第八話 7
美帆から、また迷惑なメールが届いた。そのメールにはこう書かれていた。
『どうやら優菜が不倫しているみたいなの。亮君、なんとかならない? 私じゃ、別れるように説得できない』
美帆はどうしてこんなに面倒なヤツなのだろう? 優菜も僕も三十歳になっていて、子供の頃のような付き合いがあるわけでもないし、ましてやもう大人なのだから、お互い誰と付き合おうと干渉するようなことじゃないじゃないか。だから、僕は美帆からのメールを無視し続けていた。しかし、こんな時に限って、見たくもないものを見てしまうものである。僕は、街中で優菜と付き合っている男に遭遇した。しかも、その男は、奥さんと幼児と赤ん坊の子供二人を連れていた。どう見てもどこにでもいる幸せそうな家族の光景にしか見えなかった。しかし、翌日、その男は平気な顔をして悪びれることもなく優菜を車で家まで送り届けていた。僕は間の悪いことに、その場面にも遭遇した。そして、彼は、優菜の顔見知りである僕の顔を見ると、笑顔で僕に挨拶した。その瞬間、頭に血が上った僕は、運転席のドアを開け、その男の胸倉を掴み、車から引きずり出していた。そして、その男の顔を見境なく殴っていた。
「お前っ! 一体どういうつもりだっ!」
そう僕は叫んでいたが、その男は怯んで何も答えない。優菜は「やめて!」と叫んで、僕を止めようとしている。しかし、僕は叫び続けた。
「お前は、どういう目的で優菜と付き合っているんだっ! お前は優菜を幸せに出来るのかっ! 出来ないのなら、とっとと消え失せろっ!」
僕がそう叫ぶと、その男は血相を変えて車に飛び乗り、逃げるように去って行った。後ろを振り返ると、優菜は泣きながら、その場に立ちつくしていた。僕は、ポケットからハンカチを取り出すと優菜に差し出した。優菜は受け取って涙を拭いた。
数分後、僕たちは公園のブランコに並んで座っていた。僕は優菜に「ごめん」と謝っていた。すると、優菜は「ううん」と言って首を振った。
「俺、どうして口より先に手が出てしまうんだろう?」
「そうだね、亮ちゃんは昔からそうだったね……」
「全然、進歩がない」
「でも、それが亮ちゃんのいいところなんだと思う」
「え?」
「言葉で説得されても解決しないことってあるよ」
「でもやっぱり暴力は良くないだろう?」
「それはそうだね。でも、亮ちゃんが殴ってくれたから、私も目が覚めた」
「そうか」
「うん。ずっと誰かに目を覚まさせて欲しいと思ってたんだよ、きっと。いや、違う。亮ちゃんに目を覚まさせて欲しいと思ってた」
「……」
「亮ちゃんは、いっつもシンプルじゃん。シンプルなところに正解があるんだと思った」
「なんだか、褒められてるんだか貶されてるんだか……。アイツと一緒の優菜って、いつもしかめっ面してただろ。俺はな、笑ってる優菜が好きなんだよ。ただ、それだけ」
「そうそう、そういうシンプルなところが亮ちゃんのいいところだと思う。ダメなものはダメ、良いものは良いって教えてくれる」
「そうか」
「うん」
その晩、そんな会話をして、優菜と別れた。別れ際に優菜は僕に「ありがとう」と言った。
そんなことがあって、数日後、僕は田中沙織に別れを告げた。
「あの優菜って子のせい?」
「うん、ごめん。自分の気持ちに嘘を吐くのは、沙織にも悪いと思ったんだ」
「ほんとはね、最初から勝ち目はないと分かってたの。でも、私は見て見ぬふりをしてたんだよ。亮とおんなじ。自分に嘘を吐いてた。ちゃんと私だけを見てよ!って叫べば良かったのかな。そしたらもっと亮と深い絆が出来てたのかな」
「……」
「彼女にもう告白したの?」
「してない」
僕がそう言うと、田中沙織は笑い、「亮のそういうところが私は好きなんだよね。前よりもっと好きになったかも」と言った。僕が戸惑っていると、彼女は「うそうそ、冗談。私も、この二年間、楽しかったよ。今までありがとう」と言って、田中沙織は去って行った。




