表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

17/22

第2の扉 見知らぬ学校にかくされた鏡

 今までとは違う世界に、夏目は足を踏みだすと決めた。

 踏みだした先は、怖いけれどまぶしい場所。もう後戻りはできない。


 もしかしたら、傷つくことになるかもしれない。

 でも一歩踏み出したのだ。ころんでひざをすりむいても、立ち上がればいい。


 あのまばゆいGスタジオを見たら、夏目は必ずおじけづく……それが神さまにはわかっていたんだと思う。

 あれは試練…いや、テストだ。

 夏目は、そのテストを乗りこえた。


 でもそれは、終わりではなかった…。まだ始まったばかり。

 一度真っ白になった壁に、ふたたび文字が浮かび上がっていた。


 ……もしかしたら、次のメッセージ?


 壁に書かれたのは3行の文字だった。


 * * * * *


 第2の扉 高校

 きみが何をすべきか、

 うつしだす「鏡」


 * * * * *


 このメッセージは、なに…?


「第2の扉は高校? 歌とダンスのレッスンじゃなくて、高校?」

「うん、そうだね」

「1987年のお母さんの高校と、アイドルを目指すことと、なんの関係があるの?」


 ぼくたちは、お互いの顔を見て、考えてしまった。

 高校に、いったい何があるの? 


 まず1秒でも早く、ダンスとボーカルを学んでほしい。なのに…

 不可解だとしか言いようがない。

 ホグワーツでもないのに現実の世界で、その「扉」というものが何の役に立つのだろう?


 アイドルは、テレビ番組「スター誕生!」以降、10代の早いうちにデビューをすることが多くなった。だから、仕事と学校を「両立」させることは宿命のようなものだったけれど。


