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16/22

本当のメッセージ

 そのあとずっと、夏目は城野さんと野口さんの前では、笑顔を顔に貼りつけて、楽しそうなふりをしていた。

 でも絶対に、ぼくと目を合わせようとしなかった。


 本番がはじまる前に、ぼくたちはGスタジオを出た。

 城野さんとはテレビ局の前で別れ、野口さんに送ってもらった車の中でも、にこにこ笑っていた。

 野口さんにいろいろ聞かなければいけないことがある。

 そんなことわかっているけれど、夏目は野口さんの話を、ただ聞いているだけだった。


 部屋のドアを閉めてベッドのふちに座ったとき、はじめて夏目はぼくの顔を見た。


 それまで押さえてきた感情が、口からあふれ出てきた。


「私にはムリ。あんな世界で、あんな大きなステージに立って、あんな人たちにまじってカメラの前に立つなんて、絶対に絶対にできない」


 涙が浮かんできて、ぽろぽろこぼれ落ちた。


「できると思ったけど、ただの錯覚だった。姿だけ同じでも私はお母さんじゃない。あの人のようにはなれない」

「そうだね。そう思うかもしれないね」


 ぼくは、もしかしたらできるかも…と思ってたけど。


「こんなに自分が馬鹿みたいに思えたことってないよ。あの雑誌の写真も、全部お母さんがやったこと。何一つわたしがしたことじゃない。何一つだよ。わたしは学芸会の代役。ううん、それよりひどい。ただ舞台の上に、突っ立っている人形だ」


 涙のしずくが頬をつたって、腕時計の文字盤に落ちた。光る星はたった1つだけで、弱弱しいけれど。まだ消えてはいない。


 きみは人形なんかじゃない。きみは自分が思っているよりも…

 でも口には出さなかった。


 夏目の顔は涙でぐしゃぐしゃだった。

 ベッドにもぐりこんで、毛布を頭からかぶってしまった。

「むり、むり。絶対むり」

 いままで張りつめていた心の糸が、急に切れてしまったように。


 ぼくはどうしたらいいのか、何をいったらいいのかわからない。

 これまで何人か、過酷な目に合わされた人を見てきた。

 あきらめてしまう人、やる気をなくしてしまう人だって、あまりにたくさん見てきた。


 ——いくらこの子が、芯の強い子だとしても。急にあんなスタジオを見せられたら、誰でも打ちのめされる。


 夏目は毛布をかぶりつづけ、黙りこんでいた。

 きっと疲れていたんだろう。しばらくすると静かになった。聞いているかどうかわからないけど、ぼくは声をかけた。


「もう遅いから、ぼくはもう行くね。あしたもう一度考えて、どうしても無理なら…」


 毛布の小さなふくらみはもぞもぞ動いている。やっぱり眠ってはいない。

 ぼくは、もう何も言えない。

 部屋から出て、空を上へ上へとのぼって行った。



 * * * *



 それにしても、ぼくはいらだっていた。いったい何だこれは。

 第1の扉だって? 

 これが扉だとしたら、あまりに残酷だ。


 どうして、自信がこなごなになるような光景を、見せなきゃいけないんだ? 

 ぼくが今まで見てきた使命のなかで一番きびしい。

 これで夏目が、だめだと思ったなら、もう…リタイア、しかない。


 彼女を、元の世界に戻してあげるにはどうしたらいいだろう? そうしたら彼女のお母さんはどうなるんだ?

 月にむかって毒づいた。神さまは何がしたいんだ?

