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18/22

ここは、「普通のクラス」じゃない

 今日は金曜日。朝の満員電車にゆられ、国鉄からJRに変わったばかりの駅で降りると、

 高校生たちがぞろぞろ歩いている。


「みんなについていけばいいよね」と夏目。

「はじめての高校だからって、キョロキョロしないんだよ」

 夏目は、うんといいつつ、目が泳いでる。まあ仕方ない。


 思うんだけど、学校というところは不思議だ。

 そこだけ、時間がべつの流れ方をしているように思える。

 ごく普通のたたずまいをした高校は、もしかしたら40年後もこのままのたたずまいで、ここにある気がする。


 玄関が近づくにつれて、なんだか夏目は、昨日よりも緊張している。

 夏目は、駆けるように急いで歩きはじめた。道行く生徒たちに見られていたからだ。


(ジロジロ見られるのには、どうも慣れないな)

 足がもつれて転びそうになる。


「だいじょうぶ。落ちついて」

「うん」

「くつ箱は、入り口のすぐそばで、上から5番目だから」


 校舎というものは、どこも似たようなもの。だから、夏目に教えるのはラクだった。

 入り口の靴箱のそばには、男子学生が2人さりげなく立ち話をしていた。

 どうやら夏目をひと目見たかったようだ。


  余裕のない夏目は、ネームプレートの貼られたくつ箱に靴を突っ込み、廊下を早足で歩く。

 夏目の教室は、2階のいちばん奥だった。


 大丈夫だろうか、こいつは。

 学校で友だちと無事に過ごせるのか? 

 ここは、「普通のクラス」じゃない。目がはなせない。


「前から5列目の席だからね。自分の机を間違えたらだめだよ」

「わかってる」


 夏目は、大きく息を吸い込んでから、教室に入った。



 ・・・・・・・・・・・・


 教室の中は、しかしまあ……

 みんなかわいいこと。


 想像してみてほしい。

 全員ノーメイク。なのに異常に魅力的な女子たちが、一堂に会している教室を。

 現実とは思えない、あり得ない場所にいる自分。

 頭がぼうっとしてくる。いまのぼくは、日本中の少年たちの羨望の的といっていい。


 夏目は教室に入って、少しおじけづいている。

(やっぱり逃げ出したい)


 気づいた子が、顔を上げて「あっ。夏目、おはよう」と声をかけてくれた。


 ——いまのは、特別新人賞をとった、倉沢ひばり? 

 気づいただけでも、このクラスには、すでに人気にあるタレントや、ドラマでヒロインを演じている子がいる。


 夏目は、おじけづいてる場合じゃないと、態勢を立て直す。

「おはよう」

 背筋をしゃんとして、さも「私はここになじんでるのよ」という顔で歩き、

 教室のほぼ真ん中に位置する自分の机にぶじたどり着いて(一つ間違えて後ろに座ろうとしたが)、椅子を引いて座った。


 前の席の子が、ふりかえって夏目に微笑む。……さっき、車の中で寝ていた小沢杏子だ。

 夏目も負けじと微笑み返した。


 みんな、顔を上げて「おはよう」と声をかけてくれたけど、それ以外はしいんとしている。

(女子ばかりだけど、なんて静かな教室)


 夏目は、あの雑誌『WEE』のことを、ひやかされるかと思ったけど、誰も何もいわない。

 みんな、自分の教科書とノートに顔を埋めていた。

 どうやら朝の授業の準備で必死らしい。

 それに、ここにいる子たちとって、雑誌にのることなんて「特別じゃない」のかも。


 そう思って夏目はカバンからノートやペンケースを取り出している。

 たった今までおじけづいていたけど、うん、もう大丈夫、きっと。


 チャイムが鳴って、地味な肩パッド入りのブラウスを着た女性の先生が入ってくる。

 みんな一斉に、若き婦人警官のように立ち上がった。 


「グッドモーニングミス村田」


 ぼくは窓辺のオイルヒーターの上に(みんなが見渡せる場所)座って、観察することにする。


 なるほど厳しい学校というのは本当らしい。

 ミス村田は、髪も服もすべて地味。生徒も髪が長い子はみんな、地味にまとめてるし。

 よそ見してる子などいない。

 それどころか、英語の授業がはじまると、必死で黒板と先生を交互に見つつ、ノートに鉛筆を走らせている。


 こんなびりびりした教室はぼくもめずらしい。

 みんな 授業についていくのに必死なのだ。

 そして夏目は、といえば、


 なんだか楽しそうだ。


(いまのわたし、お母さんの席に座ってるんだ。お母さんもこの教室で、友達の背中を見てたのかな?)


