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売れていない女の子


 べつにぼくは、ファンタジー映画に出るような姿をしていない。

 人間の姿だし、顔だって青くなければ、(つばさ)も尻尾もない。

 ただ、死んだときの(とし)のままということだけ。


「それは、あなたの本当の姿なの?  変身してるとかじやなくて?」


 夏目は(まゆ)をひそめ、身を乗り出して、しげしげぼくをみていた。

「わたしと、同じくらいの年のフツウの人に見えるけれど」

「うん。これはぼくの本当の姿だよ」たぶん。

「どのくらいの間、その年なの? もしかすると、ずっと長いあいだその姿なの?」

「それはね、ぼくにもわからない。ぼく自身についての記憶はなくなっているから」

「でも名前はあるんでしょう? 名前を教えて」


 名前を聞かれたのも初めてだけど、悪い気はしなかった。


(りん)

「リン…そう、輪さん。

 ふしぎ。あなたはこの世の人じゃない。なのに、そんな姿をしているから生きてる人のようにしか見えない」


 夏目は、目の前にいるぼくを見て考えていた。

(目が茶色で髪はくせ毛であごが細くて、なんだか内気でぼんやりしていている感じ…)


 的確(てきかく)に見抜かれている。


 彼女は、ぼくをまっすぐ見て、ほほえんだ。

「輪さんは、私を助けるために来てくれたの?」


 たぶん、夏目はそう思って当然だし、ぼくも助けてあげたいと思う。けど…、


「ぼくは、きみのガイド役にはなれない。正直、何も教えてあげることはできないんだ。これから、きみに何が起こるかも。ぼくだって、わからないから」


 ——助けるために来た、と言ってあげたいけれど。それはやっぱり違う。

 監視するために、ここに来たんだから。それもたった3日間だけ。

 そんなのとてもぼくには言えない。


「じゃあ、あなたが知っていることは? 1987年のお母さんのこと知ってる?」

 夏目は、ゴマフアザラシの子のような、大きな目でじっと見ている。


「じつはね、ぼくに渡されたのは、この紙切れだけ。

 ぼくも驚いたけど、唯川夏目に関して書かれていることは、たった3つしかない。

 …いい?よく聞いて」


 1、唯川夏目は、高校2年生


 2、9か月前にスカウトされて、事務所が借りた古いマンションに住んでいる


 3、今の時点では、夏目はまったく売れていない


「それだけなの?」 

「それだけ」

「おかしくない? 売れてないって、トップアイドルだったのよ。お母さんは」

「トップアイドルになって日本中の人に知られるのは、『この先の時間』のことなんだよ。

 今の唯川夏目は、まったく無名なんだ」


 夏目は、この事実を聞いて考え込んでいた。

(神さまは、死ぬはずだったお母さんを、助けてくれようとしてる。その神さまが教えてくれたのは、たった3つのことだけ。

 これにはきっと、何か意味があるはずだわ)


 この事態を、夏目は必死に頭の中で整理している。


「いまのわたしは、1987年の過去にさかのぼって、『人気者になる以前の17歳の子』になっている。

 それってつまり、これから一歩ずつ階段をのぼれ、ということ」


 ぼくは、そんな夏目を見ていて、ひとつ確かめたいことがあった。

「きみに聞きたいんだけど、きみは、お母さんが17才のとき、何をしていたのか知ってる?」

「そりゃあ、お母さんは、なんでも話してくれたもの。全部知ってるよ」


 夏目は、下唇をちょっとかんでだまりこんだ。

(へんだ。ひとつも思いだせない)

