46. 絶叫の平原、理(システム)を焼く赤い火
アギュラの朝は、加速された文明の結実そのものだった。
石畳の道は磨き抜かれ、歴史を感じさせる重厚な石造りの建物が整然と並んでいる。
この世界――第一世界イークは、管理者『錚々たる松田』が「主」の力を借りて時間の流れを極限まで早めた結果、今の姿に至っている。
クロは、新品の、だがこの世界で一番安い革靴の感触を確かめながら、隣を歩く少年に声をかけた。
「……おい、目立ちすぎだぞ。その格好」
「何を言ってるんですか、クロ先輩! 冒険者ってのは、見た目のインパクトが『注目』に繋がるんですから!」
松田。本名、松田ラベル。かつて『蘇生者』としての権能を持ちながら、今はただのレベル1の冒険者志望。だが、彼が自称する「アイドル」という、この世界の住人には馴染みのない概念と、その奇抜な衣装、そして何より周囲の目を惹きつける独特のオーラは、システムに組み込まれた今も失われていなかった。
俺たちは、『アギュラ冒険者ギルド・中央登録所』の扉を押し開けた。
扉の向こう側は、熱気と鉄錆、そして微かな魔力の残り香に包まれていた。
広大なホールには、多くの冒険者がたむろしている。彼らの多くは、この加速された文明の中で「挑戦者」としての役割を全うすべく、日々のレベル上げに余念がない。救いかどうかは分からないが、この世界が天上クエストの一部だと知るやつも今のところはいない。
「おい、見ろよ。あのスカスカな装備……レベル1か?」
「隣の派手なチビは何だ? サーカスの団員が迷い込んだのか?」
一角にいた、シルバーランクと思わしき三人組の冒険者が、こちらを値踏みするように近づいてきた。リーダー格の男が、俺の前に立ち塞がり、不快な笑みを浮かべる。
「おい、お坊ちゃん。ここが何の場所か分かってんのか? ガキの遊び場はあっちの公園だぜ。それとも、その派手なチビを俺らに売り込みにでも来たか?」
かつての俺なら、不の力でぶちのめしていた。だが今の俺はレベル1。ここは、この世界の理に従う振りをするのが正解だ。さらに今の俺は1人じゃない。
「……ラベル、やってくれ」
「任せてください! 皆さん、僕の『輝き』から目が離せなくなっちゃいますよ!」
ラベルがくるりと回り、指先で宙を弾くような動作を見せた。
スキル【注目】
その瞬間、男たちの顔から嘲笑が消え、まるで強力な磁石に引き寄せられたかのように、その瞳がラベルへと固定された。
「……なんだ、この少年は……?」
「眩しい……いや、なんて目が惹かれるんだ……」
彼らにはラベルが「アイドル」に見えているわけではない。ただ、抗いがたい魔力的なカリスマ性に意識を乗っ取られているのだ。彼らは呆然とラベルを囲み、俺のことなど完全に意識の外へと追いやった。
俺はその隙に、人混みを抜けて受付カウンターへと向かった。
カウンターには、対照的な二人の女性が座っていた。
「はーい! 冒険者ギルドへようこそぉっ! 新規登録ですかぁ? それともルルちゃんへのお供え物ですかぁ?」
大きなリボンを揺らして、過剰なほどに元気に手を振るのは、ルルという受付嬢。見た目は暗い印象を受けるが、それと反発するようにキャラは明るい。
そしてその隣で、溜息を吐きながら書類を捌いているクールな美女がいた。彼女の名札には、シエラと記されている。こちらもクールなキャラとは裏腹に服装は明るい。
俺はわざとらしく、気弱な新人を装って彼女に声をかけた。
「あの……すみません。今日、初めて来たんですけど……。ここは、何をすればいい場所なんですか?」
シエラが顔を上げ、冷ややかな、だが射貫くような瞳で俺を見た。
「……新規登録ね。それくらい街の案内板で調べてきなさい。……レベル1。クロさん、ね。何をすればいいかなんて、本気で言ってる?」
「はい。何も知らなくて……。この国のことや、冒険者のルールについても、教えていただけると助かるのですが……」
シエラはペンを置くと、眉間に少しだけ皺を寄せた。
「……全く、最近の若い子は……。いい? 一度しか言わないから。あっ、別に貴方の心配をしてるわけじゃないわよ。ここで死なれると書類仕事が増えるから言ってるだけなんだから」
ツンとした口調だが、その言葉にはどこかプロとしての責任感があった。
「まず、冒険者には『ランク』があるわ。貴方は一番下の『ブロンズ』。そこから『アイアン』『シルバー』『ゴールド』『プラチナ』と上がる。その上は最高硬度の『アダマンタイト』、幻想鉱石『オリハルコン』、そして頂点は過去の英雄しか辿り着けなかったとされる『星晶石』。……まあ、貴方には一生縁のない名前でしょうけど」
彼女は淡々と、だが正確に情報を流していく。
「お金の単位は、現国王バジュラ三世の名にちなんだ『バジュ(Vaju)』。最近だとこの前来た集団は『えん』?とかなんだか言っていたわね。時間は一日を24の『刻』に分ける。曜日は守護神に従って『火の曜』や『水の曜』……。これくらい、子供でも知ってるわよ。怪しいわね。」
「…なるほど、思い出してきました。ありがとうございます。……それで、学校への推薦をもらうためには何をすればいいんですか?」
