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本日をもって、この世界は私が掌握しました。

作者: つるつる10

「本日をもって、この世界は私が掌握しました」


 休日の早朝。

 コンビニで聞くにしてはやけに大層なセリフが、上司の口から飛び出した。


「……は?」


 その「は?」は、彼が放った奇天烈な文言に"異"を唱えるものではなく、その一歩手前、シンプルに"疑問"を呈するものだった。いや、"疑問"にすら至らず、単なる"驚き"に端を発していたのかもしれない。

 とにかく、彼が自分の上司であることを差し置いて、咄嗟に口を突いて出てきた言葉だった。


「いやいやいや。ですから、世界は私が掌握しました」


 こちらの困惑など露知らず、彼はさも当たり前であるかのように続けた。


 ここで一旦、今この状況を"時・場所・場合"、いわゆる"T・P・O"の観点から整理してみようと思う。


・T…西暦2020年8月某日

・P…都内某所のコンビニ

・O…コンビニ開店前、朝のミーティング


 うん。"日常オブ日常"といった具合か。


「…えっと、ごめんなさい。ちょっと言ってる意味が分からないですけど」


「だから、何度も同じことを言わせないでください。この世界は、私が掌握しました」


 対して彼のこの発言は、いわば"ザ・非日常"だ。"非日常の極み"だ。

 もし万に一つ、実際に彼が世界を掌握する立場にあったとしても、今この場で発言する内容ではない。ただただ、空気が読めていない。

 そういった大逸れた発言は大抵、テレビの電波なんかをジャックして全国、ひいては全世界に向けて流すものだと、相場は決まっているだろう。それをなぜ、一介の学生バイト風情に伝える必要があるのか。


「あの、それって今この場で言うことですか?」


「ええ、そうですよ。というより、私が掌握している世界なのだから、いつどのタイミングで発言しようと私の自由じゃないですか?」


 確かに、仮に彼が世界を掌握しているのだとしたら、その通りなのだろう。

 しかしこの場の空気さえ掌握できてないこの中年おじさんに、権力だか財力だか人脈だか知らないが、世界を掌握するに相応しいだけの"力"があるとは到底思えなかった。


「すみません。早いとこ朝礼終わらせて、仕事したいんですけど」


 そうとがめたのは同じバイト先の後輩、明美ちゃん。

 今年18歳になったばかり、今を時めく女子(J)高生(K)だ。

 サラサラの黒髪ショートヘアで、かわいらしい印象。

 彼女のSNSはフォローしているが、よく友達と街に遊びに行く社交的な女の子のようだ。

 しっかりおしゃれにも気を使っているらしく、高校生にしては少し背伸びしたブランド物を身に付けたり、時にデパートの気品高い香水の香りをさせたりしていた。

 バイトも、そのために頑張っているのだろう。シフトはカツカツまで埋めているようだった。


 そんな子が、40も半ば、フリーターおじさんの戯言に、一体いつまで付き合わされればいいのだろうか。


「ええ。ですから、これが本日の朝礼で皆さんにお伝えする共有事項です」


 ここで急に"共有事項"などという、日常然とした単語が出てきた。そういえば、今日からこのおじさんがバイトリーダーなんだっけ。


「さ、さいですか」

「は、はあ」


 こちら若者2人としては、そろそろ彼のめちゃくちゃな発言にうんざりしてきていた。

 というか彼、ずっと一人称が「私」だが、普段の一人称は「僕」ではなかったか。ははーん。さてはキャラを作りにきているな。


「おっと、本題はここからですよ。大事なのは、世界を掌握した私が、何を望むか、です。もちろん、あなた方は私に掌握されているわけですから、私の言うことを聞かなければなりません」


「ん……?」

「ええっと……?」


 若者2人、絶句。しばらく、沈黙が流れた。

 その間、この40半ば・フリーター・中年・子供部屋・おじさんは、俺たちを交互に見つめてきた。あ、分かった。RPGでよくある、話しかけないと次の会話に進まないやつだこれ。


「…えっと、じゃあ、何を望むんですか?」


 ついに沈黙に耐えかねて、俺は尋ねた。


「よくぞ聞いてくれました」


 お前が強制的に、質問するように仕向けたんだろ。何なら、質問するまで一生ジロジロ見つめてくる所存だっただろ。という至極真っ当なツッコミを、俺はグッと心の中にとどめた。




「私が望むことはただ一つ。明美ちゃんと付き合いたいです」




 何を言っているんだこの、40半ば・フリーター・中年・子供部屋・おそらく童貞・おじさんは。

 無理だろ。どう考えても。自分で言っていて恥ずかしいとは思わないのか。いや、思えないのだろう。


 40半ば・フリーター・中年・子供部屋・おそらく童貞・小太り・おじさんという、彼を構成するステータスが、そもそもちょっと人様に見せられるものではなくなってきているわけで、つまり彼は存在自体がちょっと恥ずかしいわけだ。

 そりゃあ感覚がマヒってきて、一体どこまでが恥ずかしいかのラインがあやふやになってしまうのも仕方ないのかもしれない。…本当に仕方ないのか??


