鎖のついた武器
原作はコミックで、あの藤子不二雄A先生の同名作品です。『夢魔子』というような短編集に収録されていた作品ですね。古本屋で手に入れて今は手放してしまいました。。。
大峰栄司には、その小柄な老人に腕力があるようには見えなかった。
何かの体術を得ているようにも思えない。六十過ぎだというが、それよりも二十は老けているような感じだった。
白髪で痩身。そのうえ、背も曲がり気味だった。ただでさえ背丈が低いから、子供よりも小さく見える。足取りにも力がなかった。
そんな老人が〈武器〉などをコレクションしているというのが、大峰にはわからなかった。
大峰の職業はフリーライターだが、ときに格闘家と間違われる体格の持ち主である。体格だけではなく、実際に空手と柔道の使い手であった。全身が筋肉のかたまりだ。取材には、おのが体をもって臨むのが大峰のやり方だった。
かりに老人が何かの武器を手にして大峰と対決しても、大峰は自分が負けるとは思えなかった。平手打ち一発で吹き飛んでしまいそうな老人である。武器とかそういったもののコレクションは、老人よりもむしろ大峰のような人間にふさわしい趣味といえた。
老人には、切手や古銭などが似合いそうな気がする。
大峰は老人の書斎に招かれた。
いや、武器庫といったほうが良いかもしれない。いろいろな武器が揃っていた。剣系の武器が大部分を占めているようだった。斧や弓、それに昔式の銃などもある。剣にしても多種多様であった。世界中から集められた武器がこの部屋には集結しているのだった。
石器時代の石斧や矢尻まで置いてある。
それらの武器に囲まれてソファーに腰を下ろした老人だが、やはり、大峰にはただのひ弱な老人にしか見えなかった。
「久光さん。あなたが武器を集められた理由は?」
大峰は片端から武器の撮影を始めながら、訊いた。
「理由? 理由は簡単ですよ。見てのとおり、私は背が低くて腕力がない。それだけです」
老人の口調は穏やかだった。声はしわがれていた。部分的に発音が消え入りそうになる。小型のテープレコーダーは録音状態で作動しているが、聞き返して清書するリライト作業には苦労するかもしれない。
「しかし……」
大峰には、老人の答えは納得できなかった。
ざっと見回しただけでも、武器の総数は百やそこらではない。しかも世界各国から集めたものだ。年代物も多い。あらゆる時代の産物がこの部屋の中に整然と陳列され、息づいている。莫大な時間と資金を注ぎ込んだのは明らかだった。それだけのことを成し遂げたのだから、老人にはそれなりの執念のようなものが存在したのである。
腕力がない――それだけの説明では納得できるわけがなかった。
自分が納得できないことを記事にするわけにはいかない。この老人には鉄の執念というか意志がある。それを訊き出さねばならなかった。
「記者さん。あなたはじつに、いい体をしています」
老人は悲しげな目で大峰を見上げた。細長い目だった。
「そんな人間には、私の悲しさは、わからんでしょう」
「悲しさ?」
「そうです。私は子どもの頃、いつも大きな子にばかにされ、いじめられていました」
老人は弱々しく語り始めた。
「学校の帰り路でね、途中に林の中を通るのですが、そこでしょっちゅう殴られたりしましたよ。近所に住むいじめっ子だから、帰り路も同じなわけです。学校が終わると、私は逃げるように帰るのだが、体力がないからすぐに疲れてしまう。そいつはあとを追ってきてね、なにかと、ひっぱたいたりするのです」
「…………」
大峰は撮影の手を止めて、聞き入っていた。
「おまえ、どうしてそんなに小さいんだ――そういっては叩く。どうだ、悔しかったらやり返してみろ――そういっては、また叩く。猫が小動物を弄ぶような残虐な叩き方をする。わかりますか? いや、そのときの恐怖と惨めさ、発散できない憎しみは、実際に体験した者でなければわからないはずです」
老人の口調がやや早くなってきていた。
「いじめの問題は現代のほうが深刻です。誰かに相談しろと人は言う。子供には子供なりの誇りがあることは、見落とされています。自分がいじめられていることを、親に知られる屈辱に耐えられない子供だっているのですよ。そしてその孤独感と恐怖と惨めさから逃れるために、私は自殺を考えるようになりました」