「だと思った…きみがお母さんから聞いた17歳の唯川夏目の記憶は、消えているんだ。

 ぼくも同じ。唯川さんがトップアイドルとして活躍していた記憶はない。

 過去にさかのぼるルールだよ。この世界で「これから起こること」を、「その前に」知っていてはいけない」


 なぜなら、運命を変えてしまうかもしれないから。


 夏目はだまりこみ、複雑な顔をして、天を見上げた。


「きっと、神さまは、きみにお母さんのマネをしてほしくないんだ。

 きみが自分の頭で考えて、トップアイドルへの階段を上ることを望んでる。

 とにかく、きみは17才のお母さんのことも仕事のことも、1から知らなくちゃいけないってこと」

「お母さんのマネをしてほしくない…」

「そうだよ。しかも、きみが何も知らない、この世界で。ただ外見だけが、お母さんのかわりじゃダメなんだ」


 夏目はぼくに向かって言った。

「これから何をするか。自分で考えて決めなきゃいけないってことか。

 だけどわたし、何をすればいいんだろう? どうすればいいの?」 


 テレビに映る「夜のヒットスタジオ」は、もうエンディングの時間だった。

 歌い終わった人気歌手たちが、ずらりと並んでいる。

 いずれ、あの中に夏目がまじって、歌をうたう? そんなことができるんだろうか?

 ——とんでもない使命だぞ。


 彼女は、とても強がっている。本当は心の中では、母親のようになれる自信なんて、まったくない。

 いくらぼくでも、何か彼女のためにしてあげたいと思う。


 でも、何ができるんだろう? もう一度あの疑問が頭に浮かんだ。

 どうしてぼくが、この仕事に選ばれたんだろう?



 あごに人差し指をそえて思案(しあん)していた夏目は、ふと西側の壁を見上げて言った。


「記憶に残らない風景画は?」

「え?」

「よく…記憶に残らないような風景画ってあるでしょう? さっきまで、(かべ)に飾られていたのに、いまは違ってる」


たしかに風景画はなかった。そもそも、記憶にないけれど。

かわりに壁には、5行の文字が書かれていた。


・・・・・・・・・・・・・・・


「扉」は、きっときみの役に立つ


それは隠された場所にある

第1の扉のカギは、Gスタジオ

けれど忘れてはいけない

きみのいちばん大事なものは何?


・・・・・・・・・・・・・・・


「さっきまで、こんなの書かれてなかった」

(いつの間に、誰が書いたんだろう? お母さんは書いたりしない)

「もしそうなら、これを書いた人はぼくたちに気づかれずに風景画を動かして、文字を壁に書いたことになるね」


ぼくは、5行の文字をみて思った。この世でそんなことができるのは一人だけだ。

それにしても、この謎のような言葉は、どういう意味なんだろう?


夏目がいった。

「これは、たぶん、目標だと思う」

「目標?」

「『いちばん大事なもの』と書いてあるから、目標だと思ったの。でも、わたしの目標だったら、はっきりしてる」


この人らしい、と思ったものの、ぼくは違う気がした。

「もしも、神さまが書いたのなら、この意味は簡単にはわからないよ。あの人は、人間が自分の力で、答えを見つけることを望んでいる」


 ずっとずっと昔の古い神話の時代から、あの人はそうだった。


壁の文字を見つめていた夏目は言った。

「わたしに、何かを見つけさせようとしているんだ。神さまはやっぱり…、

 でもどういうことなんだろう。『Gスタジオ』って?」

「わからない。東京にはスタジオなんて山ほどある。それに、目に見えない扉って書いてある」


夏目は、デスクの上のノートを開いて、5行の文字をていねいに書き込んでいた。

「あとで、ゆっくり考えてみる」


(わたしはこの時代のことを何も知らない。アイドルの仕事のことも何の自信もない。

 でもたぶん神さまは、わたしに何かを教えてくれようとしている)。


 夏目は、ノートを大事そうに胸に抱いて、ぼくのほうを向いた。


「ありがとう。輪さん」

「ありがとう? どうして、ぼくにいうの?」

「それは……わたしが、ひとりじゃないから」


彼女はにっこり微笑んだ。

ずっと忘れていた温かい感情が心の中にわきあがってきて、うろたえたぼくは打ち消すように言った。


「今は、とにかくできることをやろう。

 この言葉の意味を探すのは、後回(あとまわ)しだ」


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