 やっぱりお母さんのことを考えていた。


(お母さんは、東京で一人暮らし。そんな人にとって、友だちがいる教室は大切な場所だったはず)


 夏目は、ぼくが見ていたのに気づいたようで、黒目をくりっと動かしてぼくを見て、にっとほほえむ。

「わたしだいじょうぶだよ」というように。


 すぐに、ミスから放射される視線を察して、さっと前に向き直る。

 みんなとおなじように熱心に教科書を読みはじめた。  


 ……しかし、それにしても高校の授業って。


 ぼくは、たぶん勉強はできなかったんだ。何回も繰り返してみたテレビドラマみたいに、授業は、退屈きわまりなかった。


 だからぼくが、教室にいるタレントの子たちの心を読みたくなったとしても、許して欲しい。

 この誘惑に勝てるやつなんているだろうか?

 と自分に言い訳して、クラスの子たちの心の中を読んでいく。


 彼女たちの名誉のために言うと、ゴシップになりそうなことを考えてる子はいなかった。

 なにしろみんな仕事がある子ばかり、忙しいのだ。

 今日出席できても明日はできない子もいる。

 頭の中は、アルファベットが飛び交っている。


 ただ、そのなかに1人だけ。気になった子がいた。


 今朝、車の中で眠っていた子。

 ひときわ目立っていた、この教室で今もっとも売れているアイドル歌手の小沢杏子。


 ぼくが驚いたのはなぜかというと、彼女の心の中が、空っぽだったから。


 彼女は熱心に聞いているフリをしていたけど、空っぽだった。

 無関心とかそういうのじゃなく、感情がほとんど乾いてしまって、砂のようだった。


 ぼくは完全に心が読めるわけじゃない。だけど、たった一つ見えた感情は「恐怖」だったんだ。

 何かに追われている者の心の中、そのものだった。

 それは、仕事だ……ドラマ、生放送のテレビ、CM、そしていつか人気が落ちるかもという不安。

 まだ17歳なのにすべてが彼女を押しつぶしかけている。


 いままでも、ぼくはそういう心の人と何度も出会った。

 たいていは彼女よりもずっと年上の大人で、やっぱり仕事の重荷。

 それとそっくりだった。


「小沢さん、この英文は、何文型ですか?」


 先生の鋭い声で、小沢杏子はわれにかえった。

 教室のみんなは、しんとしている。


 杏子は、先生の話を聞いてなかった。

 立ち上がった彼女はこわばった顔をしている。

 それは、アイドルとして頂点に立つ人の顔ではなかった。追いつめられた小動物の顔だった。


 ただの英語の質問なのに、これに答えられなかったら、まるで人生すべてが終わると思いこんでいるように。


「小沢さん、答えは?」 


 気まずい、重たい、永遠のような間が空いた。


「だ、い、ご、よ」


 杏子の後ろの席で、小さな小さな声でつぶやいている子がいる。

 真っ青な顏の杏子は、その声に気づかない。


「だ、い、ご、だ、い、ご」


 と執拗に小さな声がくりかえしていた。


 やっと、その言葉の意味を理解した杏子は、

「第5文型です」

 100万人の男子をとりこにした、きれいな声でこたえた。


 厳しいミス村田の顔が2ミリほどゆるんだ。

「そうね。第5文型、ここは間違えやすいからエブリワン、気をつけるように」


 杏子は、ほっとして席に座る。

 一瞬でその顔に人気アイドルの輝きがもどった。

 あの追いつめられた表情は、マボロシだったみたいに。

 でも、ぼくは…このときの彼女の表情を、ずっと忘れることはできなかったけれど。


 ミス村田はみんなの顔を見まわしてから、黒板につぎの例文を書きはじめた。

 杏子は、先生の目を盗んで、そっと後ろをふりかえる。


「ありがとう、唯川」


 教科書で顔をかくしている夏目に、ささやいた。


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