特別な子
唯川夏目にまつわるウワサで、大げさなものは一つもない。
彼女は、200万人の男子の心を奪い、その3倍の数の女子から嫉妬された。
でも、彼女の最強の魅力は、その可愛い顔でも、スタイルでもなく、
気持ちが顔に「まるだし」になること。
テレビカメラの前で、ど緊張しているのも。
ベストテンに初登場して、涙ぐんで感激してるのも。
生放送で歌って音をはずして、「あちゃー」と凹んでいるのも。
そのまんまぜんぶ、絵に描いたように顔に出る。
べつに、狙ってそうなるわけじゃない。勝手に顔に出てしまうのだ。
それを見ていた全国の中高生たちは、メロメロになった。
夏目が笑うとみんな笑いたくなり、悲しい顔をすると、みんなキリキリ胸が痛んだ。
10歳の子どもから80歳の老人まで、もれなく全年齢の男子が壊滅的に彼女のとりこになった。
唯川夏目……あの輝く黄金の80年代トップアイドル。
彼女は、集団でダンスしながら歌う、アイドルグループの一人じゃない。
(といっても、今のアイドルグループを、否定する気はない)
夏目は、ソロ(単独)のアイドルとして頂点に立っていた。
ソロアイドルとは、
大きなステージのまん中で1人で歌い、雑誌のカバーを1人で飾り、ドラマと映画に主演し、チョコと化粧品とパソコンのCMに起用され、自分のラジオ番組も持っている。
そんな人のことだ。
そんな人が、80年代には何人もいたのだ。
唯川夏目が、ある時ラジオ番組でプレゼントの募集をしたら、放送局に50万通のハガキが殺到するジタイとなった。
そのプレゼントとは、夏目が15分間、ひとり言をしゃべるカセットテープだった。
たった1本のカセットテープのために、50万通。
でも、唯川夏目は、他のアイドルとは違っていた。
夏目のコンサートを体験したある作家は、こう言ったらしい。
「彼女は、何千人も観客がいても、一人一人と赤い糸で繋がっている」。
さて……ところで、
きみは、こう思っているかもしれないね?
(今、この話をしゃべっているあなたは、いったいだれ?)
じつは、唯川夏目は、わたしの「お母さん」。
そう。信じ難いが、ほんとうの話。
わたしの名前は、玲。
唯川夏目の娘である。
神さまは、お母さんに、誰からも愛される才能を、贈り物としてさずけた。
娘のわたしへのギフトは……なんだろう?
それはこれから、先の話。
わたし……玲が生まれたのは、2000年。
小さいわたしが遊んでいた場所は、ほかの子のような、公園とかではない。
テレビ局の楽屋や、ドラマの撮影現場のすみっこ。
まわりにいるのは、ほぼ制作現場の「おじさん」ばかり。
男たちはみんな、わたしを甘やかして可愛がってくれた。
楽屋にいる間は、いつも大人しくて、ご機嫌だったから。
たまにグズっても、テレビの歌番組が始まると、ぴたっと泣き止んだ。
お母さんが出演したりすると、画面に向かって、にこにこして手を振っていたという。
「こういう娘は、きっと母親のようにアイドルを目指すだろう」
心理学者なら、こう言うかもしれない。
でも違う。大はずれ。
私は7歳の時から、質実剛健な道を行く、と決めていた。
アイドルなんてとんでもない。アイドルなんて。
でも、意図に反して、誰もがわたしのことを、とびきり素敵な女子に育つと思ったようだ。
……あの唯川夏目の「娘」だもの。
現実は、そうでもない。
わたしは、赤ちゃんの時も可愛くなくて、保育園の時も可愛くなくて、小学生の時も可愛くなかった。
平均……並……ふつう……凡人。
それが、わたし。
それはともかく、幼稚園に行くようになると、わたしは「唯川夏目の娘」として、注目されるようになった。
注目されるのは、子ども心に嬉しいもの。あやうく自分が特別だと思いそうになる。
だけど困ったことに、自動的にわたしは、お母さんと比較されていた。
誰と比較したっていいけど、トップアイドルの母親と比較するのだけは、やめろと言いたい。
むこうは、ふつうの人間じゃない。特別製なのだ。
「おまえ、お母さんに似てないよな」
ある日、小1の担任にいわれ、考えこんでしまった。
(わたし、もしかしてお母さんの子じゃないのかも)
子どもというものは、自分は拾われた子だと思うものだ。
そこでお母さんに、無邪気なふりして質問してみた。
「橋の下に捨てられてたんじゃない? わたし」
(子どもは橋の下に捨てられるというのが、妄想の定番だった)
「バカじゃないの、あんた。なかなかお腹から出てこなくて。大変だったんだから」
「でも先生にね。全然似てないって言われた」
お母さんは激怒した。
あんなに怒った唯川夏目を見たことがない。
教師のことばの裏にある真意も、わたしがひそかに傷ついていたことも、一発でお母さんにはわかるのだ。
その場で学校に怒鳴り込もうとしたお母さんを、必死で止なければならなかった。
わたしのせいで、唯川夏目が週刊誌のネタになるのは、かんべんしてくれ。
だけどそのとき確信した。
たしかにわたしたちは親子だ。けんかっぱやいのは、そっくりだから。
とにかく唯川夏目は母であり、わたしの味方だった。ずっと。
父と離婚してからも。
竹刀で、むかつく男子の前歯を叩き折ったときも、高校の志望を直前に変えたときも。
「味方になる」と口で言うのは簡単だけど、難しいものだ。
それは、一緒に何かと戦うことを意味するから。
お母さんが、戦わなかったのは一度きり。
わたしが小学校2年の時に、お母さんは離婚して、わたしを引き取るためには、父と争わなくてはならかった。
争えば自分だけでなく、娘も人々の目にさらされる。
お母さんは戦わずに、自分だけ家から去っていった。
唯川夏目は、病気を隠してるとか、いい加減なことを言われたけれど、その後、お母さんは仕事を少しずつ減らしていった。
それとリンクして、わたしは他人から注目されなくなった。
でも、時々わたしに呪いの言葉を投げかけるやつがいた。
……もっと、かわいい恰好したらいいのに
……芸能界にママがいて、コネがあるっていいな
言っている人は、何でもないことばでも、がっくり力が抜けることば。
その呪いから身を守るために、(ちょっと大げさだな)わたしは剣道部に入った。
厳しい稽古にいそしみ、腕を上げることに専念した。
かわいく笑わなくても、勝てばみんな喜ぶ。
これはいい。
わたしは剣道の稽古にひたすら励んだ。
——それは、あんたが本当にしたいことなの?
ある日、お母さんは電話の向こうで、わたしに言った。
そう。たしか、去年の誕生日にお祝いをしてくれたときも、言われた。
まさか、こんなことになるなんて、その時は、想像もできなかった。
とにかく、今のわたしは大学生で、夕方の講義室にいる。
悩んでいた。
もうすぐ卒業なのに、まだ進路が決まっていない。いまのわたしは、流されている気がしてならなかった。
そのとき、スマホを見ていた友だちが、突然口をひらいた。
「玲、落ち着いて聞いて」
「なによそれ?」
「ネットに、ニュースが出てる」
友だちが差し出したスマホに映る文字が目に入った。
速報……唯川夏目さんが、都内の自宅マンションで心肺停止の状態で発見された
次の瞬間、思いっきり心臓を氷の手でつかまれた。