 夏目は、ハンガーにかけていた制服を、じっと見つめていた。


「考えても分からないから、とにかく高校に行ってみる。もう休みたくないし、お母さんの友だちにも会いたいし。

 それに、この時代の高校生活なんて、貴重な経験だしね」


「貴重な」というのはその通りだけど…、

 ぼくは、まだ疑問を持っていたが、もう夏目は学生かばんから教科書とノートを引っ張り出していた。


「何をするの?」

「もちろん。そうと決まったら予習するの」

 そういってすごい勢いで勉強をはじめた。

「さすがはわが母。ノートをばっちり書いてて、まめだわ。どこまで授業が進んでいるかよくわかる」


 夜中に勉強しているのに、この人はテンションが異常に高い。とにかく目の前のことに、集中する気らしい。

 ぼくは英文法がアイドルの役に立つの? と思ったけど、


 ……その考えは、間違っていた。



 ・・・・・・・・・・・・・・



「ねえ。きみは寝ないつもり? 昨日も少ししか寝てないのに」

「だいじょうぶ、1日寝なくても死にやしない。ニューガイドが終わったら寝るから」


 そして結局、3時半まで夏目はがんばって。

「終わった!」

 さすがに電池が切れた夏目は椅子からふらふら立ち上がる。

「わたし、ちょっとだけ寝る」と宣言して、ぱったりベッドに倒れ込んだ。

 10秒後には寝息をたてている。


 この子を見ているだけで飽きない。

 ぼくはもう、目が離せなくなっていた。彼女のしぐさ、口から飛び出す言葉、まっすぐな行動、そんなのすべてに。

 まあ監視役だから、目を離せなくてもいいか…

 自分にそんな言いわけをしていた。


 それにしても、彼女はとても高校に行きたがっていたけれど…、

 心を読まなくても、寝顔を見ているうちに理由がすこしわかった。

 夏目がちいさい時に、離婚したお母さんは夏目のもとから出て行った。

 それからはやっぱり寂しくて、つらい思いをしたはずだ。


 たぶん夏目は高校へ行って、お母さんのことを探したいんだ。


 もう一度、眠っている彼女の寝顔を見た。

 今の寝顔は…、アイドル失格だな。


 でもぼくは、わけがわからないまま一歩を踏み出す彼女を、応援することを決めたんだ。

 それからある「作戦」があるぼくは、部屋を出た。


「作戦」というのは、こうだ。

 夏目は、とうぜんだけど高校のことをまったく知らない。自分の教室の場所すら。

 だから、ぼくは彼女が寝ているあいだに早朝の学校へ行き、誰かが来るのを待って、その記憶を読む。

「芸能クラス」の夏目のことは、だれかが知っているはず。


 記憶の中から夏目のくつ箱や、教室の位置とかの情報(ほかに知ってればそれも)を入手したら、すぐ部屋にとんぼがえりする。

 夏目を起こして、学校のことを教える。夏目は何食わぬ顔で学校へ行き、上履きを手に入れ、教室へ行く。

 あとは夏目がアドリブで乗り切ればいい。


 というわけで、ぼくは部屋を出ると街を飛びこえて、手帳に書いてあった住所を頼りに、夏目の高校を見つけた。


 上空に到着したときは、まだ夜明け前で薄暗い。

 あたりまえのように人の姿はまったくない。


 …いや。

 校門のすぐ近く、学校と外を隔てるフェンスのそばに、1台の黒いワゴンが止まっている。

 なにげなく上空から観察すると、意外なことに車の中には人がいた。

 しかも2人。


 ある予感があって、ぼくは下降して接近し、中にいる人をのぞきこんだ。


 運転席に1人の男がいる。

 後部シートに目をやると、シワにならないようにきちんとカバーをかけられた制服が、座席に置いてあった。

 そのとなりで、まつ毛の長いきれいな女の子が眠りこんでいた。


 顔に見覚えがある。

 きっとこの子は夏目と同じ「芸能クラス」の子だ。


 どうしてこんなところで寝ているんだろう?


 ぼくは、女の子の記憶の中を探った。

 相手がはっきりわかっていれば、車のガラスをへだてていても、心の中を読むことができる。


 予想通り、彼女は夏目のクラスメイトだった。

 去年デビューして、2枚目のシングルがオリコンで2位まで上がった小沢杏子だ。

 昨日は、大泉で撮っていたドラマの収録が長引き、それから有楽町でラジオの収録。

 さらに「スコラ」の取材で、終わったのは夜中の3時だった。


 家に帰っても寝る時間はほとんどない。そこで学校まで来て、仮眠をとっている。

 というわけだ。

 眠っている彼女は胎児のように体を丸めていた。かわいそうなくらい疲れているのがよくわかった。


 このころの人気アイドル歌手は、ドラマに出演することも多かった。その過酷なスケジュールはまさに猟奇的だった。

 もしかしたら小沢杏子は、デビューしてからこんな生活をずっと続けているのかもしれない。


 ぼくは細心の注意をはらい、起こさないように記憶に入って、夏目の席の位置やくつ箱の位置など必要なことだけを確認した。


 最後に、「今日は、家に帰れるといいね」とそっとささやいた。

 もちろん彼女には聞こえていないけど。

 それから退散した。


 ・・・・・・・・・・・・・・


 高校からマンションにもどると、夏目はもう起きていて、制服に着がえていた。

 びっくりするほど細い腰に手をあてて、鏡をながめている。


「お母さん、制服のウエストを絞ってるのよね。まったく17才の女の子ってやつは。

 校則きびしいでしょうに」


 ぶつぶつ言っている。

「まさかわたしがお母さんの制服を着るなんて…。嬉しいけど」


 夏目はまた、うっとりした顔をしている。


(この制服を着て、お母さんは友だちと何を話していたのかな? 誰か夢中な子はいたかな? こんなの考えるのって、おかしいかな?)


 ついその様子を、ぼんやり口を開けて見ていたぼくに気づいて、夏目は言う。


「輪さん、にやけてるの?」

「え? そんなことない」

「にやけてるよ。くちびるがぴくぴくしてる」

 夏目はしつこくからんでくる。


 そう言わると、よけい口元が勝手にほころんできて、ぼくは必死に隠そうとした。


 しかたないよ。これだけ似合っているんだから。

 電車に乗っても、道を歩いていても、すれちがったきみを振り返って、何人もの男の子の胸はうずくだろう。

 そして、たった一言でも、話しかけることができたら、と思うだろう。

 結局、話しかけることはできなくて、ただうしろ姿を目で追いかけるだけ。


 夏目は、そんなことは考えてもいない。

 長い髪を三つ編みにして指でつまみ、ぶらぶらさせている。


「校則もチェックした。学校へのルートを覚えた。よし、行くよ」


 威勢よく言って、マンションを出た。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