 ぼくには、もう1日と半分しか時間はないのに。


 月は、もちろん何も答えをくれたりしない。

 しばらく雲の上で考えても、いいアイデアは、さっぱり浮かばなかった。


 ぼくは、かなりゆううつな気持ちで部屋に戻った。


 部屋の中は、しんとして…はなかった。

 バンドが演奏する小さな音が聞こえる。


 そっと見ると、夏目は起きていた。目線の向こうのテレビには『歌のトップテン』が映っていた。


 夏目のとなりには、ベータマックスのビデオテープが積み上げてある。

 いまはテレビの中で歌っている白いドレスの南野陽子さんを、食い入るように見ている。


 ぼくは、しばらくみていた。

 夏目は左手に見えないマイクを握って、右手は南野さんの()()けに合わせて動いている。

 ぼくは、そっと部屋の外に出て、わざと物音を立てた。あわてて夏目が動きまわる気配がした。


 部屋に戻ったらテレビは消され、夏目はベッドで毛布をすっぽりかぶっていた。


「寝てる?」

(もちろん、そんなに早く眠れるわけがないけど)


 毛布の丘からは、小さな頭だけがのぞいている。

 どうやら顔は、こっちを向いているみたいだ。


 ぼくは、こう思っていた。

 今回の使命はとびきり無茶だ。きみがむりだったら、リタイアしよう。

 そう口に出そうとしたとき、ふと、壁に書かれた文字に目がとまった。


 あの「第1の扉」の文字が、薄暗い部屋の中で淡く光っていたのだ。

 何かを知らせるように。


 ****************

 「扉」は、きっときみの役に立つ


 それは隠された場所にある

 第1の扉の鍵は、Gスタジオ

 けれど忘れてはいけない

 きみのいちばん大事なものは何?

 ****************


 きみのいちばん大事なもの? 


 ……この言葉の本当のメッセージは何だろう? 何がいいたかったんだ?


 勝手にGスタジオの中で見つかると思い込んでいたけれど、

 いまようやく、気がついた。

 Gスタジオは「きっかけ」にすぎないんだと。


 わからなかった答えが、わかった気がした。


 そう。大事なものが、歌番組のスタジオの中で見つかるわけはない。

「いちばん大事なもの」は、誰かが決めるものじゃない。

 自分の心が決めるものだ。


 ぼくは、毛布をかぶって黙っている夏目にむかって質問した。


「ねえ。きみは心の底では、本当はどうしたいと思う?」


 ……きみは、お母さんを助けるために、「みがわり」を引き受けた。それは勇気のあることだ。でも、それだけじゃだめなんだ。


 ぼくは、答えを知るために心を読まなかった。

 何かこの人は口に出したがっている。だから、しんぼう強く待った。


 毛布の丘に小さな隙間が空いた。


「わたし、だまっていたことがあるの」

 夏目の声は小さいけれどはっきりしていた。


「昨日見た夢のことを」

「きみは夢をみたんだね。どんな夢を?」

「わたしは、きらきらした衣装をまとっていて、ステージに立って、いっぱいライトの光を浴びていた」


 毛布の隙間から、夏目の瞳がぼくの方を見ていた。


「わたし、もう一度あのスタジオに行きたい。見てるだけじゃなくて、つぎは大きなステージの真ん中に立って、向こう側の景色を見てみたい」

「それが、きみの心の底の本当の望みだね?」

「わたし、何をこわがっていたんだろう。

 恥をかくことと、自分の小ささを思い知ること? けど、このままだと何も変わらない」


 夏目が、ベッドから半身を起こすと、くるまっていた毛布は肩から滑り落ちた。

 窓から銀色の光が差し込んでいた。雲間から月が現れていたんだ。


「最初は、お母さんのために、やるんだと思ってた。でも今は自分がやりたい。

 なれるかわかんないけど。そんなのいい。

 お母さんは、わたしが一歩踏み出したことがないと言った。その通りだよ。

 いま何も挑戦しないで、未来に戻るわけにはいかない」


 ぼくは、今の夏目の瞳をけっして忘れないだろう。

 ……今のきみが本当にしたいこと。心の底の本当の望み、


 それが生きている人間にとって、いちばん大事なもの。


「あまりにも世界が違うし、私はちっぽけで、何もわかっていない。けど、けどね。

 私はトップを目指す」


 夏目は、薄暗い床の上に、ドンと右足をおろした。


 夏目のつま先が床に触れたとたん、

 壁に書かれていた「第1の扉」の文字がきらきら輝き、

 そして消えた。


 最初の扉が開かれたんだ。

                               

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