輪(りん)、きみの仕事は、あの娘を3日間、監視すること
母親の身代わりになって過去に遡った子を、一人きりにはできない。
だれかが見守らないといけない。
そのだれかとは、、、ぼくのことだ。
・・・・・・2021年 現在
生きている人と同じように幽霊にも生活がある。
この街でぼくたちも暮らしている。生きている人だけの街じゃないのだ。
通りを散歩したり、ジョギングしたり、映画館に座って笑ったりしたり。
生きている人にはぼくたちは見えない。幽霊はたいてい隠れていて、外を歩くときは自分たちの姿を透明にしている。
つまり見えない存在として穏やかに暮らしている。地下や物かげや建物の奥に。
誤解をされているけれど、ぼくたちは、生きている人に悪意を持ったり怖がらせたりするつもりはない。むしろ関わるのを恐れているのは幽霊のほうが多い。
友人のYなんかは、生きている人が怖がるからといって一切姿を見せない。
ただ、ぼくはみんなとはちがっていた。音楽もポップカルチャーも好きだったし、生きている人の役に立ちたいと思っていいた。たとえこの姿がだれにも見えなくても。
幽霊として人間とともに暮らしていると、とても感覚が鋭くなってくる。小さな音も聞こえてくるし、それどころか、聞こえない音も聞こえてくるようになる。
聞こえない音とは、たとえば人間の〈こころの中の声〉のこと。
生きている人の近くにいるあいだに、ぼくにはこころの中の声が少しずつ読めるようになった。
後悔、欲望、不安、楽しいこと、ずるいこと、優しいこと、それに悲しいことも。そういうことが月明かりの下で本を読むようにうっすら読めるのだ。
なぜ、こういう能力がさずけられたのか、わからない。
何か意味があるはずだ。たぶんぼくに何かをしろということだろう。
さっきも言ったけど、ぼくは生きている人の役に立ちたいと思っていた。ぼくにできることがあるなら。
ぼくには時間だけはたくさんあった。
気がつくとぼくは、元気のない人を見つけると、いっしょに街を歩いたり、となりにじっと座っていたり、ただそばにいて心の中の心配事を聞いたりするようになった。
こころが読めるようになってわかったことは、他人を責めている人はたくさんいるけれど同じくらい自分を責めている人がいるということ。
朝から晩まで、自分はダメなやつだと言ったり否定したりしている。
どうして、こんなにがんばってるのに自分をゆるそうとしないんだろう。
ぼくはそれでも、そんな人たちのそばにいるのが、好きだった。
ただそばにいてこころの声に耳を澄ませて、落ち込んでいる人がいたら、 勝手にはげましていた。
こころに穴が開きかけている人の辛さを取りのぞくことはできないし、偉そうなことなど言えるわけがない。
ただ言いたいのは、きみはもう十分がんばっているということ。
誰かがきっとそれを見ているということ。
決して一人じゃないということ。
ただぼくは相手が聞こえもしないのに、耳元でささやいていた。ぼくだけは味方になったつもりで、応援していた。
それがぼくにできることだった。
あるとき不思議なことに気づいたんだ。
ぼくの声は聞こえていないはず。でもしばらくすると、はげました人に小さな変化が起こることがあった。
それは本当にささやかだった。少しだけこころが落ちついたり、ほんの少し前向きになるんだ。
ぼくは毎日せっせと日課のようにはげんでいた。それで満足していた。ぼくがはげましても、何の反応もかえってこないときもあるけど、役に立つときもある。
ぼくはあと3日しかこの街にいられない。けれどはげましたくなる人がたくさんいた。最後まで続けるつもりだった。
今日は2021年のある水曜日。
いつものように、ぼくは、なんともない顔をしているけれど、こころの中で泣きそうな女の人と雨の道を歩いていた。
その時、通りの反対側に立っている男に気づいた。
ほかの人々は傘をさしているのに、その男だけは傘を持っていなかった。
ぼくのほうをじっと見ている。
ということは、あの男には姿が見えているということだ。
……唯川夏目が、死にかけている……
どこからか、声が聞こえた。
ユイカワナツメ……?
