「わたし」を知っている人
そのあとも夏目は、しばらくぼくをあれこれ質問ぜめにした。
「さびしくないの?」とか「ともだちはいるの?」とか。
この人のいいところは、
素直にこういうことを人に聞くところ。へんな同情はしないところ。
ぼくはべつに同情なんかされたくない。
夏目は同情なんてまるでさらさらなく、純粋に思ったことを質問しているだけ。
だから、ちっとも不快じゃなかった。
今まで、死後の世界がどうなっているかを知りたがる人はたくさんいたけど、ぼく自身のことを知りたがる人はいなかった。
夏目には、なぜか素直に自分の気持ちを口にだすことができた。
「さびしくなることはあるよ。…いやそんなんじゃ足りない。
本当はね。正直さびしくない日なんて、一日もない」
自分の口からでた言葉に、自分でも驚いた。
「そう。さびしいよね、やっぱりそうだよね」
そのまま。言った通りのまんま、ぼくの言葉を受けとめる夏目。
ただそれだけ。
なんだか夏目にそう言われると、さびしいことなんて、
あたり前のことなんだと思えてきた。
じっさい、生きていようと死んでいようと、みんなさびしいんだ。
きっと自分だけじゃない。
でもそのとき、ふっと、ぼくの心のなかで何かが警告したんだ。
そうだ、おまえ大事なことを忘れているんじゃないのか?
夏目と、いくら仲良くなったところで、おまえがここにいる時間は限られている。
自分のことを、夏目に知ってもらったからって、いったい何になる?
……いまは、このとんでもない使命をどうするかが、問題なんだ。
ぼくは思い直して、夏目に言った。
「さあ。これからどうしようか? 24時間の猶予ができたけど、きみは、この街にも慣れたほうがいい。仕事のことも知らなくちゃいけない。
といっても、だれに教えてもらえばいいかわからないけど」
夏目は、話をそらされて、ちょっと不満そうな顔をした。
(でも今は、自分のことを何とかしなきゃいけないものね)
「そのことなんだけど、思ったの。わたし未成年でしょ。1人で東京のマンションに住ませるかな? 誰か事務所の人が近くにいるんじゃないかな」
「言われてみると…」
「でね。お母さんの手帳に書いてあったことを思い出したんだけど」
夏目は、お母さんの手帳を開いて見せた。
「ここをみて。1月前のところ」
303号 11時 引越し 鈴木マドカ 劇団R
と書いてある。
ぼくは、「劇団R」は関係ないと思ったから、読み飛ばしていたのだ。
「この人、お母さんと関係あるよ」と夏目。
「どうしてそう言えるの? 引っ越してきた人があいさつに来ただけかも」
「だって11時って書いてある。この日は平日で、お母さんは高校に行っているはずだよ。
これは、事務所の人から教わったことを、そのまま手帳に書いたものよ」
ぼくは感心した。
「でも『劇団R』ってなんだろう? きみの事務所は、名刺に『財部プロダクション』と書いていて、劇団じゃないんだけど」
「わからない。だからこのマドカさんに直接きいてみるの」
夏目は、元気よく立ち上がった。ポニーテールの髪もいっしょに踊るようにゆれる。
「着がえるから、あっち向いてて。ほらほら」
もうタンスをあけていて、さっさと服をぬぎはじめようとする。
まったく、思いついたらすぐ行動する人なのだ。
ぼくは幽霊が赤面するなんて変だと思いながら、からだごと夏目と反対のほうを向いて言った。
「まさかきみ、いきなりドアを叩いて、『わたしのことを教えてください』とか聞くつもり?」
「ここで、あーだこーだ考えてても仕方ないもの」
「わかったよ。きみの推理どおりか、まずぼくが偵察に行ってくるから、そのあいだに着がえてるんだ」
どうか、この「関係者」が1987年の世界のガイド役になってくれますように…
* * * * *
303号は、となりの部屋。ぼくは音をたてずに入り込んだ。
