第八話 10
目が覚めると、芳子だけではなく、芳子と祐樹の母も目の前にいた。祐樹の母は、初めて催眠療法を施しているところを見たらしく、僕のことを随分心配しているように見えた。
「ねぇ、催眠療法なんて、危なくないの?」
祐樹の母は言った。
「大丈夫よ、お母さん、暗示みたいなものなのよ。例えばね、目の前にレモンがあるとして、それをナイフで切って絞るところまでイメージしてもらうのよ。そうしたら、実際に目の前にレモンがあるわけでもないのに、自然に唾液が出てくるでしょ? それと同じ。最初だけ暗示にかけて、後は自力で記憶を取り戻してるの」
「そうなの」
「うん。それに時間と共に暗示は自然に薄れるしね」
「それならいいんだけど」
「それでなに? お母さん、何か用事があってここに来たんでしょ?」
「ああ、あのね、八百屋を始めた坂元君がね、お祖母ちゃんが作ったおはぎを持って来てくれたのよ。小豆も畑で作ってるんだって。この間、おかきやお煎餅を持って来てくれたのに、うちのお婆ちゃんは甘い物しか食べないってことが分かって、それで今日わざわざおはぎを持って来てくれたの。そんなに、気を遣わなくてもいいのにねぇ。なんだか悪くって」
「えーっ、ほんとに? あのおかき、すごく美味しかったわよ。祐樹もそう言ってた」
「そうよね。でもおはぎは生ものだし、日持ちがしないでしょ。沢山頂いたから、亮君も食べないかなと思ったのよ。お茶を淹れるから、あっちで一緒に食べましょうよ」
祐樹の母がそう言ってくれたので、僕はみんなと一緒におはぎを食べようと奥の居間に赴いたのだが、お皿に乗ったおはぎをトメ婆ちゃんのおやつカゴに入れてみたのだった。すると、トメ婆ちゃんはにっこりと笑い、「亮、十周年じゃ!」とまた一言訳の分からないことを言って、おはぎを食べ始めたのだった。何が十周年なんだろう?と、またもや僕は呆気に取られたのだが、暫く考えて今回はすぐに気付いた。トメ婆ちゃんは、きっと他人の意識の中に潜り込めるのだろう、さっきの催眠療法で思い出したのだが、僕は優菜と三十歳の秋に結婚していた。そして、もう少しで僕たちは四十歳の秋を迎える。そうか、もうすぐ結婚十周年なんだなと気付いたのだった。