 そんな疑問を抱きつつも、まあ、働いているだけニートよりはワンランクもツーランクも上だし、実際バイトでの働きが認められ、晴れて今日からバイトのリーダークルーなのだから割と頑張っているとは思う。

 が、その頑張りを無に帰す程度には支離滅裂な思考、発言をしてしまっている。


 もちろん、俺たちの答えは決まりきっていた。


「…ダメでしょ」

「…嫌です」


 一体これ以外、何を答えるというのか。


「ええ、そう来ると思ってました。このただのおじさん、一介のコンビニ店員に、世界を牛耳れるわけないと。二人はそうお考えになるのですね」


「はい」

「はい」


「では、私がいかに世界を掌握しているのか、説明していきたいと思います」


 おじさんはおもむろに、バックヤードからホワイトボードを引っ張り出してきた。

 もちろん、コンピニの店内というのは狭い店舗スペースにぎっしりと商品を陳列する都合上、通路の一本一本が狭い。おじさんはホワイトボードをガツガツと陳列棚にぶつけまくり、いくつかの商品を落としながら引っ張った。

 何なら、曲がり角に差し掛かるときなんかはちょっと俺が手助けしたりした。


「お、助かりました。ありがとうございます」


 と、世界を掌握しているにはいささか低い物腰で、おじさんは感謝した。



 おじさんがホワイトボードを設置し終わるのを見計らって―――ホワイトボードを運ぶのが存外大変そうな様子だったので、途中で話しかけることは憚られた―――俺はおじさんにふつふつと沸いた一つの疑問を投げかけた。


「えっと、このホワイトボードは一体…?」


「この解説のために、わざわざ用意しました」


「まさかとは思いますが、もしかしてですが、ひょっとして店の経費で…?」


「ええ、勿論です。これからの私たちの立場をはっきりとさせることは、仕事においても大事なことですから、必要経費でしょう」


「…な、なるほど?」


 それでは解説を始めていきますと言い、彼はホワイトボードに黒のマジックペンを走らせた。


「ええ、まず私たちが世界といって最初に思い浮かべる物は何でしょう?」


「……」


 おじさんは、明美ちゃんの方をガン見して言ったが、明美ちゃんは視線を逸らしてガン無視した。


「…まあ、地球じゃないですかね」


 見かねた俺が、代わりに答えた。


「そうですよね。悪の組織が世界征服だのとのさばる時は大抵、地球全土を征服することを指しますよね。でもね、」


「この世界って、実は地球の外にも広がってますよね」


 おじさんは地球という言葉を丸で囲み、さらにその丸をもっと大きな丸で囲んだ。中学で習った、集合の図だ。


「宇宙ですか」


「その通り。さらに言えば、宇宙のその向こうにも別の宇宙が広がっている説や、宇宙の外側には我々の住む物質世界とは異なる、亜空間と呼ばれるものが広がっているなんて説もありますよね」


 言いながら、宇宙と書かれた丸をさらに大きな丸で囲んだ。

 なんだか話が壮大になってきた。


「しかし、この"世界"の概念は、人類百万年の歴史の中で、ここ数百年でやっと解き明かされたものなんですよ」


「はあ」


「その昔、地球は平面で、世界の端から海水が滝のように落ちていく、なんてことを空想したのは古代のヨーロッパ人です。彼らは、世界にはヨーロッパしかないと、本気で思っていました」


「その昔、イザナミとイザナギが生み出した島々のことを世界と捉えていたのは、古代の日本人です。彼らは、世界には日本しかないと、本気で思っていました」


「その昔、この世界を巨大な蛇と亀と象が支えていると信じていたのは、古代のインド人です。彼らもまた、この地球の全容を知らず、狭い知見から実際より小さな世界を思い描いていたのです」


 最後のに関しては実は誤解であり、ほかの神話の様々な解釈が入り混じって作られた虚構だが、一々訂正するのも億劫なので放っておくことにする。


 おじさんは、各地の神話エピソードを紹介するたびに、地球の丸の中にさらに小さな丸を書いていった。


「つまり何が言いたいかというと、世界とは主観なんですよ。世界という概念は常に大きさを変えるんです」


「ふわぁ~」


 明美ちゃんが隠す素振りさえ見せず大きく欠伸したが、そんなことはお構いなしとばかりに、40半ば・フリーター・中年・子供部屋・おそらく童貞・小太り・最近ちょっと髪が薄くなりつつある・おじさんは続けた。


「さらに言えば世界とは、特定のエリア、地域を指すだけの言葉には留まりません。芸能の世界を芸能界、ITの世界をIT業界と呼んだりするように、特定の概念や業種で外界と分けて隔てて、世界という括りにすることが多々あります」


「はあ、まあ、それは確かに…」


「では、この"世界"という概念を、"このコンビニのバイト"に絞って考えてみた時。どうでしょう、私が頂点に立っているとは思いませんか?」


 これはまた、小さく出たな。

 "このコンビニ"というくくりにすれば店長が一番偉いわけで、自分が一番上の立場になるように都合よく"このコンビニのバイト"というくくりにしたのはいささか、小賢しいというかみみっちいというか。また敢えて店長が欠勤のタイミングを狙った点でも、せこい。


