どんな宮殿よりも価値のある部屋
「さあ、私はこれから何をしよう?」
夏目は、無垢材のフォトフレームの中にいるお母さんを見て言った。
「安心していていいからね。わたしにできることを、一つ一つやる」
夏目は少なくとも、いままでぼくが会った誰よりも真剣だった。
とはいうものの…、
「きみは1987年のことを学ばないといけない。明日からこの時代の人々と生活しないといけないから。
でも、それより前に知らなきゃいけないことがある」
「うん。わかってる」
彼女は、写真から目を離して言った。
「お母さんのことね」
「さっき言ったように、きみは17才のお母さんのことも仕事のことも、何も知らない」
夏目は静かにうなずいた。少し落ち込んでいるんだろうか…
「わたしはこの部屋の中で、手がかりを探すしかないということね」
ぼくは励ましたくて、現状の明るい面を指摘する。
「ぼくらが、お母さんの部屋に送りこまれたのは運がよかったよ。
だってさ。人は部屋の中に、いろんなものを集めているし、うまくいけば仕事の手がかりもあるかも」
ぼくたちは、あらためて1987年の部屋を見回した。
正面には小さなデスク。文庫本と英和辞典と「ELLE」がならんだ本棚。たぶん小学生から使っていた可愛いタンス。なつかしい形のプッシュホン電話機、ベッドの上には手作りカレンダー。
夏目は、うっとり見とれていた。
落ち込んでいるどころか、その目は好奇心できらきらしていた。
(ここは、17歳のお母さんの部屋。私がまだ生まれる前のお母さんの部屋)
「小さな部屋だけど、わたしにはどんな宮殿よりも価値がある」
なんだか初めて女の子の部屋に招かれたみたいに、ぼくもどきどきしてくる。
まず夏目は、小ぶりのクローゼットを開けてみた。
洋服がきちんとかっていて、どの服もシンプルなのに、いわく言い難い品があった。
夏目の頭から「手がかりを探す」というのが、吹き飛んでしまった。
(あの人が着た服。17歳の女の子のクローゼットだけど素敵だ。
ゆったりしたワンピースの手触り、顔を近づけるとお母さんのにおい。やさしい甘いにおい)
巣の中のヒナにやさしく触るように、そっとふれている。
(あの人らしい。ワンピースが好きで、信じられないくらい似合ってた)。
しばらく、じっとそのにおいを感じていた。
涙目になっていた夏目は、クローゼットを静かにしめた。
もう一度部屋を見回す。
「ここにあるのは、ただのモノじゃない。どれもみんなお母さんのことを、わたしに教えてくれる」
小さな部屋にもかかわらず、いろいろなものがあった。
帽子、アルバム、絵はがき、バービー人形、「明星」のヤンソン…。
どうやらこの人は、没頭すると、とことんのめりこむ人らしい。
積んであったマクセルのカセットテープも手に取って、しげしげと見つめる。
(ラベルには、かわいい手書き文字)
大滝詠一、レベッカ、EPO、ザ・スクェア、カルチャー・クラブ、
「知ってる?」という顔でぼくをみる。
「うん。すばらしい曲がたくさんある」
裁縫道具をいっぱい見つけた時は、胸に抱えて跳びはねるほど大騒ぎする。
「見て。お母さん、手袋にリボンを縫いつけてる。スカートの裾上げもきれい。すごい。学生のときから手縫いが好きだったんだ」
そのすごさが、ぼくにはまったくわからない。だけどすごいらしい。
「もしもこの部屋の主が私の友だちだったら、感心すると思うわ。しっかりしている。でも女の子らしい」
夏目がそうやって感激したり、考え込んでいるのを眺めているだけで、ぼくは飽きなかった。
この人は最初、ぼくが思っていた人とは違うかも。
ちょっと少年っぽいけど、礼儀正しいし元気だし。
ぼく自身も夏目の熱が伝わったか、手がかりを探すことに没頭してしまった。
そして最後に残った場所は、デスクの「引き出しの中」だった。
見つけたものはたくさんある。見つからなかったものも…。
「好きなものは、わかったけれど肝心なものは見つからないね」
夏目が、ぽつりといった。
「うん。『仕事の手がかり』は何一つなかった」
仕事の手がかり。とにかく「それらしいもの」は皆無だった。
そもそもこの部屋にはアイドルらしいといえるものもなかった。服もアクセサリーも、センスは良かったけれど。
しいていえば、「デラックスマガジン」「MOMOCO」など、アイドルグラビア雑誌が何冊もあったくらいだ。
残るは、机の引き出しだけ。
「わたしが開けていいのかな」
夏目は、ためらっていた。
(お母さんにも「秘密」があるかもしれないし。とんでもないものがあったら…)
でも、仕事の手がかりはほしい。
少なくとも「明日の予定」だけは知らないと「みがわり」なんてできないのだ。
(だから引き出しを開けるね。大事な手紙は見ないから、ごめんね)