「……『絶叫スライム』の討伐よ。掲示板に出ていた依頼書、持ってるわね? ……それをもって討伐に行ってきなさい。精神を削られるだけの、卑俗な魔物討伐よ。貴方にピッタリね」
シエラは最後にフンと鼻を鳴らし、再び書類に目を落とした。
アギュラの北門を抜けると、不自然なほど青々とした草原が広がっていた。
空には太陽が輝いている。この世界が「唯一の現実」であると信じて疑わない住人たちにとって、この景色はあまりに日常的で、あまりに美しいのだろう。
だが、その草原の一角は、文字通りの地獄だった。
「やめてぇぇぇ! 私には、家で帰りを待つ妻と娘がいるんですっ!」
「殺さないで! 痛いのは嫌だぁ! 神様、助けてぇ!」
絶叫スライム。
見た目は水色のプルプルとした塊。だが、こいつらは攻撃を受けるたびに、人間の最も悲痛な「断末魔」を完璧にコピーして叫ぶ。その声は脳を直接揺さぶり、戦意を奪う精神的なデバフそのものだ。
「クロ先輩……これ、本当に倒すんですか? 心が折れそうです……」
ラベルが耳を塞いで震えている。
「松田は学校出身者じゃなかったな。なら俺と同じ初めてか。」
俺は一歩、スライムの群れへと踏み出した。
レベル1。ステータスは最低。
だが、俺の中には、奪われたはずの「不」の残滓 が、澱のように沈んでいる。
(……理を。塗り潰せ)
俺は、長い口上を紡ぎ始める。
今のレベルでは、世界のシステムを上書きするための口上ーー、呪文か。それをを圧縮できないのだ。
「天上の命を空と断ず。
我、不のものなり。
歪なる因果を、今ここに――」
「なにするの?赤い?え?え?赤ってまさか?!熱いいいいい! 焼かないで! 家族がぁぁぁ!!」
スライムの絶叫が共鳴し、広場全体が「断末魔の合唱」と化した。
精神的な重圧が俺の身体を重くする。俺の放つはずだった不の力はは、レベル1の出力ではスライムの核を捉えきれず、逆に絶叫を加速させてしまった。
「ぐっ……クソが。」
倦怠感が全身を襲う。その時、隣でラベルがステージ代わりの岩に飛び乗った。
「――うるさーーーーーい! 僕のステージで、そんな悲しい歌は歌わせない!」
ラベルの全身から、眩い光が噴出した。
ユニークスキル【夢を現実に(ドリーム・カム・トゥルー)】
「みんな、僕のコールに合わせるんだ! 『絶望』を『熱狂』に変えろ!」
ラベルの歌声が響き渡った瞬間、スライムたちの「やめて!」という叫びが、不思議と「ハイッ!」というライブのコールへと変換されていく。
スキルが周囲の「希望」をエネルギーに変え、スライムたちの流動的な体を、物理的に叩ける「実体」へと固定化した。
「今です!クロ先輩!」
「……よくやった、ラベル!」
俺は不の力を、物理的な熱量へと無理やり変換した。
魔法システムの枠外にありながら、対象の存在定義そのものを焼き切る、赤き火。
「『不知火』!!」
ドゴンッ!
赤い炎が実体化したスライムの群れを包み込み、ジェル状の液体を消失させていく。
その瞬間、俺の脳内に、無機質なウィンドウが踊った。
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【システムメッセージ】
レベルが上がりました。
【ステータス更新】
名前:クロ(目繰 里無)
レベル:1 ⇒ 2
各種ステータスが自動強化されました。
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【不の残滓:解放率】
1% ⇒ 1.5%
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「……レベル2、か」
全身を襲う、ほのかな衰弱感。不知火を使った後の代償だ。
(……? イヒ、今のは……)
俺の中の深淵で、亀の声が響いたような気がした。
『……不の解放が、対極にある「拒絶」を呼び寄せる。……巡る因果が、加速する。』
「……何のことだ?」
俺が問いかけても、イヒはそれ以上答えなかった。
俺たちは、夕闇に包まれ始めたアギュラの街へと戻った。
「今日はもう暗いので、また明日七の刻にギルド前で集合しましょう。大丈夫です。ギルドは朝からやっていますから。」
疲れを残したまま、足取り重く松田ラベルと別れ告げる。
向かう先は、俺たちの拠点――コンビニ『アギュラ店』。
店に入ると、そこには新聞を広げたままの店長がいた。
「……帰ったか、レベル2。廃棄の弁当なら奥にあるぞ。……しっかり食べて、明日も働けよ。入学手続きに行くなら、シフトの調整は早めに済ませておくんだな。お前の代わりを探すのも一苦労なんだからな」
店長の言葉は冷たいが、その奥には、従業員を気遣うような、微かなあたたかみがあった。
俺は廃棄の弁当を手に取ると、夜空を見上げた。
そこには月の代わりに、不気味な紋章がこちらを見下ろしているような感覚があった。
学校。
そこへ行けば、この世界の真実に一歩近づける…気がする。とりあえずは、このレベルをなんとかしないといけない。そのための学校だ…と思う。




