とつぜんの大きなチャンスに夏目はキレる
いつのまにか、夏目のまわりには人が集まってじろじろ見られていた。
夏目にとっては、人に注目されるというのは(剣道の試合以外は)ほぼ経験のない事態で、いごこちが悪い。
「マドカさん、バイトは?」
「あ、もう仕事にいかんと」。時計を見て財布を取り出した。
「とにかく2冊買わないかんな」
レジで2冊の『WEE』を手渡されると、すぐ夏目の手をつかんで、本屋さんを後にした。
「すごいチャンスをもらったな。これで何もかも変わる。とにかく無駄にせんようにせな。わたしも頑張らんといけん」
そういって1冊を夏目に手渡した。
「すぐお母さんに見せるんよ」
「うん、おばあちゃ…おかあさんに見せるね。ありがとう」
「じゃあね。あんたは、まっすぐ帰るんよ。
あっ、その前に事務所に電話せんとな。雑誌の反響で大騒ぎになっちょるかもしれんよ」
夏目は、マドカの姿が消えるまで見送った後で、くるっと背中を向けた。
なにも言わず一人でずんずん歩いていく。
なぜ、青山へ向かって歩いているんだろう? わからないけど夏目は頭の中で写真のことを考えている。
(お母さんの写真は、まぶしいくらい輝いていた。あの人は、やっぱりスターだ)
胸がいっぱいになっていた。
…だけど、やっぱりわたしと違う。
さっきまでの感情が少しずつ変化し、今度は別の感情がふつふつと湧いてきた。
その感情の矛先は、近くにいる「だれか」へ向かって——
夏目は立ち止まって、ぼくを見た。
「なぜ雑誌にのることを黙っていたの? わたしを、からかってるの?」
怒っている。目は怒りでランランと燃えている。
「輪さんは、このことを知ってたの?」
ここは強く否定せねば。ぼくはあわてて首を横に振った。
「誓って知らない。ぼくも聞いてなかったから」
「神さまは知っていたはずだよ」
「それは…、たしかに雑誌のことを教えてくれなかったのは、どうかと思うよ。
でも、なぜそんなに怒ってるの?」
「わからない」夏目は、キレぎみに言った。
「戸惑うのはすごくわかる。だけどうれしくないの?」
「うれしいに決まってる。あんなに素敵なお母さんの姿をみて、うれしいに決まってる」
「でも、怒ってるよ」
「何で怒っているのか、わからないの」
(お母さんには、絶対勝てない。そりゃあそうだけど。勝てないのは最初からわかってるけど)
「腹が立つの。だから輪さんに八つ当たりしてるの」
夏目の心の中は確かに、ごちゃごちゃになっていた。不安と驚きと喜びと悔しさ、いろんな感情で心があふれかえっているんだ。
もちろん神さまには、何か考えがあるんだろうけど、現場のぼくはたまったもんじゃない。
「いったい、この1冊の雑誌で、何が起こるというの?」
「たぶん、きっかけだと思う。
この時代には、インターネットは広まってなかった。
だから雑誌が人々に与える影響力は、2020年代とはまるで違うんだ」
「きっかけ?」
「さあ、はやく事務所に電話をかけて、どうなっているか様子を聞くんだ。番号は」
「手帳に書いてあったから知ってる」
夏目は、つんけん言う。
スマホを探すために、バッグを開いた手をとめた。(スマホは使えないのか)
交差点で見つけた電話ボックスに入り、硬貨を入れて受話器のむこうの相手と言葉をかわした。
夏目は、すぐに電話ボックスから出てきた。
もう怒りはふっとんでいた。事務所の人から話をきいて、怒るどころではなくなったのだ。
「すぐに、部屋に帰らなきゃ。いちばん素敵に見える服に着替えろって。今から迎えに行くからって言われた」
服を着替えろ? いちばん素敵に見える服? どういうことだ?
何がなんだかさっぱりわからないけれど、何かが起こっているのだけはわかった。
ぼくたちの想像を超えた何かが。