部屋の中は、床が見えないほど散らかっていて、マドカさんらしき人がいた。
彼女はパジャマのままで、「第三舞台」のチラシをながめながら朝のコーヒーをすすってる。
マドカさんの心の中に入りこむのは簡単だった。どうやらこの人は女優の卵。
まったく売れてないようだったけれど。
知りたいことだけを記憶から読みとると、すぐに304号室に戻った。
夏目は、ぼくを待っていた。部屋にあった服のなかでもいちばん少年っぽい白いパーカーと青いデニム姿で。
ちらっと感想が頭をよぎった。
何を着てもサマになるんだな、この人は。
「えっと、きみの推理は正しかった…ほら、得意そうな顔をするんじゃない。
マドカさんの劇団と、きみの所属している事務所は、関連会社ってやつだ。
「どうカンレンしてるの?」
「うん。もともと劇団のほうが母体で、その一部が独立した会社が財部プロ。
きみがショゾクする芸能プロダクションだよ」
「やっぱり、つながりがあるわけね」
「もう1つわかったのは、となりの部屋にはもともと財部プロの人が、きみの保護者役として住んでいたこと。
1ヵ月前にやめたから、入れかわりにマドカさんがここに来たらしい」
「ここに来たのは、お母さんの保護者役のため?」
「ちがう、部屋が空いたから」
少し、いいかげんな事務所かもな。ぼくはイヤな予感がする。
「でも、夏目のことは気にかけてくれてるようだよ。ときどき相談にのってたみたいだし」
「輪さんありがとう」
(よくこんな短い時間で、そこまでわかるものね)
感心した顔でぼくを見ている。
「とにかく、わたし会ってみる」
「できるだけ今のきみ、つまり唯川夏目の状況を、さりげなく聞き出すんだ」
「マドカさんは、わたしのことを知ってるんだもんね。
いまのわたし以上に」
夏目は左手でピースサインを作ってみせた。
ぼくは言った。
「きみが、唯川夏目の娘だと気づかれないように、だよ」
* * * * *
「つまり夏目ちゃん。今日は学校に行きたくないっちゅうんね?」
303号室から顔を出したマドカさんは、すごいナマリで言った。
相当な驚きだったようだ。
「はい。その…」
夏目は心から申しわけなさそうに言う。
「今日は、どうしても行けないんです」
「サボりやな」
マドカさんの心に、いくつかの言葉が浮かんでいる。
(弱小事務所、オーディションに落選、悩める10代…)
「まあいいやん。あんたそういうの初めてやもん。たまにサボってもバチは当たらんけ」
「それで、お願いがあるんですけど」
夏目は、いつの間にか習得した上目づかいで頼んでいる。
「きびしい高校だから、電話をかけてほしいの。私が休むって」
マドカさんは,おおらかな人だった。夏目を疑うことはまったくない。
マドカさんも1人で東京に出てきて、女優をこころざし(今はまだ通行人の役ばかりだけど)夏目の気持ちはよくわかる。
大変でもこの世界にいたいと思うから、地元に帰るわけにはいかないことも。
その気持ちは、そういうことをした人にしかわからない。
すぐに一階の桃色電話(コインしか使えない公衆電話)で高校に電話してくれた。
これで1日、自由な時間ができた!
しかも、最初にこの時代の人と会話するには、最適な人物も目の前にいる。
マドカは言った。
「それで、今日はどうするつもりなん?」
「とくに予定はないの」(というかわからないの)
マドカは夏目の、つやつやした桃色のほほを見て思った。
(こんなかわいい子を野放しにできん)
「わたしも知った以上は責任あるし、今から洗濯するけど、
そのあとで渋谷と原宿に行こうかと思っちょるんや。
だから私と行動をともにしなさい」
渋谷と原宿へ!!
それは、1987年の世界を知りたい夏目にとって願ってもないことだった。
「ついていく! ありがとうマドカさん」