃ生きてこれなかったんだよな?」
「俺も同じなんだっ!だからそんな過酷な生き方を選ぶ人間の考える事はよく知ってる!自分の命なんてどうでもいいと思った瞬間、他の奴の命もどうでもいいと思ったさ…」
燃え上がる腕にしがみつき、必死に俺は訴えかけた。
「自分だけが傷ついたつもりで、悪いのは自分以外の誰かだって、そんな風に考えて逃げられない人間なんだ俺達は…何もかも背負って背負って、もっと上手くやれたんじゃないかって自分を追い込んで自己崩壊してしまうんだ…」
「けどお前はまだそんな俺とは違う!誰も真似できない特別な能力があるじゃないか!やりたい事がほんとにこれなのか?何があったかは知らないが過去に人生を呑み込まれるな!その、その能力があれば人の心を温められるはずだぁ!」
俺は心から自然に湧き上がってきた言葉たちをぶつけた。
”オレが温め…る、…人を…”
“ああ、お母さんなんでボクを愛してくれないの?ボクはこんなに良い子なのに、ねぇ寒いよ、とっても寒いよ”
「あの時、俺は、母さんを…」
「うっ、ぐっ…かぁ…さん?」
俺の手の熱さへの我慢も限界だ。
“かじかんだ手でそのライターで火を付け、ポケットに大事に閉まっておいた母親の似顔絵を燃やした”
「憎くて燃やしたんじゃない…俺は本当は!いつも冷たい母さんを、温めっ…たかった」
奴は涙を流したように見えた。
「母さん?母さんがどうした?能力の使い方が分からないなら俺が一緒に考えてやる!お願いだ、だから人を傷つけるのはもう止めてくれ」
じっと片目で俺を見つめている奴は反応が無かった。
「おい?お前聞いてるか?大丈夫か?」
「…」
突然、奴の腕から炎が消えた。
「負けだ…オレの負けだ…」
そう言葉を漏らした奴の腕、いや体全体から力が抜けて行くのを感じそれと同時に腕関節をキメていた俺の力もぬかれ奴を開放した。すると奴は仰向けに態勢を変え腕を目の上に乗せた。俺も全身の力が抜け奴のとなりで膝立ち状態に崩れる。
辺りが熱気に包まれているのを感じる。壁や天井にも火は燃え移り、工場全体が炎に包まれるのも時間の問題であった。これはもう消火器程度では消火不可能なのも見てとれた。
「おい、そろそろヤバくなってきたぞ。出入口が無くなる」
腕で視界を塞ぎ仰向けに横たわる奴に声をかける。
「ああ…」
そう奴は答えると起き上がり歩き出し、それに俺も続く。
工場から出て二人で燃えている建物を見上げる。すると遠くの方から消防車のサイレンと鐘の音が聞こえてきた。
「おい、あんたはもう行きなよ」
「お前はどうするつもりだ?」
「そうだな…」
「少し考えたい、オレは何なのかって…これだけの放火をしたんだ考える時間はたっぷり警察が用意してくれるさ」
「そうか、逃げないんだな…」
「ああ、なんかえらく昔を思い出しちまったよ…そっか、オレは罰せられたかったのかもな…」
「…」
奴の言葉は気になったがこの時はあえて何も聞かない事にした。それは奴の表情が何か満足気で、答えを見つけ出した時の表情に見えたからだ。
「なあ、あんたは過去に呑み込まれた事があるのか?」
「ああ、あるな。何年も何年も、いや正直に言えば今も呑み込まれている最中かもな」
「なんだよ、それ。オレと結局同じかよ…」
「いや少し違うんだ、俺が過去に呑まれ続けているのは喰らう為なんだ。過去を喰らう。喰らってそれをエネルギーにするんだよ」
「はぁ?」
「ほら、幸せや、守りたいモノがあると人は強くなれるっていうだろ?その逆の感情、憎しみや怒りも行動する為のエネルギーには違いはないんだ。ならそれを正しい方向に使ってやるだけさ。辛い過去は忘れられない、どうせ逃れられないなら忘れなくていい、乗り越えなくていい、だから喰らって喰らってエネルギーにする。転んでもただじゃ起きないみたいな?」
「…」
「ふっ、ははは!」
「ん?なんか可笑しいか?まだこの話には先があるんだが?」
「いやさ、あんたヤベェな。なんかぶっ飛んでるよ」
「そうか?これが俺の行きついた答えさ」
「ああ、いや初めて聞いたよこんな話。そうだ、オレは須藤 翼だ」
「あ、ああ俺は、」
「いや、あんたの名前はいいや。犯罪者に名前なんて教えて良い事なんて何もないぜ。ほんと」
「そうか…」
「…」
「…」
「ほら、行けよ。早く行かないとメンドーな事になるぜ」
「あ、ああ」
終わったの…か?俺は自問自答しながらバイクに跨りエンジンを始動させゆっくりと走りだした。すっかり緊張の糸が切れたようで全身脱力しているのが分かる。このまま家に向かって走り、そして日常に戻れる安堵感しかし何か心の奥で納得がいっていないというか、何かつっかえているのを感じた。
いや、そのモヤモヤの答えは解ってるんだ。
俺は我慢できずにUターンしアクセルを勢いよく回し、燃える工場のそばにいる須藤の近くまでバイクを走らせ叫んだ。
「俺の名前は病葉だ!力の使い方が分からなかったら手伝う!覚えておいてくれ!」
そう叫ぶ俺の様子を見て須藤は半笑いで片手を上げ答え、さっさと行けと言わんばかりにシッ、シッと手を振る。
俺は心のモヤモヤを解き放ち、これで正しかったんだと自分を納得させながらバイクを走らせた。起きたばかりの非日常の出来事、それを走りながら思い返していた。奴は本当にもうしないだろうか?俺の言葉は奴に届いたのだろうか?そんな風に思い返していると、「いっ!」今になって殴られた箇所に痛みが増してきた。触ると右目のあたりが張れているのが分かった。
くそっ!帰ったら、『FBIに学ぶ!人を必ず説得できる方法!税別1,800円』これはごみ箱に投げ捨ててやる。そんなくだらない事を考えながら俺は自宅へと帰ってゆく。プロテクターがあっても結構ダメージあるもんだな…緊張がとけるとさらに全身むちうちにあったように体のいたる所が痛いことに気づきはじめる。今の俺の姿を南が見れば何と言うだろうか?きっと南の事だ怒るんだろうなー。
そう、俺はいつまでたっても偽物だ。
次回 【第十五話 最後の笑顔】