いいようにない悲哀感の込もった口調だった。
「しかし、ある日、私は自殺する考えを、捨てたのです」
「…………」
「その日、私は例によって、いじめっ子に殴られていました。何か気に入らない出来事でもあったのか、その日は鼻血を流しても、そいつは殴るのをやめませんでした。私はよろめいて倒れた。すると、そいつは馬乗りになって殴ってきます。押しのけようとしても通じません。そのとき、苦しまぎれに伸ばした手が石に触れました。私はその石を掴んで、いじめっ子の横面めがけて叩きつけた。もう、夢中でした」
「…………」
「いじめっ子はどうなったか? いや、あっけないものでした。たったの一撃で、その場にひっくり返ってしまったのです。そのときの石が、これです」
老人は立って、机の引き出しから角張った石を取り出して見せた。
「それ以来、私は〈武器〉というものに強く惹かれるようになったのです。私のような非力な者でも、強力な武器さえ持てば力の強い者を倒すことができる。言い方を変えれば、弱い者が強い者を相手に闘うとき、その力の差を埋めるものが武器なのです。闘いを有利にするための一番の手段が、武器を使うことです。子どもでも銃を持てばプロレスラーを殺すことができますからね。まあ、そんなことは当然で、言うまでもないことだと思われるでしょうが、私にとっては素晴らしい発見だったわけです」
老人は石を大切そうにもとの場所に戻した。
「この石は、私が生まれて初めて使った武器ですからね。何にも替えがたい貴重な宝物であるわけです。もっとも、私が闘ったことは、それが最初で最後だったが。――ところで、記者さんは立派な体格をなさっているが、何かスポーツを?」
「ええ。学生時代にですが、空手と柔道を少し」
「ほう、空手を……」
老人の表情が変わった。
「それは面白い。どうか、私に二度目の闘いをさせてはくださらんか」
「どういう、ことです」
何を言い出したのかと、大峰は思った。
「私と試合をしてほしいのです。いかがでしょう」
老人の口調が、心なしか力強くなっている。
「あなたと、試合を……」
「そうです。もちろん、単なる試合ではハンデがありすぎますからね。あなたは空手で、私は何か武器を持ってという条件です」
「しかし……」
「ご心配なく。これは真剣勝負などではありませんよ。私のような小男でも、武器を持てば、あなたのような大男とも対等に闘えるということを、実証したいだけですから」
「しかし……」
大峰は同じことを言った。老人の、その突然の申し出に戸惑っていた。
だが、結局、大峰は承知した。老人の熱意に圧倒されたのだった。
一通りの撮影を終えてから、庭で試合を行うことになった。
午後二時。大峰は庭に腰を下ろして待っていた。
いったい、どういう試合になるのかと思った。老人は武器を持ち、大峰は空手で闘う。うまく勝負を噛み合わせることができるだろうか。闘うとはいっても相手を倒すのではない。相手を傷つけない勝負だった。武器を持てば対等に闘えることを実証したいと、老人は言った。しかし、いってみれば老人は武器を振り回すだけ、大峰は空手の真似をするだけになろう。そんな真似ごとでは優劣さえもわかるわけがない。しかも立会人はいないのだ。
――でも、まあ、いい。
老人を満足させるような試合展開を演じて、きりのいいところで終了させればよい。
大峰は庭を見ていた。高い塀に囲まれたきれいな庭だった。桜の花が散ってまだそれほどの日数は過ぎてはいない。鳥の囀りが聞こえる。平和そのものであった。これから闘いを始める場所としてはそぐわない気がした。
やがて、老人が〈武器〉を手にして庭に姿を現した。
砲丸を鎖で繋いだような武器だった。ヌンチャクに似ていた。把手から一メートルほどの鎖が伸びていて、小さな砲丸と繋がっていた。その砲丸には刺状のものが無数についている。
「私の武器は、これにします」
老人は鎖をジャラジャラと鳴らしながら言った。
「それは?」
大峰は眉をひそめた。危険極まりない武器である。悪くすれば老人自身が扱い切れずに大怪我をしかねない。
「ローマの古道具屋で手に入れたものです。昔の剣闘士が使っていたものだといいます」
老人の手にした武器はかなり重そうに見えた。重い砲丸を鎖で繋いでいる。しかしそれを持って歩く老人の腰つきは、思ったほど弱々しくはなかった。