すると、傘をもたない男がぼくの目の前に立っていた。
人間なら、こんなに早く移動できない。
男は、死にそうなほど陰気な顔でぼくに言った。
「神さまが、おまえを呼んでいる」
「ぼくを? 神さまが?」
「そうだ。これからすぐに行く」
わけがわからず、立ちつくすぼくの手を男はつかんだ。
この男は、神さまのお使いをしている天使だ。そう悟った瞬間、まわりのカフェや歩道やクルマのすべてが、かき消えた。
いや、消えたのはそっちじゃなくて、ぼくだった。
・・・・・・・・・・・・
ある地点と、ある地点の距離がいくら離れていようが、ぼくたちにはあまり関係はない。
瞬きをするあいだに、ぼくは別の場所へと運ばれていた。
そこは病院だった。
「どうして、こんなところに来たんですか?」
「神さまがこの中にいる。おまえはこれから起こることを、神さまの近くで見ていなさい」
陰気な天使はそれだけ言うと、あらわれたときと同じように唐突にいなくなった。
何がなんだかさっぱりわからない。神さまの近くで見ていなさい……だと?
しかたなくぼくは、病院のなかに入った。
神さまを探して病院を歩き回っていると、ICUにつながる廊下に、ものすごく歳をとった女医さんがいた。
神話の中で神さまは、しばしば動物や人間に姿を変えて現れることがある。
人間はもちろん気がつかない。
ぼくには、女医さんが神さまだとはっきりわかった。
でも、神さまがここで何をしてる?
不思議に思っていると、唯川夏目という女性が救急車で運ばれ、病院は大騒ぎになった。
言われたとおり、それから一部始終を、ぼくはすぐ目の前で見ていたんだ。
それから、まもなく彼女の娘が駆けつけてきて、母親を助けるために神さまは娘と約束を交わし、あろうことか1987年の過去へと送りこんでしまった…。
神さまがルールを破って、人間を過去へ送りこんでいる?
あっけにとられていると、ひと仕事おえた神さまは白衣を着たまま、控室のすみで見ていたぼくに目をとめて呼びかけた。
「きみは輪くんね。こっちへ来て」
輪というのはぼくの名前だ。ぼくにも名前がある。(しばらく名前を呼ばれていないから、戸惑った)。
おずおずと神さまに近づくと、いきなりぼくの額に神さまは手をかざした。
まるでYouTubeみたいに、映像がぼくの頭に流れ込んだ。
あの娘のこれまでの人生を、早送りした「記憶」だった。
赤ん坊のときから、現在まで。
記憶の中のあの娘は、小学校でも中学でも高校でも髪は短くて、可愛い服はぜったいに着てなかった。もちろんスカートなんかはいてない。
なんとしても母親と比べられたくないようだ。
母親を嫌ってるわけじゃない(むしろお母さんをどっぷり愛しているのでがはっきりわかる)
どうやら少年ぽい性格らしい。男子にまじって草野球をやりサッカーをやり、やたらと元気だ。好奇心にもあふれている。
思わずぼくは、初めて見せられたこの記憶に見入ってしまった。
いまだかって男子に告白されたことは…まったくない。かわりに近所の小学生たちから、やけに声をかけられている。近所の人気者のようだ。
ものすごく剣道が強いお姉ちゃん、として尊敬を集めていた。
早送りで、一生ぶんを見せられたぼくは、頭がぼうっとしてきた。
とつぜん映像が止まった。長い時間たったようで、15秒もたっていなかった。
神さまはぼくの額から手をはなして言った。
「どう思う?」
どう思うかというよりも、ぼくが聞きたかったのは、別のことだ。
「なぜ、娘の記憶を見せるんですか?」
「きみに1987年に行って欲しいの」
神さまはけろっと言った。ご近所にお使いに行けとでもいうように。
「ぼくが……ですか?」
「そうよ。きみの仕事は、あの娘を3日間、監視すること」
カンシする? 1987年に行って、あの娘を?
