第七話 9
けれども、僕の目に映るものは何も無かった。僕は暗闇の中にいた。瞳を覆い被せている瞼を通して、薄っすらと光を感じることは出来ている。僕は、どうやら目を閉じ堅いベッドに横たわっているようだった。目を開けたいのだが、何故だが開かない。身体も動かない。ベッドに縛り付けられているかのように手も足も動かない。しかし、耳だけは聞こえていて、二人の人間が僕の耳元で会話している声が聞こえている。
「芳子さん、お忙しいんでしょうに、いつもお見舞いありがとうございます」
「ううん、いいのよ。亮は私の弟みたいなものだし、私も医者だから様子が気になるしね。でも、優菜ちゃんも手術したんだし大変ね。体調はどう? 大丈夫?」
「はい。大丈夫です」
「なら良かった」
「芳子さん、ダビデの森の秘密って知ってますか?」
「え?」
「トメ婆ちゃんが、子供の頃に教えてくれたんです。十歳の時に、三人で願いごとを書いた紙をダビデの森に埋めて、三十年後に忘れずに取り出すと願いが叶うっていうおまじないなんですけど……」
「ああ、うんうん、私もやったわ! 優菜ちゃんもやったの?」
「はい。祐樹君と亮ちゃんと三人で埋めたんですよ」
「へぇ、そうだったんだ。私もね、願いを何にしようかすごく迷った記憶があるわ。四十歳の時点で自分が叶えていなさそうなことって何だろう?と思って、色々考えて願いを書いたのよ」
「えー、十歳でそんなことを考えてたんですか?」
「うん、悩める十歳だったからね」
「そうだったんですね」
「それでね、すごく悩んで書いて埋めたのはいいけど、三十年も経ったらそりゃ忘れるわよね。でも、四十歳の時に、トメ婆ちゃんに栗饅頭をあげたら、『芳子、ダビデの森じゃ!』と言われて、それで思い出して掘り返しに行ったんだけど、そしたらね、なんと箱を掘り返して、すぐに願いが叶ったの! 凄いでしょ!」
「そうなんですか! すごーい!」
「自分でもびっくりしたけど」
「芳子さんの願いって、何だったんですか?」
「私の願いはね、『結婚出来ますように』って願いだったの」
「お医者さんになりたい、じゃなくて?」
「うん。だって医者になるのは、自分が努力すればなんとかなると思ったけど、結婚は相手がいるでしょ? 自分だけじゃどうしようもないじゃない?」
「あ、そっか」
「それでね、びっくりしたんだけど、箱を掘り返して、一週間後に渉からプロポーズされたの」
「ほんとに!?」
「うん、ほんと! もう四十歳だから結婚なんて絶対出来ないだろうなと諦めながら、箱を掘り返してたのよ。だから、本当にびっくりしたの」
「ダビデの森のパワーは、やっぱり凄いんですね」
「うん、そうだと思うよ。それにね、他の二人の願いも叶ってるのよ。一人は海外で考古学の研究者になることで、もう一人は飛行機のパイロットになること。二人とも女なのに、凄いでしょ」
「凄い! というか、芳子さんのお友達って、芳子さんも含めて、皆さん凄いですね!」
「まぁ、変わってるわよね。今も一人はエジプトの砂漠で、毎日砂を掘り返してるわよ。もう一人は、航空会社の社長をやってるの。二人ともね、子供の頃の家庭環境が複雑だったんだけど、大人になったら自力で幸せになってやる!といつも言ってたわ。まぁ、二人とも前向きな人間であることは確かだと思う。でも、それにしても、私の願いって、十歳の子供が考えるにしては、なんか情けなくない? 他の二人に比べて、夢が小さすぎ」
「えー? そうですか?」
「うん」
「でも、私の願いも芳子さんとそんなに大差ないですよ」
「そうなの?」
「ええ」
「どんな願いなのか詳しく訊いてみたいところだけど、掘り返すまでは訊いちゃダメなんだよね」
「そうみたいですね。でも、私も祐樹君も亮ちゃんも、今、ちょうど四十歳なんですよ。芳子さんに良い話を訊いたから、明日にでも掘り返しに行って来ます!」
「うん、それがいいわ」
恐らく僕が昏睡状態に陥っている時の病室での優菜と芳子の会話なのだろう。楽しそうな会話ではあるけれど、僕は、記憶の中で一人でもがいていた。ついこの間、優菜は、自分はダビデの森の箱を掘り返してはいないと言っていたのだ。僕の頭の中で、「何故?」という疑問が、大きく膨らんでいくのを感じていた。一体どうして、優菜は僕にそのことを隠すのだろう? そのことを今しっかり考えたいと思っているのに、またもや僕の意思に反して、意識はすぐに四角い白い部屋へ飛んだ。




