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14/22

雑誌は大反響。わたしはいったい、どこへ連れていかれる?

 服を着替えて、どこに行くのか? 事務所の人は教えてくれなかった。


「わからないけれど、とにかく〈いちばん素敵に見える服〉を着て待つしかないよ」


 部屋に戻ると、夏目はすぐにクローゼットを開け、まったく迷わずに、深い紺色(こんいろ)のワンピースを選んだ。


「どう?」とぼくに聞く。

「紺色? 地味じゃないの?」


 白い(えり)かざりがついているだけで、膝下まで足がかくれるワンピース。

 品がある、けれどミニでもないし可愛いというのともちがう。


「こういう服は絶対に着なかった。今までのわたしだったらね。

 見てて。唯川夏目なら、どうなるか」


 すばやく夏目は服をぬいだ。ぼくはさっと後ろを向く。さらさらとした衣のたてる音、ファスナーを閉じる気配がして。

「いいよ。こっち見ても」


 振りむいたぼくの口が、あんぐり開いてしまった。

 その…本当に、いちばん素敵に見えるからだ。


 ぼくには、どういう魔法なのかわからない。

 濃紺の生地に白い襟かざりだけ。顔はすっぴんで、耳たぶに小さなパールのイヤリング。


 なのに、そこに立っているのは、まさしく唯川夏目その人で。

 異常に輝いていた。


「どう?」どうもこうも言葉にならない。ぼくはただ見とれている。


「いいよ。言わなくても、その目を見たらわかる」



 着がえをすませた夏目とぼくが、マンションの外に出ると、急ブレーキとともに1台の古いトヨタミラが止まった。

 窓からメガネをかけた黒髪の女の人の顔が飛び出てきた。


 この人がマネージャーの野口さん?


「早く乗って、夏目ちゃん」


 夏目は慌てて乗り込むと、急発進で走り出す。

 ぼくもすばやく後部シートに潜り込む。


 野口さんは業界の人というよりは、理科の先生といった感じ。ただし興奮するとおしゃべりが止まらなくなるようだ。

「あの雑誌が出たとたん、すごい反響よ。電話がジャンジャン鳴りやまないの(息継ぎ)みんな雑誌を見てかけてきた。こんなのはじめてよ。しかもむこうは(息継ぎ)テレビの制作会社に出版社、広告代理店…」


 野口さんは興奮してしゃべりまくる。


「今まで手ごたえがなかったのに。夏目ちゃんが関心を持たれている」


 夏目は、ただうなずくしかない。

 マネージャーに聞きたいことは山のようにあったけれど。

(あの、全然わかっていないんです、これからどうなるの? ゼロから教えて)


「いまは話を聞くことに集中するんだ」とぼく。

「彼女がしゃべってくれる。夏目は、あいづちを打っていればいい」

「うん」


 窓の向こうを流れる街並みを見ると、このクルマは都心に向かっている。

 ぼくは野口さんの心の中にそっと入ってみた。


 彼女は、小岩で親といっしょに暮している。事務所に入って1年。だけどマネージャー経験はとぼしい。今は「時間」に間に合うために必死になっている。

 そこから先はわからない。「未来に属すること」は知ることができないのだ。


 野口さんは、ミラーごしに夏目を見て。


「いい。夏目ちゃん? 今からが正念場(しょうねんば)よ。城野さんは『WEE』を見て、まっさきに電話してきた。

 私だって彼の名前ぐらい聞いたことがある。すご腕よ。その城野さんが、とんでもない場所で会いたいっていってきたの」


(城野さんて、だれ? とんでもない場所って何なの? さっぱりわからない)


「あの…私は」(これから、どうなるの?)


 彼女は、理科の先生のキッとした目つきになった。

「彼は、広告代理店の『キャスティング局』の部長なの。顔が広いしスポンサーにも信頼されている。それを忘れないで」

「はい」


 夏目は素直にうなずいた。そして、横目でぼくを見た。


(キャスティング局って?)

「キャスティング局というのはね、広告を出すスポンサーの会社と、タレントとを結びつける仕事だと思うよ」


 いまの夏目の心のなかは、嵐の海にゆれる小船と言うのがぴったりで。

 必死で現実についていこうとしていた。


 白いホンダシビックが前に割り込んできた。野口さんはののしる。


「この街ってどうして車だらけなわけ? みんな電車に乗らないの?」 


 青山通りを走りながら、ぼくはぼんやり考えていた。どうやら、この車は「赤坂」に向かっている。

 赤坂って、何があっただろう?


 とつぜん左右に連なっていたビルの壁がとぎれ、視界が開けた。


 目の前には、巨大な「TVSテレビ」のビルが、天空にそそり立っていた。



 * * * * 



 昨日は、1987年のちいさなマンションの部屋に送り込まれた。


 今、この国を代表するキー局である、TVSテレビの前にいる。


 何が起こるのか、ぼくにも見当もつかない。

 これはまだ「入口」にすぎない。足をすくわれたら、真っ逆さまに落ちる…

 そんな気がしていた。


 野口さんは、正面ゲートに立っている守衛さんに名前を告げ、車を直進させた。

 テレビ局のやたらと広い駐車場。黒いアウディの隣に、ぼくらを乗せたトヨタミラはとまる。野口さんはすぐにおりたった。


 けど夏目は、後部シートに座って前を向いたまま。深呼吸をして、ふうっと息を吐いて。

「いったいどうなるの?」


「とにかく先へ進むしかないね」ぼくはなぜ、もっと気の利いたことが言えないんだろう?


「だいじょうぶよ。何とか切り抜けるから」


 夏目は、背筋を伸ばして車をおりた。

 エントランスでスーツ姿の男がひとり、夏目を凝視している。

 この人が城野さんかもしれない。


 ぼくのように自信があまりない男は、自信たっぷりな男をみればすぐわかる。

 彼は40歳くらいなのに完全に白髪で、しかも美男子だった。


「夏目さん。城野です。会うのははじめてだね」


 目の前にいる男は名刺をわたした。博通堂と書かれてある。大手の広告代理店だ。

 おだやかに微笑んでいたが、その眼はジンジョウではない。優しくて同時に夏目を鋭くジャッジするという芸当を、ごく自然にやっている。


 彼は、夏目にまるで昔からの友達のように話しかける。


「おれが思ったとおりの人だ。メイクしないでこれだけきれいなのは…いやいや、すごいな」


 夏目は、むりやり口角をあげる。

(知らない人だけど、味方につけたほうがいいようだわ)


 少々微笑みはぎこちないけど、仕方ない。

 彼を先頭に夏目と野口さん、それにぼくは、巨大なテレビ局の中へ入り込んだ。


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