「私はね、美術品のような武器は好きではありません。武器というものは、ただ相手を倒すためだけに造られたもので、荒々しい感じのものでなければならないと思うのです。その点、これは見るからに相手の頭を叩き割りそうな、凄い武器という感じで、気に入っているのです」
鎖が重い音を立てている。
「では、そろそろ、まいりましょうか」
「久光さん。お約束通り、記事にするための形式試合だということで、お願いしますよ」
大峰は念を押した。
「わかっていますよ。お互いに本気になると、危険ですからね」
老人は武器を振り回し始めた。
見ていて、大峰は苦笑した。老人は重い武器を振り回して、自分がよろめいている。重い武器をしっかりと扱えるだけの体力がない。
対峙する両者を、物陰から一人の少年が見守っていた。
「うりゃッ」
老人の気合が庭の空気を裂いた。
大峰は仰天した。それはこれまでの弱々しい老人の声とは、うって変わっていた。声そのものが別人のもののようだった。老人は走って大峰に肉薄した。
刺だらけの砲丸が風を切る音とともに大峰を襲った。大峰は短い叫びを口にした。あわてて体を返して、勢い余って芝生の上に倒れた。倒れる際に首の近くで地揺れの音を聞いた。大峰は首を曲げて見た。砲丸が芝生にのめり込んで、土を抉っていた。
大峰の体を悪寒が駆けた。
「久光さん!」 転がるように大峰は飛び退った。 「気をつけてください! もう少しで、当たるところだった……」
大峰は、あえいだ。
「お、おしい」
老人は砲丸を引き抜いた。
「いま、なんと……」
「惜しいと言ったのだ! きさまの頭を、叩き割れなくてな!」
老人の細い目が見開かれている。皺深い表情がゆがんでいた。それは、ついさっきまでの穏やかな相ではなかった。
大峰は、言葉を失った。
「こんどこそ、覚悟せい!」
老人の目が険悪な光をたたえていた。鎖が重い音を立てた。次の瞬間には砲丸が唸って、一陣の殺気とともに叩きつけられていた。
砲丸は大峰の胸の前を擦過した。
足元の土が飛散した。
「や、やめろ」大峰はゆっくりと後退った。「あんた、まさか本気で、おれを……」
「そ、そうとも。こ、こ、この、大男め」
老人は引き抜いた砲丸を振り回しながら、大峰を追った。砲丸に着いていた芝生の欠片が飛んだ。
「武器さえ、も、持てば、きさまのような、う、ウドの大木だって、やっつけるぐらい、かか、簡単だということを、みせてやる」
奇妙なほど、声がうわずっていた。
大峰はじりじりと後退して、塀にもたれかかった。それ以上は退れないところまできていた。
老人も足を止めた。
老人の顔が醜くゆがんでいる。
――狂って、いやがる。
大峰はうめいていた。
老人の表情から窺い知れる殺気は本物であった。老人は正常ではなくなっている。いや、最初から異常であったのかもしれない。老人は子どもの頃はいじめられっ子であった。それが石でいじめっ子を倒した瞬間から、武器集めに固執し始めた。その時点ですでに、少しずつ狂い始めていたのかもしれない。
武器を集め、手入れをしながら、老人は何年も何十年も妄想にとらわれ続けたのではあるまいか。いつの日か、いじめっ子に復讐するときがくることを。そしてその光景を思い描いては、自分のコレクションを……。
――そうだったのか。
ようやく、大峰は納得した。老人があれだけの武器を集めたのには、やはり鉄の執念がないではなかった。狂ってはいるが、ともかく鉄の執念が存在したのである。
そしてそれは、復讐の一念であったのだ。
いま、老人は狂気に支配されている。大峰の中に、かつてのいじめっ子を重ねてみている。
ふたたび、殺気が空間を切り裂いた。
大峰は身を縮めた。風を切って襲いかかった砲丸はそのまま塀にぶち当たっていた。コンクリートが破壊されてバラバラと落ちた。
大峰は体勢を立て直した。もうこうなっては、本気で闘うしかなかった。
「この、大男め」
老人は肩で息をしながら、武器を振り回した。
「大男、大男、大男めー!」
驚くほど素早く老人は動いた。重い音で砲丸が空気を裂いた。ブルンと、風が鳴いた。その風の中には、復讐に凝り固まったいじめられっ子の執念が込められていた。
砲丸の刺が大峰の鼻先をかすめた。その迫力に押されるようにのけぞった大峰は、何かにつまずいて後方によろめいた。