「私はこの世界のルールを破って娘を過去に行かせた。このままあの娘を放っておくわけにはいかないの。だれかが監視しなければいけない」
「どうしてぼくなんですか?」
神さまはその質問をはぐらかして、逆にもう一度ぼくにたずねた。
「きみは、あの娘のことをどう思う?」
ぼくは、瞬間的にこの話を断りたいと思っていた。
あと3日しか、この世界にいられないという理由もあるが、なぜだか気が進まないのだ。
あの子には気の毒だし、あの記憶で見た彼女は嫌いじゃないけど、絶対にむりだ。
だから、思わず神さまに反論していた。
「本当にあの娘を1987年に送りこんで、母親の『かわり』をさせるつもりですか?」
「もう送ったわ。見ていたでしょう?」
「むちゃです。あの娘にできるはずはない」
「どうしてできないの?」
さすがにできるとは思えなかった。
ぼくは、いま見せられた映像を思い浮かべ、感じたままに言った。
「あの母親と、娘はまったく似ていません」
神さまは眉をひそめてぼくを見た。
「きみらしくない、言いかたね」
そういわれても、病院でベッドに横たわっていた母親の夏目は美しかった。
いやそれだけじゃない。説明できない何かのオーラのようなものをまとっていた。
多分それはトップアイドルのオーラだ。
「あまりにも母親と違いすぎるし、娘にあの才能があるとは思えません」
「才能なら、さっきあの子にあげたわ。お母さんの才能をそっくりそのままね」
「それは、母親から借りた才能だと思います」
「借りた才能?」
神さまは、とんでもないと言わんばかりに顔をしかめた。
「人間の才能は、すべて神からの借りものよ。
忘れたの? 足が速いのも、頭がいいのも、きれいなのも、
みんな生きている間に借りているだけ。 死ぬときには、返してもらうわ」
ぼくはため息をついた。 ますます断りたくなったのだ。
「才能の話はともかく、あの娘が、もしも1987年で母親のようになれなかったら、どうなるんですか?」
神さまは、そっと右腕を上げた。
すると、ぼくは病院の控室にいるはずだったのに、巨大な図書館のような神さまの部屋の中に立っていた。
「運命を変えてしまうことは、許されない」
神さまは言った。
「あの子がトップに立てないなら、すぐ現在に呼び戻す。その時点で母の魂へのチャージは中断することになるわ」
そう言われても、ぼくにはなれるとはとても思えない。ただのアイドルじゃない。
唯川夏目はソロのトップアイドルだったのだ。
「きみは、ポップカルチャーのことが、わかってるみたいね」
「ちょっと…、好きなだけです」
実は、生きている人間たちと暮らしているぼくにとって、ポップカルチャーは友だちのようなものだ。
「ともかく、1980年代は女性ソロアイドルの「戦国時代」でした。
そんな時代でトップアイドルになるなんで、絶対うまくいかないと思うんです」
「いつものきみらしくない意見ね」神さまは、さっき言ったことをまたくりかえした。
「ぼくらしくない?」
「いつものきみなら、真っ先にあの子をはげまそうと思うはずだわ」
言われていればたしかにそうだ。いつものぼくは人をはげますのが好きなのに。
「自分でもなぜかわからないけど、あの唯川夏目の娘は、ムリだと思んです」
本当になぜかわからない。あの娘のことは知らないはずなのに。
「あの子の心を、読んだの?」
「ええ」
「おもしろい子だと思うでしょ?」
「はい。だけどあの娘も、自分は母親のようには、絶対になれないと思ってました」
…にもかかわらず、彼女はこの使命を引き受けたけど。まったく躊躇なく。
神さまはぼくの目を覗き込んで、優しい表情を浮かべた。
「あの子自身ができないと思っても、きみもできないと思っていても、私はできないと決めつけないわ。
輪くん、きみはやさしい。だからきみなら、監視するだけじゃなくて、なにか他のことがしてあげられる気がするの。あの子のために」
「あの子のために、何かしてあげる? ぼくは姿を見せてはいけないのに?」
「いいえ。それは違う。彼女にはきみの姿は見えるし、きみの言葉も聞こえるようにしましょう。彼女だけにね。これはとっても特別な措置よ」
「そんなこと、頼んでません」
「姿をみせないままで、監視するのは嫌でしょう?」
どうやら神さまは本気のようだ。決定をくつがえす気はさらさらないらしい。
一般霊のぼくは神さまの命令には従うしかない。
もうすでに彼女は過去に送られてしまったのだ。
ぼくにうまく見守ることができるか、あるいは監視ができるか、それはわからないけれど。
ひとりぼっちの彼女を、だれかが見守ってあげないといけないのは確かだった。
ぼくは、抵抗するのをあきらめた。
「1987年のオリジナルの唯川夏目について、教えていただけますか?」
すぐに神さまの手元から、ふわりと1枚の紙きれが飛んできた。
その内容を読んで、おどろいた。
「これは…?」
神さまは言った。
「あとは、きみとふたりでやってみなさい。
うまくいくかどうかは、あの娘ときみしだいよ」
ぼくと、あの娘しだい…。
ぼくは生きている人の役に立ちたいと思っていた。けれど、1987年に行って、本当にあの子のために何ができるんだろうか?
それに、本当に3日間でこの時代に戻れるんだろうか?
困惑しているぼくの顔を見て、すこし心配になったのか、神さまは最後にこう付け加えた。
「私は、きみが3日後にこだわっている理由がわかっている。
だから約束をしましょう。
この使命は、 日付が3つ変わって次の夜明けまでよ」
神さまとの話はこれで、おしまい。
結局、どうしてぼくが選ばれたのかわからないまま、3日間の使命のために、過去へと旅立つことになった。




