表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

21/22

大人のゲームと、ゴーストの審査

 ここでいう「レコード・デビュー」は、21世紀に氾濫(はんらん)している「デビュー」という言葉とは、次元がまるでちがう。


 それは、夏目が歌う初めてのシングルレコードを、全国で大々的に発売する、ということだ。


 そのために、プロの作詞、作曲、編曲家が起用され、夏目のための歌が作られる。

 スタジオレコーディング、ジャケット撮影、さらにステージ衣装も作り、()()けを覚え、レコード店やデパートでキャンペーン、ほかにも山のようにすべきことがある…


 なのに、何の準備もしてないし訓練も受けてない。


 いま、専務はぎらぎらした目で夏目を見ている。

 この男はいったい何を考えているんだ?


 ぼくは、心の中を読んで驚いた。

 見たことのない風景が見えたからだ。


 まるで少年がそのまま大人になったような心象風景(しんしょうふうけい)だった。

 無邪気というのとは、まったく違う。

 すべてのものを「ゲーム」のようにとらえていて、仕事とスポーツカーのことが、同じ地平線に浮かんでいる。

 ぼくには彼の考えが、手にとるようにはっきり読めた。

 ゲームに勝つことと、自己満足をおぼえることが、彼の行動の原動力だった。


(夏目がトップアイドルになったら、莫大な富が転がり込んでくる。

 17歳の小娘がもたらした、このチャンスを逃してはならないのだ)


 専務は、自分の空想にあおられて、これからの「計画」をしゃべりはじめた。


「デビューに合わせて、夏目の売り込みに全力をあげる。

 ねらいは、テレビ出演とCMに起用されること。とくにCMは絶対に獲りたい」


 ……なるほど、そういうことか。

 この時代には、大人がレールをすべて敷いて、少女たちに、ただその上を走らせようとする大人がいた。

 ぼくから見れば、彼の敷こうとするレールは、かなり都合のよすぎるものだった。


 今まで、唯川夏目はオーディションを受けても全滅だった。

 今のこの事務所の力で、どうやったら大きな仕事が入るというんだ?


 当の夏目はというと、もちろん最初は戸惑(とまど)っていた。

(わたし、何をすればいいんだろう? この人の話はなんだか曖昧で、ふわふわしてて。

 ……もっと具体的だったらいいのに)


 こう思うのはムリのないことで、専務は「強く思えばなんとかなる」「けっきょくは熱意だ」とか言うばかりで、じゃあ夏目がいま何をすればいいのか、肝心なことが、まったく欠けていた。


 ぼくは正直いっていらいらしていた。

 この男は、夏目の教育に関心を抱いていない。一人前のアイドルになるように、育てる気など、さらさらないじゃないか。


 夏目も絶対同じように思っている……


 ところが彼女のほうを見ると、さっきまで顔に浮かんでいた戸惑いの色は、もう消えていた。


 一方的に話す言葉に耳を傾けていて、真剣にじっと聞いている。

 専務の言葉になにも口をはさまず、「わたし何もわかりません」ともいわない。


 自分よりも年上で、自信たっぷりに話す専務を前にして、ぼくにはむしろ夏目のほうが冷静で、落ち着いているようにみえた。


 ぼくはこのとき気づいた。

 夏目になにか変化が起こっているということに。


 昨日、「ザ・歌のベストテン」を見ていたときの様子と、今の夏目の様子はまるで違っている。


 今は、自分の意志で、「観察」することに専念していた。目の前の人物のことも起こっているすべてのことも。

 大人が敷こうとするレールを、おじけづいたりしないで受け止めようとしているみたいだ。


 夏目は思っていた。

(専務が言っていることは、ほとんどわからないけど、何がわかってないのかだけは、自分の心に刻み込んでおこう。あとでゆっくり学べばいいわ。

 今はとにかく、レールだろうが何だろうが、その上を前に進むしかない)


 専務のほうは、自分がしゃべる計画に、自分で満足していた。

 彼の心はすでに目の前の夏目から離れて、夢を見ていた。


 トップアイドルを発掘し、有名にして、業界に自分の名を(とどろ)かせるという夢を。


 それから彼は夏目に向きなおって、驚くべきことを言った。


「これからおれたちで作戦会議をする。

 だから、夏目はもう帰っていいからね」


「え? わたしは? 会議に参加しなくてもいいんですか?」


「心配しなくていい。おれたちがちゃんと考えるから」


 この男の頭の中には、17歳の女性を「作戦」に加えるという考えはない。

 悲しいことに、こういう人は80年代には、山のようにいた。


 とにかく、夏目はその場から「ていねいに」追い出されたのだ。



 * * * *



 事務所を出ると19時をまわっていた。

 それは、「タイムリミット」が近いということ。あとのこり10時間ちょっとしかなかった。


 ぼくを1987年に送りこむとき、神さまは言った。


 ……この仕事は、3つ日付が変わり、次の夜明けまで……


 つまり、夏目のそばにいられるのは、明日の夜明けまで。

 そのあとは誰かわからないけど、べつの担当者が、かわりにやってくる。


 最初、ぼくはこの仕事を、断ろうとしていた。

 夏目が失敗するのを見るのはつらいと思っていた。

 今は……、

 失敗してほしくない。成功するためなら、何でもしてあげたいと思っている。


 でも、もうぼくには、時間が残っていない。

 もうそろそろ「次のステージ」に進まないといけない。


 ぼくが3日後に、こだわっていたのには理由がある。

 それは、「生まれかわる」ための審査(しんさ)を受ける日だからだ。


 人は死ぬと、あらたに人間として生まれ変わるか、もしくは、別の次元の世界へと旅立つことになる。


 ぼくは、何か理由があって、生まれかわることも旅立つことも許されなかった。

 だから、ゴーストとしてずっと人間の近くで生活していたのだ。


 ぼくの望みは、みんなと同じように次のステージへ進むこと。

 もう一度生まれかわって、また最初から生きなおしてみたいと思っていた。


 取り残されたゴーストが生まれかわるための、ただ1つの方法が、天上で審査を受けること。

 そこで次のステージへ行く許可を得ること。


 ずいぶん長いあいだ待ちのぞんで、明日はその審査を受けることになっているんだ。


 だけど結局、夏目にそのことは一言も話せていない。

 話そうと思ったけど……話せなかった。

 ただのいいわけだけど、たった3日で行ってしまうなんて、とても口にできなかった。


 この使命を与えられるまで、ぼくは生まれ変わったらどうなるか、いろいろ想像して期待していた。

 今は、夏目がこれからどうなるのか、そればかり考えている。


 さっき学校の帰りに、夏目はぼくにむかってこう言った。


「男子の友だちも一人いるよ」


 ぼくは何も言えなかったけれど、あのとき感じた気持ちは、

 絶対に忘れない。


 友だちができたのは、死んでから初めてだから。

 ぼくはあと10時間しかいられない友だち。


 そのことを言えない友だち。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