老人がふるった砲丸の刺が、大峰のシャツを裂いた。
「やめろ! やめないと、こちらも本気でいくぞ!」
大峰はわめいた。
「そ、それを、まま待っていたのだ!」
老人は武器を大きく振りかぶった。
大峰は身構えた。身構えると、大峰は冷静さを取り戻す。老人の狂気に押されて戸惑っていたが、落ち着いてみれば老人の動きは隙だらけだ。しかも武器を満足に扱えるだけの体力もない。攻撃をかいくぐって反撃するのは造作ないことであった。武器を手にしているとはいえ、よぼよぼの老人に負けるような大峰ではなかった。
老人は真横に砲丸を叩きつけてきた。必殺の気合いが込められていた。
大峰は上体を下げてかわした。老人の単純な動きと、老人の手にしている武器の射程範囲は、すでに見切っていた。
老人の必殺の一撃はあえなく空を切った。老人の体がくるりと一回転した。砲丸の重さに引っ張られ、武器の鎖に絡まれて、足がもつれた。
「つァーッ」
大峰の右足が飛んだ。その蹴りは、あざやかに老人の左側面を叩いた。老人が折れるようにし て倒れた。武器が手から落ちた。
「喰らえッ」
大峰は老人を引き起こして、顔面に拳を叩き込んだ。倒れかけた老人を引き寄せて腰に乗せた。人形のように軽い老人の体だった。ふわりと宙に浮いた。猫のように丸まっていた。芝生に叩きつけられて、奇妙なうめき声が洩れた。
攻撃を続けようとした大峰の動きが、止まった。
どこからともなく一人の少年が現れて、大峰の前に立ちふさがった。無言で大峰を見上げ、老人を庇うように大手を拡げた。不気味な顔だちの少年だった。髪が長く伸びていた。痩せ細っている。翳りを帯びた大きな垂れ目で、大峰を見つめていた。
大峰はふと、我に返った。
「申し訳ない! つい、カッとなって……」
あわてて老人の傍にかがんだ。
「いや、悪いのは、私の方です」
老人は鼻血を流していた。少年に助けられて上体を起こした。流れ出た血がシャツをボタボタ と染めた。
「大きな男の人を見ると、昔のいじめっ子に思えてくるのですよ。一時的に、逆上してしまいました……」
「きみ」大峰は少年に声をかけた。「済まなかった。君が止めてくれなかったら、大変なことになるところだった……」
「この子は、父親思いの、優しい子ですよ」
老人は鼻血を拭った。
「記者さんには、とんだ迷惑をかけてしまった。家に戻りましょう。まだ、お茶も出していなかったしね」
もとの弱々しい声に戻っていた。
「いや、お構いなく。私もそろそろ、失礼しないと……」
大峰は言いかけて、少年を見た。
少年が鎖のついた武器を拾い上げて、背中を向けた。それを確認して大峰が老人の手当をしようとした時だった。少年が振り返って武器を投げた。ものの気配を感じてふたたび顔を上げた時には、棘の砲丸が目の前に肉薄していた。
大峰は老人の傍にかがんだまま、のけぞった。それでかわしたと思った。しかし把手の部分が不規則に暴れて大峰の側頭部を襲っていた。衝撃がつらぬき、一瞬で意識が遠のいた。
「いまだよ、パパ!」
はじめて、少年が口をきいた。妙に舌足らずで、烏が啼きわめくような陰険な声だった。
大峰は頭を抱えていた。老人が武器を拾い上げて高く振り上げたのを、視線の片隅にとらえていた。殺されると、大峰は思った。
ガツンというおそろしい衝撃を受けた瞬間に、意識は闇の彼方に消え去った。後頭部を叩き割 られた血まみれの体が、芝生の上に転がった。
「そうだったのか。こういう使い方も、あったのか」
老人は大峰を見てから、傍に転がった鎖のついた武器を見つめた。
「砲丸投げから、思いついたんだ」
少年が陰険な声で答えた。
「私はいままで、武器というものの本質を見落としていたようだ。このような大きな武器は、力の弱い人間が使えば逆効果になる。非力な人間は、それ相応の武器を選ぶ必要があるということを。そして、それ相応の人間が使ったときにこそ、武器もその真価を発揮するのだということも、あらためて思い知った」
老人は少年に目をやった。
「だが、使い方を工夫すれば、あるいは思いがけない使い方をすれば、武器はまた違う魅力を発揮することもわかったのだ。おまえと、この記者さんのおかげだよ」
老人は満足そうに笑いながら、その鎖のついた武器を拾い上げた。
<完>