 要するに彼が言わんとしているのは、自分が"鶏頭牛尾"で言うところの"鶏頭"であるということか。いや"鶏頭"なんておこがましい、このおじさんには"蟻んこ頭"くらいがお似合いだ。


「まあ、理屈は何となくわかりました。"このコンビニのバイト"を世界と捉えるかどうかは諸説ある(ない)と思いますが、言わんとしていることは理解しました。その上で、おじさんに明美さんと付き合う権利はないと思います。いや、思いますなんて曖昧な言い方じゃなく、断言します。ないです」


 するとおじさんは、そう来ると思いましたと小さくつぶやきながら、眼鏡をクイっと持ち上げた。


「確かに、私はバイトリーダーである前に東京都民であり、東京都民である前に日本人です。憲法・法律・条令、様々なルール・規則が私の行動を制限することでしょう」


「だったら…!」


「しかし、考えてみてください。ここは"このコンビニのバイト"という、一つの小さな世界なんです。確かに、"原則"として法規には従わなければならないでしょうですが、"原則"とは時として破られるものなのです」


 何を言っているんだ、この40半ば・フリーター・中年・子供部屋・おそらく童貞・小太り・最近髪が薄くなってきた・指紋でベタベタ眼鏡・おじさんは。


「例えば、学校の校則などはしばしば、人権を無視しているとして取り沙汰されることがあります。髪を染めてはいけないとか、ツーブロックやネイルを禁止したりとか、ひどい学校だと女子生徒は白いパンツをはくことを義務付けられているのだとか」


 いや、それは今社会問題としてこれから是正に努めていかなければならない事項であって、率先して原則を破ることは推奨されていないでしょ。


「会社にしてもそうです。超法規的に長時間の労働を強いたり、上司のミスを部下に押し付けられたりするんです。私もこのバイトをするまで、そういう会社に勤めていました」


「あ、それはご愁傷様です…」


 数年後に就活を控えた俺が最も避けたいと懸念している事態に、このおじさんは突っ込んでしまったらしい。それは少々気の毒だと思った。


「つまり言いたいのは、小さな世界において、その世界でしか通用しない悪質なルールがまかり通ることは多々あるということです。そしてそのルールを決めるのは常に、上に立つ人間です」


「私は恥ずかしながら、この40余年を上に立つような立場を経験せずに過ごしてきました。会社では万年平社員の窓際族、部活でも補欠、学生時代は班長すら経験したことがありません。もちろん、私はこんな人生を歩んできましたから、女性との出会う機会などなく、童貞です。社会的にも、割と底辺に近いところにいると自覚しています。今は何とかこのバイトにしがみついていますが、うっかり辞めてしまうなんてことになったら、私は最底辺まっしぐらです」


 確かに、この40半ば・フリーター・中年・子供部屋・童貞・小太り・最近髪が薄くなってきた・指紋でベタベタ眼鏡・シンプルに体臭が臭い・おじさんってだけで相当なものなのに、ここに"ニート"の三文字が加わったらそれこそジ・エンドだ。人生\(^o^)/オワタだ。


「そんな折、やっと手に入れたリーダーという立場なのです。例えそれがコンビニバイト風情のリーダーだとしても、リーダーであることには変わりないんです!」




「というわけで明美ちゃん、どうか私と付き合ってくれませんか!!」




 おじさんは"世界を掌握した"割に、やたらと低姿勢に懇願した。地べたにへばりつき、最後の方は縋りつくように明美ちゃんの方に手を伸ばしていた。


「いや、ちょまじ無理、おじさんさっきからキモいって…」


 明美ちゃんはドン引きした。当たり前だ。


「じゃあ付き合ってくれとは言わないから、せめておっぱい揉ませてよぉ…」


 もっとダメだろ。


「…いやもうおっぱいといわず、手を繋ぐだけでいいよぉ…。もう僕はこれ以上望まないからぁ…。ぴえ~ん…」


 おじさんは泣き崩れた。それはもう、醜い姿だった。醜態だった。酷い体たらくだった。

 大の大人が、高校生相手にみっともないとは思わないのか。いや、そう思えなくなる程度には、彼は思い詰めていたのだろう。流れる涙を止めようともせず、せり上がる嗚咽を潜めようともせず、わんわんと大声で泣いていた。




「…さ、仕事始めよっか」


 俺はドン引いて後退った明美ちゃんの方に、向き直って言った。


「そうですね、開店まで時間ないですし。まずは警察に通報するところから始めましょ」


「まあ、やっぱそうなるよな~」


 ちょっと可哀想だとは思ったが、彼が行ったのは紛れもなくセクハラであり、犯罪行為だ。

 この世界の法規に則って裁かれることは、免れようがない。




 こうして彼は、40半ば・中年・子供部屋・童貞・小太り・最近髪が薄くなってきた・指紋でベタベタ眼鏡・シンプルに体臭が臭い・ニート・おじさんへと進化したのだった。


掌握する側ではなく、取り締まられる側へと回ったのだった。

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2020/08/04 18:31 退会済み
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